はてなキーワード: 青二才とは
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あなたがなんで面白くないかと言うと自分のことしか考えてないからです。と言うかつまらない奴って大体それです。池ちゃんとか青二才さんとかみんな当てはまるでしょ?瞑想で自我を薄めるとマシになると思います
他人の目を気にすると、本当に自分がやりたい事が分からなくなる。自分で自分を見つめる事が出来なくなる。「他人に評価されるか」が軸になって、ビビってウケの良さそうな詰まらんもんしか作れんくなる。
その上、他人なんて主義主張は一貫しないし、流行り廃りが激しい。すぐにコロコロ意見が変わる。そんなんを見てたら当然ダメになる。
徹頭徹尾、自分が作りたいもんは、やりたい事はこれだって貫き通さないとダメ。まずは自分の軸を見つけろ。自分の中で自分の評価軸を決めろ。他者に評価されるかは二の次なんだよ。
自分で自分の行為を肯定しろ。自分が最高で、分からねー奴が馬鹿だと思え。お前の中でお前の小説を肯定しろ。文句をつけてくる奴は何も分からねー口先だけの素人だよ。偉そうに添削してくる奴は、ものを作ったことがない知ったかぶりだ。ものを作ることの難しさが分からない阿呆だ。お前が下らねーと思った文句は無視しろ。お前はお前のベストだけを見つめろ。人のじゃねえお前のだ。お前はお前が悪いと思った所だけ改めろ。お前が良いと思った所を伸ばせ。
お前がお前で有りさえすれば、誰かがお前のことを見つける。お前の事を世界で2番目だと思うようになる(世界で一番なのはいつだって、誰にだって自分自身だ)。
少なくとも、お前はお前の世界で一番でいられる。
鉄血って、つまるところ、たまたま古代の最終兵器を手に入れた無学の暴力しかしらない少年テロ組織が、自分達の力を適切に測れなかった結果、世界秩序にケンカ売って完膚なきまでに叩きのめされたって話。
交渉能力も組織マネジメント力も会計知識もなく、めんどくさいことは外部の大人任せの無責任なガキの集まりが、暴力だけで成り上がろうとして、当たり前のように失敗した。
主人公サイドであろうとテロリストはテロリストであり、秩序に挑戦するなら秩序に粛清されると言う道理をガンダムで描いた鉄血は名作だと思う。そもそもガンダムは社会派アニメなんだろ。
世界中でテロ組織が暗躍している現代において、テロ組織は最終的に体制が作り出す秩序には勝てず、秩序は暴力でなく交渉によって形つくられると言うのもメッセージ性があっていいと思う。
キャラに思い入れのある人には悪いが、終盤、主要キャラがどんどんと死んでいくのはいっそのこと爽快感すらあった。次は誰がどんな無力さを晒して死ぬのかワクワクした。中盤以降は完全にギャラルホルン視点で視聴してた。
オルガが死んだ時なんかは拍手すらしたものだ。MS戦でも艦隊戦でもなく、ただのチンピラの鉄砲玉にやられると言う情けなさが、常にミカヅキ達の後ろに隠れて安全圏から煽るだけの無責任な青二才の末路としてぴったりだった。
あれでもしオルガやミカヅキ、昭弘の一人でも半身不随であっても生き残っていたなら、評価はかなり下がったと思う。彼らはテロリストとして、秩序の破壊者として、断罪されるべきで、死は当然の結末であり、彼らがみんな死んだことで物語は綺麗に幕が引かれたのだと思う。
ライドが最後、オルガの敵を取る為に、政敵を暗殺したのも良かったね。
あれもラスタルの手のひらの上と言う解釈もあるけど、学も志も守るものもない人間は結局、権力者にとって都合のいい道具にしかなれないと言う描写になっている。
鉄華団は反面教師となる人材が多い。「学び、知識を蓄え、見聞を広げることをしなかった人間の末路」の教材としてはここ10年くらいで最高。
創作と発表に飢えてるわけでもない
コンテンツを見てそれっぽく語ればいい
熱く語れば一目置かれたりもする
当人ですらそれに気付かず自身のアイデンティティをオタクに置くことがある点で
大抵こういう人は「年齢とともに楽しくなくなった」という
そりゃそうだ
楽しさの大部分はコミュニティにあったのに
年齢とともにそれがなくなっていくのだから
そして
だけど本人も思い込んでいると気付かずに思い悩んだり
昔なら青二才
今ならだれだろう?
曲がりなりにも文化批評をしてやろうとするサブカル勢に良くあるスカした接し方でもなく
自分の趣味として(当人は楽しんでる体で)接しているように見えるが
歳を経るごと回を重ねるごとに誤魔化しが利かなくなっていく
本人が気づいているなら邪悪ではあるが救いはあるが
今一度
自分がなんでそのコンテンツを見てるんだろうと考える時間を持つと良い
TLSの下校会話も定期的に楽しんでいるが
LoveRには手が出なかった
納得できないのではない、納得してやらんのだ。
北海道の人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。
だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。
小学校は同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域。
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏、はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。
その当時の大人の世界では義務教育でパソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコンが配備されるようになってきた時代。
しかしながらド田舎の公立高校でそのような先進的な機械が活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。
田舎には田舎のルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動の野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
ド田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校中からハブられ中学野球の試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。
ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初はプリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員も書類はワープロ専用機で作る時代だったのでパソコンの知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンがパソコン通信とインターネットへ接続できることに気が付いてしまった。
Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトへアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。
「増田クン、これからはPerlの時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービスを提供するならPerlが向く。DoCoMoのiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
「iモードはピッチじゃないよ周波帯が違う」
特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲームは自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、Perl、PHP、Javaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児が図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果からか試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。
そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校の存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷に未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。
今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さな頃から家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコンと引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。
右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロは和音が鳴るしディスプレイはカラー。携帯電話の電波は田舎にまで届く。
甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学へ合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。
今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身で脳筋な漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍の努力は裏切らねぇなと。
自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。