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はてなキーワード: アカデミズムとは

2012-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20120116163545

別にアカデミズムに限った話じゃないよね。

反橋下の人たちは「ハシズム」とか変な言葉作って仲間内で千図利してる暇に

対抗馬になるべき人物を担ぎ上げるべきなんだ。ヴィジョン込みで。

平松はダメから新しい人物を。

下市長にアカデミズムが勝つ方法

まず橋下市長の敗北とは何かを考えると、市民の支持を失い次の選挙落選する事だと思う。

落選させる為には市民が橋下市長以外の人に一票を投じないといけない。

市民候補者たちの「何をやるか」という約束を並べて検討し、一番期待できそうな人に一票を投じる。

候補者約束に期待ができない場合のみ、消去法で一番不信感の低い人に票を投じる。

という事は「橋下市長のどこがダメか」を延々と訴え続けてて不支持率を上げても、

他に期待できる約束を提示できる候補者がいないことには確実に落選させる事は難しい。

市民は消去法など本当は選びたくない。

候補者のどこがだめか」よりも「候補者が何をしてくれるか」が大事なのだ

  

さあ頑張れアカデミズム。答えはもう出ている。

2011-12-01

著名な学者twitterブロックされた

ある高名な大学教授が、わたしを~~という理屈ねじ伏せようとする人のロジックが分からないという意味のことを言っていたので、

どういう論理になっているかをごくごく謙虚に説明した。

そうしたらブロックされた。

学者に、烏合の衆みたいな人間が噛みつけばそりゃあブロックされるというのも当然だが、

学問というのは反論に耐えた仮説にこそ信憑性があたえられるので、反論は歓迎すべきだし、

学者という人種はそれなりに丁寧で論理的であり価値がある反論をブロックしないのだとなぜか信じていた。

自分で言うのもなんだが、謙虚に、卑屈にならずに、素直に論理的に@を送ったつもりである

で、その大学教授(そういえばすでに退官しているかも)のタイムラインをみたら、

反論が多数寄せられているという意味のことを何度か呟いているにもかかわらず、その反論は表示されていない。

ひょっとしてこの学者は反論されるたびに相手をブロックしているのでは?と楽しくない邪推をしてしまった。

まあ、たかツイッターで、一人の学者有象無象の凡人を相手にするのだからブロックするのは普通にあり得ると認識していたが、

なんとなくアカデミズムに対する幻想が壊れた。

反論した人をブロックし第三者から反応の内容が読めないようにしてから、再び自説を主張するのは倫理的にまずいのでは?

たかツイッターから、こちらが学者幻想や甘えを持ちすぎていただけかもしれないけれど。

2011-10-14

ネット上にSPAMという名のゴミをまくライブドア

アゴラ

ご存知池田信夫主催ライブドア系オピニオンサイトリバタリアニズム標榜しているが、その実態はリバタリアニズムからは程遠い新保守主義。そもそも池田信夫という人物自体罵倒芸炎上しかなく、まともな議論が出来る人でもないためアカデミズムでもジャーナリズムでも傍流である

BLOGOS

ライブドアのもう一つのオピニオンサイト。こちらは有名無名関係なく様々な立場の人が参加しているため、まともなものから唖然とするデマまで玉石混交である特にライブドア自体に主義主張がないためか、左右関係なくゴミが集まる。稀に秀逸な記事が見られるが、査読されていないせいか藤沢数希やすくらむといったデマゴーグも紛れ込む。

2chコピペブログ

アルファルファモザイク痛いニュースと言った2chコピペブログコピペブログの大半はライブドアFC2に置いてある。ほとんどがエロDVDエロフィギュアアフィリエイトが貼ってあり、まず見た目が目障り。加えてデマ拡散ネトウヨ煽動、個人の炎上に対する燃料投下など、SPAMのかなでも非常に悪質である

2011-06-19

カオスラウンジ界隈雑感

http://togetter.com/li/151267

Togetter - 「カオスラウンジ騒動に対する、東浩紀村上隆の対話。」

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/151267はてブ


この梅ラボ関連の話題は、東浩紀の言うように、かなりめんどくさい。でも、思ったことをまとめていこうと思う。

n次創作著作権

なんというか、周期関数かとツッコミを入れたくなるぐらい同じ話題が繰り返されているような気がしますが、こういう創作に関しては、原則として「やっていけないものはない」という前提があります

極端な例示をするなら、「無差別殺人をしてその血をテンペラ画のように塗りたくって、最後にその包丁を突きつけなければ作品が完成しない」として、じゃあ人を殺してはいけないかケチャップじゃいけませんか、というとそうじゃない。

人を殺した代償として裁かれるのであって、人を殺していけないわけではない。

まり量刑と藝術を天秤に掛けて、藝術の方に重きがあるなら殺しても仕方がないでしょう、殺された人には気の毒ですが。やっぱり刑は嫌だな、となれば別な作品を探すしかないでしょう。

まり、何次創作を作るにせよ、著作権なんて屁じゃねーよ!っていう無敵の人にとっては「著作権違反だ!」も「愛がない!」も説得力ゼロなわけです。まあ私自身も、ああいう手法を以て「誠意がない」とか言う批判は正直アホだと思ってます

繰り返しますが、著作権は明らかに違反していますよ。あとは訴えられるかどうかです。そして、その訴えられたかどうか、刑に処されたかどうかというのは、作品評価の是々非々とは一切無縁だということです

むしろこの騒動自体は、騒げば騒ぐだけ大成功ということになりますし、私はもう成功したとみなしていますふたばがどうだ4chがどうだというキメこな起源の文脈はあまり本質ではありません。


引き合いにだすなら

たとえば、まあこういうところで引き合いに出されるだろうものとしてマルセル・デュシャンの「泉」があるでしょう。男性用小便器に署名だけして出品したあれです

今同様のことをするなら、それに小水でも引っ掛けて署名の代わりとし出品するでしょうか、もうされたかな?

作品に関して端的な説明とデュシャンの人となりはここが短くて分かりやすいかと思いますのでどうぞ(http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakaoku(06-7-31))←括弧付き年月日までURL

そしてもう一人、アンディ・ウォーホルも取り上げるべきでしょう。Togetterまとめの中では、鶉アイコンが今作とウォーホルとを態度の違いで「同列には語れない」などとアホ臭いことを語っておりますが全身全霊をもってスルーしてあげてください。(ウォーホルの言う「表だけを見てください」というのは、裏がないことを意味しない。逆もしかり)


今回の騒動は明らかにこういった系譜の延長上にあります。ゆえに、「もう面白くない」というのはまっとうな言い分であると私も思いますデュシャン以降、何が独創性たりうるのかという問題を突きつけられた芸術家達は、常にデュシャン意識せざるをえないのです。あの藝大アカデミズムから反動ガチ保守村上隆さえも。

最近の騒動界隈に対する雑感

このキメこな騒動(そもそもキメこなが使われてるのは一部なんですが)以前にも、近い話題としてChim↑Pomのいわゆる岡本太郎絵画に添えつけた「原発アート」の話題がありました。

これも同じく私は成功したとしている(というか基本こういうやり方もある、という人が界隈では多いのですが、社会との関わりもあって留保的な回答にせざるを得ない)のですが、権威を借りただけだどうだといろいろな反響がありました。

しかしながら、こうもたてつづけに同じような反応を見ていると、何かを感ぜずにはいられません。

藝術と法律というのは別レイヤーで処理されるべきものであり、例えば貨幣偽造にしても千円札裁判のようなものは、法律で裁かれるのはともかく、「裁かれたのだからこれは藝術ではない」と看做している人が一定数存在するような気がしてならないのです(すなわち、同じレイヤーとして法律>藝術という階層がある)

そして著作権違反だという申告をする人々らは、おそらくその人が裁判にかけられるということそれよりも、「こんな表現が藝術として認められるわけがいから、法律で裁いて非芸術にしろ」という動きのようにも見えるのです

それ自体はひとつリアクションなので、どうということはないのですが、様式美にハマっているような気がしないでもないです

(まとめ中で村上隆が「赤瀬川原平との呼応矮小化だ」とこきおろしますが、彼は矮小化意味をわかっていないのではないでしょうか?あるいは、本質であるところを意図的にずらして矮小化捏造しているのだろうか?もっとも、彼の態度は藝術と非藝術は明確な区切りがあると考える立場だと察するので、何か藝術階層から退けられる言葉があれば何でも良かったのかもしれませんが)


まあ僕の意見としては、こうして日本にも藝術が浸透していくのは大変喜ばしいことであり、みなさんどんどん騒いでください、というぐらいの感想です

2011-06-11

http://twitpic.com/59fviz

はてぶに上がってたから知ったんだが、ちょっと反論。

こんなビラを許すアカデミズムの劣化具合が恐ろしい

って言うのは、

説得方法として科学的には不適切である

ということを言いたいんだと思う。

しかし、科学についてよく理解している人が、科学的でない説得方法を使ってはいけないわけではない。

このビラの対象は「買い控えている人」であって、

そういう人はきっと「大衆同調する傾向がある」と予想して書いているのだろう。

それが正しいかどうか、効果があるかどうかは別として、なんらおかしいことではない。

悲しむべきは筑波大学学生(もしくは職員)が、そういう人間であると予想されていることだろう。

そうではないと願う。

もしどんな場合でも科学的に正しい説得方法を使わなければならないのなら、

女性を口説く時にでもそうでなければならないとでも言うのだろうか?

2011-05-08

モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得

元ネタモテる女子力を磨くための4つの心得 http://youpouch.com/2011/04/26/162331/

 

 

こんにちは現代思想文芸批評を専攻しているエス嬢です。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、現代思想に関してはファッショナブル。今回は、モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います

 

1.あえて近代人間観を飲み会に持っていく

あえて2~3世代前の人間観を持つようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく主体を過剰に根拠化してみましょう。そして「あ~ん!この主体本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「主体性とか詳しくなくてぇ~! ずっとコギト信じてるんですけどぉ~! 自律してるんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は生=政治を批判したがる習性があるので、古かったとしても構造主義的な人間観を持っているはずです

 

そこで男が「近代人間主義の客体化しないの?」と言ってくるはず(言ってこない実直な実証研究系の男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近アガンベンが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 本質としての主体欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなモダニスト★」と返します。すると男は「潜在性としての実存でしょ? 例外状態に集約されない共同体はまだ到来してないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんな<主体>幻想が欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでデカルト以降的人間観の脱構築に行けるというわけですあなた女子力が高ければ、男が文学における作者の死も宣言してくれるかも!?

 

2. テクスト批評不完全性定理を使うとモテる

人間理性の限界」とか「理系コンプレックス」などを表現する「不完全性定理」をテクスト批評に入れると、男性ポストモダニストは「なんかこの子アカデミズムに回収されないなぁ」や「対象aかも」と思ってくれます現代思想上では数学基礎論のイメージけが都合よく曲解されて相手に伝わるので 「不完全性定理」 を多用することによって、男性あなたポストモダニストらしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に自然科学者・数学者論理学者分析哲学者に嫌われますが気にしないようにしましょう。

 

3. とりあえず男には「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておく

飲み会などで男が女性に話すことといえばポストコロニアリズムフェミニズムの話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女伝統的な古典文学研究志向だな」と気がついてしまます。学究の徒だとバレたら終わりです。そこは無意味テンションをあげて、「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです

 

いろいろと話を聞いたあと、「脱構築正義で、テクストの外には何も無いんですね! 覚えたぞぉ! エクリチュールメモメモ!」とコメントすれば常にあらかじめ差延が発生。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「デコデコデコン! デコデコデコン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私のロゴス中心主義をデコンストリュクシオンしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子脱構築そのものをも脱構築し続ける運動を動的に受容してるのかも!?」と思ってくれます。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、こういうテクニックを使えば知識を持たない私のようなバカ女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。

 

4. レストランではレディースセットを食べられない娘をアピールせよ

男とレストランに入ったら、真っ先にレディースセットなどの女性限定のメニューを探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんです><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だってセクシャルマイノリティを排除するマッチョ論理じゃないですかぁっ! LGBTかわいそうですぅ! ジェンダー社会的に構成されるのにぃぃ~(悲)。わたし実は男の娘なんですよ……」と身を震わせて言うのです

 

その瞬間、あなた女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の男の娘だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけレディースセットを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「差別暴露がむしろ差別固定化再生産する」、「男の娘ネット上では既に市民権を得た」と言っておけばOKです

 

(文=現代思想批評家・エス嬢)

 

 

関係各分野の皆さんごめんなさい

 

 

蛇足(2011.07.10

「例外状態を実現する共同体はまだ到来してないよ」はおかしいのでは、という指摘がtwitterでありました。

http://twitter.com/kazukazu881/statuses/67421840242515969

くその通りですね。失礼しました!

2011-05-04

放送大学テレビ講義におけるジェンダーバイアス

放送大学テレビ放送ってたま面白いのがあるんで、メシを食うときなどに、勉強するでもなく、ぼーっと見てるんだけども、

多くはセンセイがひとりで喋っているのだが、たまに、アシスタント付きの授業がある。

センセイの話を聞いていて、相槌を打ったり、質問したりする、「学生に近い立場の、聞き役」の人がいる。

テレビカメラにむかってひとりでしゃべり続けるのはキツイとか、教室での講義のように質疑応答ができないって弱点を

補う目的などで、そのような形式になっているのだろうと思われる。

で、この、「アシスタント付き授業」って、私の観測する限り例外なく「男性のセンセイと女性アシスタント」なのだよね。

これ、私たちの社会においては圧倒的に「自然な役割分担」であるわけです。つまり、権威を持った男と、聞き役に回る女

これって、「たまたまアシスタントを付けるべき授業のセンセイに男性が多くて」「たまたまアシスタント女性が多い」って

だけのことなの?(たまたま、ってことはありえないと思うけどねえ)

例外(女教師と男アシ)もあるの?

アカデミズム内部におけるジェンダーナンタラカンタラってことでフェミニズムの人に怒られないの?

教えて放送大学ウォッチャー

2011-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20110316184940

大学教官ってさ、真理の探求は崇高だけど、知識を利用してなにか金儲けをしようとういうのは下賤だと考えてるでしょ。

博士号をとりアカデミズム世界で生きることこそ理想生き方で、就職は下賤とすら考えてる。

極端な人だと、理学工学より上だと考えてたりする。

学生にもそういうイズムは伝染する。

優秀な学生ほどそういうイズムにおかされやすいときてる。

2011-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20110123214731

東大って理一は工学部行ったら負けみたいな雰囲気あるの?

理学部って食えなそうってイメージ京大工学部選んだ俺。

入った工学部でも人生意味とか考えちゃった俺。

まー理学でも工学でも、アカデミズムで食ってくならなんか

ぶれないエネルギーが必要な気がするんだけどどうなんだろう。

少なくとも知り合いの理学部宇宙とかやってるやつはその次元の悩みは突破してる気がする。

それに基礎やるのが一概にいいとは思えないんだがあん競争きついとこ。

と、アカデミズムにあこがれていた自分は思います。思ったより人間関係ドロドロだな、と。。。

大学で食うにも、企業で食うにも、どういうスタンスで行くのかという心構えは持っていた方がいい気がします。

そういうのを考えるいい機会ではないのかな。折角東大なんだから周りの友人とそういうの話せばいいとおもふ。

2011-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20110123233257

就職する人間資本家の犬、知の探究こそ正しい生き方!」

理学は高尚で工学は卑しい!」

というのはいかがなものでしょう。

ささやかかもしれないけれど、なにか新しいものをつくるだとか、そうでなくても製造工程を見直して製造効率を高めるというだけでも、すごく立派なことだ。

事故なく発電所が稼働してくれてることで、こうして夜更かしだって出来る。

知の探究よりも、多くの人を幸せにすることが多い。

伝導性ポリマー青色LED発明が卑しいか?

ハーバーボッシュ法が卑しいか?

教育機関の中では、特に大学では、アカデミズム至上主義がある気がします。

現在教鞭をとっている人間ほとんどは、高等教育機関から高等教育機関教員になった人間で、アカデミズム至上主義から一歩も出ていないことがほとんどです

一方、民間企業に勤めると、利益至上主義の洗礼を受けたりします。

いったいなにが幸せへの切符なんでしょう?

金があれば幸せか?

知を探究していれば幸せか?

人望か?

よき伴侶か?

答えなんかないんです

自分は、金とも知とも関係ないところで、例えば早起きしてジョギングして汗を流しているときなんかに幸せを感じたりします。

あなたにも幸せが訪れますように。

2011-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20110119223813

いや、教育と分離した国語学」なんて存在し得ないんですって。

例えば「文法」ってのも国語学では扱うけれど、言語学において「文法的に間違ってる」って言葉はありえないんですよ。

ところが、国語学っていうのは「文法的な正しさ」、文学・文法・言語における「聖典」を構築する学派なんですよ。

いわゆる、モダンからポストモダンの移行期に「文学」と言われるジャンルが分派して

保守層国語学へ移行していった。国語学には教育分野から要請が強くあるからね。正しい日本語がなければ日本語教育は出来ない。

から国文学っていうのは教育アカデミズムなしでは存在し得ないジャンルだし、保守こそが存在意義。

それなしで存在している国文学があったら、それは「国文学」ではないです。単なる文学研究です

そういう学問から国文学」とジャンル分けされてるわけで。増田さんのおっしゃるとおりであれば、ジャンルわけいらないでしょ?

国語学国文学言語学文学の関係は、神学宗教学考古学文化人類学のそれなんですよ。

ほんと、いい加減なこと言うなぁ・・・。

ちなみに、「日本語学」は「言語学として日本語に特化した領域を取り扱う」という意味を指す場合もあります

国語学」は国の言葉を正しく構築する(ポストモダンの現代では「理解する」といった語彙は使われません)学問です

昔、ソシュール辺りの構造主義ショックがあったころ学者さんたちが散々大喧嘩して決めた住み分けですよ。

イデオロギーであることを自覚しながら必要に迫られて存在するのが国語学イデオロギーから抜け出すことを志向したのが言語学

これ重要

http://anond.hatelabo.jp/20110119223439

俺横増田なんだよ。元の議論も俺はあんたに賛同しないけど。まぁ、そっちは関係ない。

んで、言語学的に言えば「誤用」って存在しないんだよね。

言語ってのは変化するものだから。だから、「正」とか「誤」っていうタームは

言語学でなく国語学の上にあるものなんだよ。

んで、国語学っていうのは『国』って語が入るとおり、教育アカデミズムと結びついた権威学問で。

その土俵に乗っかってしまった以上、聖典批評と呼ばれるジャンルが適用されちゃうんだよね。

正とか誤を問題にした時点でそれは言語の問題ではな国語の問題だから

というわけで、増田さんの論点に立って「的を得る」は誤用です。でも、言語学的には誤用とかそういうのはないです。

2011-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20110106021617

元増田だけど

僕は芸術性というのは第一原理的なモノが必ず作用している、つまり普遍性を伴っていると考えている。

それゆえに時代性、歴史性を考慮した作品評価は商業的にはありだけど、芸術的に評価するのはどうかと思っているよ。

本当に芸術であれば全時代的に、マーケットに左右されず評価されるはずだし、そうじゃない作品はいくら御託を並べたところでそれは商業だ。

 

研究って言っても、最近工学部だったらメディアアートばっかり流行って娼婦たいな自称研究者ばかりだしそういうくくりだと研究クリエイティビティとは思えないね

理学分野でも日本科学者は科哲の教養が無いから、実際に何を研究しているのか理解していない。

小室さんはその辺が理解できてたけど、彼がアカデミック異端であり続けたことはつまりもう日本クリエイティブのあるアカデミズムは死んでるんだと思うよ。

流れというか流行と偉い人の意向に沿って、働きアリをすることがアートか?

たとえばそういう彼らがいくら新しい発見したところで、それは偶然買った宝くじが当たったくらいの価値しかなくて、一過性のモノでクリエイティビティとは言えないと思うよ。

2010-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20101223203954

割と労働三原則とか法定労働時間とか撤廃すべきだと思う。

あれは無能を甘やかすだけのツール。

ブラック企業がいるのはブラック企業需要があるからだし、その現実に見合ってない労基法改善すべきだよね。

これはひどい

上の発言の人が「日本アカデミズム現実を見てないか馬鹿にされる」と発言した人と同一人物だという前提で話すけれども、この人の言う「現実」というのは、そもそも、近代法大前提になっている「近代人権」を無視した現実。基本的に、「近代人権」の概念市民レベルで根づいているヨーロッパでは、この人が言うような「現実」は起こらない。なぜならば、そもそもアカデミズムによって強化されている「近代人権」の概念現実に照応されているから。

つまり、この人はウルトラスーパー自由市場絶対主義で、労働者保護法律が不十分ではあるがかろうじて働いている現実ですら、そのイデオロギーによって「基本的人権労働時間最低賃金)」等は無視してもいい現実に書き換えるべきだとおっしゃってる。

端的に言って、「日本アカデミズム現実を見ていないからばかにされる」のではなく、こういう人が、作為的に都合のいいように「現実」を作り上げようとしている、と言った方がいいだろう。

こういう人の言う事に従えば、核戦争ですら「現実だ」として回避しようとしない。まともに生きていきたいならば、こんな物言い同調する理由はどこにもない。

http://anond.hatelabo.jp/20101223195225

ん?

天皇が死ぬのと、泥酔して線路で寝てた馬鹿電車に轢かれて死ぬのが同じ扱いですか?

さっきも書いたとおり、そういう問題と人権の問題は関連がない。

死んだら困る人間と死んだほうがいい人間が君の周りにいてもね。

仮に君が死んだ方がいい人間に落伍した、しているとしても、君の人権保証されているから、ムキになんなくてもいいよw

人権平等じゃないよ。

君の「利害と信用に基づく君だけの人権定義」上ではね。

理念は大事だが、それだけでは誰も救われないって高校生でもわかるでしょう。

救う救わないという話じゃないんだよ。これは上にも書いた。

「救うべき、救われるべき」という価値観は、人権とは相容れない。

アメリカ学者理論だけじゃなく実践も重視して現実対応した主張が出来るから社会で信頼されるんだろう。

日本アカデミズムが軽視されるのは民度が低いんじゃなく学者レベルが低いからだからな。

そりゃあ、あなたのような大学生がいっぱい輩出されれば、軽んじられもするでしょうねw

いっそ街宣カーで、憲法から11である基本的人権の尊重についての、条文削除でも叫んだらいかがでしょうか?w

文系大卒事務職という信用でどこまで進捗できるか、僕も興味があるよw

2010-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20101211171403

まぁ、芸術権威システムってのは確かに事実っちゃ事実なんだけどね。アカデミズムとも切り離せないし

でも、それって「権威」の問題であって芸術の問題と違うよね。

芸術とはつまるところ権威であるって話になると、「ゲーム」や『漫画』も権威の後押しを受ければ

芸術足りえるって結論になっちゃうよね。いや、そうなんだけどさ。

要するに、本質的芸術でない創作物ってほとんどないんだよ。それは世の中の権威が決めること。

芸術本質なんて規程できないんだから

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101011021147

いや、というか。

お仕事とか大学における英語ってのは所詮ツールに過ぎないわけで。

お互いの意思と意味が的確に通じて、かつそれが内容として評価されればぶっちゃけなんでもいいんですよ。

我々はお互いの専門分野をとりあえず英語というツールを媒介に交換・伝達しているわけで、

言うなればエスペラント語がないからしょーがねえなと思いながら英語使ってるわけで。

だから、誤読がおきなきゃなんでもいいし別に誰も笑わない。

だってそこは便宜的に「じゃあ英語で」ってエリアなんだもの。

それよりは中身が超大事で、それさえ良いものならぶっちゃけなんでもいい。

だから、語るべきツールを得るのは職能の分野であってアカデミズムの分野じゃないのね。

国際教養大学大学という名には値しないと個人的には思うな、もちろんこれは定義の問題だから汎用性に乏しいけども。

2010-08-11

大学崩壊」の根本的な原因は、日本大学教育企業要請とかけ離れたアカデミズム偏重だからである。

企業の側も、特に文科系場合サラリーマンを長期雇用で使い回すので、特定の専門知識を持っているよりも素直で順応力の高い「便利屋」を求める。大学で何を学んだかはどうでもよく、「東大卒」の実績よりも「東大入学」の学力が大事なのだ。

だから極端に言えば、入学してからすぐに就職した方が、4年間の所得無駄にならない。入学の段階で目的は達成されるので、学生も真面目に勉強しないし、教師も真面目に教えない。何のために勉強するのか分からず、企業にも評価されない教育を4年間いやいや受ける日本大学社会的な浪費であり、学生堕落させてしまう。

しかし文科省は、いまだにアカデミズム中心で大学教育を考えている。審議会の委員も有名大学の教授ばかりだから、底辺の大学が崩壊している実態を知らないで、国際競争エリート教育の話ばかりしている。

もちろん哲学天文学のように直接役には立たない学問も必要だが、そういう分野は学生全体の1割もない。日本は一流大学でさえ世界の水準からみると遅れているので、研究水準を引き上げることは重要だが、これも全体の1割に満たない。

圧倒的多数の学生が求めているのは、もっと実用的で分かりやすい教育なのである。

http://anond.hatelabo.jp/20100811130053

アカデミズム維持は旧帝大を残しただけでは無理だよ、という主張だと思うんだけど……。

http://anond.hatelabo.jp/20100811122227

それってつまり国の都合で学問が使われてきたってことだし、結局日本にはアカデミズム伝統はないという結論?

http://anond.hatelabo.jp/20100811122108

研究者なら、アカデミズム維持の必要性を論理的に主張しとけばいいんだよ。

アカデミズムがない日本と今の日本を比べて

メリットデメリットあげて、トレードオフとるとアカデミズム維持した方がいいって。

一般企業にいようが、研究者だろうが、自分の正当性主張できない奴は干されるぞ

http://anond.hatelabo.jp/20100811121026

んなこたーない。それは近代西洋基準での狭義の「アカデミズム」にすぎず、それは西洋だってニュートン以後徐々に形作られてきたものにすぎんよ。

東大起源?昌平坂学問所からは普通に研究機関になってるけど?

日本で長い伝統のある大学がない(高野山大とか龍谷大とかは遡ろうと思えば平安時代鎌倉時代まで遡れるし、仏教研究に関して言えば非常に高水準だが)のは、単に支配階級や支配イデオロギーくるくる変わっていたからに過ぎない。不動の一神教があったヨーロッパ(やアラブ)と違うのはそこ。藤原氏大学金沢文庫足利学校が長続きしなかったのは権力闘争の結果だし、それであってさえ延暦寺信長秀吉家康が世俗化を推し進めるまでは学問の一大拠点だったし、そして家康湯島聖堂→昌平坂学問所の流れは蕃書調書などを経て東大まで繋がっている。

アカデミズム維持は必要なのか

http://anond.hatelabo.jp/20100811103612

アカデミズムが必要という前提だけど、本当に今のような規模が必要なのかは疑問

東大起源をみてもわかるように、もともと純粋アカデミズム日本になかったわけで

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