本当は彼だって分かってるはずなんだ。分かってるという事実から目を背けたいだけなんだ。
逃げたいあまりにやらないといけないことから目を背けてるだけなんだ。
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教育とは何か、分かるかね。分かってることを引き出すことなんだ。既に彼の中にあるものをひきだす。
人間誰しも成長の段階というものがあるね。彼はまだここにいるから分からないことも多い。
でもそれと同じくらい薄々分かってることも多いんだ。それを引き出すのが君の役目なんだ。
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薄々気付いてると思うけど、君=彼なんだ。先生という仕事をしていて生徒から教えられることも多いだろう。
僕だって自分という人間の先生だから自分に教わることも多い。つまりはそういうことなんだ。
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なぜ人は分かってるのに救いを求めるんだろう。寂しいから?あるいは本気で分かってないつもりになっているのかもしれない。
だから君ができることはマジレスすることなんかじゃない。本人が本当は分かっているのに認めたくない答えを突きつけてもそれは助けにはならない。
一通り元気づけたあと、もうやるしかないということに気付かせ、再び歩み始めるのを見守ること。それが君のできることなんだ。
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薄々分かってることに気付かせるという言い方をしたよね。この薄々というのがポイントだよね。
分かってるけど理解が足りなかったり逃げたかったりして、本人にしてみればよく分かってないと思っている。
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よく何が質問したいのか分からないのに質問にくる生徒さんがいるだろう?
薄々何が質問したいのか、もっと言えば答えやその手がかりだって薄々分かってるかもしれない。
それなのに分かってないように感じる。そこに引っかかりを覚えるから質問にくるんだ。
だから質問を明確にしてから来たまえなんて追い返したらいけないよ。本人は分かりたいんだ。
分かりたいんだけど分かりたくない気持ちのほうが強い。だから答えを聞いても、本人の中に分かろうとする準備がないとおそらく駄目なんだ。
あくまで先生ができるのは彼の中に眠るものを引き出すこと。その準備が不十分なときは、「やるしかない」と本人が気付くしかない。
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人生でつらいことがあって人に相談したいと彼は思っているかもしれない。
あまりに理不尽に感じることが多いのだろう。確かに客観的に見てもそうかもしれない。
だけどやるべきことははっきりしていて、それを彼が分からないフリしてるのもまた事実なんだ。
分かりたくないから、分からなくていいように、自分を欺き、やらなくていい努力をし、それを周囲にアピールしてるんだ。
だけど自分が悲劇の主人公だとアピールしても一時のなぐさめにしかなるまい。
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彼が同じ過ちを繰り返さないためにも、どこかで「ほんとうは、わかっている」という方程式に気付くしかないんだ。
そのためには、とことん追い詰められる必要がある。
ただの「人生経験」「社会経験」なんてくだらないものじゃないよ。そんな苦労した気になるだけの経験はもうたくさんだろう。
そのためにも今彼がやってることをとことん突き詰めるといいのではないかな?
やがて小手先や先入観や常識では通用しない段階が必ず訪れるだろう。その時に変わればいいんだ。
君ができることはただ1つ。繰り返し何度も何度も彼を「やるしかない」という気にさせ歩き続けさせること、それだけなんだ。
元増田です。
こっそり追記して、と思ったのですが、
元が長文の上に追記も長いんでやむなくトラバで。
しんどかったですが、私の書いたものに対する言及を一つ一つ見ました。
こっちにグダグダ言われても知るかよ、自分で何とかしろや、というフェミニストな人たちの反応には、
それはそうであろうな…と書きなぐるように弱音を吐き出したことを後悔しましたが、
それでも参考になるものを提示してくれる人たちも居て、有り難かったです。
似たような思いを抱えていると共感してくれる人たちの声があったことにも、
見識が足りない、そもそも観測範囲が狭い、というのは、その通りだと思います。
自分個人のアイデンティティ批判として受け止めてしまうのは、結局、男性社会への帰属欲求があるからであろう、
という指摘も、たぶん、そうなんだと思います。
でも、帰属意識とそこに属する欲求を全て断ち切らないとならないなら、自分の欲求とアイデンティティを規定するものが何なのか、
解体しなければいけないことになりますが、私が良く目にするようなフェミニズムな人たちの言葉に従って、
それを行うことは、自分の中身を当てずっぽうで乱暴に弄るような泥沼にしか思えませんでした。。
だからこそ、そういった人たちの発言を、直視できない、と思ってしまう気もするのです。
虫の良い話のようですが、私は私が、できるだけ私として居られる状態で自分を知りたかった。
私がフェミニズムを自分に適用できるものでは無い、と感じた一番大きい理由は、そこにあるように思います。
その方法がまだありません、ということなら、やはり見識を広げ、自分で考え続けるしかないのでしょうし、もう少し努力してみます。
私の拙い長文によって吐かれた弱音に目を通してくれた方々、ありがとうございました。
http://news.biglobe.ne.jp/topics/trend/0930/59970.html
いつもbiglobeのコメント欄には笑わせてもらってるけど、これは特にひどいな。
男が女にケチな振る舞いをするのは女が悪いらしい。
心にも余裕がないんです。
って素直に認めることができない男性が多いことがよくわかる。
金持ちから徴税するには世界中の(まともな)国をすべて民主化して、更に金持ちへの課税を世界的に強化する方向しか無いと思う。
いくらロビー活動しようとも、金持ちが多数派になることはあり得ないから、絶対に不可能とは思えない。
あと金持ちになって税を収めたら、色んな特典があるようにすれば、そこまで不満は出ないと思う。
どういう特典が考えられるかは、あまり煮詰まってないけど、例えば、名誉とか。あと、家族も含め臓器移植などの行列を待たなくて良い特権とか。
他には、ある程度収めた人は今後どんなに事業に失敗しようとも、一生生活保護の審査が簡単になるようにする権利などなど。
もっと良い案はいっぱいあると思うけど、とにかく色んな特権を認めるようにすれば金持ちも気持ちよく税金を払ってくれるのではないか?
逆に、脱税するのは、富裕層の義務を履行してない、として世界的にさらし者になるような制度や空気なども必要かも。
こういう事を成し遂げるには、多勢の人の意識改革が必要だと思う。
まず金持ちになる人と事業に失敗して貧乏になる人の差って能力的なものもあるだろうけど、運の要素が強いことを認識すべき。
何度も成功する人は、たまたまその時代の流れとその人の能力がマッチしたものと考える。
もちろん金持ちになるのに苦労した人も多いと思う。
でも苦労しても貧乏な人や、そもそもボランティアなどで苦労してる人も多い。
たまたま金持ちになる才能があっただけ。たまたま運が良かっただけ。
苦労したから、その富を自分だけが独占するべき、という考えは改めるべき。
自堕落で貧乏になる人も、神経伝達物質の質や量、体力、環境、時代など、偶然の要素でたまたまそうなってると考えるべき。
そもそも自由意志なんてものがあるのかどうか分からない、という立場が妥当だと思う。
これだけ技術が発達した社会で無能な人を無理に働かせる必要性なんてないはず。無能な人には高度な仕事は出来ない。足を引っ張るだけ。
無能な人には死なない程度のお金を分配して、ささやかに生きてもらえれば良い。(もしくは簡単な介護の仕事などを半強制的にやらせても良いかもしれない)
それに、もし大量の時間があれば労働者としては無能な人も、何かの才能を開花させて、金持ちを楽しませるコンテンツを作れる可能性も増える。
逆に無能な人に自己責任を押し付ければ、社会に不満が蔓延して強盗や殺人が増える。
多くの生活しやすい国の人がこういう考えになって、民主的に国家を運営したら、
「タックスヘイブンを無くして、世界中の90%の富を持つ0.1%の人から徴税しよう」という考えになっていくはず。
あと、富が増えれば増えるほど、金儲けは簡単になっていくので、一定レベル以上の富を得ることは不平等だという考えも、
俺がそうなんだけど、資産が2000万円を超えたあたりからコツが分かって来て、最初の2000万円を稼ぐのの5分の1の期間で次の2000万円を稼げた。
その後はもうかなり簡単に金が金を生むようになって、生活費ぐらいなら何もしなくても稼げる(資産が生活費によって減ることがない)状態になった。
しかし、もし何かで失敗したら、まだ若いから生活保護なんて不可能だし、金で金を作ることは出来るけど、それ以外の事は苦手だから、
資産が減る事は怖い。だからささいな額しか寄付できないし、節税も頑張ってしまう。
もし世界的な枠組みが出来て、ある程度納税したら、失敗した時に簡単に生活保護がもらえる制度があれば、家族の事などもあるので、すごく助かるし、
納税することもやぶさかではない。
慌ただしいイベントの時に「駐車場立っててもらえますか?」と言ったら、荒野に生えた木のごとくポツンと立ってた。
言ってから私が向かうまで、30分弱。
指示が悪かったと後悔。
「立つ」をただ単に「座る」の逆の行為としか捉えていなかったらしい。
「わかりました!」って、いや確かに分かってはいるのか、別の見方をすれば。
でもこれって私視点だと正解じゃないんだよね!
例え話として、「レストランでハシがない、ハシが落ちたと聞いたら普通は橋ではなく箸のことを思い浮かべるよね。初めてのことでわからなかったと思うけど経験を積んで覚えていこうね」と話した。
微妙にズレているような。まいっか。
私が言ったことをを必ずカタチとして出してくれるのは嬉しいけど、もうちょっと場にあった対応を身につけて欲しい。
こっちがそっちに歩み寄っているとキリがないので、できればこっちに歩み寄ってきてくれないか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/siusiu.blog.shinobi.jp/Entry/617/
二次元やAVの美少女や白人みたいなもう絶対かないようがない相手を引き合いにだして、日本女はブスだといいまくるのは違うだろそれって思っていたけど。
俺も、文学哲学や古典の最高レベルの人間性の女の心象にかぶれて、女の人間性を叩いてる節があったんだけど、それは違うじゃん。
男は中身って女が言うから「俺は中身は分かる奴が分かる分には相当レベル高いやろ」って自分に都合がいいから信奉して、それが裏切られてるから「中身見れるほど勉強してないじゃん女は」って叩いてたんだけど
男の場合は、俺は文学哲学レベルで見ても人間性(社会性とかでなく哲学的な意味で)OKやろって思ってたから、そこに到達してない女はおかしいとか思ってたけど。
でも、この前かなり可愛い女とセックスし終わったあとに女がキレテ、「薄皮一枚の社会性だけで生きてるからこんなに馬鹿なのかあ?」って思ったんだけど、よくよく考えてみると普通なわけだ。「怒鳴ったらなんか理屈が捻じ曲がるわけではないのに、怒鳴る意味が分からない」とか思っても、そんなんは理論を積み上げて丁寧に考察する場面での話しであって、普通の社会生活にそんな理屈は要らないわけだ。
それに、外見と中身を求めるのはちょっとおかしいっていうか。両方兼ね備えるのって時間的に不可能じゃん。前提として年齢というリミットが外見にはあるし、それに対して中身ってのは熟成させるのに非常に時間がかかる。何の制限もない男がやっても死ぬほど時間かかる。それなのに両方兼ね備えるのは無理。
見た目を作ってるってことは、それに比例して中身を期待してしまうけど、そりゃ不可能だわ。将棋でプロになりながらバスケで全国優勝しろみたいな無理ゲー。
男も女も、たいていは薄皮一枚の意味も無く身に着けた社会性を人間性っていうことにしてるだけだし、見た目だってイケメンや美女の『コスプレ』をしてるだけ。それをコスプレを叩いたり、人間性なんて無いじゃないかと叩くこと自体がおかしい。人間性もコスプレに付随して「おぬし!」とか「~~~にゃん!」とか「ご主人様~」くらいまではできるけど、身のフリ心の機微まではすぐ限界が露呈する、心のコスプレも叩くのはおかしい。
人間として社会にいられるだけでそれなりに大変だし、そこだけ抑えるだけでも最低限生きていけるわけで。そこを不必要なほど求めるのはおかしい。スーパーのレジうちに微分積分を求めて教養の無さを叩くのはちょっと異常だろ。コスプレに必要な程度の素地があればあとは、いかにコスプレ技術を磨くかであって、ナマの素材の不備のほうを叩くのはおかしい。
というか、フランス料理を日常で食うわけではないから、吉野家程度の完成度と値段が大事。
見た目も味もそこそこ程度でいいわけで。あとは調味料(コスプレ)でなんとかごまかす。ちょっと内情を見て「牛肉がクソじゃねえか!」とか「紅しょうがが体に悪いじゃねえか!」とか叩くのは頭がおかしい。それだけの値段払ってから言うならまだしもさ。
普通にクッソまずくて食えないレベルじゃなければ、そこそこでいいし。中身重視(健康志向)で健康食品ばかり食いたいならそれでもいい。
ただ、日常の生活でフランス料理が出てこなかった!と怒るのは違う。フランス料理が食いたいなら、高級風俗なり行けと。あるいはフランス料理が普通に食えるくらいの年収をモテと(金持ちになれ)。
結局、人間性なり中身なりで女に不満を漏らしていたけど、それって金を払わずにっていうのと似たようなもんだな。俺が悪かったわ。
俺ヒカキンってなんか好きになれなかったんだよね。だって、ニコニコの実況プレイの劣化版じゃ~んって思ってた。
自己承認欲求乙!みたいな?実際パズドラ()とかやられても、そんなクソ下らないリア充向け単純作業ゲームがどうしたの?って思ったよ。
で、ヒカキンを鼻で笑ってニコニコの実況ばっかり見てたんだけど。最近は意識かわった。
むしろチャンネル登録数稼げてない普通の奴の普通の商品紹介動画みたいなの見たりしてたんだけど。なるほどなって。
これって、日常のちょっとした楽しみを切り取ってんだなと。リア充の友達が楽しそうに遊んでるのを見てる感じ。しかも編集つきで。
俺とかって、完全に引きこもりで友達0人なんだけどさ。友達が新しいおもちゃを買ってきたりしてリアクションも簡単に取ってくれてるみたいな?面倒くさいじゃん、リアルで人とあってみたいなのって。
あと、チャンネル登録が少ないとケレンミっつーかな、そういうのが無い。クリエイターと消費者みたいな。
あと、あれだ、底辺ユーチューバーってコンビニの商品みたいに無味無臭なんだな。ニコニコはアクが強い料理なんだけど、ユーチューバーは顔をさらしてるから瑕疵が無いっていうか、失点が少ないノリばかり。いわゆる近づきやすいリア充。女にモテそうなナチュラルで清潔感があってみたいな。そういう感じの奴が多い。ヒカキンみたいなのも髪そめたり汚いこと言わなかったりある程度ちゃんとしてんだな。
リア充の友達とかって絡むのが疲れるんだけど、ネットなら何の疲れもなしに絡めるからいいね。リア充とリアルであうと、上下関係っつーかな、そういうのが気になって対等に付き合う感じがなくてフランクに付き合えないんだよね。一歩引いちゃうから楽しめないんだよなあ、リア充とは。人種が違うっつーか、白人とは対等に話しできませーんみたいなのがあるわ。劣等感も湧くし。
ああいうの見ると、初めてニコニコで実況動画見たときみたいな感覚になるわ。「こいつらの会話術うめえなあ、まねしよー」って。実際ニコニコのトークパクってうまくいくことも多い。あんま出回ってないネタや言い回しのコツとか。
ユーチューバーはうまい言い回しは少ないけど、「うまい表情、ファッション、態度、感情表現方法」みたいなのが感心する。これをぱくったり取り入れていけばいいのかなーっていう希望みたいなのを持たせてくれるっていうか。見てて、「あ~これはモテますわあ、彼女作れますわあ」ってのが実感で理解できる。
親が研究者でアメリカに住んでたこともあるのに俺より英語できない奴に会ったことがあって、一体どれだけ徹底的に怠惰だとそうなるんだ????と完全に理解不能だった。
はてなの母親軍団見てると、ほんと「子育て頑張ってる私」しかアイデンティティの拠り所がない人多いんだなって思う。
プルなんとかさんはたまにまともな事言うから、一応その辺の自己認識が無いわけじゃなさそうだけど。
ああいう母親達が、自分のアイデンティティを強化するために「子育て」の価値を無限に上げ続ける優越感ゲームをやるお陰で子育てのハードルがインフレして少子化してるという影響は無視できないと思うが、その辺どう考えてるのかな(いや、自分のこと以外なんも考えてないだろうけど)とは思う。
晩婚化のせいで、ブサメン、ブスが結婚しにくくなった可能性って指摘されてるかな?
昔はお見合いでほぼ100%結婚してたけど、自由恋愛で結婚してね!ってなると、戦後とかなら、イケメン美女は早々に売れて、残りの中でまた上位が結婚して、ってなって30くらいの売れ残り同士でそこそこきれいに売れ残りが消えていった。
でも、今って30くらいまでに結婚とか、27までに結婚とか、昔と比べて晩婚化なわけで。『晩婚化』ってのはつまり25までに結婚とかが普通っていう意識の中で出される言葉なわけで。
そうすると、そのくらいまでは男女とも結婚しないとなると、イケメン美女が売れ始める時期も後退しちゃうわけだ。(むしろ30近くギリギリまで結婚しなくてもイケメン美女なら余裕だから残り続ける?)
そうすると、未婚のイケメン美女のラインがいつまでも下がらない。フツメン、フツウ女が妥協しなくなる。だって、未婚のイケメン、イケジョがいるんだから実際。
こりゃ、フツメン、フツ女は結婚しなくなる。当然下層も結婚しなくなる。
このあいだねせんぱいと持ちよりパーティをしたんですうちで。せんぱいがごはんであたしがデザート担当。せんぱいはあたしのすきなものたくさんつくってきてくれて、あたしはあまいフォンダンショコラをつくった。せんぱいはあまいものあんまりたべられないけど、自分がたべたかったからそれにしたんです。結局あたしはせんぱいのおいしいごはんを七割くらいたべて、デザートもほとんどたべたかな。せんぱいは三口くらいたべてたかな。あたしがおいしい思いをしておわったんだけど、せんぱいはとくになにもいわないしにこにこしてました。なんかあたしがひとりでおいしかっただけですよねごめんなさいねらってました、ってお茶のんでるとき白状したら、そうなんだろうなと思ったけど別によかったっていうですあのひと。そういうひとなんです。
ひといきにそこまでを耳ざわりに奥ゆかしい古都のなまりではなして、さめた珈琲をすすりながら小動物のようなおんなはいった。そういう、むしり取ろうとおもったらかんたんに身ぐるみはがせちゃうような人だから、すきをみてかえせるものはかえさないとならないし、なるべくえんりょしながらはがさないとなくなっちゃうのに、あんたたちそろってばかみたいにむらがりすぎじゃないんですか。はずかしいとおもわないんですか人として。せんぱいのこと頭からばりばり食べる気ででもいるんですか。ほしいほしいほしいって、ああいやだあさましい。
精確にかきうつせないのがいまいましいほど、叩きつけられた通牒のなかみがのどにはりついて呼吸がしづらい。いまいましい、本当にいまいましい小さな愛くるしい生きもの。怒りにまかせてうっかり打ちすえることもできない、そんなことをしたらさいご逆さにふってもこちらが悪者である証拠しかでてこない、小さな小さな、ああこいつはあれに似ている、ゆめとまほうのまっ黒な国の、かん高い声でなく子りす。