はてなキーワード: ホモ漫画とは
そして気づいたら辞めているものだ。
そういうものでいいんだ。
マニアックであり続けようと考えるな、素直に楽しめ。
他の連中よりも知識を高めようなんて考えるな、自分が知りたい事を知りたい分だけ知れ。
勝つために技術を磨くな、技術を磨くことが楽しいから技術を磨け。
あり続けようとするものでもない。
なくなっちまったら無理をせずオタクでなくなった事を認めればいいんだ。
オタクであり続けようとか、オタクとして高まろうとして無理するのはやめろ。
無理してそのクールのアニメ全部見ようとして半分近くに文句垂れてるようなオタクが俺は大嫌いなんだ。
無理してジャンプ全部読もうとして銀魂やヒロアカに文句つけるのが粋だと思ってる連中が気に食わねえ。
娯楽なんてのはな、嫌なら見るなでいいんだよ。
無理すんな。
ないだろ?
ないだろ?
そういうもんだ。
無理すんな。
トランプが大統領になったので、もう一回キャップについて書く。
キャップってのは、キャプテン・アメリカの愛称だ。知らない人は知らないと思うのでざっくり説明すると、アメリカの大人気漫画の大人気主人公だ。映画にもなったんだよ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160525-00058032/
まあ、要するにキャップがホモだって設定に変更してくれって話だ。もう、本当にうんざりしたんだが、これがトランプのいう「過剰なポリコレ」のひとつだ。
世の中には同性愛者がいる→わかる。同性愛者は一定の割合で存在する→わかる。同胞の一員である同性愛者の権利を守るべきだ→わかる。
フィクションの登場人物にも同性愛者がいるべきだ→そうだろうね。世界の反映としてフィクションの人物も一定の割合をホモにしてくれ→なにいってんだ? キャップをホモにしてくれ→意味わからねえ。
「キャップがホモだなんてとんでもない!」っていったら「お前は差別主義者だな死ね!」って炎上する。そういうのがポリコレの現場だ。
同性愛を主題にしたフィクションを否定してるわけじゃない。そういう作品はいっぱいあっていい。同性愛が主要テーマではない作品の登場人物が同性愛者でもいい。面白ければ大歓迎だ。
ただ、そういうのが欲しけりゃ、自分で作れよ。なんで「他の人が作って、もう走ってるものを、自分たちの権利のひとつとして要求する」んだよ。
創作の世界ってのは、「なんかいい感じのもの」を作ることによって前に進んできたんだよ。誰かが何か格好いいヒーローを考えたら、それにインスパイアされたり、対抗意識をもったりして、俺ならこういうヒーロー書くね、いいや俺なんてもっとスゴイの考えたんで書くぜ! そうやって互いに影響を与え合いながらどんどん作品が増えて豊穣になってきたんだよ。それは大傑作の純文学や名作映画から、取るに足りないエロ漫画まで全部そうなんだよ(お前のおっぱいの描き方柔らかそうで新表現だな!? 俺もやってみる!!)。
豊穣にしてあたらしい流れを生み出して豊かにするためには「なにか良いものを生み出す」んだよ。皆そうやってきたんだよ。本当にポリコレの世界を広げたければ、ポリコレをテーマにした、あるいは表現技法として昇華した、すごい作品を作れよ。それが素晴らしかったら、みんな真似してそういう作品が連鎖して広がっていくよ。それが豊かになるってことじゃねえか。
腐女子の書くBL作品であったって、それを「書く」と一点では尊いよ。もし腐女子が「キャップホモ漫画が読みたい」って思ったら、「キャップは本当はホモだって公式に訴えよう!!」なんてまだるっこしいことはしない。ヒゲダンディなトニー社長が摩天楼のスイーツでベッドヤクザなホモ描くよ。マンモーニなことを奴らはしない。二次創作についていろいろな意見はあるけれど、「実際手を動かしてその素晴らしさを表現しようとしている」という一点で、彼ら(彼女ら)はポリコレ棍棒勢よりずっとマシだと思うよ。
「フィクションはかくあるべきだ」とか、しったこっちゃねえよ。「登場人物の20%は黒人であるべきだ」とかうるせー。深夜アニメなんて男女比でさえ守ってないんだぞ。なぜかっていえば、どこかのだれか(あかほり大明神とか?)が「色んな種類の美少女がでてきてきゃっきゃするのってすげえイイじゃん?」ってつくったら、それがいい感じだったので「俺もやってみる!!」ってみんなが作ったからだよ。それが気に入らない人がいるのはわかる。気に入らないのは全然いいよ。大歓迎だよ。その気持は「別の何か」を生み出すきっかけになるから。だから、「別の何か」を作れよ。
ジャンルやテーマを否定してなにか新しい流れになるなんてことはないんだよ。異世界転移作品をいくら叩いたって、叩いたことで何か素晴らしい別のものが産まれることなんて、ない。ましてや、すでに人気のある伝説的な作品をよってたかって捻じ曲げようとするその創作的な貧しさときたら、言語に絶するよ。
婆からしたらマーガレットと言えばちょっとリア充寄りのお姉さんが読む漫画イメージで絶愛が出たときにはあのマーガレットがオタク向けにホモ漫画を?!と衝撃が走ったような雑誌で、さほど読んでなかったのだが気がついたら最近結構読んでいて外れなしで面白かった。最近読んだのを並べてみる。
脳内で面白い妄想をしている女と人の心が読める王子キャラのラブコメ
不器用で取り柄がないと本人は思っているが、すべての人を家族のように愛して愛される眼鏡少年の優しい世界の漫画
優しくて可愛い女がデブスで家庭環境も悪くて性格も歪んだスクールカースト最底辺の女と体が入れ替わるサスペンス
他人の個人情報バラまいたり、バイト先のゲス自慢したり、裏垢で全裸画像うpしたりといった事。
なんJ民は既にハッセや尊師といった実在の人達の個人情報をバラまいたり、エロ漫画やクレスケンス等ホモ漫画を違法うpしたり、
アフィサイトことまとめブログに凸して個人情報どころか全ての情報を暴いてISILとかアルカイーダとかの入隊募集に勝手に応募したり
最近ツイッター民は、徐々になんJ化してる部分があるから、今更かもしれないけどあえて言わせてもらう。
ツイッターにはIPが存在するから犯罪行為をすれば情報開示請求された場合、2ちゃんねるより遙かに早く開示されて不幸な事になりかねない。
気がついたら嘘ばっかりなのはどうしてそうなっているんだろうか。
別にたいしたことじゃないんだよね。ただ、根がキモオタだから、隠そうとして、嘘ついてしまう。
あとはちょっと見栄はったり。そんなに大きいウソじゃない。嘘っていうか、見栄というか、愛想というか。
けど、そのせいだけじゃないと思うけれども、誰ともうまくやっていけない。
大学が工学系だから、周りにオタクはたくさんいる。みんな、アレが好きこれが好き、いっぱいある。
隠して居ない人もたくさんいるし、友人も結構ゲームやアニメの話をする。
研究室でゲームやってる奴もたくさんいる。(研究しろって話はここではおいといてほしい)
なのに、誰とも噛み合わない。うまくいかない。もっと仲良くなりたいと思う人とは全然話が合わない。
絵より文をかくほうが好きで、ゲームは家よりゲーセンでやるほうが好き。家でやるのはエロゲぐらい。
ソシャゲもやるけど、周りはあんまり興味なかったり、違うゲームをやっている子が多い。
私は腐女子だけど、周りの子はほとんどそうじゃない。だからそういう話もしない。
自分は声優にはあまり興味がないけど、周りは皆好きな声優がいて、写真集を買っていたりする。
男性ボーカルより女性ボーカルが好みだけど、周りが話題にしているのは、いつも男性ボーカルのグループ。
あとドラマも俳優もほとんど興味がないけど、でも周りは皆ちゃんと見ている。
気が付くと、研究室で同期の男子と艦これやパズドラ、新しいPCについて楽しく話している時間のほうが増えてしまっている。
俗に言うコミュ障ってやつなのかもしれないけど、なんだかすごく生きづらい。
誰かを遊びに誘うっていうことがほとんどないし、当然逆もない。
もっと周りに合わせて色々見ればいいんだろうと思うのに、気がつくと自分の好きなことを追っかけてる。
三次元のイケメンより二次元の美少女のほうが好きで、少女漫画よりもエロ漫画とホモ漫画ばっかり読んでる。
そしてそんなだから、周りには何も趣味について語ることがない。
皆のポケモン楽しいとか、声優の誰々がカッコいいって話を聞いているだけ。
ネット上ではいくらでも語る相手がいるけど、なんだか最近とても虚しい。
ホモ漫画・ホモアニメのせいで、もはやそれがバトル漫画である事さえどうでもよくなる。
世の中には「お前と戦うのは(ホモをヤるのは)この俺だけだ」とか「(ホモを食べる事について)僕の物だぞ」とか
正直気持ちのいい物ではない。
ホモ漫画・ホモアニメが世の中に蔓延るようになってから、普通のバトルとか女性のヒロインのいる作品がお座なりにされ出してる。
しかしながら、作者の力量は関係なく、男がホモ行為に走ってしまうのは理由があるからといった切り口でやはり展開されるからであり、
それは普通のバトルとかヒロインが出てる事すらも凌駕する圧倒的な腐女子人気が反映されて、実は無かった物にされる。
要するにホモに走る漫画やアニメでは、こうした要素は徐々にフェードアウトする運命にあるわけだ。
そして久し振りにバトルやヒロインが出て来ると、実はずっとそうなってたのにも拘らず、懐かしさすら覚えてしまうのである。
いやそれどころか、気付かない内にヒロインの整形疑惑が持ち上がる程、顔かたちが変貌を遂げてしまった(ように見えてしまう)。
バトルにしても絶対負けない戦いが主人公を中心に行われる。
ジャンプでは、以前は切磋琢磨してヒロインと約束するなどして成長してバトルを勝ち上がっていくのが王道であり、またそれ以外では未熟さが露呈したりして敗北し、
それもまた同様に王道だった。
ホモ化してしまうとこうした熱い、甘酸っぱい青春ですらどうでもよくなってしまう。
もはやその作品世界にはホモ以外何もいらず、ヒロインの存在がそのまま男ライバルに取って変えられてしまい、感情移入してきたそれは、いつの間にか自身がホモセクシャルになったかのような錯覚と吐き気と眩暈を催しかねなくなる。
それでも慣れてしまうと、読み手はホモを許容するようになるから不思議である。
しかしながら、ホモ漫画はジャンプのような少年漫画でなく、少女漫画や青年漫画でやるべきである。
私は元々腐女子だった。
小学生の頃から漫画やゲームが好きで、中学生になると地元の同人誌即売会や年二回のコミケに足を運び、
少ないお小遣いを握りしめホモホモしい漫画や小説を買い漁っていたものだった。
地味で根暗であったため学校ではいじめられっこで友達はいなかったものの、オタク的活動を通して腐女子仲間がたくさんできた。
私の見た目は相変わらずモサかったものの、一応美容院に行ってみたりファッション雑誌を読んでみたりと徐々に色気付きつつはあった。
ファミレスでだべったり、ゲーセンで遊んだり、一緒に買い物をしたり割と普通な恋愛を楽しんでいた。
中学生になるかならないかの頃からホモ漫画を読み漁っていたため
性的な事にも興味津々だった私は、ホテルに誘われてもあまり抵抗することなく
あっさりと初めてを捧げた。痛かった。
彼氏ができてから私はオタク的イベントにあまり顔を出さなくなった。
イベントに参加してまで萌えを共有したいという情熱は消えてしまった。
ちょうどインターネットが普及した時期でもあり、萌えの発散の場はネットで十分だった。
まあ若かったのでその初めての彼氏とは1年足らずで別れてしまったのだが、
運が良かったのか悪かったのかすぐに次の相手は見つかった。
それから現在アラサーに至るまで、付き合ったり別れたり浮気したりされたりまあ人並みに恋愛をしてきたのではないかと思う。
いじめ経験から対人恐怖症気味ではあったが、いじられキャラを装う技術を身に付けたおかげでオタ以外の友人もそれなりにできた。
見た目もそれなりに気を使うようになり、下の下のモサ子から中の下くらいにはなったと思う。
大学生くらいまでは友人のサークルの売り子としてコミケに参加する事もあったが、
社会人になってからはさすがに腐女子仲間とは疎遠になり、イベントに参加する事もなく、時折mixiなどで近況を知る程度になってしまった。
一人暮らしになったため大好きな漫画も置くスペースを考えるとあまり買えず、たまに漫画喫茶で読むくらいになった。
あまりやり込むこともなく、とりあえずクリアするだけとか、クリア前に投げてしまったりとか
ひどいと開封すらせず積みゲー化させたりするようになってしまった。
現在も普通に彼氏はいるし、年齢が年齢なのでぼちぼち結婚の話も出てきたりなんかする。
彼氏はガチオタではないものの、いい年してジャンプを毎週欠かさず買っていたり
モンハンの新作が出るたびに睡眠時間を削って狩りに励んでいたり、まあ普通に漫画やゲームの話をしても引かれることはない。
そんな感じですっかり腐女子を卒業し、ちょっとオタ趣味のあるフツーの人になったと思っていたが、
ぶっちゃけ彼氏の事を考える時間より遥かに長い時間を妄想に費やしている。
便利な時代になったもので、私はこの数年ぶりに顔を出した激しい萌えを消化すべくネットの海へと飛び込んだ。
カップリング?ああまあ何でもいいや。とりあえずあのキャラが見られれば。
(私は元々カップリングにはあまりこだわりがない。雑食である)
とりあえずあのメインキャラとの絡みが多いからアレ×ソレが王道みたいだな。
ああん甘いセリフを吐くあの人が見たいようあの人が乱れるシーンが見たいようあんな事やそんな事になったところ見たいよう
だが。
何だか違うのだ。
思っていたようなドキドキは得られなかった。
そのジャンルの全てのサイトを見て回ったわけではないが、何だろう、何か違う。何か足りない。
恋焦がれたあのキャラと誰かの濃厚な絡みを見ても、夢中になれない自分がいる。
そして気付いてしまったのだ。
これまで自分が経験してきた恋愛と、画面の向こうの誰かが考えたストーリーとを、無意識に重ねあわせてしまっている自分に。
「こんな展開&シチュありえねーよ」と心の何処かで感じてしまっている自分に。
妄想は萌えだけを追求して然るべきなので、そこにリアリティなど盛り込む必要はない。
書き手に非はない。読み手である私の問題だ。
何故だ。私は萌えが欲しかっただけなのに、何故こんな風に冷めた目で見てしまうのだろう。
現実の男を知ったからと言って、二次元の萌えを純粋に楽しめなくなってしまうなんて、あまりにもひどい。
もちろん彼氏がいても結婚していてもホモ萌えする人はたくさんいるだろう。私の周りにもそういう子はいる。
でも私はだめだったのだ。
それに気付いた瞬間、とても悲しくなって、ああ、中学生の頃の純粋に同人活動を楽しんでいた頃の私は死んでしまったんだ、と思った。
もう6年付き合ってる彼女がいるんだけど、大学のサークルで出会ったのでまあお互い少ない選択肢の中から選びあったような感じで、さすがに考え方なんかはすり合わされてきたものの趣味がぜんぜん合わなくて、というかこっちは合わせてるつもりなんだけど彼女の方がまったく歩み寄ってきてくれなくて寂しい。
自分の趣味を人に押し付けるなんて愚の骨頂だとは思うんだけど、自分が音楽、特にジャズが大好きなのでこれを共有できたら楽しいだろうなあっていつも思う。自分は演奏もするのだけど、カップルで揃ってセッションに来てる知り合いなんかを見るとどうしても嫉妬してしまうんだよね。
彼女は能動的には聴かないもののクラシック音楽はまだそこそこ許容できるみたい。ただ子供の頃ピアノをならっていたことがあって、そのせいなのかピアノ至上主義的なところがあって「アンサンブルを聴く」という概念が理解できないよう。
以前、まずは聴きやすいところから、と思ってエヴァンスのトリオを聴かせてみた事があるんだけど、
「なんか…シャーシャーいってるのと(ドラムス)とブンブンっていう音(ベース)が邪魔…」
って言われて、ものすごくショックを受けた。そんな風に受け取る人もいるんだ…と。
他にもジャズに限らず色々おすすめしてみたことはあるのだけど、そのたびに返ってくる感想が、
「ごめん、わからない…」
そうかあ、「わからない」かあ…と思ってこっちも言葉をなくしてしまう。決して難解なものを聞かせてるわけじゃないんだけれど。
「そっか。俺はサビのところの盛り上がりが好きなんだけどなあ」
とか、
「この奏者はね、一度脳梗塞で記憶喪失になって楽器の弾き方も忘れちゃったのに、そこから頑張ってまたプロに返り咲いたんだよ」
とか、
とか、なんとかフックを探そうとしてるんだけど(しつこくならないように数ヶ月くらい間を空けつつ)、でもやっぱりだめ。答えは頑なに「わからない…」。
耐えかねて「音楽って別に『わかる』ためのものじゃないんだよ」って言ってみたこともあるんけど、「それは頭ではわかるんだけど、実際に聴くと、とにかくわからない。何がわからないのかもわからない。ごめん」って心を閉ざされて撃沈。
俺が諦めずに断続的にトライしてるせいで、最近は彼女のほうも「音楽に興味を持てない自分」を申し訳なく思ってしまっているようで、そういうのは俺としても本意ではない。
ちなみに彼女はオタクで、アニメのオープニングとかキャラソンとかはちゃんと受け入れられる。映像とか視覚的イメージが付随しない純粋な音楽というのがだめみたい。
某野球漫画のホモ同人にはまっていたときに野球に興味を示していたので、ジャズを題材にしたホモ漫画でも描こうかと思ったこともあるけど、音楽を漫画で表現とか難しすぎて放り投げた。
こういうのって彼女には本格的に音楽のレセプターがないんだと思って諦めるしかないのかな? 俺って趣味を押し付けてくるうざい彼氏なのかなあ?
なんかこれは増田で書くことじゃなかったかも。たぶん、この問題の一番の根源は俺に友達がいないことだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20070624124250
んじゃあ私も書いてみよう。 *論点がズレたので修正して再ちゃれんじ
それは女子向けではなく、いわゆる冒険少年アニメ。異世界とかメカとか出てくるやつ。とにかく異様に面白くて、今から思えば男の子同士の友情やら関係やらを見るのが楽しみだったんだと思う。学校では友達と交換日記をしたり、小説を書いて読みっこしたりしていた(健全)。
当時ジャンプはエロ路線が強かった。兄ちゃんちから持ち帰ったのか面白かったから自分で買ったのか不明だが、電影少女とバスタードでオナニーを覚える。なんか、親とかきょうだいが居る部屋でもぞもぞしてたような記憶もあったりして思い出すと死にたい。あと、何を考えたか親に刑事もののもろエロ漫画を買わせたこともある。なんであんなことをしたんだ。そんで思い出せないあの漫画が何だったのか今でも知りたい。
中学に上がった、まだ腐友は現れず、一人で色々開拓した
もともと読書が好きだったので、コバルト・白泉社・りぼん・ジャンプを経ながら、本屋で買える商業BL漫画と小説にもいった。お約束の高河、クランプ、尾崎。当時目立っていたルビー文庫。男女の本も面白かったけど、恋愛ものは男同士の本のが私にはより面白かった。そして、より興奮した。当時は腐女子って言葉はなかった。ボーイズラブもメジャーな言葉ではなかった。たぶん「じゅね」とか「やおい」かな。あと「アニパロ」? 私は脳内では単にホモ漫画ホモ小説、と呼称してた。人生の本、友情の本、男女の本、BLの本。色んな世界を知ったり、考えたり、感動で泣いたり、オナったりした。図書館にあるような本もいっぱい読んだ。とにかく、授業、お喋り、読書、創作、と虫みたいな日々。
これが自分の生きる道、と定まってくる時期なのか、グループ分けが明快になってきて、本好き漫画好き創作好きーな人々がわらわらと目につくようになる。貸し借りや話しをするようになり、同人誌の存在も知る。ずっとオリジで小説らしきものは書いていたので友人のハマっていたジャンルの同人誌にゲストしたのがきっかけでパロディのサークル活動を始める。パロでやおい的関係を書くのにもまるで抵抗はなかった。好きな漫画だったのでキャラは頭に入っていたし、セリフもするする出てきたし、その登場人物を動かすのは楽しかった。
それからずっとハマって、読んで、書いて、の無限ループ
が現在まで続く。もちろん他の遊びとの熱中度により濃淡はあるものの、自分で書くメインのジャンルはもう10年以上、あとはその時々でイイ!と萌えたものを追いかける感じ。ホモ書いてるほうが楽しいので、いつのまにかノーマルものやオリジナルものは書かなくなった。読むのは今でもなんでも読むし好き。
腐女子のわたしと、婦女子のわたし
大学構内には腐友は一人もいなかった。腐な話も一切せずに交友関係を築く。サークルに入り健全キャンパスライフ、一方帰宅後や休日には腐としてサイト開いたり小説書いたり同人出したりイベント行ったり、という完全二重生活。それぞれの場所で友人はカブっておらず、会話もそれぞれまったく違う話をして盛り上がっていた。2つとも手に入れたみたいでそれが楽しかったし充実していた。実際かなり忙しなかった。
その傾向は社会に出ても続く。たまーに会社で腐レーダーによりお仲間を見つけ出してびびったり、声をかけたりしてみる。そういうときは「え?!なんでわかったの?!まさか同じだと思わなかった!」と驚かれるので、なかなかうまく隠せているらしい。腐の面を持たず普通に生活するより、単純に友達が2倍になってる気がする。TPOをわきまえる、女子としての幸せ(安穏)も捨てない、ホモ妄想も捨てない、そういうのを目標にしてこれからの人生生きていくつもり。まあときどきじれったさはあるけれど、どっちも好きで必要だから仕方ないかな、と割り切った。
彼氏もいるけど腐であることを言ったことはない。言う必要もないと思ってるし、説明できるもんでもない。見た目と違って意外に漫画に詳しいな、とは言われたことあるけど。私が彼氏に延々興味のない野球の話をされたらきっと退屈だろう。同じように、彼氏もきっと私に延々腐な話をされても退屈だろう。だから、趣味の合う分野の読書とか映画とかキスとかで盛り上がる。
こうして隠れ腐女子ができあがりました。こんだけ世間に「腐女子」というレッテルのイメージが広がってしまうと、もう今からはますますお仲間以外には名乗ることはないんだろうなー。