はてなキーワード: グシャグシャとは
「こどっさん」と呼んでた
基本的にはみんな、
こどっさんのことは別に嫌いじゃなかった
冬になりかけぐらいのある日、
こどっさんが寺の外にいるのを見かけた
その様子が普通じゃなかった
火かき棒持って顔を真っ赤にして走り回っているが
声をかけても全然聞こえてない
俺らは、もともとおかしかったこどっさんが
ついにトチ狂ったと驚いて、家に走って帰り
「こどっさんがおかしゅうなった!」
それに俺らが走ってついていくという形になった
ついにこどっさんを発見したけど、
こどっさんは血走った目で取り乱していて要領を得ないし、
すばしっこく動いて大人にも捕まえきれない
そのうち集落のはずれに停まっていた
白いバンの窓ガラスを火かき棒で叩き割った
「キャー!」
という悲鳴が響き渡って、
俺もついにこどっさんが
妙に他人事みたいに考えてた
でも白いバンの様子がおかしい
中から誰も出てこないし
エンジンをかけて移動しようとしているし
それをこどっさんが棒でガンガン叩きまくっているし
ウチのはす向かいのお爺さんが突然
と声を荒げた
何を言ってるんだろう?と
みんなが思っているとバンの中から
「お爺ぢゃーーーん!」
とまさにC実の声で叫んだ
なんとC実が拉致されるところだった
駐在さんを呼んで一件落着
C実は衣服が少し乱れていたけど
他には何もされていなかったし
何より顔をグシャグシャにして泣きまくっていた
寺の掃除をしていたら、
棒を持って寺を飛び出したということだった
俺が何より驚いたのが
思い込んでいたこどっさんが、
事件後一番ブチ切れたのはC実のおじいちゃんで
「お前ら全員たたっきってやる!」
と大暴れしていたのを
C実のお父さんに羽交い絞めで止められていた
寺の手伝いしてたけど
一昨年、病院で亡くなられたこどっさんを思い出しつつ
投稿してみた
ギャグアニメとか割とどうでもいいようなシーンでも「よかったねぇ、よかったねぇ」って泣いたりするし、
最終回なんかは初見のアニメでも最終回ってだけで泣きはじめたりするから自分でも自分の泣くスイッチがよくわからない。
でも、人と一緒に見てたらわかりやすい泣きシーンでもちょっとうるうるするぐらいで済むので、
意識してないけどいろいろ抑制する仕組みがあるのだなあと思うと同時に、
一人でアニメ見てるときはめちゃくちゃリラックス&集中してるんだなーと実感する。
そういう時間を一定量確保するのは大事な気がしたから、今後も大切にしたい。
なんかよく定期的にちらっと話題になる、湯シャンを始めてみた。
湯シャンってのは、髪をシャンプーも石鹸も使わずにお湯だけで洗うっていう洗髪方法ね。
俺はこれに合わせて身体にも石鹸を使わない、もう完全なるお湯洗いマン(29)に進化しつつあるんだけど。
実は数年前から、身体をお湯だけで洗うようになった。
タモリのなんちゃら方法とやらをネットで見たのがきっかけのただのミーハーだったけど、
アトピー持ちでもあるし、ていうか清潔にし過ぎない方がいいみたいなこともよく聞くしで、なんとなく始めた。
最初はちゃんとお風呂に入って、その後に軽く肌を撫でる感じでシャワーのみで汚れを落とすイメージ。
だけど、途中から風呂用意するのが面倒になって、ていうか肌を撫でるのすら面倒になって、シャワーで流すだけになった。
それでも、足の指、足の裏、ワキ、ティンティン、*、あとたまに耳の裏はちゃんと石鹸でしっかりと洗ってた。
まあ、その程度だったからか、夏場でも異臭を発することもなく、一般社会に溶け込めていた。
で、気付いたらそんな状態でかれこれ数年が経過していたんだけど、
最近なんとなく髪をばっさり切って短くしたのと、ちょうどシャンプーとリンスが切れるタイミングが重なった。
そこで今度は思い切って、洗髪もお湯だけにしてみることにしたのが一週間前。
実はこれまでずっと、夕方くらいになると髪が脂っこくなって痒みもあって、頭皮を指でこすって嗅いでみるとなんか臭いのが気になっていた。
湯シャンをするとそういった脂っこさや臭いもなくなるなんて都市伝説がまことしやかに噂されていることは知っていた。
それでも効果が出るまで半年から数年はやり続ける必要があるってことだったし、それなりの覚悟をもって湯シャンに臨んだのだ。
ついでにノリで身体の汗かくところもお湯洗いのみにしてみた。
そして今日が一週間目なんだけど・・・意外なことに、早くも効果が出てきているっぽい。
ていうか、一日目から効果抜群な様子で、むしろちょっと困惑している。
まず、頭皮を指でこすって嗅いでも、あの独特な脂の臭いがしなくなった。
夜にシャンプーとリンスして、寝て朝になったらちょっと臭いがあったのに、湯シャンに切り替えた翌日からそれがない。
夕方頃になると髪も脂っこくなってきたのに、やはりこれもなくなったし、この時間帯になってもまだ臭いがない。痒みもない。
いや、え、ちょっと効果出るの早すぎじゃね?って思って、この一週間毎日経過観察してたんだけど、未だに効果は継続中。
完全お湯洗いに切り替えたお股とか脇も全然臭わない。
自分の鼻だけじゃ信じられないから、周りの信頼できる人に臭いがしないか聞いてるんだけど、無臭だと言われる。
冬場で汗をあまりかかないからかもしれないけど、それでもやはりちょっと異常だと思う。
身体の大部分を湯シャンのみで数年やっていたとはいえ、初めて翌日から効果が出るなんてあり得るんだろうか。
・まず、シャワーで軽く全身を流す。気が向いたら、軽く身体を手で撫でみたりする。
・脇、股、陰部、足の指、足の裏は、シャワーを当てながらゴシゴシと指とか握りこぶしで思いっきり洗いまくる。
・満足したら洗髪。シャワーを頭に当てながら、適当にワシャワシャゴシゴシしまくる。
・マッサージっぽい手つきで揉みしだいてみたり、手のひらでグシャグシャやってみたり、力加減も適当。
・それでもそれなりの時間をかけて髪を洗ってる。たぶん5分から10分はやってる。汚れを全部落としてやるって勢いでやる。
・耳の裏もちゃんと指でゴシゴシする。中も適当に指突っ込んでおく。
・気が済んだら終了。ちゃんとタオルで拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。なんとなく最後は冷風で締める。
・たぶん髪は、首や耳が見えるくらいには短い方がいい。あと梳いておくといい。セルフカットまじおすすめ。
・タモリみたいに風呂に入って汗流してもいいけど、俺は面倒だから入ってない。
・ていうか、湯シャンで髪が臭いって人は、ちゃんと洗いきってないか乾かしてないんじゃないかとすら疑いつつある。
・ちなみに、顔にもなにもしていない。これは学生時代からずっと水洗いオンリー。理由は洗顔自体が面倒になったから。
・あと、ワックスは付けない。でも、これもちゃんとしっかり洗うなら問題ないかもしれない。俺、アトピー用の軟膏つけてる部分もシャワーで流してるだけだし。
とりあえずもう一ヶ月ほど、子細に経過観察していきたいと考えている。
それでもまだ頭皮から臭いが感じられなかったら、これはもう本物かもしれない。
あと、もともと髪の毛が細くてサラサラ髪質ってのもあるんだろうけど、思ったよりも髪がパサついてない。
だけど髪の毛に埃が付きやすくなったようには感じる。これはどこかのサイトに書いてあった気がする。
家族のためにはじめて猫を飼いましたが、自分は世の中の猫好きのように猫を好きになることはできないということを知りました。
見た目が可愛らしいのはわかりますが、あくまでも見た目だけです。
猫好きは基本良いことしか言わないので、数年猫を飼って感じた感想を書いてみようかと思います。
毛は部屋中に散らかり洋服にも付く。カーテンは爪を立てられボロボロ。気分によっては壁も標的になる。部屋に綺麗に飾った小物はグシャグシャになる。使用後のトイレは臭く、猫砂を足につけ部屋に運んでくる。猫の体調が悪いと糞がトイレ以外のところにベッタリ。ゴミをあさってビニールや輪ゴムなどを散らかす。放置されたダンボールはボロボロになるまで噛みちぎる。死にたいのか人の食べているものに顔を近づけて来たりもします。
猫の精神年齢は幼児並みといいますし、腹を立てても仕方がないことなんですが、疲れているときはさすがに気が滅入ります。
よくわたしの近くに寄ってきて横になり、撫でるまでその状態でじっとこちらを見てきます。また、部屋でくつろいでいると前足で身体をモミモミしてきたり顔を身体を舐めてきます。
猫カフェなどではなかなか懐かれることはないと思いますので、これはメリットと言えると思います。
ただ、懐かれることに悪い気はしないのですが、邪魔に感じても無下にはできないのでいちいち相手をしてやらないといけません。
また、耳元で不思議な鳴き声を出しながらウロウロされたり、身体を舐められるのは正直気持ちが悪いです。
猫を飼いたいと言い出した家人はトイレや餌、飲み水の状況を確認しないことが度々あり、猫好きだからといっても真面目に飼育しようと考えない人がいるのだということもわかりました。
なんとなく猫を飼おうと思っている人は、生き物を死ぬまで面倒を見る心構えがあるのかいま一度よく考えたほうがいいと思います。
あとついでに書きますが猫好きはいちいち猫可愛いアピールをしないでください。アニメオタクが好きなキャラクターをいきなり語りだすぐらい不快です。
色んな作業について「やる気なくてもとりあえず五分手を動かしてることで脳がいい感じになってやる気が出てくるからとりあえずやってみ」ってライフハックあるじゃないですか。
同人創作活動してるオタクであるところの私も、原稿の進まなさに悩みがちなのでああいうライフハックのブログとかツイッターRTが私に言われてるように感じるんですけども。
でも気分が落ちてやる気がない時って、五分やろうとしても手を動かしてる途中で原稿をグシャグシャぐしゃってしたくなったり、txtにキャラのセリフを考えてるはずが死にたいクソしにたいクソ死ねみたいなことを打ち込まずにはいられなくなるんですよ。
そりゃあ、ある程度元気というかメンタルの調子がいい時は、とりあえずやりはじめてみればなんとなく調子が出てくることは結構ありますが、そもそもそういう風にできる時って大してやる気がないわけでもないし深刻な停滞じゃないわけで、なんとでもなるんですよね。
動かしはじめた手が諸々を壊したり傷つけたりしたくなってまともな創作に向かわないから進捗ダメですなんだっていうのに、「ひとまず作業を始めてみなよ」なんて言ってるネットの皆さんが役立たずすぎるし、そのくせしたり顔なのが腹立たしい。
まだ精神安定剤を飲んだ方がマシでありますよ。あれも効かない時がちょいちょいあるし、効いたら効いたで頭がぼんやりして何もできなくなるからクソだけど。
毎日新聞が出してる小学生向けの新聞。ちなみに毎日中学生新聞っていうのもあって、そこに掲載されたナンバーガールのライブレポが『シブヤROCKトランスフォームド状態』のジャケットに流用されたりしていた。以上、余談。
小学生の時は昼休みのたびに図書室に駆け込むようなライフスタイルだったんだけど、そんなライフスタイルで6年もやってるともう読みたい本も無くなってきて、で、仕方無く毎日小学生新聞の日々の誌面を隅から隅まで読んでいたんだけど、その中にこんな記事。以下、要約。
私は子供のためのカウンセラーです。日々、日本各地の苦しんでいる子供達の家に通っています。昨日はある引きこもりの男の子と話をしてきました。その子は言いました。「先生。コピーってあるでしょ。コピーって、何度も何度も繰り返しているとだんだん文字がかすれて汚くなっちゃうでしょ。で、人間もさ、先生。生まれ変わるって言うじゃない。何度も生まれ変わって生まれ変わって、それで魂がかすれて汚れちゃうんだ。だから今の世界はこんな風に戦争とか貧困とか、みんなが憎しみあって、争いあって生きるようになっちゃったんじゃないかな。昔と比べて醜くなっちゃったんじゃないかな」。私はこの子の繊細な感受性に感動して涙が止まりませんでした。
的なことが書かれていて、それを読んだ俺はその場で毎日小学生新聞を破り捨てたい程の苛立ちを覚えたけれど、さすがにもう小学6年生だったから、そんな事はしない程度の常識は持ち合わせていたけれど、それでも20年近くを経た今になっても「何だったんだ、あの話は」と釈然としない気持ちを抱いている。まだ子供なのに、「現代の人間は醜い」と絶望する感受性。その感受性をあたかも美談のように語ること。強い違和感を抱いた。生まれて初めてかも知れない。あそこまではっきりと「大人も、物事を間違った捉え方をする事があるんだ」と意識したのは。
今の話をします。生まれ変わりを重ねるまでもなく、色々あって、結構な頃合でかすれて汚れた感が出てきた俺に子供が生まれたみたいで、まあ、何ていうか、善き事?幸せ?いや、どうなんだろう。歯切れが悪くなってしまうのは、俺が既に離婚しているからで、しかもおれ達の子供を産んだ元妻は既に別の男性と結婚していて、それでいて、元妻も、元妻の現夫も、すべてを納得した上で出産したんですって。
こんな風に他人事みたく言ったら駄目か。こういう時って喜んだら良いのかな、怒ったら良いのかな、悲しんだら良いのかな。喜怒哀楽がグシャグシャになる。このややこしい事態の背景には、元妻サイドにそれなりに事情があって、その事情(さすがにここでは書かないけど)を聞いた俺としては「頼むから産まないでくれ」とも言えず、かと言って「その子の親権を譲ってくれ」と言って良いのかどうかもわからないし、こういうケースで親権が貰えるのかもわからないし、って言うか多分無理だし、そもそも俺自身その子の親になりたいのかもわからない。まったく関心が無いわけではない。でも、もう元妻周辺のややこしさにも関わりたくない。子供の顔が見たい気持ちはある。でも、この気持ちは「こういう時、親は子供の顔を一目見たいと思うものだ」という決まり事ありきで生じている偽物の気持ちじゃないかという感覚もある。あと、元妻には会いたくない。100%俺が悪くて離婚に至ったので合わせる顔がない。
悲しさ。率直に言って、俺は結婚生活において色々な事を間違えてきた。結婚する前から色々と間違えてきたし、離婚した後も、今も、多分、色々と間違え続けている。間違え続けて、かすれて、汚れて、その結果、血を分けた子供に会えていないし、今後も真正面からは会えないだろう。この、どこにもやりようのない気持ちは悲しい。こんな文章を書く事も間違ってるんだろう。当事者が読んだら絶対おれが書いたってばれる。悲しい。恥ずかしい。子供に会いたいとまでは言わない。正直、会いたいという気持ちを実感を伴って抱くには至っていない。ただ、せめて、「人間は生まれ変わりを繰り返して魂がかすれて汚れた」なんて事を言い出してほしくないとは思う。
俺はかすれて汚れている。でも、それはおれ個人の罪に帰する汚れであり、俺の前世や、人類の罪に責任はない。だから、俺の子供はまだ汚れていない。すべての子供は汚れていない。生まれてきておめでとう。おめでとう。
数年前、私は遺書を書いた。
不思議なことに明確な理由はなかった。ただ、死にたかったのだ。
(遺書を書くに至らせた原因は色々あったが、説明しきれない上に特定が怖いので割愛)
遺書を書き終えた私は、玄関先にそれを置いて裸足のまま外へ出た。
ここから落ちたら確実に死ぬだろうな、と思いながらも壁から身を投げれないでいた。
それから後のことはよく覚えていないが、涙でグシャグシャになった母親の顔、これだけは忘れられない。
私がこうなったのはお前のせいでもあるんだ、という気持ちもかき消され、ただただ申し訳ない気持ちで一杯だった。
これが、私の短い人生の中で一番苦い記憶、自殺未遂(の未遂、くらいのレベルだが)の話。
今、私はそれなりに楽しく生きている。
優しい友人たちに囲まれ、可愛い後輩もでき、人生初の彼氏までできた。
自殺を肯定する気も否定する気もない。それは一人一人の状況、価値観で変わっていくものだろうから。
でも、少なくとも私は、あの時死ななくてよかったと思っている。
実際に触ってない野次馬の戯言です。
あ、「ペンで押しても反応しますがデモでは指を使ってます」ならいいんだけど。
そっちのが「消してる」感あるし、消しゴムの接地面積(?)的にガシガシ消せるし。
「間違ったらペンでグシャグシャ」と「間違えたらペンをクルッと回して消しゴムでゴシゴシ」だったら、後者のが直感的じゃね?みたいな。
当方アマチュアだけどオーケストラで演奏する人間として思った。
PDFの楽譜をiPadで表示するのはもはや当たり前なので、それの延長かも知れない。
楽譜の製本めんどいし、練習のときに色々走り書きしたり消したりが綺麗に素早く出来ると助かる。
ペンで書ける・消せるだけじゃなく、指でなぞって譜めくりとか、練習番号を指定したらそこに飛ぶとか、書き込みの全ページ消しと1ページ消しをボタン一発で実行する機能も欲しい。
「被曝しているという認識はまったくないまま沢水の簡易上水道を飲み煮炊きしていた。避難してきた人の炊き出しもした。3月20日になって水から300ベクレルが出たと聞いてびっくりした」「私たちはもうたっぷり被曝してしまいました」
なんだかな。
勇気を出して抗議活動を始めた村民の方々の言葉が、ちゃんと人々の耳にとどくだろうか。どうもあんまりメディアにとりあげられている感触がない。
自戒を込めていうなら、わたしたちの身体性はもう多分に問題があるのではないか。
鷲田清一先生が『悲鳴をあげる身体』の中で村上龍さんの『ラヴ&ポップ』冒頭、女子高生の語りを引くくだり(p. 152)。
NHKで『アンネの日記』のドキュメンタリーを見て「心がグシャグシャになった」彼女はもう翌日には「完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして」しまう。
感情が持続しない、持続しないから刹那的な快楽を追い求めていく。
あるいは、その持続不可能性への焦りが、周りの人、同じ社会にいきる人々のことを忘れさせてしまう。
この感じ。
震災のこと、また原発のこと、もうなんかみんな遠い昔のことのように「ツルンとした」心で眺めているようなそんな雰囲気を感じる。
本当に「今」おこっている悲しみを私たちはまっすぐに受け止められているだろうか。
僕は幸い被災を逃れたし、放射能の影響も受けえない場にいる。
でも、でも同じ日本人としてどうにかしたいと思う。そしてこの気持ちをちゃんと持ち続けないと。
逆さまになったピエロだ!!
くぎゅうううううううううううううううううう
メッセージにして伝えるよ!
あまりにも!!あまりにも美しすぎる!
とりあえずビリー!
楽しくやっていくことが大好きだぜ!
我慢せずにやってやるんだぜ!
結局ここに帰ってきた。
だってあそこ、一日一投稿くらいじゃん。
俺が居座ったら絶対浮くじゃん。
全く、ふざけてるよね。
俺はここのほうが好きなんだよ。
大好きだ。愛している。
何もかも、動き出す。
もっといいコミュニティを教えてくれ!!
過疎ってない場所を教えてくれ!!
うわああああああああああああああああああああああ
さいっこうだぜえええええええええええええええええ
引き止めるものも何もない
もはや言葉すら必要ない
元気を出して。元気を履きつぶして。
空気を感じて。何が何だか分からないようになって。
それでも僕は生きるよ。
それでも僕は生きてやるよ。
一日一回かな。あそこは。
大体そのくらいが丁度よさそうだ。
こっちはこっちで楽しいのさ。
誰もトラックバックしてくれなくても、俺は書き続けるぜ。
光を掴む。そうだ、つかんでけっ!!
何もかも、空気となって消えていけ。俺の♥が疼く。
邪気眼が目をさまそうとしている。
さぁ、究極のパーティの始まりだ。オープニングジャスティスさ。
毎日一回の優しさ。てらわろす。生文章を君に届けるよ。
やめてください。
show my windowだね。最高だね。
長くても一日、最高とはなにか。
俺は書いている。文章を書いている。
さぁ、走りだそう。闇に向かって走りだそう。
理解のドを越えて、広がっていくメロディ。
分かってもらえるかな。何もかもを、手に入れているということを。
中2のときに新任の女先生にいたずらしようってことになって、
プロレスの、足を持ち上げて宙でグルグル回すあれをしようとしてたんだけど、
羽交い締めにしたときにキャァァァァァーって先生が悲鳴を上げて、
バンッ!バンッ!バンッ!って感じで周囲の準備室の扉が開いて昼休み中の
男の先生たちが飛び出してきた。「お、お前らぁ!」ってもう生徒じゃなくて
不審者を恫喝するときの表情だった。「こ、この子たちがぁぁぁ」って羽交い
締めにされていた先生も顔をグシャグシャにして叫んだ。「僕達だけでは
処理できない、校長を呼ばなければ」みたいなことを言って男の先生達が
集まってくる。なにか勘違いされてるのではと激しく感じていた。ここは毅然
とした言い訳をしなければならないと思った。そして僕はグイッと一歩前に
出てよく通る声で言った。
「僕たちはただ、先生を回そうとしていただけです」
10年前の思い出だ。この後の怒号は今でも夢に見る。
「サイン帳」を配るシーズンになった。
女の子がクラス替えとか卒業の前に友達に配り、プロフィールとともに趣味とかメッセージとかいろいろ
書いてもらったものを綴じておく、あれだ。
あぁ、いやな記憶が蘇ってきた・・・
僕も小学校卒業の時期に何人かの女の子から貰いましたが、そういうのを書くのが苦手なのと恥ずかしさもあって
渡せないまま学校の机の中でグシャグシャになって入ってました。
で、結構好きだった女の子からも「書いて」と言われたけど、クールを装って
「そういうのは書かない」と(既に何人かから渡されていたのに)断ってしまいました。
その子の気持ちを考えると、悪いことしちゃったなぁと後からずっと後悔してました・・・
私はレシートを絶対に貰うのだけれど、貰わない人、と言うかいらない人の方が多いんですかねえ。
自分がいくら入っていて、いくら使ったのかなんてことは興味ないのかな。
家計簿をつけている関係で、レシートは一旦全部家に持ち帰ってます。ちょっと前までは使った金額と用途を自分宛にメールして、それを家計簿に転記していたのだけれど、それだと手間がかかることに気づいてそのままレシートを持ち帰ることにしました。
レシートなんだけれど、それ単体、というより1枚じゃ大したことのないゴミのようなものなんだけれど、1ヶ月なり1週間なり、全部とっておいて時系列に並べて見ると恐るべき情報量を誇る資料になるよ。自分がいつ、どこで、何を、どうしたのかが丸わかりになる。お金を使った事に関しては。
例えば朝、昼、晩と外で食べたのならその日食べたものが全てわかる。1日に飲み物を何個も買っていたらこの日は暑かったのかな、とか、野菜を買ってたらこの日は野菜の特売日だったんだな、とかそういうことまでわかってしまう。これほど価値のあるものって中々ないと思うんだけどな。
そして何よりレシートを持ち帰ってきちんと家計簿を付けるようになれば、間違いなく無駄金は使わなくなる。そうなるとお金も貯まる。お金が貯まれば本当に必要なものが買えるようになったり、いざと言うときのためにお金を手元に残しておいたり、習い事を受けたりすることが出来るようになる。収入がいくらであろうと、その範囲内でどうにかしようと思って家計簿を付けることでお金について色々学べる。
と、家計簿の話に脱線してしまいましたが、私の感覚では、経営者の人なんかは間違いなくレシートは全てもらっています。後で帳簿につける必要があるかもしれないし、とっておいて整理しておくにこしたことはないからです。個人で仕事をしているフリーランスの方も同様にレシートは全て貰っているように思います。この人たちも同じ理由だけれど。
ただあなたのおっしゃるとおりサイフに突っ込んだままでグシャグシャにしてしまうのに毎回レシートを貰ってるあんまりよくわからない人もいます。
だから多分2種類じゃなくて3種類いて
レシートいらない人→→あんまりお金に頓着しない人。持っているお金ないで過ごそうとアバウトに考えている人
└→いらないけど貰っちゃう人。財布の中に貯めておいて財布がパンパンになった時点で捨てる人
レシートを貰う人→→→そのレシートについてる情報を有用だと思っている人
こんな感じなんじゃないかと思う。