2018-01-30

趣味:物書き

小説を書く事を中学の頃から始めた。今年でもう7~8年間は続けている趣味になるだろうか。

長い出来の悪い期間を経て、自分で後から削除したりとか、それほどに恥ずかしいものは書かなくなったとは思っている。

一次創作二次創作をそれぞれなろうとハーメルンでやっている。

それぞれでかなり受けたものが一つずつある。

点数やPVは両方で違うけれど(特に点数は評価方法が違う)、多分サイトの規模で比較した場合同じくらいの受け方だった。

そして、それぞれ一つずつしかない。

結局のところ、それは偶然受けたのだと思っている。

前提として、自分の書きたいものはとてもニッチだった。

けれど、そのニッチをマスに受けるような書き方を7~8年間続けてきて意図的に出来ていない。言い換えれば、自分の作ったニッチエロ動画自分しか抜けない。

それぞれで受けた時は偶然、そのニッチエロ動画で他の多くの視聴者を抜かせる事が出来た。偶然、そういう書き方が出来ていた。

一応、その、マスに受ける為にはどうしたら良いかとか、一次創作では色々考えて書いた事もある。でも、その受けたものを越せるようなものはまだ全く書けていない。全く足元にも及んでいない。

……今、自分一次創作に関しては、受けたくて書いている。それは、書きたくて書いているという情熱より強い。それほどに受けた時の満たされ方は強く、それによってより強い承認欲求を満たしたくなってしまった。

でも、受ける為に書きたいものニッチから捻じ曲げる気もあまりない。

多分、それはとてもハードルの高い戦いであり、ずっとその戦いを自分は続けているのだろうと思う。

ちょっと失礼な言い方になるかもしれないけど、自分ニッチを受けさせるという事は、普通性癖の人をレズホモケモナーやらに目覚めさせるようなエロ動画を作らなければいけないということなのだ。

それを読んだ人の性癖が捻じ曲がってしまうようなものを書かなくてはいけないのだ。

それも、小説という、何の技術特殊な資材も要らずに始められ、それ故に途轍もなく多くある作品の中から選んで貰って。

なんとなく、始める為の必要コストと、受ける難しさというのは反比例するのだろうと思い始めた。実際、それは事実だろう。始める敷居が高いほど、それをやっている人数も少ない。

からこそ、小説というものは、受ける難しさは人数比で比べたら漫画より難しいと思う。

でも、7~8年続けてきた事は事実だし、今更別のものに、受ける為に手を付けようとも思わない。

小説での創作楽しいし、書きたいものもちゃんとある。それは趣味としての根幹だろう。

受ける為というものは書きたくて書いているという欲求より強くなってしまったが、その為に自分の書きたいものを曲げようとまでは思っていない。思ってしまったらきっと、それはもう趣味じゃないだろうとも思う。

自分ニッチな趣向のせいで高くなってしまったハードル呆然としながらも、自分趣味として物書きを続けている。

楽しいと思う事は、受けたいという欲求より大切にしなければいけない。それは確固として思う。何があろうとも。

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