はてなキーワード: スシとは
離婚調停で月イチで日曜つぶれるって話とゲイのカミングアウトスタンスについての話
1話にしてはギスギスシーンっていうかシロさんピリピリしすぎじゃない?っていう視聴者からしたらドン引きシーン多くて、ぶっちゃけ微妙な1話だった
それでもけんじが好きだから気を使ってるってのはちらほらあったけど、ギスギスピリピリに比べるとあまりにもさらっと流されてて、バランス悪い
けんじはまあよかったけど、この感じだとハゲ隠しに短髪にするエピソードはやんないんだろうな
料理はうまそう
でも内野聖陽が食べるときに両ヒジついてるのがすんげー気になった
行儀わるって
シロさん注意しそうなのに何も言わない
まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋の星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。
現在の星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf
また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮の解説において、
然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレハ三月ヲ以テ大陽ハ白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽ノ位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ
というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。
1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、
獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍に散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定した
と述べて「雙子(雙女)」と記していることから、日本においてGeminiは1910年に女性から男性になった、と結論していいだろう。
ここで「黄道十二宮と黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮の名称は、西洋占星術がインドを経て中国に伝えられたときに漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。
西洋の天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称が存在していたということである。
実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。
ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称と認識されていたようである。このあたりは謎。
さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。
確かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定したから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。
これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったものを牡羊・牡牛に統一した、というわけである。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf
天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。
「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記が統一されている。
実は1908年10月の天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf
数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。
「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、
「黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。
それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。
残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。
最初に引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。
実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道を12等分したものである。初期には実際の星座とサインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。
天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。
以上より、「牡羊」「牡牛」という命名そのものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的なものではなかった。
何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊・牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。
余談。
星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年に学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。
以下のPDFからはそうした議論の雰囲気がうかがえるかもしれない。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf
西洋以外の特にアジアや南米、アフリカなどの文化を背景に持つファッションや美術品などに対して、文化的盗用と言われたり、
ホワイトウォッシングのような言葉が一般的になるなど、ポリティカルコレクトネスが広がっている。
しかし、多くの場所で言及されているように、アジア人が洋服を着ても文化的盗用とは呼ばれないように、
彼らが言う文化には上下関係があり、上にある西洋は下にある他の文化をパクらないようにしようねという暗黙の了解がある。
しかし、この過度のポリティカルコレクトネスは、不安の表れのように思えてならない。
アメリカの文化すごいじゃん、他の物なんかをモチーフにしなくてもよいじゃないか、
スシよりハンバーガーうまいだろ、オリエンタルなモチーフを混ぜて奇をてらわなくてもTシャツ、ジーパンでカッコいいはずだ、
という漠然とした不安の表れ。しかし、それを直接言うのはプライドが許さないので、
下の文化を盗まないようにと言っているのではないだろうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hihihiroro.hatenablog.com/entry/2018/12/31/122055
「英語で意思疎通ができること」を労働者に要求すべきなのかということとは別にして、つまりそもそもTOEICなんか要求するなバカという話は別にして、TOEIC800点って150円のジュース一本買うのに600円分くらいのコストを必要とするレベルだぞ。俺もTOEIC900点以上取ったことあるけど全然英語でのコミュニケーションなんかできない。指示書があればゆっくり読むことはできるレベル。600点とか800点というのは「文章の言語が英語であることが正しく判定できる」レベルだ。全く実用性は無い。「400点と900点で相対的に900点の方が優秀」などという愚にもつかない評価は止めるべきだ。400点の人間でも850点の人間でも英語の読み書き会話ができない事実には差がないからだ。「おら村一番ニッポンゴーにくわしいだ。これは太郎です。コンニチワー。スシテンプーラー」などと言われても何の意味もないことは容易にわかるだろう。あれが950点くらいだ。
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泥酔しながら書いた。
20XX年、スティーブジョブスシアターから中継される光景に、日本人は狂喜乱舞した。
ジョナサン・アイブが更迭されて間も無い中の発表会を、一部の信者は心配そうに見守り、残る大多数の一般人は期待を持って目の当たりにしていたのだ。
そこで発表された新製品は、大多数の一般人が求めていたまさにそれであった。
2018年のRetina 13インチは、皆が求めていたものだったが、今年のMacBook Airはさらに一味違った。
「OK、分かった。MacBook Airはスペックは平凡、その割には値段が高く、MacOSとデザイン以外、魅力のないラップトップだった。」
「それも今日で終わりだ。MacBook Airは、世界の第一線で戦える最強のラップトップに仕上げた。それは値段にも反映している」
「899ドル。世界で尤も安く買えるハイスペックUnixシステムの一つだ」(1アップルドルは105円とする)
特盛にしても2500ドルのMacBook Airは飛ぶように売れた。
なお、無印MacBookはCPUをArm 64bitとして、物好きどころか割とヘビーユーザーにもそこそこ売れた。こちらは599ドルから。
USB Type-Cも2つ付いたのは嬉しい悲鳴。重い処理はできないが、Armに最適化されたバイナリのAdobeもまあまあ動くし、Logicも動く。ピンク色の筐体が、オルチャンメイクで丸眼鏡な女子大生にウケた。
「Mac Mini買えばいいじゃん」
違う、そうじゃない、デカくて早くて(排熱が)燃えるように熱いMac Proが欲しいんだよ。GPUとかいっぱい積んじゃってさ、CPUもサーバのいいやつがよう。
「OK、小僧。用意してやったさ。これで好きなだけFacebookとTwitterをやるがいい。」
「おいちょっと待てよ、Thunderboltディスプレイ、Thunderboltディスプレイじゃないか。お前ちょっと痩せたか。ベゼルがないじゃないか」
Mac Proのお披露目の影に隠れるように、こっそりと。そうThunderboltディスプレイが帰ってきたのだ。
幾年ぶりかの再開に、マカーたちはサムスンとLGロゴの入ったディスプレイを窓から放り投げた。
CPUが新しくなった。価格は1099ドルから。なんか新しいRadeonが乗ってる。
CPUが新しくなった。価格は1299ドルから。こっちもなんか新しいRadeonが乗ってる。
訓練された貧乏信者たちは、涙を流しながら、メインボードを傷付けないようにそーっとメモリを増設した。もちろん保証は効かない。
iPhone XSとXRの登場はAppleの企業価値を大きく傾けさせた。あまりにも売れなかったのだ。
しかしそれも今日までだ。そうiPhone SE2、皆が待っていた小さいあいつがパワーアップして帰ってきたのだ!
既に世界の半分以上はLenovoを使ってるし、残りのシェアの大半をDELLが占拠していた。安価かつハイスペックなWindowsは、僅かなMacBookのシェアをさらに削っていった。
そして、中国のAndoroidのシェアが100%になった瞬間、iPhoneは既に過去のモノとなってしまったのだ。