はてなキーワード: 理想論とは
何か問題が起きるとすぐに理想論を振りかざすが、現実の人間感情や柔軟性に乏しい体制があることを全く無視している場合がある。
育休の件で言えば、理想の運用はもちろん誰が育休を取ってもうまくまわることに疑う余地はない。しかし、そんなすぐに欠員採用できんのだ。そんなすぐに人を育てられんのだ。食い扶持を稼がにゃならんのだ。ギリギリのバランスで経営しつつも、少しずつ良い組織にしようと思っている会社だって多いのだ。
みんなが完璧ではない社会を生きている。それでも、この社会には意志の力ちからでどうにかなる余白が残されている。
大した知見もなく、狭い視野で知ったかぶりの上から目線にまみれ、すぐに理想論的見地に立って超越的に物事を裁定するブコメ民は、かりそめの平等を愛する質の低い共産主義者のようだ。社会は超越者によってではなく、われわれによって運営されている。本質的な平等はつくり得ないが、平等に近づける努力をして生きている。
何か問題が起きるとすぐに理想論を振りかざすが、現実の人間感情や柔軟性に乏しい体制があることを全く無視している場合がある。
育休の件で言えば、理想の運用はもちろん誰が育休を取ってもうまくまわることに疑う余地はない。しかし、そんなすぐに欠員採用できんのだ。そんなすぐに人を育てられんのだ。食い扶持を稼がにゃならんのだ。ギリギリのバランスで経営しつつも、少しずつ良い組織にしようと思っている会社だって多いのだ。
みんなが完璧ではない社会を生きている。それでも、この社会には意志の力ちからでどうにかなる余白が残されている。
大した知見もなく、狭い視野で知ったかぶりの上から目線にまみれ、すぐに理想論的見地に立って超越的に物事を裁定するブコメ民は、かりそめの平等を愛する質の低い共産主義者のようだ。社会は超越者によってではなく、われわれによって運営されている。本質的な平等はつくり得ないが、平等に近づける努力をして生きている。
そらまぁ契約する権利だの障害者の自己決定権とかこねくり回してごたごた言ってるけど本音は女が騙されてようが搾取されてようが知ったこっちゃないし風俗やAVに出てくれて安定したオカズ供給されてれば良いだけなんでそんな理想論出されてもって感じだよ皆。
障害者の契約する権利ってのに必死になってる人、未成年女性のセックスする権利に必死になってる人のような気味悪さがある。
風俗とかAVなんかは当事者へのケアとか福祉支援が充実していることが大前提としてあって、さらにその福祉支援にどんな人でもすぐにアクセスできる状態があって、
貧困層とか障がい者はすぐにきちんとした福祉支援も性教育も受けられて、働ける場所も職種も業種も健常者と変わらないぐらい豊富になった上で、
それでもあえて風俗をやりたい、AVに出たい、という場合だけ選択できる職業というのが理想。
あくまで理想論でしかないけどこの理想すら共有できない、理想を現実にするために何をすべきかを語れないで障がい者の契約する権利を語ってるならただただ性的搾取の理由を正当化したいだけだと思う。
ここでいう進歩的左派とは、現状と理想の差を進歩によって埋めようという人々だ。これは保守的右派と対になる。そしてある一面で、進歩派は保守派よりも言行の不一致が起きやすいといえる。なぜなら進歩派は、現状、つまり今行っていることを、理想、つまり思い描いた善い状態に変更しようと試みるのに対し、保守派は今行っていることをこれからも続けようとするからだ。現状維持のほうが言行一致しやすいのは当然と言える。さらに進歩派はしばしば「情動」に逆らう。病によってただれた肌は見る人にしばしば嫌悪を催させるし、見慣れない肌の色はある種の警戒心を刺激するが、進歩派はその類の「情動」に逆らって行動を律することを欲する。基本的に言行一致のための難易度が保守派よりも高い。もちろん実際には保守派も復古と称してまったく歴史に裏付けのないことを始めたりするのだが。
では理想論とはなにか。例えばA地点からB地点まで移動する状況を想定してみよう。二点を直線で結ぶ道を選ぶのが理想だ。でも実際には途中に山や谷があり、あるいは賊が出るとか、体力の問題で途中の街によって休まなければいけないとか、様々な実践上の妥協として遠回りが必要になる。にもかかわらずそれらを無視して直線ルートを強硬に主張するのが、「嫌われる理想論」だろう。
そして進歩派と理想論は隣接していると思う。しばしば併発するといっていいかもしれない。進歩のためとうそぶいて理想論を振りかざす。さらに選民思想(これは保守派にもしばしばみられるが)が加わる。嫌われて当然だと思う。クソ野郎である。でも私は幼き日の私のただれた肌を看護師が慈しんでくれたように、この醜い進歩派を赦そうと思う。
店に感謝するのは自由だが、これまで欠陥のある商品を提供してきて散々批判されてからしぶしぶまともな商品を出すようになった店が感謝されることはあまりないだろうな
できて当たり前のことをこれまでしてなかっただけだから
「桶屋の私が儲かったのは風が吹いてくれたからです」
抗議の声を挙げた人は風ではないし目を潰したのでもない
しいていうなら「経営に苦しんでいる桶屋がいる、できればそこで買ってやってくれないか」と頼んだ人が相当するだろうな
②いや例として価値観を例えたわけで
単純に例えとして適切ではない
つまり偽物が何人いようと偽ソースを何人が出してこようと、結果影響を与える発言をした人間が「だってそういうソースがあったから」と言ってもその責任を負えばいいし負うべきだろうと思うわけです
嘘をつくここと、嘘を正すことの絶大なコストの差を無視している
その言ってる人と行動が伴ってない人が近いというかそういう環境にいるからそういう視点になるのかなというか
実際の効果を発生させるのと
力的なものと
にわかれるやん?
漫画とかよくありがちだけど
確認調整 ➡ 管理職:実務役が兼ねてる場合もあるけど出来る事担当がすべき事に対して役割を割り当てる
実際の効果 ➡ 目標:目的達成までの道のりを埋めるための最短の成果
技術的なもの ➡ 割り当て:必要な成果のための能力が必要分そろうために人数か才能をそろえる消費を調整
力的なもの ➡ 実務:とりあえず成果のために必要な才能や技術の不要な要素
なんとか王に俺はなるっていって、次のページになれました、なれませんでした、って終わらないじゃん?
その目的に対するリーダーがちょっといい加減でも、目指してる行動や実働の部分には評価すべき点があったりするわけで
目的の発信者が行動者で、さらに行動に結果が伴っていないってそれ「いいこと言ってる」の言葉で目標をたてた時点ですら評価対象にならないんじゃない?
なんでそんな人の口先だけの「いいことらしき事」を評価しちゃうかなあ それは環境がよろしくないのでは
やるなら何かというのが経路の視点で
やってるんだけど、こういう状況というのが経路の視点で
やってることはこういうこと、というのが確認調整の管理の視点で
実際そのためにこういう結果がでてますよ、こういう効果がありますよっていうのが効果の視点で
そのために〇〇があるんだろ、○○を研究してるのはそのためだっていうのが技術的なもので
私らみんな税金納めてるんだから、っていうのが力的な視点なんじゃない?
ちょっと生活環境か交友関係かなにかそのあたりがやばい気がするのでもっとよい社会的な行動をしてる組織や個人とつながった方がいいと思うよ
理想論だけで行動が伴わない上辺だけの偽善者が嫌だというのは同感。
だが最近人権に関する本を読んだんだが、人権に関することに賛同・批准するのは国家にとっては、
外側から内政干渉を受けて人権を守るように圧力をかけられるので、
かなり都合が悪く、必ずしもそれ自体にメリットがあるわけではないのだそう。
でも多くの国が戦後いろいろな理由から建前上人権を大事にするアピールをしたので、
その後都合が悪くなってもそのシステムを守る努力をせざるを得なくなった、という流れがあるそう。
それで言えば、上辺の偽善者も少なくとも大っぴらに差別しまくったりはできない。
障害を陰でバカにしたヤツも、内心どれだけ差別心に溢れていても、みんなの前で表立って差別して障害者を足蹴にはできないはず。
だから、誰もが自分の心に正直に差別するような世界より、何割か嘘があっても差別がそこらに溢れず、
理想論を語る奴が昔から現実でもフィクションでも嫌いなんだけど、それは多分自分が何度もそれに裏切られてるからというのもあるんだろうな
弱者差別をなくしていくべきみたいに言ってる人が陰で耳が聞こえない同僚をバカにして笑ってたりとか、
なんかそういうの見て夢が覚めてしまうみたいなことが多くて、理想論に全然共感できない
平等な社会、差別がない共生社会、ハアご立派っすね笑になってしまう
全然そうするつもりがないんだよな本人に。自分の好きなものだけが平等で、そこで自分が快適に暮らしたいだけ
視界に入って欲しくないものは害されても全然気にならんのに随分夢デッカいな笑笑って思って何一つ共感できん
自分が見たいものだけの世界で自分が居心地良くなりたいってだけのことをきれいに話すのが上手いなあという感想しか出てこない
なので差別も偏見も全然このままでいいんじゃねってずっと思ってる いかんのかな みんな次のスケープゴートを見つけて追い込むだけなのになあ
理想を諦めたら社会は良くならない、と言うのは頭では理解してる。
だから理想としては差別はいかなる人もされるべきではないし偏見も無くすべきと思うんだけど、
その一方で、それこそここも含めて、ネットを見てればみんな心の中では見下す属性があり、
それが多くの人々で共有されていればその人らは敬遠されても仕方ない、という空気があるよね。
それこそ上で書いた障害を持つ人とか、理想としてみんな共生していこうと言うけど、
実際問題として自分の家の裏に障害者支援の施設が立ちますというとき、
そんなの冗談じゃないと言わないでいられる人がどんだけいるの?と思ってしまうのよ。
not in my backyardのことなら何でも言えるだけだろという苛立ちになってしまう。
自分が直接そのことに関わらないから、口だけならなんとでも言えるわなと冷めた見方になる。
自分はこう思うし実際こういう活動もしてる、って人の理想は別に嫌じゃない。頑張ってほしいと思う。
つまるところ自分は全然差別するし偏見もありありだけど、自分のもつ属性はバカにされたくない、
それをあたかも人権尊重とか差別反対みたいな綺麗事に包むその二面性が自分は嫌なんだよね。
俺が私が不愉快だからお前らは配慮しろってありのままに言って欲しいんだよ。
自分が嫌いで邪魔な奴にも平等公平であってほしいわけでは全然ないでしょ。
そういう実態を伴わない理想論者がすごく嫌で、そういう人の言う理想自体も嫌、と思ってる。
潔癖すぎるんだろうな。大人になればいいんだろうけど。