はてなキーワード: 妄執とは
ねぇ、君。某先生に対して、ワクチン接種の話題に自分の書籍の話題を挟んでいると怒っているね。リプ用のアカウントを作って、ずっと、一生懸命にリプを送り続けている。
君が、どういう気持ちでずっとリプをし続けているのか、私は知らない。単なる遊びか、反ワクチン思想から邪魔したいという気持ちからならいいなと思う。ただ、もし本当に、ワクチンを著作の宣伝に利用していると思い込んで、義憤に駆られてTwitterに張り付いているのならば、清廉さゆえの行動であるならば、私は伝えたい。
あれはね、ワクチンを利用して著作を売り込んでいるんじゃないんだよ。逆なんだ。著作と自信の知名度を利用して、ワクチンの普及をはかっているんだよ。
たぶん君は、本とか読まない人なんだと思う。某先生は、何かを利用して著作の宣伝をしなくても、平気なレベルの人なんだよ。固定ファンがきっちりいる、新作がきっちり売れる、シリーズをきっちりもってる。そういう人なんだ。
だから、別のアカウントを作ってやってくれというのは、とても的外れな意見なんだ。ワクチンのことだけが知りたいのであれば、君は別の人を見た方が良い。某先生のアカウントは「元々の著作のファンに向けたワクチン情報の発信」がスタートで、どこまで意図的なものかわからないが、いまは「知名度を利用したワクチンの普及」を行なっていると思う。
社会学は哲学と同じ善だの悪だのバイナリゲームのお遊戯の一種なのでいいかげん学問になるかお遊びのままでいるか進む方向を選ぶべき
学び問う、問えるだけの情報整理と定義とそのための集積、それらと分け隔てなく接し理解するための時間を費やす学び、それらを合わせて学問
学問によって定義ができる情報群ができたとき、その情報を応用できる手段にしたものが論
多くの意見や情報や視野を集める学びを会す場をつくることが学会でそれを基軸に題名をつけるなら学、何々学
あつまりもしてないし意見も聞かないし問うに情報が整理されていない、ただ罵倒するためだけにつけた蔑称で独自の定義を披露する社会学はそれらのどれにも少しもあてはまらない
学問という文字から大きくそれた「社会学」なんてものはもう言葉遊び
西暦何年~何年までとする それ以外は「社会学以外からの引用や参照や比喩」として理解できる 逆に範囲内に言及する場合は学会の方針に沿う
実在した人物や組織の名前をそのまま使い、個人的な評価をその名前を付け合せて妙な名前を都度生成しない
結果や行動について集積、分類するために評価基準を定義する 大虐殺なら評価基準は人数なのか方法なのか効率なのか等 それにより救われた人数や伸びた産業はどう評価するか等
・共有する
これが一番問題なのだろうけど、定義基準ができたとしてそれを利用できなければ意味がない
現在の社会学は他の社会学者が歌ったポエムにアンサーポエムを返したりしているだけ
社会学が学問として学が成り立ったとしたら次のような表現方法ができるはず
「ナチス」という一時期に存在した集団がとった行動の評価は「100(例として作った数字なので意味はない)」
これはAの時代のBという状態にあったCという組織や、同系統の例を定義上の要素で評価採点した方法による D論 の評価
のようになるべき
善だった悪だった悪だが民衆に好かれた、当時の価値観としては善だったが、などただの時系列を無視した正確性を欠くジャーナリズムでしかない
正確性も欠いているし時系列も現在とのつながりが話題性以外になく、善とか悪とかの価値観に巻き込まれた関係者の人数分布や思想の強度を行動や現象で数字化して比較するわけでもなく個人が判断しただけ等となると愚の骨頂
事実、現時点において何らかの問題を解決するのに歴史的な事象や統計にある手段を用いようとしたところで社会学のなにが方法としてだせるのか
それも含まれる、程度だと思う
人間味を欠いたグリフィスの人間的な弱さによる崩壊と、いつまでも正気を保ち続け、いつまでも人間だったガッツの対比がある
だから描きたかったのはあるときは欠け、あるときは野心に燃え、しかし中心は人間でしかなかった人たちの群像劇だと思う
全体のテーマ性で言えば上の通り
グリフィスが人間を捨て、まさに非人間的な存在になったことで、(ある意味では気が狂ってしまった)グリフィスの頬を張るためにガッツがいつまでも食い下がってゆく、という古典的な熱さはなぜにあったか
それはガッツが欠けてしまったグリフィス自身を信じていたからこそいつまでも食い下がったのだ、と言ってもそれほど間違ってないと思う
ガッツの妄執はゴッドハンドに鷹の団と自分の青春をめちゃくちゃにされたゆえの怨念もあろうが、グリフィスへの郷愁というか、望郷というか、そのような懐かしむ念も強くあったと思う
そしてスキあらばはっ倒したいと、目を覚まさせたいと思っていた
自分の彼女をレイプした親友に正面から向き合ってはっ倒したいだとか
これはすごい話だと思う
人間性の対比で言えば、グリフィスは進歩主義者で常に自分自身を別のものへと変化させようとした過去を持つ。これは彼自身が下賤の出自を持つからで、いつでも逆境にあって自分自身で有り続けたガッツと、自分から逃げ続けて涼しい顔をしていたグリフィスという対比なんだ。つまりその根底にはやはり人間回帰へのテーマ性が見え隠れする。
グリフィスはどこかで深く傷ついているので、フェムトになった際にも嫉妬や憎悪などが渦巻いて素晴らしい云々と他のゴッドハンドの蛇女に評されている。グリフィスはガッツという人間が羨ましかったのに、その羨ましさをガッツを保持する、という手段で止めようとした。しかしガッツは決闘のち彼の手から離れる。これはガッツにとっていつまでも自分であり続ける旅の始まりであったと同時に、グリフィスの自分でない何かになるための焦りを加速させてしまった。同じ人間としてもがいていた二人のベクトルが真逆に向いた決定的瞬間がスムーズに描かれている。
この筆力は漫画家としても、あるいは文章として書き直しても色褪せないまとまり方だ。
たぶんお前たちは自分ちで作ったチャーハンがべちょべちょだったのがトラウマで、その反動で極度にパラパラなチャーハンを求めるようになったのだろう。
お前らのチャーハンメンタルが弱ったところにネットの悪い奴らが忍び寄ってきて、こうささやいたに違いない!
と……
いいか正気に戻れ、落ち着いて近所の中華料理屋か、大阪でも餃子のでもなんでもいいから王将に行ってチャーハン頼んでこい。そして観察しろ。そうすれば気付くはずだ。
もちろんべちょべちょでもないんだが、それに比べて卵かけごはんチャーハンのパラパラ度合いは「やりすぎ」だ。パラパラになるのはなるんだろうが、その代償かのようにパッサパサになる。
ほんっとにパッサパサ。マジでパッサパサ。でもみんな気にしない。「べちょべちょじゃない」というだけで満足してしまう。ダメだ。そこから抜け出せ。あれはあれであんかけチャーハンとかに使うといいんだが、単なる具を混ぜただけのチャーハンであればパッサパサ過ぎて食うに困る。
べちょべちょチャーハンがトラウマになったせいで「お店のチャーハンはこんなんじゃなくて、とにかくパラパラの、もうめっちゃパラパラで、パラパラなんだ!」と思い込んでしまった人間による妄執の果て。それが卵かけごはんチャーハンだ。
ちょい固めのご飯を炊いて、鍋に油をたっぷり入れてカンカンに熱してから溶き玉子を先に入れて、そのあとすぐ白飯を放り込んでお玉の背中で米を均すように炒めると、まあ味付き中華ご飯ぐらいにはなる。悪いこと言わないからこっちにしておけ。
チャーハンとペペロンチーノの話題は荒れるとわかってはいるが、ただパラパラなだけのボソボソしたチャーハンを錬成して食卓が気まずくなってしまうのは忍びない。悪いことは言わん。卵先混ぜ式はもうやめろ。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
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影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。
若い女やイケメンを囲いたいってつまり10歳年下なら10年前の自分を思い浮かべたらわかりやすいけどよ
例えば10年前なら俺が高校3年生くらいの時なわけだが、今思えば自分をぶん殴りたくなるくらい世間知らずのクソガキだったわけで、
若い女やイケメンをそういうもんとして認識してないと異性と付き合うなんてできないと思うし
そんなものは嫌だと認識を否定して青い鳥症候群に陥ってさらに狂気に煮詰まって狂ってポリコレ棒振り回すフェミか女子高生とか幼女誘拐して警察に捕まるオッサンみたいなのが多すぎる
付き合って囲う異性なんて高級家具やペットの一種みたいな認識でニュートラルにしているから、手に入るし維持できるってところが本当なんだろうな
生活コストの高い東京には金持ちと昔から住んでる江戸っ子と貧乏人と妄執のカッペしかいない
東京の暮らしは庶民には負担が大きい(貧乏人に家賃15−20万の負担はそれなりに大きい)
都内の貧乏人は生活に余裕が無いので、留学したり、バリバリ仕事するわけでもなくば、物知らずになりがちなのだ
(東京は所得であからさまにスーパーのラインナップが違うし、外食にしたって区内にヴィーガンの店がひとつもない、
チェーン店ばっかり、周辺所得的に尖った店は維持出来ないとかある)
なのに住んでもいない周辺県民のカッペが都民面したり(まずは家賃20万以上払うところから始めろ!!!)、
ゴミみたいな稼ぎで東京にしがみついている上京カッペが子どもを危険に晒したり周囲に迷惑を振り撒いたりSNSで妄言を吐いたり
ネットでそういう主張する大多数の奴らって
まるでエリートでイケメン(美少女)なリア充は、それにさえなれば、この世の快楽と名声のすべてを享受できてるに違いないみたいな病的な偏見まであるけどさ
意識高い系が夢見るフリーランスで年収1000万とかGAFAとかからオファー来るレベルのエンジニアだって、それこそワンミスでクビで次の日無職みたいなものすごいプレッシャーや苦労や努力をして、すごいしんどい思いしてるわけだろうし
アホ女が夢見る芸能人やモデル級の容姿と家柄だけで飯食えて専業主婦でセレブ生活できる美女だって、その美女なりにすごいプレッシャーや美貌維持のための相当な努力や苦労をしてるわけだろうし
凡人平凡な今の俺でさえ、日々の生活にひーこらいって苦労してるのに、雲の上のレベルのエリートたちがする辛苦に果たして耐えられるんだろうかね?
エリートにさえなればアゴで人こき使って自分は楽できるはずだっていう、カルトレベルの妄執持ってる奴らも多いけどさ
そういうこと、考えたことないんだろうか、そういう人たちって、なんで考えられないんだろうか
その中の一つに「底辺字書きだった七瀬が、神字書き・綾城にフォローされたくて躍起になる話」というのがある。この話を聞いて共感をしたり、身に覚えがあった人も多かったはずだ。
その方の文章はとにかく描写が丁寧で脳内に映像がありありと浮かび、息遣いの一つまで聞こえてくるような鮮明さがある。
ストーリーも胸をつかんで離さない展開で……去年のイベントで買った新刊も、読んでから登場人物のことだけが頭の中で延々と反芻され、一週間ぐらいは何も手につかなかったのである。
そんな推し字書きをフォローしている。フォローは返ってこない。
あの漫画の七瀬の場合は、もっと凄くなれば綾城に手が届くだろうと必死だった。実力的に肩を並べれば、綾城がこちらに振り向いてくれると思ったのだ。
だが、増田はどうすればいい。
有名度……数字の観点で言えば増田の方が現状上だ。Twitterのフォロワー数で言えば数倍は違うし、作品の反応数だって桁が違う。つまり綾城に手を伸ばそうと躍起になることすら許されないのだ。
当然だが「凄くなれば繋がれる」というのは七瀬の大いなる間違いだ。対人関係とはそういうものではない、という滑稽さを描いた作品でもある。
でも今まで誰かをフォローしてフォロバされなかった事なんてなかった。よりにもよって大ファンの字書きだけに何故フォローされないのか……これが妄執……。
推し字書きのマシュマロに新刊の感想を送ると喜んでくれた。けどマシュマロなので私だという事は伝わらない。
同じ界隈なので、伸びたツイートがRTされたりすることもある。ミュートされている訳でも、ひどく嫌われている訳でもないらしい。
増田は監視者が多いだけに、動きは慎重にならざるを得ない。大勢の前で「推し字書きさんの小説、最高!!」なんて言ったらおそらく怖がられるし、最悪ヘイトを集めかねない。
推し字書きの作業中継に行ったら、自分と字書きの相互の2人しかいなかった。これは視聴者:2という数字と、相互氏の「字書きちゃんの中継見てるなう」から分かったことだ。
「2人いたみたいだけど、あと1人誰だったんだろう?フォロイーは恥ずかしがらずに名乗ってくれ~」