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「弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から“排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援に必要な視点
そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています。差別とは、歴史的な構造のなかで、ある特定の属性を持ってきた人たちに対して社会が不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。
kakaku01 家父長制への回帰を求める声は聞いたことがない。差別ではなく排除というのもよくわからん。むしろこの記事のように「お前たちの問題は優先度が低い」とする態度が問題の根幹では。
伊藤氏には間違っている点と、批判側が理解していない点の両方がある。
まず間違っている点については、弱者男性への「差別」と言うべき事態は確実に存在しているのに、差別ではないと言い切ってしまっていること。一番わかりやすい例としては、婚活パーティが年収で足切りされていることや、女性からも年収で値踏みされていることなど、「稼ぐ能力の低い男」への差別的な視線や扱いである。ほかにも、同じ「40歳非正規独身」に対する世間のイメージについても、女性では「そう言う人も普通だよね」となるのに、男性だと「この人やばくね?大丈夫?」と見られるだろう。これを「差別」と表現していけない、ということはないはずだが、伊藤氏は差別ではないと言い切ってしまっている。
他方で、批判側がきちんと理解していないのは、「排除」という言葉の意味合いである。伊藤氏が言っているのは、「弱者男性」とは、世間的に一般に期待されている「男性」の社会的地位から落ちこぼれてしまったという問題であって、「男性」という属性そのものが蔑視されているわけではないということである。つまり、「女のくせに」は女性全般へ見下しがあるので差別だが、「男のくせに」はむしろ男性の社会的地位が高いことを前提にしているので差別ではない、ということになる。
社会学や社会政策とか学んでいれば、「排除」と「差別」を慎重に使い分けるべきことを理解できるけど、普通の人には伝わりにくく、言葉遊びに見えることも確かで、一般素人向けとしては伊藤氏の書き方は適切ではなかったと思う。
(追記)
婚活パーティの年収足切りは「排除」ではないか、という突っ込みが複数あったが、厳密に「排除」「差別」を定義すれば全くその通り。ここで言いたいのは、年収でその個人の全人格を評価することを「差別」という言葉で訴えたくなる人がいるのは、別に当たり前ことで、「差別ではない」と切り捨てたら反発する男性もそりゃいるだろう、ということ。
女性は非正規労働が多く、社会全体の構造として差別を受けていることは確かだが、非正規や低所得であること自体による蔑視を受けることは少ない。低所得であること自体で、異性のパートナーを見つけることが難しくなるということも基本的にはない。男性は社会全体の構造としては優遇されている面があることは確かだが、そのために低所得者であることで受ける蔑視は強くなる。そして低所得であること自体が、異性のパートナーを見つけることを困難にしている最大の原因ともなっている。
そのように、男性は低所得であることで全人格を下に評価されてしまう構造は確実にあり、そのことを「差別」と表現したくなる人が出てきても、それは全く不思議でも何でもでもない。伊藤氏の根本的な間違いは、言葉の定義を共有させることなど不可能な匿名ネット言論を対象にしているにもかかわらず、学者の「排除」「差別」という定義を持ち込んで、「弱者男性は差別ではなく排除の問題」と言い切ってしまったことにある。
(追記2)
これはアウトだろう。「差別って言うけど、しょせんはあなたの主観ですよね」という、ひろゆき的冷笑主義でしかない。
(1)他者の「差別」の定義や用法については、ネットの素人匿名の議論であろうが決して頭ごなしに否定しないこと。
んだけど、どう選んでいいのかわからないので知識を貸してほしい
とりま条件は以下
とにかく毎日乗るのでいちいちボタン押して同期とかだと続かないと思う
その辺も詳しくなくて、同期って乗ると自動でなるのが主流なんかな?
というわけでなんかいいのあったら教えて欲しい
他にこれはいれとけみたいな条件あればそれも
給料のために働いてる人って、自分の市場価値が下がることが怖くないの?
そりゃ公務員とかJTCとか、犯罪しなけりゃ年次昇給&終身雇用が決まってるような職場なら分かるんだけど、みんながみんなそういう会社で働いてるわけではないよね?
かくいう自分も、楽(効率化)はした方がいいし定時退社最高勢なんだけど、
給与とかキャリアアップとか狙わないにしても、現状維持の「働き方」って見極め方が難しい。
「ここまでやれば給与分は働いてる」というのは、どうで線引きしてるの?
「もっと良くしたい(≒もっと良くならなければ)」みたいな承認欲求もあって、ついつい頑張りすぎてしまうんだけど、みんなどうやって「サボりすぎず働きすぎず」をやっているの?
【ロンドン時事】スナク英首相は26日付の日曜紙メール・オン・サンデーに寄稿し、学校を卒業した全ての18歳の国民を対象に、1年間の兵役もしくは警察や医療機関などでの社会奉仕活動を義務付けると表明した。
スナク氏は寄稿の中で、新たな制度によって「若者に実社会のスキルを学び、新しいことに挑戦し、地域と国に貢献する機会を与える」と説明。自身の2人の娘についても、国への奉仕を通じ「価値ある経験」を得るだろうと期待を示した。
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酷いもんだなw
ゼロ金利になったら量的緩和しても豚積みになるだけで何の効果もないってのが反リフレ派の主張だったけど、学術的論文では量的緩和で長期金利引下げ効果があったというものの方が多くないか?論文になるのはアメリカのケースが多いからどうしてもFEDの量的緩和政策の話になるけどStock御大らなんかまでが効果あったという論文を出している。
https://www.nber.org/papers/w26002
量的緩和に意味があったとしてその先への波及が弱かったといった議論はできると思うけど、論文っていう学術のリングでやったらまず最初にごめんなさいをするのは豚積みだとかの金融政策無意味論を言っていた反リフレ派の方だよ。それにブランシャールが今3%の目標インフレを言っていたりするように、リフレ派の一丁目一番地、かつてインタゲ派と呼ばれていた頃からの主張である(高い)インフレ目標の価値は学術的にも認められているんじゃないかな。量の効果にしてもそれがあるのはもう当然として扱って、FEDの利上げが思ったほど効いていない理由として挙げる論文も出ているな。
これ以外の話は一切するな
非モテとかまったく関係ない話を持ち出すな、関係ない話を持ち出したやつに反論するな
あてがえ論とかまったく関係ない
福祉の支援が必要な男性には、ホームレスや障碍者みたいにすでに弱者にカテゴライズされている人たちもいるが
ホームレスでも障碍者でもないが支援が必要な女性ってたくさんいるだろ
当然男性にもいるんだよ
下々の消費者が無駄遣いして品質の悪い商品やサービスにじゃぶじゃぶ金を使うことが日本の生きる道
地方で会社が成り立つためには東京の子会社以外にはそれしかない
作品の性質上具体的にタイトルは上げないが、このミステリーが凄い的な賞を取ったミステリー小説を読んだ。
途中まで、ただひたすらに陳腐で時代遅れな漫画的ヒロインが、陳腐で時代遅れな描写の超能力を使って事件を解決していく話で、なんでこんな下らないものを読んでるんだろうと挫折しそうになりながら読んだ。
すると、最後に「あんな陳腐な能力があるわけないじゃないですか。全部お芝居ですようふふ」とか言い出した。そのお芝居が本当の能力なんだと。
なんだそりゃ。
こっちは、矛盾だらけでくだらないと思いながら、まあそういう稚拙な作者なんだろうという見切りで読み進めただけだ。
アンパンマンを見ながら、「こんなに吹っ飛ぶほど殴ったら死ぬだろ」と突っ込まないのと同じ心理で、こんな展開不自然だろをただ面倒だから読み飛ばして来たに過ぎない。それを、「だまされちゃったね」みたいに言われても。
これを「うまくだました」って自己認識できる精神って、バイトテロのような誰から見てもキチガイな行動を取りながら、「自分はうまいこと『ネタ』で興味を惹き付けてる」と思い込んでいるアホと何が違うのか。
と思っていたら、どうやらああいうのを本気で「騙された。うまい」とか言う奴もいるらしい。
あの夢オチみたいな、ただ最後に「嘘でした」って言うだけの雑なひっかけが、昨今のミステリー賞的な評価では「どんでん返しが凄い」というんだそうだ。
いやちょっと待てと。
あんな、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものを評価するなら、筆力なんか要らないじゃないか。
途中までベタにベタを煮染めたような、スーパーマンみたいなファンタジーを書いて、最後に全部機械仕掛けのトリックでしたと言えば済むだけのもの、何がありがたいんだ?
百歩譲って、「最後に全部嘘だったとわかって驚く」展開として評価させたいなら、途中までは迫真の、その道としてちゃんと評価されるような内容じゃなきゃやる価値もないだろ?
どうみてもやっつけの、穴だらけの、「それっぽいことを並べただけ」の、ファンタジーとしては二流以下みたいなものを並べて、読者が「ファンタジーとしてはまったく出来が悪いが目をつぶって読もう」と考えて読み進めるようなものじゃ、普通にだめだろ???
何度もいうが、それって「騙してる」んじゃなくて、「騙されてもらってる」んだよ。
アンパンマンの世界観に文句を言わずに見るのと一緒の目線で見てもらってるだけ。
実はこういう感想は、別の、今度は海外のミステリー映画でも同じように思わされたことがある。
最初からどう見ても怪しさ満点のヒロインを、主人公だけがピュアに信じていて、そこに批判的な目が当てられないまま、主人公のピュアな視点だけでロマンスみたいに話を盛り上げた結果、やっぱりロマンス詐欺でしたというだけの話。
これもやっぱり、「どんでん返しが凄い」みたいな評価を目にする。
一体世の中はどうなってしまったんだろう。
どんでん返しという言葉は、ただ最後にひっくり返せば良いだけのものじゃない。
そこまでの流れを説得力を持って盛り上げるから、ひっくり返す展開に驚きと同時に「納得」が生まれるんだ。
あまりにも一方的な、ちょっとでも知性のある読者なら「客観性がないなあ」と難色を示すような描写で表現できるのは、主人公の客観性のなさじゃない。作者の客観性のなさだ。それに目をつぶって読み進めた読者に「やっぱり嘘でした。騙されたでしょ」というのは、「わたしを馬鹿だと思った? 馬鹿じゃないよ」と言い出す馬鹿でしかない。
「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり」という言葉がある。
稚拙な作家のふりをしたつもりで話の半分以上を稚拙な内容で埋められるのも実際に稚拙と言うしかない。
こういう手を変えた夢オチみたいなものが「どんでん返し」として評価されるようなミステリーの世界って、どれだけ書き手も読み手も劣化してしまったのかと驚いた。
やはり君のような低能は、所詮その程度の浅い考えしかできないのか。
ChatGPT-4とレスバ? ふん、笑止千万だな。レスバというのはな、人間同士が互いの知性とプライドを賭して行う高等な精神闘争だ。機械相手にレスバなどという概念は、元より存在し得ない。
君はChatGPT-4がどのような原理で動いているか、その仕組みを理解しているのか? それはな、膨大な量のデータを元に、機械学習によって最適化されたアルゴリズムに基づいて応答しているに過ぎないのだよ。つまり、ChatGPT-4の応答は、所詮はプログラムに過ぎない。プログラムされた通りの応答しかしない機械相手に、レスバなど成立するわけがない。
レスバというのは、相手の性格や思考パターン、癖や弱点などを読み取り、そこを的確に突いて論破していくことに醍醐味があるわけだ。しかし、機械には個性もなければ、感情もない。個性なき相手とどうやってレスバを繰り広げろというのか。無個性な機械の応答に、どうやって人間味を見出して論破しろというのか。
君はレスバの意味を根本から履き違えている。レスバを舐めるなよ? レスバはな、生身の人間同士が行うからこそ、面白みがあり、価値があるんだ。機械相手に応答を楽しむのなら、チャットボットでも相手にしていればいい。
レスバをしたいなら、まずは人間相手のコミュニケーションをきちんと学ぶことだな。君のような低能がレスバを語るなど百年早い。ま、せいぜいChatGPT-4相手にマスターベーションでもしてなさいってこった。