ブログやtwitterではこれでもかというくらい雄弁だったり強気な発言をしてる人がコミュ障を自称する事例は後を絶たない。
しっきーもそういう自称コミュ障野郎のひとりだが、しっきーの場合は韜晦ではなく、本当に苦手なのかもしれない。
たとえばこの文章。
まず、無駄なことをgdgdと考えている。この時点ですでにぼっちな時間が長そうだ。
読んでいても、しっきーがなぜごちそうさまで悩んでいるのか、その理由がわかりにくい。
ごちそうさまを言わないデメリットだとか、ごちそうさまを言うのを躊躇する理由を書いてない。
本人はわかってるんだろうが、読者に全くそれを伝える気がない、読者がそれをわかってないだろうなという想像が働いていない。
こういうのは、他人と普段から会話してたら、こういう抜け方をするとは考えにくいから、ぼっちなのか、こういう話を普段は出来ないのだろう。
更に言うと、読み手に気を使わせるようなことを平気で書いている。
見た目がDQNでも、ちゃんと「ごちそうさま」と言うやつはいる。しかも、タイミングとか声の大きさとかが自然で上手なやつがけっこう多い気がする。もちろん僕は、そういうDQNを「案外いいやつじゃないか」と思ったりはしない。
「見た目に反していい人」なんてのはありえない。人を威圧する外見とか態度をわざとしてる時点でそいつは悪だ。そこからまともな振る舞いをしたとしても、マイナスからの振れ幅による認知バイアスを狙ってるわけで、そういう魂胆を持ったやつがいい人なわけがないだろう。その種の人間が最初からまっとうにやろうとする人よりも有利になってはいけないと思ってる。
DQNがどれだけ見事な「ごちそうさま」を言っても、彼らに対して好感を抱くことはない。
本人はこれを面白いと思って書いてそうだ。
だが、この話はオタク等が見た目されるのを容認する言説に用意に結びつけられる。オタクにかぎらず、なんだかこの見た目で人を云々するという話は、聞いていて愉快なものではない。この部分について、ちょっとでもまともなやつなら、たとえ直接ネタにされているDQNでなくともなんらか嫌な気分になる。
しかししっきーは、そういう想像力がやはり働いていないようにみえる。
この手の他の人が読んだらちょっと引く内容を面白いだろうと考えてウケ狙いで書いてしまうということは、空気が全く読めない証拠だ。
以前もフミコフミオの文章を叩きに行った時、変に悪ふざけをして印象を悪くしていた。
このように、しっきーの文章からはガチのコミュ障にありがちなウケを狙うべきでないと気にウケを取りに行く絶望的なまでの空気の読めなさを毎回感じる。
そして困ったことにしっきーは空気読めない発言をしてツッコまれても、そのことをあんまり意識しないようにしてる気がする。
たとえ空気が読むのが苦手でも、普段人と接して会話をしていれば、少なくともその自覚は持つ。
自分が面白いと思って話す内容は、周りには受けが悪いことが多いってことくらいはわかるようになる。
そういう自覚すらない人間は、ガチでコミュ障であり、それを自覚することすらできないぼっち環境にある場合が多い。
一番まずいのは、コミュ障だが、自分では結構ちゃんと会話ができてると思い込むケースだ。
コミュ障の振りをしているつもりのガチコミュ障だったら本気で手遅れだ。
7億円欲しがってそうな人になりたいなら止めはしないが、そうでないならナントカした方がいいんでない?