美男美女ばかりが得しなくなって良いと思うかもしれないが、実際はそうはならないだろう。
ちなみに、容姿の良さというのは各人の主観が集まったものなので、客観的にはっきりわかる基準はないが、容姿が良ければ人に好かれるというのは定義上自明である。
さて、結論から言うと、知能の良いもの(=醜いもの)は、必死に働いて容姿の良いもの(=知能の低いもの)のための社会を作り上げ、個人的にも容姿の良いだれかに尽くすことになるだろう。それがなんらかの意味で報われると報われないとにかかわらず。
それはなぜかといえば、知能の良いものも含め、皆容姿の良いものが好きだからである。
現実には、容姿が良くても極端にバカだと損をすると言うことがあり得るが、それは世の中が容姿が良ければ得するようにはなっていても、知能が悪くても損しないようにはなっていないからである。
容姿と知能が反比例する世界では、知能が低いことはそのまま容姿が良いことを意味するので、容姿が良い人たちに損をさせないように、知能が低くても損をしない世の中を作り上げることになる。