はてなキーワード: 反比例とは
会社辞めるんで後任の派遣のおばちゃん(WEBデザイナー)に一部業務を引き継いでる。
そしたらおばちゃん驚くほど使えない。
仕事でPC触ってたら嫌でもエクセルの使うと思うけど仕組みから理解していない。
ショートカットのCtrl + C、Vすら使わない。
WEBデザイナーやっててショートカット使わないなんてことはありえないからちょっと今までどういう仕事してたか想像がつかない。
そんなだから当然引き継ぎは遅々として進まず当初の業務量の半分、それを更に半分、更に半分…まで減少したところで緊急会議が開かれた。
課長と俺が責めるわけでもなくやんわり淡々と「どこまでならできますか?できない分は余所に回すので大丈夫ですよ」と話しを進めたところ泣き出した。50代の、成人女性が。
あ、これ社会に出る域に達してない人や、と思った所で課長と目が合う。
すかさず「すみません俺の教え方が悪かったすね」と言い、課長が「そうだな、お前が悪い」と追撃。
これほど課長と通じ合った瞬間はなかったが、それが辞める2週間前とは皮肉だ。
無事これ後任いらなくね?というおばちゃんの引き継ぎ量となっているが、それと反比例してマイカップと紅茶の品ぞろえは着々と増えている。
それはそうと今更「なんで行かなきゃならないんですか?無駄だと思います」って駄々こねて今日の歓迎会ドタキャンしようとすんのやめろや。
なんでお前まだ残ってんの?何のために俺巻き取ったの?
反比例しているとでもいうのか…
美男美女ばかりが得しなくなって良いと思うかもしれないが、実際はそうはならないだろう。
ちなみに、容姿の良さというのは各人の主観が集まったものなので、客観的にはっきりわかる基準はないが、容姿が良ければ人に好かれるというのは定義上自明である。
さて、結論から言うと、知能の良いもの(=醜いもの)は、必死に働いて容姿の良いもの(=知能の低いもの)のための社会を作り上げ、個人的にも容姿の良いだれかに尽くすことになるだろう。それがなんらかの意味で報われると報われないとにかかわらず。
それはなぜかといえば、知能の良いものも含め、皆容姿の良いものが好きだからである。
現実には、容姿が良くても極端にバカだと損をすると言うことがあり得るが、それは世の中が容姿が良ければ得するようにはなっていても、知能が悪くても損しないようにはなっていないからである。
容姿と知能が反比例する世界では、知能が低いことはそのまま容姿が良いことを意味するので、容姿が良い人たちに損をさせないように、知能が低くても損をしない世の中を作り上げることになる。
そして移民が増えるほど、小選挙区で移民に配慮した私心ある政治家が当選するという悪循環におちいり、政治腐敗で国力のさらなる低下を心配しなければいけなくなる。まさか移民を受け入れ、日本で生活し子供も生んでほしいが選挙権は渡さないなんてことは言えないだろう。
沖縄の米軍人の犯罪などにおけるアレルギー反応など見る限り、外国人の犯罪は統計データの何十倍も住民は不安と恐怖と差別の意識を植え付ける。日本人の住民はメディアで報じられるそれを冷静に判断できるほど賢くも、強くもない。
外国人でも米軍関係ではない民間人の犯罪はそこまで騒がれないよ。
そういう「男に金を与えれば嫁と子供を買うはず」と言う発想がもう古いのでは?
ルールとは何だろう。
俺がその問いに回答するには辞書に頼らざるを得ないし、それ以上の答えは用意できない。
守るか、破るか。
それで十分だと思っていたし、実際それで何とかなっている。
でも、この世がみんな俺みたいなスタンスだと社会は崩壊するだろうな、くらいの思考は働く。
このように、登校した生徒に絡んでくる奴らがいるのは珍しいことではない。
違うのは、絡んでくる人間が教師ではなく、生徒会の奴らって点だ。
こういうのは生活指導の教員がやっているだろうが、俺たちの学校では少し趣が異なる。
「勉学だけならば学校は必要ない。社会、教養を、日々の生活で育むことこそ、学校に求められる役割だ。その資本とは、生徒自身なり」というのが校長の弁である。
要は社会性を学ぶのに、“生徒の自主性を重んじ”ているってわけだ。
まあ、これは名目で、実際には生徒の面倒を見切れない教師側が、仕事を減らすために作ったカリキュラムなのだろう。
とは言っても、大半の在校生にとって、この差に大した意味はない。
大きな違いがあるとすれば、この生徒会に対抗する“組織”が存在することだろう。
「なんだ、そのピンク色の髪は!」
クラスメートのカジマが注意を受けている。
「いやいや、地毛っすよ」
見え透いた嘘だが、カジマは強気だ。
「ピンク色の髪が地毛だというのか?」
「ふざけるな!」
「仮に染めていたとして、それが問題なんすか? 校則で『髪を染めちゃダメ』と書かれているとでも?」
「なっ……に。だが、風紀法には反するだろ!」
「風紀法には強制力がないっすよね?」
「カジマのやつは、また“不真面目団”の活動か」
「でなければ、あんな悪目立ちするだけの色に染める必要がないだろう」
「いずれにしろ状況は変わらん」
“不真面目団”
要は不良の集まりってことになると思うが、一般的に認知されているものとは少し趣が違う。
この集団は、生徒会のことを気に入らないと思っているメンバーで構成されている。
カジマみたいに、校則で罰することができない範疇で、生徒会が眉をひそめるような行為するわけだ。
しょうもない嫌がらせレベルのことしかしていないが、生徒会には効果的だった。
なにせ生徒会に所属する人間は意識が高く、真面目さと柔軟さが反比例するような奴らばかりだ。
そんな生徒会にとって、取り除けない目の上のタンコブほど邪魔なものはない。
そんな生徒会と不真面目団の小競り合いを横目に、俺たちはホームルームまでの時間を潰すわけだ。
「どうしたんだい。生徒会番号06」
カジマの小競り合いに、生徒副会長が割り込んできた。
普段はこういった活動には顔を出さないのに、どういった風の吹き回しだろうか。
「こいつが髪を染めているのに、逆らってくるんです……」
オーラでも出ているのだろうか。
さっきまで強気だったカジマが怯んでいるのが、傍目にも分かる。
「さ、ホームルームに遅れてしまう。かといって走らず、自分の教室に行きたまえ」
カジマはそう促され、おずおずとその場を後にした。
このときカジマは、その生徒副会長の物腰の柔らかさが、逆に得体が知れなくて不気味に感じたらしい。
「で、ですが副会長!」
「仕方ないさ。ワシらにはどうしようもない」
生徒副会長は、その後に続けてこう言った。
「今のところは、な」
そう確かに聴こえたと、カジマは語る。
正しくはこう。
https://www.kodomonokagaku.com/hatena/?2fe803545be2dc87d0bebf5c6f7f013a
たとえば地面に砂をこぼすと、小さな山ができる。でも接着剤などでかためない限り、
砂の山はいつしか崩れ、長い時間をかけて重力のはたらきで平ら…つまり丸い地球の表面と同じになる。
逆に、地面を掘ってへこみをつくっても、放置しておけばやはり重力のはたらきで砂や土が落ち込んで、
最後は平らになってしまう。地球の重力は、天体の表面が出っぱったりへこんだりするのを元に戻すようにはたらいている。
また、天体は宇宙空間にあるガスやチリなどの物質が集まって誕生する。
重力は距離が近ければより強く(正確には距離の二乗に反比例して)はたらくので、
いったん物質が集まってくると、周囲の物質はまん中へと引き寄せられる。
このとき、物質の重力は周囲のあらゆる方向に向けてはたらいているから、
物質の集まりは周囲のどの方向からも同じように押しつけられ、それぞれの物質が崩れたりつぶされたりして、結果として球になる。
球の形が遠心力で少し横に広がっている。また、重力がそれほど大きくない小惑星などの天体は、ぼこぼこと出っぱりがある独特な形をしているんだ。
小説を書く事を中学の頃から始めた。今年でもう7~8年間は続けている趣味になるだろうか。
長い出来の悪い期間を経て、自分で後から削除したりとか、それほどに恥ずかしいものは書かなくなったとは思っている。
一次創作と二次創作をそれぞれなろうとハーメルンでやっている。
それぞれでかなり受けたものが一つずつある。
点数やPVは両方で違うけれど(特に点数は評価方法が違う)、多分サイトの規模で比較した場合同じくらいの受け方だった。
そして、それぞれ一つずつしかない。
結局のところ、それは偶然受けたのだと思っている。
けれど、そのニッチをマスに受けるような書き方を7~8年間続けてきて意図的に出来ていない。言い換えれば、自分の作ったニッチなエロ動画は自分でしか抜けない。
それぞれで受けた時は偶然、そのニッチなエロ動画で他の多くの視聴者を抜かせる事が出来た。偶然、そういう書き方が出来ていた。
一応、その、マスに受ける為にはどうしたら良いかとか、一次創作では色々考えて書いた事もある。でも、その受けたものを越せるようなものはまだ全く書けていない。全く足元にも及んでいない。
……今、自分は一次創作に関しては、受けたくて書いている。それは、書きたくて書いているという情熱より強い。それほどに受けた時の満たされ方は強く、それによってより強い承認欲求を満たしたくなってしまった。
でも、受ける為に書きたいものをニッチから捻じ曲げる気もあまりない。
多分、それはとてもハードルの高い戦いであり、ずっとその戦いを自分は続けているのだろうと思う。
ちょっと失礼な言い方になるかもしれないけど、自分のニッチを受けさせるという事は、普通の性癖の人をレズやホモやケモナーやらに目覚めさせるようなエロ動画を作らなければいけないということなのだ。
それを読んだ人の性癖が捻じ曲がってしまうようなものを書かなくてはいけないのだ。
それも、小説という、何の技術も特殊な資材も要らずに始められ、それ故に途轍もなく多くある作品の中から選んで貰って。
なんとなく、始める為の必要なコストと、受ける難しさというのは反比例するのだろうと思い始めた。実際、それは事実だろう。始める敷居が高いほど、それをやっている人数も少ない。
だからこそ、小説というものは、受ける難しさは人数比で比べたら漫画より難しいと思う。
でも、7~8年続けてきた事は事実だし、今更別のものに、受ける為に手を付けようとも思わない。
小説での創作は楽しいし、書きたいものもちゃんとある。それは趣味としての根幹だろう。
受ける為というものは書きたくて書いているという欲求より強くなってしまったが、その為に自分の書きたいものを曲げようとまでは思っていない。思ってしまったらきっと、それはもう趣味じゃないだろうとも思う。