はてなキーワード: 薄型とは
自社比較で18%打鍵圧力が軽減されたというこの機種。近所で1100円代だったので購入。
フラットかつアイソレーション式のキーで、方式は価格なりのメンブレンだが、確かに従来ほどの力は必要ない。
ただし所詮メンブレンなので「ごわごわ」とした圧力感からは逃れられない。このへんは薄型のパンタグラフに勝てないところ。レビューにあるチャタリングなどは今のところないものの、少々スペースキーを誤って打鍵してしまいがち。今の所打ちやすさも打ち難さもないが、長時間使用しなければ指への負荷のかかり具合がわからないところ。通常のメンブレンより指のポジションを若干平にしておける点は良いのかもしれない。また、通常のチョコレート型よりもキートップの端が引っかかったりすることがないところは良いと思う。
右上のLED三種は透明感があって良いし、キーボード自体が安物感がなく重量があるので値段の割に高級感がある。まあELECOMのロゴは入ってるけど。
これは良いところというべきか。ある程度のメディアコントロールが可能。いわゆるノートPCとかに付いてるアレ。
扉を開けて換気していたら顔合わせ。こいつは人間のこと警戒してなさすぎで、外で逢ってもこちらが一メートル以内に入って初めて逃げる。のんびりしすぎててこっちが心配になるやつ。ふくふくしてるので家では良い餌をもらっているのだろう。残飯どころではない。
Xiaomi Mi 11 Ultraには次世代「シリコン酸素アノード電池」が搭載、理論上10倍のバッテリー容量 | アンドロイドネクスト
長らく革新のなかったバッテリー構造だが、次世代電池の商用化が目前と見ていいだろう。
最近は200g前後の重量級スマホが普通になってしまっているが、そうした傾向に歯止めが掛けられる可能性も。
870、860に続いて780Gと、コスパを攻めたSoCが今年に入って立て続けに発表されておりミドルハイレンジが熱い。
ラグジュアリー志向の人以外は、ゲーマーですらもこのあたりのSoCを積んだ4,5万そこらの端末で満足できる日が今年中に来るだろう。
発表後すぐに搭載機が出てきた860とは異なり、780G搭載機はどうやら4~6月あたりまで待つ必要がありそうなのは残念。
薄型軽量スタイリッシュは好印象だが、732Gが事実ならば、すでに日本発売が決定しており31日に発表会があるRedmi Note 10 Proと同じSoC。
Redmi Note 10 Proが3万前後になりそうなのに対し、確実に高くなるはずだが、詳細は29日のグローバル発表会で明らかになるはず。
コスパ面では数日後に控えるAliセールのPOCO F3/X3 Proに敵う機種は当分出ない気もする。バンドとか気にしない人であればGO。
机の奥行を広げるような意味合いで、机と壁の間にラックを置こうと思った。
そんなにこだわりはないつもりなんだが、
そこまで値段が高くなくて、色やデザインの主張が激しくなくて、薄型で高さも机よりちょい高いぐらいで・・・
などと選んでいくと結局「無印でいいじゃん」となった。
もういっつもそうなんだよな。
以前にキッチンに置こうと思った棚や、細々したものをまとめたくて検討した収納、食器や料理道具、・・・
無印ファンというわけではないので、特にこだわりなくいろんな通販サイトを巡っているつもりなんだが、
無難で主張が少なくお値段もお手頃で品質も低くなさそうな~とか考えてると、行きつく先はたいてい無印になる。
まぁ無印良品の商品ってとても素晴らしいですね、って感想なんだけど、
なんだかつまらんなー。
高級って幾らぐらい指してるんだろ。
東プレの3万前後のか、下がってFILCOの1万5千ぐらいのか、それとも5千ぐらいで高い扱いか。
高いのはほぼメカニカルだから、そもそもそれらが合わないと買う意味がない。
値段よりは打鍵の色々な面から見て、家電量販店に結構サンプル並んでたりするので触ってみて選ぶべき。その結果高いキーボードを買う可能性もある。
以下、色々な面。
どれだけ深く押せばキーが反応するか。普通のは4mm程度、浅いのは2mm程度。1日3万打鍵するとして、指の移動総距離が6万mm=60mになると考えると意外とデカいか。ただ、浅すぎるとうっかり触ったときも打鍵扱いになり誤爆しやすい。
また、高い奴だと、いいとこ取り的に「4mmまで押し込めるが2mmほど押し込んだところで反応してくれる」だったりする。
・反発
押したときの反発。高級なのは強め。コレは強いと打鍵後に自然に指が戻って次の打鍵に移行しやすくなるから良いといわれている
・打鍵音
会社やボイス通話しながらだと静音重要。ただ派手に鳴らしたい人もいるらしい。
・打鍵感
触感的なもの、合わないとストレスになることも。メンブレンはペコペコ(特に安いの)、パンタグラフはスッスッ。
テンキー付きか、とか。日本語配列が気に入らなくて英語配列を選ぶ人もいる。
・キー配置
最近は「アイソレーション」なるものが増えていて、コレはキーの間隔が空いている。押しやすいというのが売りだが逆に合わない人もいる。
この辺も参照。
https://kakaku.com/pc/keyboard/guide_0150/
言及した当人はテンキー付きパンタグラフ(この系統がゲーミングしかなかったので光る、5000円)と薄型メンブレン(2000円)を気分で使い分け。
押し込み浅くて反発無いのが好み。
Vaioのパソコンを買った。ボーナスと会社の補助と新生活キャンペーンを駆使して20万円もする物を勢いに任せて買った。
長野の工場で組み立てられ、カスタムされた製品を目にするまで、箱を開くまで、私は自分が誇らしかった。
包みを開いて黒光のパソコンを手にしたとき、走馬灯のように人生で初めて与えられた自分のパソコンを思い出した。もう10年も会っていない父親が、当時まだ大学に入って間もない私に買い与えた最新のVaioだった。オリジナルカラーの薄型モデル。安くはない。
憎たらしい子供で、素直な感謝よりも「どうしてこんなに高価な物を与えるのだろう」という疑問を先に抱いていた。どうせ使いこなせないのに。単純作業にしか使わないのに、と。感謝よりも申し訳なさと、それを感じさせられることに少し怒りも覚えていた。
激しい夫婦喧嘩の後、殴られて休んでいる母を置いていつも父親は子供達を連れ出した。デパートに連れて行って、欲しがる物を買い与えるために。欲しいものなどないし、いつも質素な生活をしているから欲しがる知恵もない。長男だけが賢くて、そのチャンスにナイキのシューズとか高価な物をリクエストする。姉も私と同じで欲しがるものがなかったから、「最新鋭の商品だ」とか「流行っているんだ」とか言われてGショックの時計を買い与えられていたのを覚えている。他人のものは覚えているのに、自分が買い与えられた物を覚えていない。Gショックの記憶が姉だったか、私だったか。覚えていないのだから、多分大切にも扱わなかったんだろう。欲しくもなかったんだから。
今はそれを申し訳なくも思う。たとえ父の完全なる自己満足で「俺はここまでやってやったんだ」と思いたいがためだけの行動であったとしても、本人はそれが本当にいい物だと思っていたのだろう。相手の気持ちを察するだとか、そういう機微がない人だったから、すれ違ってすれ違って、重なり合わない会話だけを上辺で流すことになったんだろう。
ずっと疑問だったことに対して、ふとした時に答えを見つけることがある。もしかすると、本当に喜んで欲しかっただけだったんじゃないかと。不器用だけで済まされる問題でもないけれど、そこに生身の人間がいて、父なりの苦悩もあったのだと思う。Vaioのパソコンは本当に高いのだ。高いけど、本当に最高で、買えるもんなら買いたいと憧れられるほどに良い物なんだ。価値も分からない小娘にポンと与えるおもちゃでは無いのだ。きっと娘を考えてオリジナルカラーでカスタムしたんじゃないか、高くても軽量で薄型を選んだんじゃないか。自分が予算と性能を照らし合わせてカスタムしたパソコンを手にした時、あの時の父は何を考えて、あのパソコンをカスタムしたのかと考えてしまった。
思い出を美化するわけでもなく、ただ単に社会に出て視野が広がり、物事の価値や苦労を知ることで、もしかしたらあの時の両親はこうだったにではないかと感じることが増えた。
高価な物を買い与えられるほどに口封じのように感じられて頑なになってしまっていたけれど、そこに一切の気持ちがなかったとは言えない。冬にものすごく傷つけられた時、対話や謝罪ではなく電気毛布だけが送られてきたこともある。それがとても悔しくて、使わないまま放っておいた時間があった。当時の私は物ではなく言葉が欲しかった。今思えば、父は言葉のかけ方が一切分からなくなっていたんだろう。冬だから、寒いから、そこで選んだ物に少しでも気持ちは入っていたのだと気づく。物でしか伝え方が分からなかったのかもしれない。
仕事でもVaioのパソコンを叩いて、アメリカにもEUにもメールを書いて、今の私が結構立派に社会人をしていることを父は知らない。
もし知ったら驚くと思う。その後に喜ばれる、だなんて単純に考えてはいない。怒りとか、憎しみとか、邪魔をしてやろうとか、どんな感情を持たれるかは想像がつかない。彼の抱えているであろう孤独や沼は深いから、私はもう近づけない。
Vaioのパソコンを見るたびに父を思い出す、そんなこともきっとない。ただ、今後の人生においても何かのきっかけで彼を思い出して精神で対話することはあるだろう。それは教会の懺悔室に似ている。何をどうすれば良かったかは分からないが、ただ祈って許されたい。
父のことを思い出す日が増えたから、父の死が近いのかな。逆に私だったら笑えるな。
最後に会ったのは10年前の名古屋。神戸の大学で当時付き合っていた彼氏のバイクで旅行したついでに父親に会ってみたのだ。彼氏を名古屋の繁華街にほっぽりだして、1人だけ父親とランチに行ったんだけど、今思えば本当に理解のある彼氏だったなあ。
食事が終わると父はお小遣いをくれた。そして「あの角まで彼氏が迎えにきてるから、ここで」とレストランの前でお別れを言ったのが最後だった。その後にメールで「なんであの時に、娘の彼氏に会ってみたいって言えなかったんだって、後悔している」と書かれていた。その後も家族でイザコザが続いて、一切経済的な援助も何もなくなった代わりに、父との関わりもなくなった。それ以来声も聞いていないし、メールすらない。
でも記憶には残っている。
テレビが何かわからない。いや、わかるんだけど、例えば古いテレビと今のテレビ全然形違うじゃん。
昔のテレビの足はなぜ四つ足ですらっと長いのか? 昔の真空管や配電の機械ってとっても重い。それをすらっとした木製の四つ足で支える意味がわからないし、薄型で軽量になった今こそ細い足で支えるべきなのに、実際にはどっしりとしている。
そして大抵テレビというと番組が付属する。「テレビ見る」はテレビを見るという意味ではない。テレビ番組を見るということだ。そしたらテレビはテレビではない。ではテレビはなんなのか? そして、今はパソコンやスマホでテレビ番組見るんだが、私たちの営為としては「テレビを見る」という営みと質的差異はない、あるいは少ない。わけがわからなくなって俺はテレビ朝日を見る、とかネットフリックスを見る、永谷園のCMを見るとか、かならず具体的なものをさすように言語表現するようになった。
これの意味がわからない。手で書く、という意味はわかる。一般的には印刷を用いないで書くことだろう。
ところが、たとえば砂浜に尖った流木で書くのは手書きか? 指で砂に字を書くのは手書きか? と考えるとわからなくなってくる。この二つ、似てるけど営みとしては異なる。
前者は流木書きで後者は手書き(あるいは指書きといってもいいかも)とするべきで、そしたら鉛筆やペンで文字を書くことはは手書きじゃないんじゃないのか。より手で書きうる手段があるのに手書きってのはおかしいんじゃないのか。
筆で書くことを手書きというか? 多分いう。文字だったら。抽象的な前衛書画は?
パソコンは手で打っているから手書きじゃないのか。この文字は俺の手で書いてる。
もう手書きという日本語は全く信用ならなくなってしまい、仕事では、手筆を以ってする、ゲルインクで書いた書類、atokで作成した文章みたいな日本語で表現している。
印刷物の校正は頭がスッキリする。手書きの校正メモ、と、印刷された本文、とは意味合いとしてスッキリ弁別されている。仕事がわかりやすい。ずっとやっていたい仕事だ。
自分割と休日は愛犬とかと会いたくて実家行ったりどっかに泊まってることが多くて、
ゲームのセーブデータとか自宅と実家で使いまわしたいからGTX1050搭載の
(このサイズとしては)割と軽い薄型15.6ノートPCを持っていってるんだけど
最近ちょっと街中の方に引っ越してきたからスタバとかでドヤ顔で作業するのもいいかなーって思えてきた
んでそうなるとやっぱ15.6ノートだとちょっとでかすぎてきついかなって思ったりする
買い換えようか迷ってんだけど
デザインと軽量さだけ見ると一番欲しいのはThinkpad X1 Carbon
Thunderbolt3端子はあるから外付けGPUという選択肢はどうだろうか
ただなんやかんや10万くらいかかるから自宅と外で2つ以上環境用意するのはちょっときついかもしれない
ちょっと重量は増えるがMX250搭載のThinkpad T490とかはどうだろうか
軽めのゲームはどこでもできて、重めのゲームは外付けGPUに繋いで自宅で遊べる、うーん……
最初に思いつきそうなやり方としてゲーミングデスクトップとサブのノートで分けるととか…
いっそ15.6ノートのままスタバでドヤリングするのはどうだ?浮いたりしないだろうか
チラシの裏に書くべきないようだけど、休日どっか泊まってること多い上にゲーマーって結構特殊な生活だしめっちゃ迷うなぁ
どうすりゃええんや