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はてなキーワード: 書家とは

2023-09-03

anond:20230902130341

徳川慶喜はどうだろう?

書家としては当代一流であったことはまちがいない

揮毫した書を、他人が売り買いしたことはあっただろうが、金銭の対価として書をしたためたことはないだろう

2023-05-20

ねこそば

都会からとおく離れた地方の村。その村の終わるところ、田んぼの果ての小川の向こうに蕎麦屋が点在する地域がある。

そのなかの一軒がふと気になった。ちいさな生形の暖簾に書かれた屋号の筆の走りが尋常ではなかったのだ。

近寄って暖簾を眺める。名のある書家によるものと思われた。暖簾のむこうの扉は開かれていた。

暖簾をくぐった。

店内に人の姿はなかった。

客はおろか店主すらいなかった。

呼び鈴の類はなかった。とりあえずカウンター席に腰をおろした。

からっぽの厨房左手に開け放たれた勝手口が見え、簾の向こうには新緑の林が見えた。

薄暗い店内でひとり目を閉じ耳をすませた。

小川のせせらぎと風の音がする。遠くで雷が鳴っている。小川の水面が反射する初夏の光が樹々の葉を照らしている。

背中に風を受けた。ふと立ち上がり振り向いた。開いている扉の向こうには田植えをまえにゆたかに水を張りはるか遠くの海までまでつづく水田と、そこにうつる空と雲が見えていた。天地の別があやふやだった。太古の伝説にきく幻の湖をゆく孤舟からの眺めとはこんなものかと思った。

2022-09-10

なあ、もしかしてお絵かきAI過去の偉大な書家の筆跡を学習させまくると、とんでもない傑作を簡単に出力するようになるのか??

2022-05-11

はてな民って小市民的発想しかできないの?

anond:20220511115418

この増田や、それについたトラバブクマ含めて、自分のことにお金を使う発想しか持ってない人が多すぎる。

金を自分の事にしか使えないから、金の使い道がわからないのだ。

他人公共に使えよ。

文化芸術などお金がかかることに寄付すると良い。

芸術文化振興基金みたいな規模の大きいところで感覚が掴めないなら、住んでる地域の何らかの寄付金でもいい。

あるいは保育園教育への寄付もある。盲導犬の育成への寄付もある。

昔みたいに学校橋梁への寄付は機会が少なくなったかもしれないが、ふるさと納税でそうした項目がある。

きっと小市民はてなーふるさと納税自分の限度額までしかしないだろう。

そういう発想では金は使えない。限度額とか気にせず、寄付したいだけ、寄付の成果を把握しながら継続して寄付する。

あるいはもっと直接的に芸術文化に金を落とす。

パトロンになっても良いし、公演などに定期的に足を運ぶのでも良いだろう。

何も大金持ちみたいに振る舞わなくても良い。自分のできる範囲で、金にならないところに金を落とす。

地域画家油絵を買ったらどうだろうか。書家の軸を買うのはどうだろうか。陶芸家の作った茶碗はどうだろうか。

若い人を後押しする。金を使って文化を育てる。

つの金の使い方としてこうした方法は、確かにある。

こうした他者へのお金使用違和感を持つ人もいるだろう。

そうした人は、逆説的になるが「金を使える状態」にまだ至っていないとも言える。

自分生活することで心理的にも金銭的にも精一杯なのだ

もちろんそれは悪いことではない。自分自分の身を立てているわけだから

でも「金を使う」というのは、他者のすぐに成果の出ないものや、誰かが支えないと沈下してしまいそうな文化臆面もなく金をぶっ込める状態をいうのではないか

個人的認識だがそう思っている。

2020-12-28

https://anond.hatelabo.jp/20201227230257

字書きって書家なのかと思った

絵描ける人ってすごいって思うよね〜わかる〜と思ったら全然同業者じゃなかった

2020-06-21

anond:20200620135521

自分子供のころに書道を習っていて級とか段とかいろいろ取ったけど、あまり魅力を感じないままやめちゃいました。

なんとなくだけど、書道って絵を描くことに似ている気がする。実際、書家作品は教本に書かれているような見本の書き方から外れているものも多い。

「うまく字を書くこと」を楽しめないのなら、「墨と筆で絵や図形を描く」というのも一つの楽しみ方なのでは。

2019-10-03

anond:20191002233757

ぜんぜん「誰でも書ける」じゃないけどな。

あと、たとえば日本人ならだいたい「誰でも日本語できる」けど、美しい言葉や心を動かす日本語意図的に作り出せる人はそうそう多くないわけだし、現代なら「写真を撮る」はスマホでそれこそ誰でもできるようになったからこそプロフォトグラファの価値が上がるわけで。

「誰でもできる」からと言って成果物価値コモディティ化するってことは別にないんじゃないのかなあ。

文字も大体の人が書けるけど「書家」は別途存在してるし、筆耕さんなんてのもいるよね(減ったけど)。

2019-04-01

平成の書と令和の書

新元号の令和ですが、発表された字がお手本のような楷書でした。平成は書いた方の色がかなり出ているのに対して令和は出していません。

(少し前にはてぶでも話題になった顔真卿のような楷書ではありませんが)

万葉集から引っ張ってきたことを全面に押し出すなら少し崩してもいいのかもしれないと思いますが、作為を込めるようなものは避けたのでしょう。

作為を避けたお手本のような書を書いてくれる書家に来てもらって直前に書いてもらったのではないかと思います

ちなみに、書にも流派みたいなものがありますが、平成と令和では別かなぁという印象があります

2019-02-23

顔真卿動線がクソだった。

今日行ってきたんだが、

何だあのふざけた動線

外で40分待ちの後、中で70分待ちだったのはまあ良い。

最初からその位待つの承知していた。

目玉である祭姪文稿の前は立ち止まらずに通らなければならないのも承知していたから、それも別にいい。

ただ、その70分待ちは、「祭姪文稿を皆がゆっくり見たがるから発生している待ち」じゃなかった。

っつーか、祭姪文稿の前はガラ空きだった。

がら空きの状態で更に「間隔を開けずに前の人に続いて歩いてください」と誘導されるから

速足で駆け抜けさせられたのだ。

祭姪文稿の並びの列は、牛歩戦術のような遅々とした歩みで2列になって進むのだが、

祭姪文稿の前に来ると速足なのだ。70分牛歩して、目的の前は速足。

なぜそんな事になるのかというと、展示の仕方が非常に悪いから、としか言いようがない。

70分の並びの最後に祭姪文稿があるのだが、その直前に祭姪文稿についての力入った説明が壁面にドーンと並んでるのだ。

するとどうなるかというと、それまでロクすっぽ見る物がない列をただ牛歩してた人達は、その説明を熱心に読み込んで、祭姪文稿の実物に備えるわけである

俺もそうした。

70分の渋滞の原因は、ここだったのだ。

祭姪文稿じゃなくて、その直前の壁が作る70分待ちだったのだ。

で、その壁を過ぎると祭姪文稿の実物があり、その前は「止まらずに」「前の人と間隔を開けずに」歩かなければならない。

祭姪文稿を過ぎたら見る必要も無いような説明がチョロチョロあってすぐ出口であり、そんなところで立ち止まる人はロクにいない。

まり、祭姪文稿の先はガラ空きであり、必然的に祭姪文稿の前もスッカスカで、そのスッカスカを間隔を開けずに歩かなければならないのだ。

その流れる速度たるや、その速度で待機列流れるなら、70分待ちなんて全く必要ない。5分で見られるレベルの流れの速さだった。

5分で見られるはずの物を見るのに70分並ばされたのだ。

あの展示の順序と誘導を考えた奴は馬鹿なのか?

「立ち止まるな」と誘導するべきなのは、「祭姪文稿の前」じゃないんだよ。

「祭姪文稿の直前の説明が書いてある壁の前」なんだよ。

みんなそこで止まってるから待ち時間が発生してるんだよ。

見りゃわかるだろうが。あんなに係員配置してるんだから

国立博物館の係員は、拓本取り過ぎで脳みそのシワが摩滅してんのか。

せめて、実物の前を牛歩待ちと同じ速度で通れたなら納得できた。

それだけじっくり見られるなら、70分待ちもしょうがない。

自分もじっくり見た分、他人もじっくり見たかろう。それなら待つのも仕方ない。

だが、実際は速足通過である。大書家激情に乱れた文書を味わう余裕など一切ない。

パンフレットにでも書いておけば済むような展示物の説明を読むために、70分待たされたのだ。

俺が顔真卿なら、1000年残る筆致でこの馬鹿な展示を作った野郎を罵る。

2019-02-06

anond:20190205222422

欧陽詢で思い出したが、

朝日新聞の題字ロゴ中国唐代書家である欧陽詢の筆跡から採った書体だが、当人直筆の「新」の字が無かったので「親」の左側と「柝」の右側から点を取り除いたものとを合成した捏造グリフである

これ豆なw

2018-11-15

逆にガラパゴスを売りにしたらいいのでは

という発想。

キャッシュレス決済もストリーミング配信も、日本は立ち遅れている。というか、現金払いCD購入がいまだに力を持っている。

ここを見るようなはてなの人々は前者を勧める、あるいは推進する人が多いだろう。ただし現状はまだそこまで動いていない。

政府が何をどうしようとも、国民のこういうところは治らないのかもしれない。世代が変わればあるいはしだいに動いていくのかもしれないが。

ところで近世以前の日本では、中国古典籍を大量に輸入した。とうの中国の人々が捨て去ってしまった典籍日本人は大事に保管して読んできた。

そして近代に入り逆に中国の蔵書家日本を訪れて書物蒐集する動きがあった。

またもう少し典籍を絞ると梁のオウガンが著した『論語義疏』という論語注釈書の注釈書は早く中国では失われたにもかかわらず、日本に何故かあって研究資すること大である

日本の「物持ちの良さ」はある場所では武器になるかもしれない。

ま、こんな感じでさ、ガラパゴスも悪くないわけよ。むしろガラパゴス求心力を生むこともあるわけよ。

生活に著しく不便を感じないのであれば現金買うのでも、CD買うのでもいいのかもしれない。

100年後、外国人に、彼らにとって珍しい物理紙幣物理貨幣を買わせて(両替させて)物理音源を買い物させる謎国ジャパン、という発想も部分的にはあっては良いのではないか

2017-09-27

書道素人書道に対して思うこと

自分書道に対して思うことをだらだら書く。

自分小学生から中学生まで日本習字習字を習っていた。

日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。

お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品掲載されていた。

子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。

中学三年生くらいの時、たまたまネット原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。

内容は「書道世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。

私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。

ネットで調べていると、いろんな意見があることを知った。

武田双雲紫舟なんちゃって書道パフォーマーで下手くそ

もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」

そもそも2ch便所の落書きだし、匿名コメントでは判断仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。

そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。

今のところ彼を叩くコメントを見たことはない。

彼は、昭和三筆の一人である手島右卿師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間臨書に費やしていたという。

私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家指標になった。

人間は単純な生き物だ。そして人間社会は複雑なものだ。

人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。

なるほど。

例えば漫画を見てみよう。

ある売れている漫画2chなどで叩かれている光景を目にする。

絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。

人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。

それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである

だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2ch書き込みたいのだ。

私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家世界をのぞいてみたい。

現在日本書家で最も高名な人物は?

現在日本書家で最も巧い人物は?

現在日本書家で最も実力のある人物は?

こういったことは、簡単なことではない。

漫画家ランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。

ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。

書道は、たぶんそんな議論はされないだろう。

だが、私の好奇心がそれを欲している。

書道は優劣のつけられる芸術ではないのだろうか。

ならば下手という指摘はなぜできるのか。

これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。

たとえ武田双雲プロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。

素人というのはそういうものだ。理解がないのだから

柿沼さんはどう思うだろうか。素人理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。

このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。

でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽映画現代芸術、きっとどの業界にもある。

から柿沼さんもまた別の業界素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。

もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。

私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。

自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。

私が長々と何を言いたいというかというと、書道ブラックボックスであるということである

芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである

現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。

その作品アート歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要位置を占める。

私は書道のことに詳しくはないが、書道世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉説明できないようなものであるのではないかと思う。

まり現代芸術とはどちらかといえば正反対

もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。

私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。

もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。

書道の正しさでは王義之だろう。それか書道フォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。

まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。

話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。

美しいとされるフォント手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。

でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。

まり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。

からやさしく教えてあげればいいと思う。

書の達人は王義之の書の美しさを言葉説明できますか?

書道の、東洋的な美しさを言葉説明できますか?

書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?

昭和三筆はだれが選定したのか?

美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?

正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?

そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネット書道情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。

丁寧に解説してあるサイトあんまりない。

派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。

まりブラックボックス芸術なので、ネット書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。

下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。

から批判するときはどう下手なのか説明してほしい。

下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。

私は説明もなくただ、下手だといわれても素人から納得できない。

追記:

そうか…

他の日記よりトラックバックが少ないな。

悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。

冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。

ごめんね。

でも頭が悪いっていうのはひどいよ。

傷ついた。俺だってやるっちゃ!!!

言いたいことを要約して書くけど、

書道ってうまい・へたの違いが素人には全く分からない。

から、こいつは下手という匿名コメントを見ても反論のしようがなくて自分はただ悔しい思いをするだけ。

から書道にたいしてなんかもやもやした感情がある。というお話

2017-09-16

書家って

ただデカい紙にデカい筆で描いてれば誰でもなれるんじゃねえの?

あとは美人

2017-05-19

右筆(ゆうひつ)は、中世近世に置かれた武家秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。

目次 [非表示]

1 概説

2 鎌倉幕府室町幕府

3 織豊政権

4 江戸幕府

5 関連項目

6 関連作

概説[編集]

初期の武士においては、その全てが文章の正しい様式(書札礼)について知悉しているとは限らず、文盲の者も珍しくは無かった。そこで武士の中には僧侶や家臣の中で、文字を知っている人間書状文書を代筆させることが行われた。やがて武士地位が高まってくると、公私にわたって文書を出す機会が増大するようになった。そこで専門職としての右筆誕生し、右筆文書作成執筆を行わせ、武家はそれに署名花押のみを行うのが一般的となった。これは伝統的に書式のあり方が引き継がれてきたために、自筆文書一般的であった公家とは大きく違うところである武家が発給した文書場合文書作成のもの右筆によるものでも署名花押が発給者当人のものであれば、自筆文書と同じ法的効力を持った。これを右筆書(ゆうひつがき)と呼ぶ(もっとも、足利尊氏のように署名花押まで右筆に任せてしま特殊例外もあった)。

なお、事務煩雑化すると、右筆正式手続を経て決定された事項について自らの職権の一環として文書作成署名を行い、これに主君発給文書と同一の効力を持たせる例も登場する。こうした例は院宣綸旨などに早くから見られ、後に武家の奉書や御教書などにも採用された。

現在では天皇皇后文章の代筆をする宮内庁文書専門員(中島司有、佐伯司朗といった書家が務める)は「祐筆」と呼ばれることがある。

鎌倉幕府室町幕府[編集]

源頼朝鎌倉幕府の原点である鎌倉政権を打ち立てた時に、京都から下級官人が招かれて事務的業務を行ったが、初期において右筆を務めていたのが大江広元である。後に、広元が公文所政所において行政に専念するようになると、平盛時(政所家事)・藤原広綱・藤原邦通らが右筆を務めた。

その後、将軍執権のみならず、引付などの幕府の各機関にも右筆が置かれ、太田氏や三善氏などの官人末裔がその任に当たるようになった。基本的室町幕府もこの制度を引き継いだが、次第に右筆の中から奉行人に任じられて発言力を増大させて、右筆方(奉行衆)と呼ばれる集団構成するようになった。

なお、室町幕府では、行政実務を担当する計方右筆公文書作成担当する外右筆(とのゆうひつ)・作事造営を担当する作事右筆などと言った区別があった。

織豊政権[編集]

戦国時代に入ると、戦時必要文書を発給するための右筆が戦にも同行するようになった。戦国大名から統一政権を打ち立てた織田・豊臣の両政権では右筆衆(ゆうひつしゅう)の制が定められ、右筆衆が行政文書作成するだけではなく、奉行・蔵入地代官などを兼務してその政策決定過程から関与する場合もあった。豊臣政権五奉行であった石田三成長束正家増田長盛は元々豊臣秀吉右筆出身であった。他に右筆衆として著名なもの織田政権の明院良政・武井夕庵・楠長諳・松井友閑・太田牛一、豊臣政権の和久宗是・山中長俊・木下吉隆・安威了佐などがいる。

なお、後述のように豊臣政権の没落後、右筆衆の中には徳川政権によって右筆に登用されたものもおり、右筆衆という言葉江戸幕府でも採用されている。

江戸幕府[編集]

戦国大名としての徳川氏にも右筆存在したと考えられるが、徳川家康三河時代右筆家康勢力拡大と天下掌握の過程奉行代官などの行政職や譜代大名などに採用されたために、江戸幕府成立時に採用されていた右筆は多くは旧室町幕府奉行の子弟(曾我尚祐)や関ヶ原の戦い東軍を支持した豊臣政権右筆衆(大橋重保)、関東地方平定時に家康に仕えた旧後北条氏右筆久保正俊)などであったと考えられている。

徳川将軍家のみならず、諸大名においても同じように家臣の中から右筆祐筆)を登用するのが一般的であったが、館林藩から将軍就任した徳川綱吉は、館林藩から自分右筆江戸城に入れて右筆業務を行わせた。このため一般行政文書作成管理を行う既存の表右筆将軍の側近として将軍文書作成管理を行う奥右筆に分離することとなった。当初は双方の右筆対立関係にあったが、後に表右筆から奥右筆を選定する人事が一般化すると両者の棲み分けが進んだ。奥右筆将軍以外の他者私的関係を結ぶことを禁じられていたが、将軍への文書の取次ぎは側用人奥右筆のみが出来る職務であった。奥右筆承認を得ないと、文書老中などの執政に廻されないこともあった。また奥右筆のために独立した御用部屋が設置され、老中若年寄などから上げられた政策上の問題将軍の指示によって調査・報告を行った。このために、大藩の大名江戸城を陰で仕切る大奥の首脳でも奥右筆との対立を招くことは自己地位を危うくする危険性を孕んでいた。このため、奥右筆の周辺には金品に絡む問題も生じたと言われている。一方、表右筆待遇奥右筆よりも一段下がり、機密には関わらず、判物・朱印状などの一般行政文書作成や諸大名の分限帳や旗本御家人などの名簿を管理した。

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

2016-12-04

習字を習っていた人は楷書が一番難しいと知っている

政治家の変に特徴的な書初めとか、テレビに出てる書家のショボい草書体とか見てすげーうまいとか言ってる素人を見ると突っ込むかどうか迷ってしまう。全然うまくねーよ。

書道で一番難しいのは楷書楷書の手本である欧陽詢空海を完コピできる書家が世の中にどれだけいるのか。書道楷書にはじまり楷書に終わるんだよ。

2016-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20161031201206

武士道で鳴らした俺たち肥前藩は、

薩長挙兵しても日和見を決め込み倒幕に参加しなかった。

しかし、九州でくすぶっている様な俺たちじゃあない。

筋さえ通れば反乱もやってのける命知らず。

不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、

俺たち、「佐賀の七賢人」!

(以下はWikipediaの内容をまとめただけです)

鍋島直正

佐野常民

島義勇

副島種臣

大木喬任

江藤新平

大隈重信



総合すると、

ということで維新後の政府運営に重宝されたんだろうな。

2016-07-27

[] 金澤翔子

金澤 翔子(かなざわ しょうこ、1985年6月12日 - )は、東京都目黒区まれ書家。母も同じく書家金澤泰子。

号は小蘭(号の場合苗字金沢)。

  

母・泰子が高齢出産にあたる42歳で翔子出産新生児期に敗血症にかかり、後にダウン症と診断される。

当初はその事実を知った泰子は我が子と共に死のうとも考えたが、夫の熱心な想いと遅咲きながらも少しずつ育っていく子の姿を

見て思いとどまったという。金澤書道は母の師事によるものから現在作風に至っている。

講演会個展、席上揮毫などに金澤が出席する際には必ず泰子が同席している。

271文字般若心経練習し、字を見て父親が誉めてくれた。趣味は、カラオケプールカラオケモーニング娘。を歌うことが

好きで、俳優小池徹平の大ファンでもある。好きな文字「夢」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%BE%A4%E7%BF%94%E5%AD%90

2016-07-08

28女子による「選挙について」

 わたし選挙権行使した記憶がありません。つまり棄権の常習者です。けしからんことです。

 しかしじつはちっともけしからんことだとおもっていないので、ますますけしからんことです。

 棄権することにもたいした理由意味があるわけでもありませんが、しいていえば、民主主義というけっこうな制度は、わたしのように天下国家、世の中のことに無関心な人間生存をもみのがしてくれるところに最大の特徴があるという、自己流の解釈にもとづいて、まずは惰眠をむさぼる権利の方を享受しようというわけです。


 世の中にはまじめな正義漢が多いようですから、わが身にふりかかる悪の火の粉も、そういう人々が払いのけてくれることでしょう。

 一票を投じたくらいで、ああ自分もこれで政治に参加しているのだといいきかすのも気恥ずかしい。教会投票所刑務所だけは、できることなら行かずにすましたい。

 いっそ選挙なんていう欺瞞的な気休めは廃止して、政治屋志望者には電子計算機でも使って能力・適性テストを行ったらいかがでしょう。でなければ、買収制度合法化するのがすっきりします。


 こんなことを放言たからといって、いじめないでください。おおらかに、おおらかに、他人監視して、ふざけた人間つまみだすことに熱心な投書家がふえたりすると、住みごこちのわるい民主主義ができあがりますアメリカみたいな。以上。棄権常習者の弁。

2016-05-08

ADHDと一緒にいて疲れない方法

最近知り合った人がADHDっぽい。

専門家じゃないからなんとなくそう思うっていうだけなんだけど

1.一方的にしゃべる。他愛のない話題でも常に興奮ぎみ。

2.人の話を聞かない。質問してきて、こちらが回答中に話を遮り次の話題へ。

3.多趣味SNSプロフィールバンド料理研究家アクセサリーデザイナートールペイントアーチスト書家

どれも入門をかじった程度で浅い知識なのだが、才能溢れる口ぶり。

ボイストレーニングのような基礎トレーニングを積めず、感性に頼るので、 はたから見ると独りよがり

4.衝動性。別のことに気を取られて、今やるべきことが疎かになる。

5.上から目線。(これは発達障害とは関係いか)

発達障害からそういう特性をわかったうえで上手く付き合いましょう、ってのは頭じゃわかるんどけど

実際には疲れるわけよ。

うるせー奴だ、めんどくせー奴だと突き放す勇気もないびびりなのれす。

2015-09-19

小学校教師だけど国語の授業どうしたらいい?

国語漢字、作文、音読、語彙、読み取りといろいろやることがある

全体的にできるようにさせてあげるのがいいんだろうけど難しい

そもそも俺の授業で子どもが本当に伸びてるのか分からなくて不安

無駄なことやってるんじゃないかと思う

国語力ってどう伸ばすのがいいのかがわからん

頼みの綱の教師用指導書(市販本じゃなくて支給されるやつ)

を読むと、物語の授業展開例に「気持ち想像しよう」系の活動が多くてなんか頼れない。

こういう気持ちを問うやつは現職の先生からもけっこう批判されてる。

物語文でも「ちゃんと内容を理解させる」ことが国語力に繋がると考えてる教師は多い。

それで、そのための授業展開を解説した本もけっこうあるけど、これも取り入れづらい。

まずクラスには文章の内容が頭に入ってないのがそれなりにいて、読み取りの授業についてこない

その教材に入る前にたくさん音読をさせておいても頭に入ってない

かといってそいつらに合わせたようなクラスの多数が当たり前に分かるような授業してもつまらない

逆にやたらと理解力のあるやつもいる

国語力って算数以上に差がはっきりしてる感じを受ける

そういう格差ありすぎる集団に対してどういう授業をしたらいいのかが分からない

クラスみんなにとってプラスになる授業ができない


これは物語とか説明文の話だけど、悩みは他にもある

読む書く話す聴くをどのくらいの配分でやるのがベターなのかわからん

(一応配分は決められているけどそれを忠実に守ってる人はいないと思う)

漢字もやたらとある上にそれを授業内でやると10分とられてきつい

漢字テストやるともっと授業時間が減る

漢字システマティックに覚えさせたいけどうまくいかない


文章を書くのがうまくなってほしいけどなかなか難しい

ひな形を与えて書かせたりすることは多いけど成長してるのかどうかわからなくて不安

視写もときどきやって子どもは集中してるし嬉しいけど力ついてるのかな

音読宿題は2日に一回あるけどやらせすぎか?ちなみに低学年


この間、エビデンスベース教育経済学話題になってたけどああいうのは嬉しい

教育技術にも根拠が欲しい 子どもが伸びるという確信が持てる活動をさせたい

すごい(?)先生たちが書いた教育技術の本はたくさんあるが、思いつきで書いてんじゃね?と思うことが多い

教育現場スタンダードになってる授業方法もそれが本当に効果的なのか謎

授業の最初にめあて、最後にまとめを掲示するとか。

授業の流れが一目でわかる板書がいいからそうしろって言われたけど本当にそうなんかなとも思う


どの授業方法にもいまいち確信が持てない

ずっとこんなんで悩んでるから俺は教師に向いてないのかもしれん

教師なのにひどい文章ですいません

ちなみに黒板の字は小学校教師にしては汚いです


以下ブコメへの返答

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何年目の先生なんだろうね。普通に考えて、ベテラン先生からアドバイスをもらうことは無理なんだろうか?と思うんだけど。

若手です。授業法を参考にするときビッグネーム先生書籍を読みます

でも、あれが大事これが大事と人によって大事にすることが違っていたり、時には指導法に関して正反対の考えが書いてあることもあるので「これだ!」と確信して取り入れられません。

自分で考えてチョイスしろってことですね。

あと、ベテラン先生はそれぞれ流派というか主義みたいなのがあってバラバラだしわかんないもんです。


低学年なら鉛筆の持ち方をしっかりするとか、字は大きくハッキリ書くとか学年が進むと矯正不可な面をしっかりして欲しい。

それって矯正不可なんですかね。

もしも大人になっても矯正できるのであれば、低学年で字の美しさに気をとられるあまり他の面が養われなかったらもったいなくないですか?

それに字を丁寧に書くことがその子の将来にとってどれほど得なのか(頭が良いのに字が汚いやつがたくさんいる)、字を丁寧に書かせることで失うもの(授業が終わっちゃう)とか

いちいち考えてしまます。字の美しさの指導ベテラン教員でも意見が分かれるところなので難しい。

文章力と関連あるかは別にして、国語の成績とか偏差値とかは全国クラスでした。それを支えたのは、公文式と乱読だと思います公文式最初の方って、書き取り以外だとひたすら品詞分解したりするんですが。

公文通いの子はみんな勉強得意です すごいです

恥ずかしながら公文式がどんなことやってるのかよく知らないんですが

今度調べてみます

できる子もできない子も学力アップさせたいしならレベル別教材作るのがいいと思う。

俺もそんな気がする そういう風にこしらえられた学校用の教材はないような気もするけど(自分が知らないだけかもしれない)そして作るのはつらすぎる。

手際の良い先生は、個々の能力に合わせて授業をセッティングしているように思う。跳び箱でいえば、高さ違うやつを並べて跳ばすように。

教育用語学習最近領域というのがあって、その子にとって最も丁度良い学習課題が最も能力を伸ばすというものなんだけど(こういうのをうまく利用して授業組み立てたい)、

毎日の授業でうまいことそれを取り入れるのは難しい 自分が未熟だからというものあるが。

子どもマンツーマンなら効果的に伸ばせると思うけど、担任一人じゃつらいものがあります


文章を読むことを好きにさせることが一番の目標でしょ。

ほんとそうですよ

http://u999u.info/o32m 公文式国語の「方法」を読むといいよ。絶版だけどamazon中古あるみたいだし。要約力を重視していた。文章の中から重要な要素を抜き出す能力ね。中学生相手に塾講師家庭教師していたとき役だった。

安かったんでポチりました

…ほんと…国語は…難しいよな…。そもそも国語の「学力」が何であってどう測るのか、という時点で、理科算数に比べて曖昧で、市販のテストの点数との乖離が大きい気がする…。

その通りで、算数は何を学ばせるかが明確で分かりやすいのであんまり悩まないです

国語はいろいろ曖昧で悩みます

宿題を一杯出したり漢字死ぬほど書かせたり色々と強制する事はバッシングやばいけど将来的にあの時やってよかったと思う時があるかな

自分が受けた教育がよかったと思うことと、本当にその教育が良い効果をもたらしたのかということの間には、かなり隔たりがあると思いませんか?そこを間違えたくは無いです

根性主義的な学習はある程度効果をあげるかもしれませんが失うものも多いように思います宿題をどっさり出す勇気はありません

自分漢字学習のさせ方は、宿題は少なめにしておきつつ、小刻みにテストをしたり、作文に使ったりと、忘却曲線を利用したようなやり方で思い出させて学習させてます

いま私も子供らの国語教えるのには試行錯誤してる。毎週読書させて簡単なあらすじと感想書かせて。無理矢理は読むの嫌いにさせちゃうし、楽しみながら習慣化させたい

同業?学級文庫や図書室の本だけだと満たされないかと思い、うちのクラスは家からの本持ち込み可にしてるんだけど、本嫌いな子は持ってこない

人の意見を求めると見せかけて、受け入れないタイプ地雷教師臭が。。

その通りで、余計なことをしたくないから意見は参考程度にしておいて授業で使うかはまた別

漢字の書き取りをめちゃくちゃやらされた結果、書き順とか部首名とかばっちり頭に入った。大人になった今でもしっかり覚えてる。脳の容量がもったいないからできれば全部忘れたい。

漢字めちゃくちゃやると他のことができなくなる

日本国語教育って漢字偏重というかそれが重荷になってる気がしませんか

「新出漢字は軽めにやっておき、今後数年間で忘れたり思い出したりを繰り返してるうちに記憶が定着する」と自信をもっていえるなら俺は軽めに教えて他のことをしたいです

まあ自信をもっていないからモヤっとするんですよね。

あとこれもすごい悩ましいんだけど、書き順は正確に教えるのが当たり前になってますけど、書家の方が「正しい書き順はない」とおっしゃっていて、それ聞くとガチガチに正しい書き順を覚えさせるのがいいとは思えなくなっちゃいません?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

トラバ

http://anond.hatelabo.jp/20150920002242

結局自分が欲しいのはエビデンスなんですよ 指導領解説にしたってエビデンスです エビデンス厨なわけです 教育裏付けが欲しいんですよね。

何か確かなものを頼りにして授業したいんですよ。

まあでもそんなパーフェクトに近い指導法はないですよね?だから手探りでいくしかない 指導領解説は前任校が国語研究をしてたんでちょっと読んでましたけどまじめに読んでなかったので読んでみます

でもモヤモヤは晴れない気がしますね。

2015-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20150822075525

だったら東京五輪2020って書けばいいだけじゃん

固有の形状がいるなら書家なり著名人なりに書いてもらえばいいじゃん

それこそデザインかいるの?

まさか 東京五輪2020って書いてるだけじゃ意味わかんないでしょとかいいださないよね

2010-09-13

新石器捏造疑惑

早いもんで日本中を揺るがした旧石器捏造問題から10年がたちます。

なんと今度は新石器捏造疑惑が持ち上がっているのです!しかも朝日新聞VS読売新聞という面白い対決になっています。

歴史界のスクープ合戦」として、なぜか「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」の公認会計士山田真哉先生がこの事件の概要を説明していて知りました。

http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/201009060000/

おおまかな流れは上のブログにあるとおりですが、なんだか面白そうなので、ネットに載っていない記事をさがしに図書館新聞めくってきたところ、以下のようなタイムラインでした。

7月9日夕刊の社会面で朝日新聞

遣唐使「円仁」の名刻んだ石板、中国発見

と、慈覚大師円仁(えんにん)が中国で残した石板をはけーーんと歴史スクープ!?

http://www.asahi.com/culture/update/0709/TKY201007090344.html

7月10日には朝日新聞文化面で、どうやって石板が見つかったかを渡辺延志記者が詳しく説明しているんですが、捏造疑惑が出た今よんでみると、この時点でかなり怪しいです。「上、上、中国人のお坊さんがタライを頭に落とそうとしている!」「後ろ!後ろ!円仁のふりしたお坊さんの幽霊が!」ってドリフを見ているような気分になりますよ。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007100161.html

例えばですね、

  法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれている「円仁」についての説明を求めた。驚いた林住職が、酒寄雅志国学院栃木短大教授相談し、研究が始まった。

 おいおい。「円仁WHO?ゴゾンジデスカ?」って、とりあえず日本に来る前にググれかす!あっ、グーグル中国から撤退したんだっけ。

 「あの~、もしかしてオタクのお寺さんに円仁さんいませんか?」とかいきなり門を叩いたのだろうか。円仁さんは天台宗のお坊さんでしたので、普通比叡山延暦寺に行きそうなものですが、専門の僧侶の多い比叡山を避けて、なぜか生誕の地の栃木にわざわざいくという怪しさ。

もうひとつ例えば

  巡礼行記に、法王寺に立ち寄ったとの記載はないが、鄭州を出た日に「仏教は東へと伝わる」と記していた。石板の冒頭の一節とよく似た認識だ。

 これも今だから、ではありますが。「そりゃ、ぱくったから、よく似ていて当たり前だろ」と突っ込みたくなりますね。

一番興味深いのは、

  書道史の見地からは「唐代の楷書(かいしょ)として疑問はない」(書家飯島太千雄氏)、文体には「日本人が書いた漢文特有の雰囲気がある」(気賀沢保規明治教授)などの評価を得た。 <<

 と、専門家が御墨付きのコメントを寄せているのですが、最初にでてる「疑問はない」としていた飯島さんというのが、なんと今回の捏造疑惑を暴いてしまったのです!朝日新聞にしてみれば青天の霹靂といったところでしょうか。

 ちなみに9月6日の読売新聞紙上によりますと、飯島さんは最初から疑いを持っていたそうで、「2枚目があろうとなかろうととても本物とは認められない」としていますし、「発掘以外で見つかったものはかなりの確率で偽物と疑うのは常識」とおっしゃっていますから、むしろ、飯島さんが最初の記事で自分の話が「疑問はない」となって青天の霹靂だったのかもしれませんが

ともかく、

朝日新聞スクープをうけて、7月10日には読売新聞が夕刊で、7月18日に持ち込まれたお寺さんの地元下野新聞ニュースにしています。

こうして歴史の新たな1ページが書き込まれた、と思いきや、忘れたころに衝撃的なスクープがでました。

8月27日に読売新聞社会面で

「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物

とやったのです。

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100827-OYT1T00018.htm

リンク切れです)

中国法王寺が「この世に一つしかない」といっている石板の拓本(墨をつけて写した紙)が2種類も見つかったのです。見つけたのはさきにでてきた飯島さんでした。

続いて、9月3日には、「ゴミの中に第二の石板、円仁の石板さらに疑問も」という第二弾の記事が出ました。後日掲載された写真では段ボールゴミの下に埋もれていたのか、隠されていたかのようでした。しかも、痛いことに、まわりの模様がちょうど1センチ間隔で、現代のメートル法が使われていたのです。冒頭の山田先生ブログでも、メートル法のところが強調されていて噴きました。

下野新聞は同じ日に「本物?偽者?広がる論争 文言同じ2種類存在 中国で確認「円仁の石板」と、「危ないな、でも地元だし、信じてあげたいなあ」という感じでフォローしています。

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100903/376063

そして、面白いのは、同じ日の朝日新聞にもひっそりと、「2枚目の石板見つかる」と書いていたのです。しかし、偽物説には触れず、これだけを読む限りでは「円仁さんは1枚目を作ってみたけど、ちょっと構図が気に入らないからもう1枚作ったみたい。むしろ本物度が高まるんじゃない?」というトーンでした。ネットには載ってませんでした。

メートル法がなければ、「へえ、そういうこともありなのかな」と感じて、とりわけおかしいと思わなかったかもしれません。

このまま、逃げ切れるかと思ったら、9月6日には読売新聞がだめ押しの詳細な記事を文化面にアップしてしまいました。この記事であげられたいくつもの問題点クリアして、本物の円仁の石板とするには、偶然に偶然を重ねるようなアクロバティックな理論を展開しないとならないでしょう。なにより最大にして、一番目に乗り越えないといけないハードルはやっぱりメートル法存在ですよね。

果たして朝日新聞は反論できるのか、それともほっかむりするのか。そして、毎日新聞は、いつ、どちら側に参戦するのか。ところで私が家でとっている日経新聞に出ることはあるのか。楽しみですね~。

つまり、言いたいことは、中国にはこれからも日本人ガンガンだまされるよ、ってことではなく、捏造問題も10年がたち、旧石器から新石器(石板ですが・・・)に進化した、ということです。

さいなら~

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