はてなキーワード: Togetterとは
Twitterで池内恵とフェミが揉めていたけど、はてサは案の定、フェミのほうに味方していた。
しかもその内容は、「池内恵の主張は正しいが、彼の言葉遣いや態度が良くない」というもの。
誤訳を指摘するとき、その誤訳をやらかしたフェミニストのお気持ちを傷つけないように、優しくおだやかな言葉で伝えなきゃダメってこと?
あほかww 甘ったれるな。池内さんはお前らのパパじゃねーんだよ。
↓
NYT記事「レイプ」「執行猶予付き判決」を誤訳した女性に、誤訳を指摘する池内恵先生が、噛み付かれまくる - Togetter
yasugoro_2012 端的に誤訳だけ指摘すりゃいいのに、相手のプロファイリングが余計でしょ。↓にもいるけど女性アカウントをババアとかおばさんとか平気で呼ぶ連中も滅びろ。
wachamaca 原文読んだが、誤訳だ。池内氏の訳が正しい。(なのに元ツイート撤回されてない)ただ入り方といい、議論の合間にも挑発的な属性攻撃してるし、これで相手に素直にごめんなさいしろっていうのは賢明じゃない。
kutabirehateko 赤の他人の誤訳の根拠を人格に求めるって論理的でも理性的でもないよね。記事の趣旨も読めていないのか無視しているのか異常な辛辣さでびっくり。
なお、正義のためにやっているのだから誤訳を許せ、と言い出したyoko-hirom先生。
yoko-hirom 保守を自称していれば事実無根のデマ中傷がやりたい放題,リベサヨフェミは誤訳も許されない構造が異常なのだが。弱者からの性搾取もその構造の中にある。
その分野においてすべからく才能が無いなら、当然見る目も無いと判断して良いと思う。
そして才能が無いと言う以上は才能の概念を重要視してるはずなのに、何故そこだけスルーしてる人が結構いるのかが分からない。
「やる才能は無いけど見る目はある」なら一応通らなくも無いけど、そしたら今度は自分に確かな審美眼がある事を説明・証明しないといけなくなる。
そもそも、自称才能ナシは多いのに何故自分に才能が無いと思ったのかを詳しく説明してる人がまずいない。
togetterにまとめれば良いだけでは?
Togetterにお帰りください
みたいな雰囲気
しかし社交性ゼロのネット弁慶くんはそもそも集団行事という時点で願い下げのご様子
「群れてキャーキャー騒ぎやがって…」とクラスの中心グループを教室の隅から冷めた目で見ています
でもどこかでそんな彼らが羨ましかったりして…
さてネット弁慶くん、昼休みにまとめサイトを見ていると、生意気な女がセクハラを糾弾して逆に叩かれている記事を見つけます
童貞を小馬鹿にしたような言動を過去にしていたのを発掘され、ダブスタを指摘されて大いに炎上している様子でした
レス番が飛び飛びのまとめサイトの書き込み達が、どれも彼女を叩いています
Togetterにまとめられたツイートも彼女への批判でいっぱいでした
どの記事も、彼女とそれを擁護する存在への批判で1つに「まとまって」いました
彼自身も童貞ではありますが、童貞煽りに特別憤ったというわけではありませんでした
彼女の矛盾を孕んだ言動にも、特に思うところはありませんでした
それなのになぜか、スマートフォンの仮想キーボードを叩く手からはとめどなく中傷の言葉が溢れ出ます
反論されて傷つくのを恐れて日頃意見が言えない彼でも、みんなが同じものを叩いてる中で同じ意見を言うのは安心できました
教室に居場所がなく、またパソコンとスマホを使えることだけが自慢(といっても本当は同級生のみんなも同じくらい使えるんだけど…)の彼にとっては、悲しいことにネットが唯一の輝ける場所なのです
そして何より、日頃からフラストレーションが溜まっている彼は人を叩くのが楽しくてたまらないのでした
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炎上のメカニズムとして、ターゲットのムカつく人間性が「燃料」、決定的な言動が「着火」とよく例えられますが
もう一つ、ネット弁慶達のやり場のないフラストレーションが「酸素」として存在していると言えるのではないでしょうか
自分の意見を持って人を批判するに至るのは当然のことで、それを主張するのも当たり前のことですが、昨今のインターネット界隈を見るに炎上をただストレスの捌け口や娯楽として利用しようとする人が多く見受けられます
まあ、テキトーに読み流してもらえるにはどうしたらいいかな?と考えた場合、「オッサンの雑談」ほどテキトーに聞き流されるものもあるまい、ということで、オッサンの雑談を書くことにした。
もう5年前くらいに田舎のお葬式に出た際、飲み食いの席で、遠い親戚の叔父さん達の雑談を聞いていた。
自分としては特に話すことも無かったし、叔父さん達は話を聞いてもらいたかったようにも見えたので、テキトーに眠そうにしながら彼らの聞いていたのだが、心の中では戦慄していた。
当たり前だが、「叔父さん達」と言っても、それは「血縁上の」という意味であり、他人から見ると、年齢的に「お爺さん」「お婆さん」である訳だが。
別によく増田で書かれているような「人間関係のドロドロ」とかそういう話では無い。
平和そうに話される会話の内容が、どう考えても、「時代が間違っている」訳です。
「お前ら、タイムスリップしてきたのか?」と。
なぜこの話を思い出したかというと、下の記事がはてブにあったからだけどね。
江戸幕府が終わってからまだたったの150年という事実…「進化の速度すごい」「江戸幕府は約260年続いた訳で…」「混乱する」 - Togetter
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1182953
まあ、そうなんですよ。
叔父さん達が若者であった時代は、「トラクター」や「コンバイン」なども無い訳です。
そして、「朝から晩まで働いて、鍬や鋤で畑を開墾した」みたいな話をされる。
島崎藤村の「千曲川(ちくまがわ)のスケッチ」みたいな話をリアルタイムで聞いていると、目眩感を感じる訳です。
学校の小使は面白い男で、私に種々な話をしてくれる。この男は小使のかたわら、自分の家では小作を作っている。それは主に年老いた父と、弟とがやっている。純小作人の家族だ。学校の日課が終って、小使が教室々々の掃除をする頃には、頰の紅い彼の妻が子供を背負ってやって来て、夫の手伝いをすることもある。学校の教師仲間の家でも、いくらか畠のあるところへは、この男が行って野菜の手入をして遣る。校長の家では毎年可成(かなり)な農家ほどに野菜を作った。燕麦(からすむぎ)なども作った。休みの時間に成ると、私はこの小使をつかまえては、耕作の話を聞いてみる。
(中略)
粗末ではあるが眺望の好い、その窓の一つに倚りながら、私は小使から六月の豆蒔(まめまき)の労苦を聞いた。地を鋤(す)くもの、豆を蒔くもの、肥料を施すもの、土をかけるもの、こう四人でやるが、土は焼けて火のように成っている、素足で豆蒔は出来かねる、草鞋(わらじ)を穿(は)いて漸(ようや)くそれをやるという。小使は又、麦作の話をしてくれた。麦一ツカ――九十坪に、粉糠(こぬか)一斗の肥料を要するとか。それには大麦の殻と、刈草とを腐らして、粉糠を混ぜて、麦畠に撒(ま)くという。麦は矢張小作の年貢の中に入って、夏の豆、蕎麦(そば)なぞが百姓の利得に成るとのことであった。
「戦前の農村」と考えると、まあ、似たような時代なんでしょう、工業化も農村までは行き渡らなかったと思いますし、ほとんど江戸時代のようなものですよ。
その一方で、「一歩間違えたら、自分も手作業で畑を開墾していたかも知れないな」と思い、「はわわ」と内心戦慄していた訳です。
さらに、論を展開させると、「実は明治時代に戻りつつあるのかも知れないな」とも思います。
「レールに乗っていれば、無事上がれる」みたいな時代は終わっている訳じゃないですか。
というか、「マスコミの敷いたレールに乗ると、食い物にされ、大抵は地獄に墜ちる」ということでしょうけど。
マスコミが「~に投資しろ」「~の時代が来た」という時点で、搾取のシステムは完了しており、それに乗った人はむしり取られるだけ、的な感じでしょうか。
「だからマスコミが悪い」と言いたい訳でもない(言いたい部分もある)が、構造的に、「すでに先端から一歩遅れた話」をマスコミは報じる訳です。
「自分のリアルタイムのメシの種の秘密」を教える人なんていない訳ですから。
全然関係無い話ですが、「iTunes Storeでの音楽ダウンロード販売を終了」という話がありました。
で、ビジネスの中心をSpotifyやApple Musicなどのストリーミングへと移行する、と。
(さらに関係無い話をすると、「ビットコイン資金洗浄の最新手口はiTunesでの楽曲販売」みたいな話もありましたね)
何が言いたいのかというと、「App Store」でiPhone用の買い取りのゲームなんかも毎度セールをしている訳ですが、240円くらいで世界の才能のあるアーチストの作った美しいゲームが買えたりしますが、一方で、まだ「iTunes Store」では、シングル曲を250円くらいで販売している、もう、値付けが何が的確なのかよく分からない印象があります。
(その一方で、未だにAKB系のシングルCDが1500円くらいで売られている。まあ、「握手券」や「アイテム的価値」というのはあるかも知れないが。またさらに言えば、アイドル系以外の音楽のアーチストが「CDを買ってください」と頭を下げている)
「格差」「格差」と言いますが、「格差」を利用して儲けるのが商売というものだと思います。
現に、上のような矛盾するシステムが共存する訳で、その隙間を狙えば、多少は良い思いが出来るんじゃないでしょうか。
必要なのは、多分、「認識を適切に変化させること」であって、「相手の認識を時代遅れにすること」だと思います。
体制を打倒したいのならば、「体制の認識を時代遅れにすれば良い」訳ですが(体制の認識が時代遅れになれば、江戸幕府のように倒れるんじゃないでしょうか?)、例えば、リベラル系の重鎮の人達は、「自分達が時代遅れになっていることすら気がついていない」気もします。
今の状況を「ピンチ」と見るか、「チャンス」と見るかでかなり人生の見方は変わると思います。
そして、「認識を適切に変化させること」については、多分、日本人が一番アドバンテージがあるんじゃないでしょうか。
現に、アメリカは国がまとまらないほど、容認出来ないほど認識格差は広がっていると思いますし、例えば、最近、地球平面説信者が勢力拡大しているらしいです。
その上で、以下のようなパロディがある。もはや訳の分からない状況にある。
参照:地球の萌え擬人化が海外でブームに! 地球平面説信者の勢力拡大が原因かwwwww
http://yurukuyaru.com/archives/74181806.html
参照:北京から「底辺住民」を追い出す中国の不条理 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/post-9150.php
まあ、こんな分析はどうでも良いんですが、結構安全地帯はないと思いますので、早めに変化の苦しみを味わっておいた方が良いんじゃないでしょうか。