はてなキーワード: 排外主義者とは
JDM(Japan Domestic Market)というアメリカを中心とした日本車改造文化があるんだけど、その界隈では旭日旗のグラフィックがよく使われていたりする。日本の暴走族で旭日旗や神風のモチーフが取り入れられてた文化的つながりがあるのかもしれないが確証がない。
旭日旗は、大日本帝国・旧日本軍が中国・朝鮮・アジアを侵略・占領した際に掲げていた旗で、特に韓国では旭日旗に似ている表現にも非常に敏感に反応するほど嫌われていたりする上、現に日本の差別・排外主義者等が中国人・朝鮮人を差別・中傷する目的でよく使われていたりする。ただ、欧米ではそんなことを気にしていない・知らない人が多いんだよね・・・。
なのに、反差別界隈からJDMの旭日旗人気に言及する人がなぜか見られないし、カスタムカー界隈からも旭日旗がアジア(特に韓国)で嫌われ、差別・排外主義者等が差別・中傷目的で使われていることについて言及する人がTwitter検索する限りいない。
ニュース検索でも同様で、「Rising sun flag JDM」「旭日旗 JDM」で検索しても、JDMと旭日旗の差別性の両方に言及した記事がヒットしない。
なぜだろう?。反差別界隈がJDMの旭日旗人気に目を向け、カスタムカー界隈も旭日旗が差別の象徴と見られていることについて目を向けないとあかんのに。
一方でゲンロンの自由なんてものもある。バカな人たちは「ヘイトスピーチだ」と言えばなんでも弾圧してかまわないと思っているようだけれど、そんな安易なものではない。ちなみに、スペインではヘイトスピーチ取締の規制が成立しているけれど、カタロニア独立運動の各種発言がスペインに対するヘイトスピーチだとして、この規制のおかげでガシガシ取り締まられたりしている。ヘイトスピーチは常に、自分の好きなものは健全な批判でゲンロンの自由にされ、自分の嫌いなモノはすぐにヘイトスピーチだ。アメリカでもカナダでもイギリスでも、進歩派がなんでもかんでもイスラモフォビアだLGBT差別だ、排外主義者だレイシストだ、他者を受け入れる寛容性のない偏狭なミーイズムの田舎者め、とレッテル貼りをして悦にいっていたら、逆にそれこそまさに社会の分断を煽る不寛容でしかなく、言われたほうはさらに態度を硬化させて、おかげでトランプが出てきてしまったりあれやこれや。
私はここ二十年ぐらいに共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場なものだから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、何も他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないな」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
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(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きる直前の頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちがいるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人もそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
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はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として書いた。
自民党の独り勝ちでは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした野党支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
https://twitter.com/kondohi/status/1245688944320114689
申し訳ないんだけど香川県民様におかれましては香川から出るか、もう少しまともな主張を選ぶようにまともに選挙運動をしてくださいねとしか。— ひろじ@Bios:Origins通販中 (@kondohi) 2020年4月2日
じゃあお前も現政権を選ばせた責任取って今すぐ日本から出ていけよこの腐れハゲ。てめえが選挙活動怠った結果今の安倍政権が主権握って日本をメチャクチャにしてんだろ?????じゃあ有言実行してさっさと日本から永久に出ていってくれませんかね香川県民排外主義者で醜いハゲ頭のひろじさ~~~~~ん??????
おまえのような排外主義者に振り向かれても困るな
俺個人としては日本国籍を選んでくれたら嬉しいなぁとは思うんよ
でもアメリカ国籍を選んだとしても、「まあ、しゃあないよね」とも思う
どうせ本人が決める事なんだし、外野がどうこう口出すような話じゃない
でもねー、なんか知らんけどネットを眺めてると大阪選手が日本人と認めたくない人ってのが結構いるっぽいのね
こういう風に書くとネトウヨ、極右、排外主義者って感じのイメージだと思う
「ほとんど日本語を話せず、日本で生まれ育った訳でもない彼女は日本人じゃない」とか
「純血の日本人じゃない」(元々ごちゃまぜの日本人で純血ってなんやねんって話なんだけどな)とか
そういう感じの事言ってる人達ね
こういう人達は実際居る
ただ、それとは別の視点から彼女に日本国籍を選んで欲しくない人達も居る
「彼女の様な素晴らしい選手に日本という国は相応しくない」とか
「彼女を日本人扱いするのは、活躍した人だけ名誉日本人扱いする事だ」とか
「彼女個人の功績を、日本の功績と取り違える人が出てくるのは嫌だ」とか
みたいな人達
日本人のスポーツ選手が活躍する→ナショナリズムが高まる→日本の右傾向化! みたいな考えなのかもしれない
正直、大阪選手本人にとってはこんなもん全部ノイズなんだから、まるっと無視してなんら問題ない
ただネトウヨ的な視点と、それに反発するサヨク的な視点の両方から「大阪なおみは日本人じゃない」っていう意見が出てくるのは妙な話だと思う
今の目立つネトウヨって、中国は嫌いだけど、中国的な全体主義には共感を覚えてるところあるんじゃないでしょうか
今日のニュースで中国民主化運動の小説家が中国で消息不明になったそうです。その人はオーストラリアとの二重国籍なんですって
ネトウヨたちのヤフコメでの意見は「二重国籍なら逮捕されても仕方ない」みたいな意見に賛同たくさんついてました
彼らは蓮舫の二重国籍に憤ってた人たちで排外主義者なのでしょう。
彼らが理想とするのはある意味中国政府と似ているのかもしれません。
ソ連とナチス・ドイツが戦ったように、似ているけれど嫌うようなものかもしれません。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/DA3S13709603.html
今やネトウヨ=排外主義者、差別主義者と言う状況じゃないし、そうして来たのはカジュアルに他者をネトウヨと批判して来た人々なのだけど、このブコメ欄を見ても一度ネトウヨと認識して仕舞えば差別されて然るべき差別主義者として扱い、全く話も聞かない人が結構な割合で居る。
それこそが差別性を含んでる事に何故気付かないのか。
自身がネトウヨだから自分達を擁護してるとかじゃないんだよ。どこに属すでもなく私は私だ。
私なりの意見として、ネトウヨと言う共通敵を作って暴走を見せるアンチネトウヨのファシズム化を危惧してるだけだ。
ネトウヨじゃないならほうっとけば良いと言う意見もあるけど、最近はよくネトウヨとされる人達のコメントよりも、ネトウヨならこうだろうと言った極端でステロタイプなネトウヨ像の妄想を基にした発言にスターが集まったりもするので辟易してる。
無論右派に差別的な人間はいる。しかし右派もそうだからと言って左派を腐すのはやめて欲しい。
差別主義者に対し反差別を訴えて来た人達が差別主義者のように腐っていくのは見たくない。
個人的にはネトウヨと言う言葉はもう捨ててしまえば良いと思ってる。
そればかりか多種多様な人を勝手なネトウヨ像を作り批判したことで、新聞なら一読者、政治なら一支持者になり得る人をずっと遠ざけて壁を作ったように思う。
使い勝手のいいカジュアルな蔑称はウヨサヨ論争を激化させ、右翼と左翼の溝を広げ、多くの人はその状態を敬遠して政治から遠ざかり、その実、日本の分断工作としてしか実を結んでいない。
今日ネトウヨと呼ばれた人はそのステロタイプからほど遠く、いろんな意見や思想を持っている。
新聞も政治もそんな一人一人と対話するように、基本に立ち返って自分達の利となるように言葉を届けた方が余程有意義じゃないかと思う。
オカマ呼ばわりを未だに罵倒として使っている般若やそれを平気で居直る呂布カルマや天皇主義者のZEEBRAが出てる番組観ながら言う事かよ
KREVAがFSDには絶対に出ないって言ってる意味ぐらいわかれよアホが
ヒップホップはまだマシだが日本語レゲエに一歩足をずらせば関してはホモフォビアをはじめとしたセクシズムどころか排外主義者だらけじゃねえか
ヒップホップはジェンダーフリーを目指す時代とかお前馬鹿なの?
つか早稲田のインテリがやってた時代ならいざ知らず川崎のチンピラ階級出身者どもがそんな高等教育受けてるとでも思ってんの?
そもそもBL自体がホモフォビアとミサンドリーを掛け合わせたジャンルであるという側面があることをガン無視して何偉そうに言ってんの?
はてなの自称腐フェミに特に多いけど汚らわしい男が穢れた同性愛者である事がいいという差別意識が垣間見える事多すぎるんだけどお前はまず自分の差別意識と向き合えよ
それがはてな
「音楽に政治を持ち込むな」といってたネトウヨそっくりですよ。
フジロックSEALDs問題の2年前の自分のブクマコメント読み返してください。ダブスタになってませんか?
若者は「SEALDsもHINOMARUもUSAも好きにすればいいんじゃね」ですよ。これがあるべきリベラルですよ。
<追記>
排外主義者になってしまう程度には日本人の良心は脆弱ではないかと過去の歴史に照らして思う』
こんなロジックで「日本死ね」を称揚し「日本好き」と言うのは叩いてるんすか笑
こんなパターナリズムと言論弾圧と自分の思想派閥のみを称揚する態度は
左派思想が天安門虐殺や反日テロにつながったから、左派思想のSEALDsの活動を妨害するネトウヨと全く同じ
「音楽に右翼思想を持ち出すな」って、君らが左派だからでしょ、だからネトウヨと一緒だよ。
まあ愛国歌を歌うと謝罪させられるなら本当のロックは愛国歌を歌うことだろうね、大いに弾圧してくれよ笑。
HINOMARUでググると若い音楽好きのyoutuberの反応面白かったんで、おっさんたちは見てみてね、これが若者の感覚なんで。
https://www.youtube.com/watch?v=045MAqlS82w
https://www.youtube.com/watch?v=wdJegw02VjI
はてなのコメント読んでいると、ほんとに、やばいなー。俺は「日本死ね」を「自分の愛国心への攻撃と受け取」ってないよ笑
だって、俺は「日本死ね」もOK,「日本好き」もOKっていうリベラルだよ笑。
「SEALDsもHINOMARUもUSAも好きにすればいいんじゃね」って書いてるじゃん、こんな短い文なのに読めてないんだよね。