はてなキーワード: そごうとは
俺が書きたいのでこれまでに行ったホテルラウンジと感想を書いていくぞ
首都圏のキングオブ婚活用ラウンジ。利用者の9割ぐらいがお見合いだと思われる。
ゆったりとしたソファでテーブル間隔も広めに取られており、他のテーブルに気を取られることもほぼない。
窓も非常に大きく取られており開放感がある。
都庁を望むアーバンなパースペクティヴは、季節を感じる潤いと、あとまぁ話題に困ったときの助け舟を、あなたに。
言うことなし。
迷ったらここにしておけば間違いない。
メニューもいっぱいあるので通ってても飽きないし、そこから話を広げるのもアリだ。
ここは普段はだいたい30分くらい前に並んでおけば大丈夫のはず。
ただ11時の開店時はかなり混むので、もっと早くに行く必要がある。一番乗りできるとちょっと楽しい。
あと遅い時間だと、18時からピアノ演奏があって、席が近いと地味に会話の邪魔なので注意。
たまにこっちになる時もあった。暗いしほぼ廊下なのであまりオススメはしないが……。
言うて混むので、カクテルラウンジがダメならこっちに切り替えるという事はできない。
京王プラザホテル、だいたい日比谷花壇前に集合になると思うが、そのスペースがこっちのラウンジに接している。
京王プラザホテルの良い所は、ここに伝統工芸とかの展示があり季節ごとに入れ替わるので、お相手を待つ時に退屈しない。
待ち時間は人によってまちまちで、席とって15分前に行ってみたら既に待たれている人もいれば時間ギリギリに走ってくる人も。
スマホいじって待ってるのも感じ悪い…と思われると思うし。
エントランスにも大きい生花オブジェみたいなのがあり、話題に事欠かず本当に良かった。
朝食ビュッフェ会場
ビュッフェ会場なので、ちょっと作りがモダンなファミレス感。人は居ないので話しやすいが……。
奥の手として。
一度使ったがおすすめしない。
が、いかんせん席間が近すぎる。
気が散るしうるさいの……。
使った時は両隣もお見合いっぽかったから割と使われると思われる。
ありがたい話だが、お茶代なんて知れてるので気にしないのが吉ですよ。
一度使ったがなかなか良かった。
20階にあるので眺望が良く、ラウンジ横は吹き抜けになっていて開放感もある。
席感やメニューは特に印象に残っておらず、普通だったんだと思う。
良かったんだけど、いかんせん遠いからなぁ……。エレベーターの待ちもあるし。
新宿にはキンプがいるから、どうしてもそっち選んでしまうのではなかろうか。
普通に混むので特に穴場というわけではない。家族などの利用が多かった印象。
指定されて一度行った。
タイミング次第でめっちゃ混みそうだし、普通にホテルラウンジがいいと思う。
ここは正確には使っていない。
並んでいたがあまりにも回転率が悪く、断念してしまったのだ……。結局移動してなんとかした。
ただ、見た感じ環境はとても良さそうだった。
騒がしい印象はなく、吹き抜けで開放感もあった。日差しがコントロールされていて過ごしやすい印象。
渋谷は人が多いがこういった事に使えるスペースが少なく困る。そら長居もするわな。
交通の便で行くのが面倒なのだが、行きたかったので指定しました。
正直すまんかった。
そこそこ混んでて待たされたが、周囲に色々ありベンチもあるので比較的待ちやすい。
椅子もデザイン性の高いもの。席間は普通。メニューも豊富で良かった。
窓際に通されたのは良かったのだけど、窓に対して直角の席配置なので片方しか庭が見えないという……。
当然お相手に譲るのであんまり見れなかった。あと日差しが結構きびしかった記憶がある。
でもお見合いの空気が最悪だったらしんどいだけ……まぁそれはどこでも同じか。
ここも結構通った。西の京王プラザホテル、東の帝国ホテルと称されるお見合いのメッカである。
まず入って大階段がドン!と構えており、吹き抜けとなった開放感のあるロビーは格式の高さを感じさせる。
あとここは、トイレがすごい豪華でキレイで、洗面台に使い捨てのハンカチが置かれている。こういう所から格の違いを感じるんだよな。
個人的にF.L.ライトが多少好きで思い入れがあるところでもある。建て替え後楽しみですね。
ただ、お見合いで使うのにはどうかというと……
若干席の間隔が狭い気がするんだよね。普通の喫茶店よりはマシとはいえ、若干隣の会話が入ってくる。
混雑状況はなかなかだけど、席数もあり回転率もあるので普通に30分前に付いておけば十分だった記憶。
メニューは豊富……なのだが、いつも上高地アイスコーヒーを頼んでた気がする。毎度話のネタに……。
上高地の帝国ホテルのカフェも結構良かった。大きいマントルピースがあってね。いいよね上高地。
ホテル御三家を制覇したいという野望を抱いていたが、結局オークラにはいけず……
いつかいくぞ!
一度行ったが、なかなか良いところだった。
ここも2階まで吹き抜けで、開放感がある。
行った時はほぼお客さんがおらず、快適だった。
実は穴場かも?
まぁ空いてるので話をする分には良かったと思う。
窓が一面に大きく取られていて眺めが良い。天井も高くて開放感がある。
秋でなくても紅葉の意匠が随所に散りばめられており、雰囲気を存分に感じられる。
一度行ったが、めっっちゃめちゃ待たされた。トータルで1時間は待ったはず。
かなり高さのある吹き抜けで、空間としては良かったのだが……。
すっかりくたびれてしまったので、正直あまり良い印象がない。眺めも普通だった気がするし。
オーシャンビューで開放感がすごく、とても明るい。
この辺に来たらだいたい寄るが、混んでいたり予約で満席で入れないことも多い……。
妻とアフタヌーンティーで行きました。大変良かった。
広いし、なんか廊下に壺とか置いてあるし……。そのうち慣れたけど。
アフタヌーンティーは評判通り、大変楽しめました。
庭園も結構広い。なんといっても霧は唯一無二で、別に泊まらなくても楽しめる。
ここは交通の便が悪すぎるので、結婚相談所経由のお見合いで使うことはないだろう。
ハイヤーとかで行く所っぽい。
やりきりました。
以上です。
ここは地味に良かった気がする。席が仕切られて半個室みたいになってて話しやすい。
午前中はすごく空いてた。昼からはどうかな。空いてたらすごい穴場だと思う。
個人的には2回目以降に使うカテゴリの店だけど、落ち着いて話すには良い場所だと思う。
追記2
わーい伸びた!
東京ステーションホテル レストラン一回行った。帝国ホテル選びがちだったかも
マンダリンオリエンタル東京 行ったことない。便所めっちゃ気になるやん?
外資系のラグジュアリーホテルは全然行った事ないなー。今更ながら分不相応感が……。
あと笑い話として、実は妻との最初の出会いはラウンジでないという……。コロナ禍で。
これだけ色々出かけておいて!
そんなわけでアフタヌーンティーには色々行きたい。
電車の中で息子がつり革に捕まろうと頑張っていた。
俺は座っており俺の膝によじ登り俺を踏み台にして捕まろうとしている。
だが届かない
もうすぐ4歳だというのになんと愚かな事を。とうちゃん情けない。
すっ転んで怪我したら俺が妻に叱られる。
少し持ち上げれば届くがそんな事はしてやらん。
一言だけ注意をする。
諦めて歌を歌いだした。
「外でうんこは辞めなさい」
喜んでボリュームアップ。
俺も息子もノーマスクなのでつり革の時点で近くにいた痩せ中年男と壮年女は席を離れている。
こんな時の正しい教育の答えはなんだろうか。
往復ビンタだろうか
先日似たようなシチュエーションを見かけたが
母親がヒステリー声で「バカ、辞めなさい、アホ」と叱っていた。
「人様に迷惑をかけるな」
息子はグローバル社会を生き抜かねばならない世代だから日本独特のコモンセンスを刷り込みたくない。
「社会はお互いに迷惑を掛け合う、仕方がないこと、一定ルールはあるが過度に萎縮する必要はない
生命財産にかかわることでなければギリギリまでは寛容に受け入れ、許し許されよう」派
アメリカであれば分別のつかない子供はパブリックな場所に連れてくるべきではない。
だろうが、
では日本の社会構造、都市構造に適応した子育て、人間性を身に着けさせるべきか。
ジレンマがあるのだ。
ならばアメリカでも田舎でも好きなところに引っ越して理想の子育てすりゃいいじゃないか。
だが、ガキの声、騒ぐ姿が鬱陶しい、と感じる価値観が間違っているとしたらどうだろうか。
間違ってる価値観に合わせこちらが適応してやらねばならないのか。
国家、民族、文化、自然環境や社会的制約で変わる、絶対的な正しさなどなかろう。
ふと思い出したが昔本屋でぺちゃくちゃ喋っていると睨まれたことがある
雰囲気から静かにせよの意と察したが、図書館じゃねぇんだからと突っ込みたくなった
これは正しいのだろうか、アホではなかろうか。
話を戻す、
突き詰めれば息子が幸福な人生を歩むための基礎能力を授けるのが俺の仕事であり目的だ。
ん?そうだろうか、それすら怪しいゾ
死ぬまで続くか知らんが。
クソ無能の癖に声のデカさだけで好き勝手し102歳まで逃げ切ったクソクソ男。
ただアホが威張り散らしてるだけ。
200億円の個人債務を踏み倒し、6400億円の法人債務を逆ギレ債務免除を求め
そごうは経営破綻したのに何故か彼は自己破産も免れ、最後まで俺は悪くないと言い張り
聖路加タワーで老後を過ごし100歳の誕生日会には政財界の超大物から続々と祝電。
見習いたい。
だが声の小さな俺はとてもこんな人にはなれない。憧れだ。
彼は不幸で間違えた人間だろうか、
死に際まで人生を省みることなく幸せを感じていたのではないか。
いいじゃん。それでいいじゃん。
息子がそんなつおい人間になってもらって構わない。
威張り散らしていたら全員幸福になれるわけではない。
周りにあわせてふつーにするのが比較的幸福ゲット率が高い、と世間一般では信じられている。
本当かなぁ
世界幸福度ランキングを見ると日本は低い、かつどんどん下がってるではないか
うん、やはり正解がわからん、などと考えていると
息子はうんこソングも飽きて大人しく椅子に逆座りし外を見ている
ま、いっか
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
運営 | 店舗 | 総数 | 7/24 | 7/25 | 7/26 | 7/27 | 7/28 | 7/29 | 7/30 | 7/31 | コメント |
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三越伊勢丹 | 伊勢丹新宿店 | 56 | 4 | 5 | 3 | 6 | 7 | 7 | 12 | 12 | 全開示(確診日不明) |
7&i | 西武池袋 | 19 | 0 | 1 | 6 | 3 | 1 | 1 | 7 | 別ページにて開示 | |
三越伊勢丹 | 三越日本橋店 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 3 | 全開示(確診日不明) |
高島屋 | 高島屋日本橋 | 5+ | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 3日で消去,キャッシュで確認 | |
高島屋 | 高島屋横浜 | 8+ | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 2 | 3日で消去,キャッシュで確認 | |
7&i | そごう横浜 | 9 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 別ページにて開示 | |
東急 | 東急渋谷本店 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | ShinQsの方が多い | |
小田急 | 小田急新宿本店 | 9+ | 3 | 4 | 2 | 3日で消去,PDF書き換えのためキャッシュ確認も不可 | |||||
三越伊勢丹 | 三越銀座店 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | 2 | 全開示(確診日不明) |
Jフロントリテイリング | 大丸東京 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 全開示(確診から開示まで遅い) | |
京王 | 京王新宿本店 | 開示していない可能性大 | |||||||||
松屋 | 松屋銀座本店 | 6+ | 1 | 1 | 4 | 3日で消去,キャッシュで確認 |
三越伊勢丹はかなり情報を開示してくれているが、他はそうでもない。7&iも頑張らないとまとめページにたどり着けない。
ずっと公開しておくのも変だと思うので、半年も掲示する必要はないと思うが、せめて一週間くらいは見られるようにしておくべきなのでは…?
ぶっちゃけこういうのはアンチフェミにとってターゲットにされにくい。
アンチフェミが主に目の敵にしてるのは、宇崎ちゃんみたいな萌え系ポスターに難癖つけて自粛させる、フェミ名乗った弱者オタク男性叩き系女だから。
(そしてこういう女性の大半は男性嫌悪の未婚非モテ系女性だったりする)
まともなフェミはそんなポスターなんかより、自分の娘などの若い女性の将来を案じて実害性の高い制度や事案・広告に対して抗議の声を上げてる
ちなみに意外と性犯罪者・女性の出世を阻む権力者・パートナーの女に家事育児押し付けるモラハラ男は、Twitterは浅い程度にしかやらないし、わざわざ「フェミ」へのアンチ活動はやらない。
普段はフェミって何?って顔で、現実世界で平然と女性に対してモラハラ・パワハラ働いてるからね(だから日本はいつまでも女性差別がなくならないし、そごうや花王のようなバカみたいな炎上広告が繰り返される。ネットから1個1個訴えて潰していくしかない)
話が逸れてしまったが、つまりツイフェミとアンチフェミの戦いは、実質「アンチ男の萌え系オタクvs男の萌え系オタク」なんだと思う
日本美術院、理事の東京芸大名誉教授を謹慎処分 作品が写真に酷似「道義上の責任」
https://mainichi.jp/articles/20200719/k00/00m/040/166000c
日本美術院が、同院の倫理規則に反する行為があったとして、同院理事の宮廻正明・東京芸術大名誉教授を謹慎処分にしたことが19日、分かった。
同院のホームページによると、そごう美術館(横浜市西区)で17日から始まった「第75回春の院展」に宮廻さんが出品した「銀河鉄道」という作品をめぐり、同院の信頼を裏切る行為があったとしている。
作品は、暗闇の中を走る列車のような乗り物につかまる女児が描かれている。この構図が、ロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンのCDジャケットに使用された写真と酷似していると、16日にツイッター上で指摘されていた。
近所のかっぱ寿司が閉店する。
理由は定かではないが、おそらく売上が減ったのだろう。
ここ数年、街にはスシローや魚米が進出してきた。どちらも何度か足を運んだが、いつでも客でごった返している状態で、対してかっぱ寿司は連休中を除けば閑散としていることが少なくなかった。
俺は数年前までかっぱ寿司が大嫌いだった。詐欺同然の代替魚ばかりで、しかも鮮度も悪い。サイドメニューの品揃えやボリューム感もお粗末。
低所得者層に漬け込んで、安かろう不味かろうの寿司もどきを食わせるこの企業を最低だとも思っていた。
それを変えたのは、たった一尾の赤えびだ。
数年前、先輩に「かっぱ寿司に行こう」と誘われて、内心ものすごく嫌だったが、仕方無しについていった。
そこで先輩が何度も赤えびを注文するので、俺は「そんなに美味いんですか?」と聞いたら、先輩はこう言った。
「最近のかっぱ寿司は変わったんだよ。昔のイメージを払拭しようと頑張ってるんじゃないかな。まあ一つ食べてみろよ」
俺はかっぱ寿司の企業努力よりも先輩の味覚を少し疑ったが、言われた通り赤えびを食べて、驚いた。
美味かったのである。
言うまでもなく冷凍ものの海老を解凍して提供していることは分かるが、大振りかつ肉厚で、歯ごたえもよく、臭みもない。俺の歯と舌の上でコリコリッと身が弾け、ほのかな甲殻類の甘みが広がった。
俺は本当に驚いた。
それからしばらくして実家に帰った時、家族にその感動やかっぱ寿司の企業努力を熱く語ったが、家族は眉唾と言わんばかりに、まるで取り合ってくれなかった。
「それこそうちの近所のかっぱ寿司、あそこは初めて食べに行った時は本当にひどかった。もう二度と行きたくない」と両親は苦々しく話した。
俺と同様、やはり家族もまた以前のかっぱ寿司の劣悪なイメージが頭から離れないようだった。
そんな家族も、その後『ガイアの夜明け』のかっぱ寿司特集をテレビで見た途端、汚名をそそごうと悪戦苦闘するかっぱ寿司社員の姿を目の当たりにしたおかげか、手のひらを返すように行こうと言い出し、ついに一家そろってあの近所のかっぱ寿司に入店する日を迎えた。
家族が口々に笑顔で「かっぱ寿司、変わったね」と言うのを見て、俺はなぜか少しだけ誇らしい気持ちになったくらいだ。
家族は全員寿司が大好きで、昔から様々な寿司を食べている。今や全国に名を轟かせた有名店にも昔から通っていたし、築地や都会の回らない高級寿司屋にも何度も行っている。寿司に関しては一家言持っているその家族が、かっぱ寿司を褒めた。
そうして俺たちは一月に一回はかっぱ寿司に通うようになり、毎回様々な品を食べる内に、かっぱ寿司のいいところにいくつも気付いていった。それはたとえば、
これは今でも驚く。しっかりとダシが香る甘味の効いた茶碗蒸しは他の回転寿司屋とは比べ物にならない。地元の割烹でさえこのレベルの味を食べさせてくれるところはまずない。ただ、何故か期間限定のものより通常の茶碗蒸しに限っての話だ。
揚げ物はいつもからりと揚がり、香ばしい。トランス脂肪酸の嫌な苦味もまったくない。フライヤーのマニュアル整備や油の交換頻度に起因しているのだろう。断トツの美味さを誇った上穴子天ぷら寿司やインパクト勝負の大海老フライ握りがメニューから消えたのは本当に悔やまれる。
すべての回転寿司屋において、かっぱ寿司の麺類に勝てる店はない。俺はあまり麺類は食べなかったが、家族は貝の塩白湯ラーメンを毎回頼み、そのたび褒めていた。時々ぼんやりした味付けの混ぜそばで迷走したりもしたが、基本的には満足のいくような作りになっていた。何より時流に乗って何度も様々なコラボをして、気軽に有名店の味を楽しめるようにしたことは賞賛に値する。かっぱ寿司全体では一幻のえびラーメンが一番人気だったらしいが、俺はにぼしラーメンこそ最も美味かったと思う。
ツナを原料とした面白い風味が癖になるツナゲット、肉厚で濃厚なハンバーグ、最近だとハワイアンキャンペーンでガーリックシュリンプなど、商品開発部門の遊び心とこだわりが感じられる。唐揚げやフライドポテトなどの定番も、万人受けするように余計な個性を出さない控えめさがあって好感が持てる。ただたこ焼きは誰も食べなくていい。
はじめこそド定番のケーキやなんちゃってパフェぐらいしかラインナップは無かったものの、ある時を境にスウィーツが急速に良くなった。中でも販売終了した杏仁豆腐、フロマージュは特に忘れがたい。かっぱ寿司は大体素晴らしい商品が消えてゆく。なおプリンに関してだけは、近所の店舗がだめなのか、そういうコンセプトなのかは知らないが、まったく固まらずどろどろと液状化しているのが今でも許せない。
といったようなことだ。寿司ネタに関してはあえて自分の舌で確かめてくれと言うしかない。
ただ、世間がそんなかっぱ寿司よりもスシローや魚米やくら寿司に流れていくことは仕方ないだろうという諦めもある。何故かと言えば、かっぱ寿司は今までのイメージの悪さだけではなく、純粋にやり方がとにかく下手くそなのである。
まずは店作り。かっぱ改革が始まってからできた店はともかく、既存の店舗は妙に清潔感に欠ける。これはおそらく蛍光灯やインテリアの配色がそうさせているんだろう。
店内BGMもそうだ。お得さを無意識に感じさせる心理効果を狙ってなのか、スーパーで流れるようなJ-POPのクソクソフュージョンアレンジが常に流れていたりするところは正直毎回疲れる。
CMもひどい。「かっぱが変わる」みたいな内容の頃のCMはまだよかったが、最近は聞いているだけでイライラする歌付きの脳みそ空っぽなCMに変わって呆れた。
接客は口調だけ丁寧な典型的な感じで特に不満は無いが、もう少しホールの人たちの労働意欲が増すような環境とか制服を作った方がいい。
後は注文端末。液晶パネルが高い位置に固定されているため、注文していると異常なほど腕や肩が痛くなるのは致命的。これは親や年寄り世代には辛いだろう。
低所得者層、学生、家族層をターゲットにしているのだとしても、せっかく採算度外視で質の高いネタを提供する方向に舵を切ったのならば、もっと落ち着いた居心地のいい店舗作りをすべきだったのではないか。
しかしそれでも、週末は必ず激混みする地元のスシローや魚米に比べれば、かっぱ寿司の満足度は群を抜いている。
スシローは注文品も一緒に回ってくるシステムのせいで他のアホ客の勘違いで取られたりするし、赤えびも茶碗蒸しも、かっぱ寿司ほどの感動はない。
魚米は麺類の不味さが全企業トップクラスだ。パスタや明太釜玉うどんはもはや悪夢。えんがわが食べたくて仕方ない時にえんがわ軍艦を食べに行くお店だと思ってる。
それでも実家の近所のかっぱ寿司は閉店する。他のかっぱ寿司は車で20分近くはかかるので、家族がかっぱ寿司に通う頻度は激減するだろう。
昔はあんなに毛嫌いしていたが、生まれ変わろうと努力し始めたかっぱ寿司にすっかり惚れ込み、応援したい気持ちもあって、何度も通った。
今後はあの赤えびや茶碗蒸しがなかなか食べられないのかと思うと切ない。
過去に問題があった人間や企業に対してどこまでも冷たくなる気持ちは分からないでもない。だが、過ちを反省し、顧客の満足のために試行錯誤し奮闘努力している人間たちが確かに存在している訳だ。
書いていてめちゃくちゃ今更かよ、もう二週間も経ったよって思ってしまったけど、書いちゃったから上げる。
パイを投げられている広告の女性差別の的外れがこないだ話題になったけれど、この一年でこういった女性差別ものの見方が随分変わった気がする。
女性差別について、前なら、ひどいなあ21世紀になってもまだこんなひどいことが横行しているのかという気持ちだった。でも今だと日本だもんなそんなもんだろうなっていう気持ちになる。
あの広告をつくった人間がどういう気持ちでつくったのかは知らない。でも私にどんな文才があったとしてもあの広告にはたどりつかないだろう。
きっかけは就職活動だ。私は就職活動で初めて自分が差別される側の人間だということを知った。
家庭内で差別されたことは一度もなかった。成績の良し悪しについて性別を理由に文句を言われることもなかった。大学に行くことも反対されたことがなかった。祖母も喜んでくれた。
学生のうちでもそういう差別を見たことがなかった(単に私が気がつかなかっただけなのかもしれないけれど)。大学だって私の学科は男女比が半数だったのもあって肩身の狭い思いをしたこともなく、所属サークルの今の代の長は女の子だ。
ちょうど昨年まで運よく痴漢にもあったことがなかった。(よくよく考えれば高校は下り電車に乗る関係で痴漢ができるほど混んでなかったし、大学では田舎住みだった関係で朝は基本的に座ることができたのが大きかったのだと思う)故に私にとって女子差別とは過去のものという印象が強かった。
でも就職活動が始まるようになってそんなことないんだっていうことを有り有りと認識させられた。
説明会に行けば、女性の働き方というものがわざわざパワポで一枚使って表示させられる。育休から復帰する女性の人数ですと出される。女性社員の育休からの復帰率はわかったけどじゃあ男の人は育休とるの?って何度も思った。(これに関しては男性差別でもあると思う)
面接を受ければ、結婚後はどうしていきたい?出産後も働く?みたいなことを聞かれる。知るかよ、結婚するかもわかんねえよ、出産したいかもわからんわ。
男の子であればこんなしょうもないこと聞かれないんだろう。男性社員だって育休とってがっつり子育てに関わりたい人だっているのかもしれないのに。
会社によっては、もっとあからさまだった。エントリーシート通過後に説明会開催の企業では、私が希望した部署はそもそも男性社員しかいないということを私は説明会で初めて知った。今年女性を取る気があったのかはしらない。でも、それを知った時点で私は何を考えたらいいのかわからなくなった。今となっては落ちてよかったなと思うけど。「重いものを運ぶことが多いから今のところ男性社員しかいないですね」みたいなことを言っていた。じゃあそれをどうしてエントリーシート書かせる時点で明記しておかないの?っていう気持ちでいっぱいだった。私の他にも女の子は何人もいたけれど彼女たちは何を思っていたんだろう。
最終面接直後に、「うちは女性社員が少ない会社だし、あなたを取るかはこれから会議にかけてから決めます。しばらく時間をください」って言った企業もあった。私が女だから、会議にかけないといけないのかと愕然とした。面接や説明会内では確かに女性は少ないという話はあった。別に私自身はそんなことあまり気にしないし、大丈夫ですと何度も言ってきた。
でも、私の性別が男だったらこんなこと言われないんだろうなって思ったらものすごく悔しかった。結局私がこの企業からOKもらえたのかはわからない。ここの結果を待つより先に他の企業の内定をもらって、ここには断りを出してしまったから。
日本という国は私にとって生き辛い部分が少なからずあるのだ、ということを突きつけられたのが2018年だった。(ついでに就活中に初めて痴漢にあった。クソみたいな社会だなって余計に思った)
2018年の一月の私ならめちゃくちゃ文才があったらあの広告をつくったかもしれない。でも今の私には絶対に作れない。
だって、「わたしは、私。」、ということを訴えてもどうしようもないのだから。面接という場において、「あなたという人物が見たいです、ありのままを見せてください」なんて言う面接官は多い。私も何度も見てきた。つまり「わたしは、私。」を発揮する場所みたいなもんだろう。でも、その場で私はお前は女だからちょっと結果待っててよ。会議かけるわって言われたのだ。
たとえ仮に、「私は私です。女というレッテルで判断しないでください」って最終面接後に会議しますっていった面接官に言ったところで何が変わるのだろうか?きっとその人は困った顔をしながらも、「そういう訳にはいかないから」としか言わないのだろう。
だって時代の中心は男なのだから。あの面接官は私の気持ちなんてちっともわからなかったはずだ。だってわかっていたら、「あなたが女の子だから会議にかけます」なんて絶対に言わない。あの面接官は自分が社会の中心である男であるから、こんなことが言えたのだろう。私がその言葉にどのくらい深く傷つけられたのかなんて絶対に知らないのだ。
一人ひとりがつくればいい、という無責任さ、それが男の人が女に思う気持ちみたいなものだろう。仕事?いいけど家事もおろそかにしないでね、みたいなそれに近い。
女がパイを投げられる時代を終わらせるには、男が必要なのだ。白人と黒人が手を取り合って黒人差別に立ち上がるように、男と女が共に協力する世界が必要だ。