はてなキーワード: 韜晦とは
なんだか、投稿しても途中で切れてしまうので、追記部分だけをトラックバックでつなぐことにした。
すごい伸びていてびっくり。読んでいただいてありがとうございます。
はてブなどの反応を読ませてもらって、補足したいところとか言い訳したいところとかたくさんあるけれど、元々長いしキリがないので文章が飛躍してるところやタイポを中心にちょこちょこ直せるとこだけ直した。いらんとこだけ書き直したわりに、あんまり直ってないかもしれない。それ以外では、
御用wikiについてもいっぱい指摘があったので追記したかったけど、本題とずれるわりにくっそ長くなったのでやめた。3.11以後の動き、の項の一段落目にアエラ表紙とか青プリン先生とかとあわせて含まれていると察してください。
きくまこ先生否定ありきで見てる、みたいな意味合いの感想もちょこちょこ見たのだけど、確かにたまたま何回も名前を出すことになってしまったけど、別にそんなわけではない。他のおかしなニセ科学批判派含めた、ワンオブゼムとして批判の対象になるべきだと思っている。個人的な好き嫌いでいうのならば、きくまこ先生には同情するところも少しはあるし、感情レベルでむしろ一番不愉快なのは多層な批判層の(3)にあたるような人たちである。ただこの人たちは(2)と区別がつけにくかったり((2)だって大嫌いだが、不愉快度だと「通じるとこのある」分(3)のが高い)、ニセ科学批判者としても論客としてもいまいちなサイズの人が多かったりで、名前を挙げにくかったので特に具体名は挙げなかったのだ。「また人文系か」タグを振り回すのが好きだった某はてなブックマーカーあたりはここの例としてに限れば最適だったんだけど、ニセ科学批判とは関係ないし、ツイッターではさして存在感がないし。かといって、最近頭角()を現してきた大貫剛氏あたりを出すのも、さすがにかわいそうな気がするし。
追記も長くてごめんなさい。
ツイッター経由で、元記事について伊藤氏がこんなツイートをしているのを知った。
それですね。元増田のひとが、いわゆる左派をもう信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としたという見立ては可能でしょう。
「それ」というのは埋め込みツイートされている別の人のツイートのことだがそれはともかく、いやマジで何を言ってるの。
俺がニセ科学批判者を批判するのは俺がもう左派が信じられなくなっているせい?どういうロジックよ。「ニセ科学批判への批判はサヨクのせい」ですか。
こんなん、10年くらい前なら「伊藤剛検証blog」とかブログが立った時に酷すぎる支離滅裂発言の例として取り上げられるレベル、20年くらい前なら山本弘に著書の中で太字で突っ込まれた上に小見出しのネタにされるレベルのおかしな物言いじゃないか(伊藤氏にはトンデモ本シリーズで取り上げるべき著書がない、とかそういう話はここでは関係ない)。
言葉を単純に置き換えればいいというものではないのかもしれないが、例えば、エア御用とか言ってた人が、「エア御用で放射脳批判をしている人は、実際はもう放射能安全派を信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としているだけなのだ」とか言い出したら、それこそ伊藤氏含めたネット言論で袋叩きにされるんじゃないかね。
俺が左派論客を全面的に信じるなんてことは今も昔もあったことはない。そういう世代じゃないし。でもそんなのは左派相手に限らず当たり前の態度であるわけで、左派を「もう信じられなくなった?」と言われたらいやそんなことはありませんよ、と答えると思う。俺は別に家柄も収入もたいしたことない人間なので、左派不信になってトクする理由があんまりないし。それと左派のおかしな発言をする人について批判的なことを言ったり考えたりするのは別に矛盾しない。ニセ科学批判クラスタを批判してるからといって、ニセ科学批判の内容なんてもう信じられない、放射能のせいで鼻血が出る福島の子供やホメオパシーの治療効果や虐殺された江戸しぐさの伝道者も実在したんじゃないか、と主張したいわけではないのと同じである。
それは別に元の記事から読み取れることではないと思うので別に当てられなくてもいいんだけど、だからといって伊藤氏がどうやって上の推測にたどりついたのかはやっぱり謎である。どこかパラレルワールドには左派不信な「俺」がいて、伊藤氏と親しかったりするのだろうか。
あと、そういう「推測」が成り立つのなら、伊藤氏が「みんな左派が信用できないんだ」と思い込み、イデオロギーにとりつかれているのを勝手に俺に投影している、その傍証じゃないかという見方も出来るのではないか?と思えるのだが。少なくとも伊藤氏よりはロジックもアクロバティックじゃないと思うけど、どうなんだろうね。
もうこれ以上の追記はしないつもりだったが…… 被曝方面のニセ科学批判で目にする林智裕氏がこんな反応をしていたらしいという話を見た。
元増田では名前を出さなかったとはいえ、放射能デマ関係のニセ科学批判に熱心な人、こんなんばっか目立つの本当悲しくなるな、と思って見ていたアカウントの一つだ。
そして、一読してやっぱり悲しくなった。
左派のことばかり批判するな、と言われても、じゃあまずはこの件から謝ってみせて下さい、としか。左派政党の代表達が、放射能デマゴーグとべったり。総括も反省もしない。謝罪も無い。
俺はどっかの政党の党員じゃないので、左派政党の代表がだれと仲良くしてたとかについて謝ったり総括してみる義務も責任もないはずなのだが…… この人もどこかの平行世界ではそういう政党に所属している「俺」と知り合いだったりするのかな?謎だ。というか、党員であってもあんまり代表の不手際を謝ったり反省したりしないよね、左派政党に限らず。逆ならまだしも。
もっとも、そういう党を支持するだけでもけしからんという見方もあろう。俺は左派政党のそういうところは支持していないので関係ないともいってしまっても良いのかもしれないが、元増田で書いたRT論はそのような属人(党)的で判断する考え方に近いともいえるし。
ただそれならそれで、林氏が普段、どの政党を支持して票を投じているか、知りたいところだ。RTする相手はアカウントの数ほどあるが、政党はそんなにたくさんない。今の日本で非左派政党とみなされる政党というのは、ニセ科学やデマゴーグにまみれた主張や政策を推し進めているか、そういう政党の衛星政党としてしか機能していないか、その両方か、のいずれかしか心当たりがないのだが。あやまって、やくめでしょ。って言ってやりたくならないのだろうか。そうじゃない、あくまで無党派なんだ、というのかもしれないが、その割には随分左側のニセ科学だけが許せなさそうな様子のツイートだ。
特に、いま一番議席を持っている右派政党、代表から末端の組織までニセ科学やデマゴーグがあちこちに観測されるんですが…… その人たちやその支持者にこういう総括や反省や謝罪を求めたことがこの人にはどれほどあるのでしょうか。右派メディアで有名な産経新聞や「WILL」「正論」、それにあまたあるアフィブログやネットメディアもしかり。いや、総括や反省や謝罪を求めなくてもいいっちゃいいんだけど、そういう人にこんなこと言われたところで知るかとしかいいようがない。
あるいは(これはあまり想像したくないことなのだが)、放射能デマがらみ、あとたまに反医療デマがらみ?以外なら、デマでもニセ科学でも大歓迎!ということなのだろうか。
元増田でも触れたけど、ニセ科学の文脈であれそれ以外であれ、ニセ科学批判者には右派を(あるいは「も」)批判する人は(「ニセ科学批判批判クラスタ」が時に大げさに言うよりは)意外にいる。というか俺もリアルアカウントでニセ科学批判をするときはそういう人として見られていたはずだ。なのだが、「左派のことばかり批判するな、と言われても」というからには、この人は自分の属する「ニセ科学批判集団」が右派の批判をロクにしていないという自覚があるのだろうと思われるわけで、そのへんどう思っているのかというのも気にかかる。あいつらは頭のおかしいことをやっている、とでも思ってこちらの陣営を見ていたのかな。そんなニセ科学批判者、「放射脳」並みに御免である。
まあなんていうか…… この論法好きじゃないのだが、伊藤氏にしろ林氏にしろ、自分がゴリゴリの党派性を韜晦したつもりで普段「イデオロギーフリーなニセ科学批判」をしてるからこそのこういう反発じゃないのかな、とか言ってみたくなるんですがどうなんですか。アリバイ的に左派的な口ぶりをするだけなら、ダダでも出来るんだよね。
ブログやtwitterではこれでもかというくらい雄弁だったり強気な発言をしてる人がコミュ障を自称する事例は後を絶たない。
しっきーもそういう自称コミュ障野郎のひとりだが、しっきーの場合は韜晦ではなく、本当に苦手なのかもしれない。
たとえばこの文章。
まず、無駄なことをgdgdと考えている。この時点ですでにぼっちな時間が長そうだ。
読んでいても、しっきーがなぜごちそうさまで悩んでいるのか、その理由がわかりにくい。
ごちそうさまを言わないデメリットだとか、ごちそうさまを言うのを躊躇する理由を書いてない。
本人はわかってるんだろうが、読者に全くそれを伝える気がない、読者がそれをわかってないだろうなという想像が働いていない。
こういうのは、他人と普段から会話してたら、こういう抜け方をするとは考えにくいから、ぼっちなのか、こういう話を普段は出来ないのだろう。
更に言うと、読み手に気を使わせるようなことを平気で書いている。
見た目がDQNでも、ちゃんと「ごちそうさま」と言うやつはいる。しかも、タイミングとか声の大きさとかが自然で上手なやつがけっこう多い気がする。もちろん僕は、そういうDQNを「案外いいやつじゃないか」と思ったりはしない。
「見た目に反していい人」なんてのはありえない。人を威圧する外見とか態度をわざとしてる時点でそいつは悪だ。そこからまともな振る舞いをしたとしても、マイナスからの振れ幅による認知バイアスを狙ってるわけで、そういう魂胆を持ったやつがいい人なわけがないだろう。その種の人間が最初からまっとうにやろうとする人よりも有利になってはいけないと思ってる。
DQNがどれだけ見事な「ごちそうさま」を言っても、彼らに対して好感を抱くことはない。
本人はこれを面白いと思って書いてそうだ。
だが、この話はオタク等が見た目されるのを容認する言説に用意に結びつけられる。オタクにかぎらず、なんだかこの見た目で人を云々するという話は、聞いていて愉快なものではない。この部分について、ちょっとでもまともなやつなら、たとえ直接ネタにされているDQNでなくともなんらか嫌な気分になる。
しかししっきーは、そういう想像力がやはり働いていないようにみえる。
この手の他の人が読んだらちょっと引く内容を面白いだろうと考えてウケ狙いで書いてしまうということは、空気が全く読めない証拠だ。
以前もフミコフミオの文章を叩きに行った時、変に悪ふざけをして印象を悪くしていた。
このように、しっきーの文章からはガチのコミュ障にありがちなウケを狙うべきでないと気にウケを取りに行く絶望的なまでの空気の読めなさを毎回感じる。
そして困ったことにしっきーは空気読めない発言をしてツッコまれても、そのことをあんまり意識しないようにしてる気がする。
たとえ空気が読むのが苦手でも、普段人と接して会話をしていれば、少なくともその自覚は持つ。
自分が面白いと思って話す内容は、周りには受けが悪いことが多いってことくらいはわかるようになる。
そういう自覚すらない人間は、ガチでコミュ障であり、それを自覚することすらできないぼっち環境にある場合が多い。
一番まずいのは、コミュ障だが、自分では結構ちゃんと会話ができてると思い込むケースだ。
コミュ障の振りをしているつもりのガチコミュ障だったら本気で手遅れだ。
7億円欲しがってそうな人になりたいなら止めはしないが、そうでないならナントカした方がいいんでない?
1巻2話。
貝殻を拾うピノコを、もっといい場所があるとBJが入江に連れて行く。
昔の女!?と怒るピノコに、「友人」との思い出を語り出すBJ。
友人とはシャチ。
5年前、崖の上に家を建てたばかりの頃。
ピノコもおらずひとりぼっちだったBJに初めてできた友人だった。
入江で傷ついていたところをBJに治療され、その後もたびたび同様に治療を受けにきては、
お礼の真珠を持ってきていた。
しかしBJは、そのシャチが町の居酒屋で漁場荒らしをしているシャチで、近々大規模な捕り物があると知り、
それでもシャチは、何度も真珠を持ってきては入江でBJを待っていたが、結局入江で力尽きた。
「もう私がいゆからひとりぼっちじゃないわよねえ?」と言うピノコ。
その後ろには確かに二人分の足跡が残っていた。
このときはBJも、寂しさもあいまって人間(一般社会)のことをまだ考えてた、みたいな感じなのかなあ・・・
んなことない?
やっぱり今でも人間に害をなすものだったら容赦はしない、かなあ・・・
真珠のところで昔の女でしょ!みたいに怒るピノコに、ローマ字で「AMARINIMO HIDOI KAO」って書いてあってワロタ
あとは最後にピノコが「私がいゆからもうひとりぼっちじゃないわよねえ?」って言うのと、二人で砂浜を帰っていく足跡が残っている描写がよかった。
ちゃんと来るときには上からきてるし、帰るときは背を向けて読者から見たら上に帰っていってるんだな。
1.白いライオン
2.シャチの詩
3.えらばれたマスク
4.報復
よく噛み砕いていて面白い、と思ったが一般人にノイマン型アーキテクチャはピンとこないと思うので、なんというギーク向けwそのニッチぶりとのギャップがまた乙。
かつて蟷螂の斧を持つ弱者が”一寸の虫にも五分の魂”の文脈で「ペンは剣よりも強し」と言ったけど、近年のペンは拡散力を得て大量破壊兵器なみの攻撃力を持った上に、戯言力で世論の向きを操作し強者を追い詰める技術も一般化して、本当に剣より強い。
書き手がその攻撃力を軽く見積もるか、あるいはわかっていてなお「ペンは剣よりも強し」と韜晦する。
風刺画ではなく強者によるただの排斥となっていることに気づいていない。あるいは気づいていてなお風刺と言い張る自己欺瞞に満ちた悪意そのもの、であったりなかったりw
大学で友達ができないことを、まぁ俺が悪いんだろうな、でも無理して周りに合わせることもないし適当に生きるわHAHAHAと、そう重要な問題でもないと捉えてやってきたのだけれど、事の原因となる精神上のバグは結構看過できないんじゃないかと思えてきた。
僕は物事をメタ的に考える癖があって(この文章もそうなんだけど)、何に参加するにしても、何を見聞きするにしても、務めて客観的に判断しようとしてきた。そうすると、どんな物事にもある長所短所を明確化してしまい、それをリターンとリスクに置き換えることで心の天秤にかける癖がついてしまった。するとリスクが怖くて一歩が踏み出せなくなって、でもそんな臆病な自分を認めたくなくて、結果的に物事をシニカルに批判することで、それをしようとしない自分の立ち回りを正当化してきた。
もちろんこういう態度は少しずつ改めなければならないと思うのだけれど、友達ができないことと性格を結びつけたとき、やっぱり「あんな遊び方をする大学生はアホだなぁ」と、見下して、滑稽にも自分の精神的優位性を何よりも大事に大事にしてきたのかな、と思っていた。
でも本当にそれだけが原因なのか?と感じたのは、何をしても楽しくないと気付いたときだった。
いつものように分析的になる前に、いや、よく考えなくてもやっぱりこれは楽しくないなと思ってしまったのだった。要するに今まで現状の原因は全て自分の自己形成にあったのだと思っていたのが、やっぱり先天的に集団に向いていないのではないかと思い返さざるをえなくなったのだった。
昔からなんとなく、僕は人に媚びるのも媚びられるのも嫌いだった。友達が描いた絵よりも雑誌で見る絵のほうがかっこよかったから、なんだか友達を褒める気になれなかったし、友達から来た内輪ギャグメールにも対応する気になれなくて全て無視してしまっていた。よく言えば、自分の中の評価ラインを持っていて、身内だからといって贔屓しようとは思わなかった、のかもしれないが。
けれども友情は相互承認から生まれてくるものだと思うし、相互承認の自覚も必要なのだから、きちんと承認を伝え合わなければいけないと思う。
さて、表題なのだけれど、自分が集団や相手に愛着を持てない原因は自己形成なのではなく育ち方にあったのではないかと、別方向の考え方を提供してくれたのが「愛着障害」という本でした。同じように悩む方は是非読んでみるとよいと思います。
例えば母親をなくした人が、例えば安心できる家庭環境になかった人が、愛着の持てるものを幼少期に与えられなかった人は愛着障害に陥り、過度な人間回避又は他者依存に陥るのだという。その他にも重度のトラウマを抱えたり、親に褒められたことがなかった場合など、多岐に渡るケースが取り上げられているので参照されたい。
要するに、まぁ前半の僕の自分語りはほんとどうでもよくて、すみません、人間関係で悩む方は自責するばかりではなく、別の視点からの問題を知ることで、解決に役立てればよいのではないかなと思いました。
最後に、この文章は結構痛くて、中二病っぽいんだけど、僕としてもそうであってほしかったというか、他人と違う自分を誇らしく思っていた時期もあったのだけれどそれは自己韜晦の上に成り立つ特異感だと思っていたからであって、いざその時期を過ぎると本気で悩みの種にしかならなかったのです。そういうことってありませんかね?
いや、みんなそんなことはわかった上で(議員の言わんとすることはわかった上で)
「人権と平等の時代にそんな身分格差みたいな法律ないわ」って言ってるんだよアホ
まあこういう奴も居るわけだからはてサの皆さんも
ハッキリパッキリ「ここが問題だ」って書くコメントの方が
よほど世の中に資するし、見てる人からの心象も良く成ると思うんだけどね。
ついでに言えばはてサでイヤミや韜晦のセンスがある奴の率って物凄く低い。片手の指で足りるほどしかいない。
スマートさの欠片もなく、敵意悪意攻撃意欲がにじみ出てるだけの小学生の悪口になってることがほとんどだから
センスの無さは自覚して控えるか磨くかした方がよいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100430110151
そっちのタイプのほうが好感持てるけどなあ。
はてなに来てからこっち
「俺はなんではてサが気に食わないんだろう」ってボンヤリ思ってて
「自分がはてサよりもウヨ側だからかな」って乱暴に仮の結論出してたけど、そうではなくてさ。
・馴れ合いのお友達と常につるんでる
・皮肉や韜晦が大好きなわりに国語力が無くウィットのセンスもない
・出来の悪い皮肉ブクマやエントリをお友達同士持ち回りで絶賛する
というあの回路、あれがキモすぎ。
言ってることがサヨク方面でも
馴れ合いのお友達やファンを持たず
同じサヨクでも違うと思った相手を全力でド突き回すようなidがはてサの中に少数派ながら居て
彼等はだいたいマシな文章を書くし、
幼児的な敵意・悪意表明の中でバチャバチャ水遊びしてるような出来の悪い皮肉は使わない。
そういうidにはあの嫌悪感や軽蔑の念は湧き上がらないことに気づいて
サヨクオピニオンへの嫌悪感ではなく駄サイクルへの嫌悪感だったんだね。とわかった。
しかもはてサ駄サイクルはアート系駄サイクルと違って「共通の敵」が居るから
高揚感や一体感や全能感が更に凄い、アホの吹き上がりの出力も凄い。
そりゃ俺の反吐が出るわけだよ。
一番嫌いなタイプの群れなんだもん。
http://anond.hatelabo.jp/20080928125422
【韜晦】
…自分の地位・才能などをかくすこと…
【当該】
そのこと、そのものにあたっていること
【凍害】
…寒さや霜のため、害を受けること…
>>彼氏が私のことを愛してくれている、私も彼を愛しているのは間違いないんだけど、一緒に暮らしてて二人ともフルに働いてるんだけど
>>家事はほとんど私が負担している状態が続いて実際しんどくなってきてる。肉体的・精神的にも疲れるのと、将来的に結婚も考えている
>>のにこんなんで持つんだろうか、という不安とで悩んでいることを彼にも何度か伝えてるんだけど何の変化も無い。
このタイプの人は妻が家事をして当然と思っているので、その考えを変えるのは非常に難しいと思います。
気づいているかと思いますが、「ありがとう」という言葉はやりたくないという意思表示です。だから、それが相手の負担になっているのも多少は認識しているんでしょう。
一度離れた方が良いと思いますよ。彼が「一緒に暮らすにはどうすべき」なのかを韜晦するまでは、離れていたほうが良いと思います。
が、自分のなかで最近ますますかぶってきたんだけど、