欧米のほうがマシだと思うのはキリスト教にせよイスラム教にせよ「こうあるべき」という経典があって、解釈の違いがあるにせよ、依拠するところがあることなんだよなあ。
アメリカに期待するのは間違い。
彼らは、江戸時代から日本人を差別してるし、いまさら変わると考える方が変だ。
嫌だったらアメリカを出て他の国に行けば良い。
事情があって、アメリカにいるしかないなら、アメリカに感謝して生活した方が良い。
アメリカにも探せば良い所や学ぶべき点はある。
モンゴル人、香港人、台湾人と日本人が連帯するのはアリだけど、残念ながら多数派は中国人や朝鮮人。
香港は中国だけど、貨幣が違う事と、クールな気質が中国と別だと感じる。
中国と朝鮮は国家ぐるみで反日教育し、反日プロパガンダ、ロビー活動、スパイ活動、犯罪行為をしている奴らだ。
連帯しようとしたら、数で負け、暴力で負け、彼らに支配されるのがオチ。
中国が一党独裁でないと国がなり立たないのは、武力でしか中国人がまとまらないという現実を表している。
連帯という言葉には、日本人が中国人と対等という意味を感じるが、それは夢でしかない。
中国人は中国人が一番だと思っているし、日本を利用するもの、国、国土、技術、金を搾り取る対象としか考えていない。
連帯が実現するとしたら日本人だけ武器を持って中国人を武装解除させた時だけ実現する。
もしアメリカの刑務所にいて腕に自信が無いのなら、チカーノ(メキシコ)と連帯するのは、選択肢の一つだと思う。
アメリカが中国を敵と認識した今、日本人が中国人と連帯する事は、犯罪者に加担する黄色でしかない。
その憎悪は、あなたが考えているよりも深くて、恐ろしい事態を招くだろう。
現実を見て、賢く立ち回る事が最善だと思う。
うおー腹壊したー
別にエロゲ出身ラノベ作家が一人称で書くと決まったわけではない。
さらに、いまラノベでいちばん一人称が用いられているジャンルはなろう系ファンタジーだ。
その他のラノベで別に一人称が多いわけでもなければ、もちろん一人称と三人称の混在が多いわけでもない。
逆に言えば、一人称も、一人称と三人称の混在も、別にラノベの専売特許というわけではなく、一般文芸にもよくよく見られるものだろう。
そもそも一人称か三人称かは作品内容によるものであって、作者がエロゲ出身かどうかで決まるのではない。
同じ作家でも、キャラの多いストーリーだと三人称になりがちだし、主人公の視点や心情を重視するのであれば一人称になりがちというだけだ。
どこをどう読めば『「お前らは別だ」と叩く方に回」ってるんだ。それに体制側ー非体制側という構造は作っていない。マジョリティ ー マイノリティという構造はつくっているが。
ズーフィリアもペドフィリアもネクロフィリアも、そもそもの存在自体は認められるべき。
婚姻についても、動物と死体はそもそも自然人ではないから結婚できないでしょう。それが愛してるとしても。そしてそれは自ずと、動物と死体に人権を認めるか、というLGBTの議論とは別になる。ペドフィリアについては、何歳から結婚を認めるのかは、議論の余地はある。
異性愛でも同性愛でも同意を得ないセックスがレイプになるように、殺したり他人の死体を損壊すれば犯罪だし、判断能力のない子供とセックスをすれば犯罪になる。結婚同様に、何歳から認めるべきかは議論の余地あるし、真面目に付き合うならもっと若くてもいいだろう、という点も賛成できなくはない。
要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。
A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米は同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性を容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。
B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。
C)多様性に肯定的な報道はそれを助長することになりかねない。
以上が主な主張だ。反論は下記。
a)日本はLGBTに寛容という点は、男色の文化があるし同意できる部分もあるが、杉田氏自身が示した朝日新聞の記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者に偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向や性自認に関する言葉の嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。
b)際限がなくなる危惧は理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体は否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。
c)肯定的報道が際限のない多様性に拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも、多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)
以上。
この文章が置かれている文脈では、議論が右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。
→親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける
→親の無理解がクリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する
→そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルなメディアは社会制度のせいにする
→しかし、LGBTは子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ
たしかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンドの赤字を、ぜひとも批判してほしい。
なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT」支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレや制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティが暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金の効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。
それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか。
同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。
杉田氏は『成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。
一方、エッセイの最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。
『「普通であること」を見失っていく』の主語が社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛者である。
杉田氏は、同性愛者に対して「あなたの存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。
これが差別以外のなんなのか。
文科省は通知を出していて「好きな性別のトイレを使っていい」という指針にはなっていない。
トイレは多目的トイレや職員用トイレ、更衣は保健室や多目的トイレを利用することを推奨している。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf
私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。
従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。
もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ちは理解できる。
私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度。
また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。
それを個人的な感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。
杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。
・LGBTで各新聞をキーワード検索したところ、朝日新聞・毎日新聞の記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBTの権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。
・しかし、LGBTだからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか。
・キリスト教・イスラム教の社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害の歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米と日本では社会構造が違うのに、日本のマスメディアは欧米を見習うべきという論調が目立つ。
・LGBTの当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやすい社会になるのではないか。しかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。
・リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはずだ。「生きづらさ」を行政が解決するのが悪いことではないが、動くには税金が必要である。
・例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。
・私は中高一貫の女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛の対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性と恋愛して、普通に結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性の時代だから同性を好きになってもいい」と報道したら、普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。
・朝日新聞の調査でLGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認や性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBTと世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期だから、社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事:https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html)
・多様な性に対応するために、自分の認識している性にあわせて自由に制服が選択できることに肯定的な報道をよく目にする。例えば朝日の記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分の認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってある。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事:https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A)
・最近はLGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポートの性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。
・様々な性的指向も認めたら、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。
・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。
酵素タンパク質であるナットウキナーゼは、胃や腸でアミノ酸に分解されて吸収されるんだけど、
ナットウキナーゼ単体では血栓溶解作用を持つけど、分解されたら無関係だよね?
ちなみに、血栓溶解効果を示す酵素タンパク質の一種「ウロキナーゼ」の場合、静脈注射でなければ血栓溶解効果がない。これは、経口摂取すると体内に吸収されるまでに、胃液のペプシンや小腸の膜消化(小腸粘膜上皮細胞1個あたりに約600本密生する微絨毛の膜消化酵素による分解)によって酵素タンパク質(アミノ酸のつながり)が切断され、トリペプチド (アミノ酸が3個結合したもの)やジペプチド (アミノ酸が2個結合したもの)あるいはアミノ酸単体にまで分解されて酵素としての特性を失うからである。もちろん、ナットウキナーゼも酵素タンパク質なので、経口摂取した場合には、アミノ酸やジペプチド、トリペプチドにまで分解され、ナットウキナーゼとしての活性を失う。(当然だが、人体にナットウキナーゼを再構築する機能はないし、血中に血栓溶解効果が出現することもない)つまり、ナットウキナーゼや、そのサプリメントを経口摂取しても、血栓溶解効果は無いと考えられる。
お 前 も 逃 げ ろ