死んだほうがいいだろこんな国。
謝罪というものって、心からとか信条を枉げてとか価値観とか超越して、当事者にとって状況を最善に変える努力だと思うので、有能であるかお金を使うかすれば効果的だろうし、「誠心誠意謝罪してるのに…」となるのは自己満足を優先するという選択の結果だろうし(無能の一表現型でもある)、「あの謝罪はなっとらん!」という人は当事者から無視されているグループに属しているだけなので好きに騒げばいい。
私は若いころ、友人と遊ぶことや、リア充を装うことがマストだと思っていた。
それができない人間は落ちこぼれで、取るに足らない人間だと思っていた。
友人と一緒にいることは楽しくなかった。
自分の功績、ステータス、友人関係、恋人をポケモン扱いして、見せびらかすような自慢合戦にも辟易としていた。
楽しいフリはしてたし、いろんなコミュニティに顔を出したり、いろんなことに手を出した。
本当は家でまったりしていたかったし、好きな本をずっと読んでいたかった。
だけど、そう感じてしまうことは悪いこと、ダメなこと、かっこ悪いことで、
もちろん逃げているだけの人もいるだろうけどさ、
リア充になろうとしない人たちのことはすべて怠け者、変な人、悪い人、取るに足らない人。
ずっとそう思っていた。
でも気づいたんだ。
逃げているのは自分だった。
学校的な価値観、テレビのリア充至上主義の価値観と自分の気質が相反していることを認めたくなかった。
ただそれだけなんだ。
努力だと思っていたことは、自分で自分を認められないゆえの逃げだったのかもしれない。
自分が一番かっこ悪かった。
知らなかったんだ。
そういう気質の人たちでも生きていてもいいんだということに。
何を作りたいかというとマルチプレイヤーのブラウザゲームが作りたいんだよね。
俺の開発用のceleron 1コアのメモリ1GB環境では重すぎる。
isoファイルを10000個同時にダウンロードしてるぐらい重すぎる。
ページの読込みがなかなか完了しない。
こんなクソ重いフレームワークはそれなりのサーバスペックがないとパフォーマンスに影響が出すぎるので除外したい。
phpのフレームワーク一般に言えるんだけどプロジェクト毎にプロジェクトルートのなかにフレームワークのコアファイルを置くのがなんか嫌だ。
nodejsはシングルスレッドなので負荷の高いサイトで使うのは厳しそう。
pythonでもgolangでもwebsocketは使えるのでnodejsにこだわる必要もないしvert.xを使う選択肢もある。
日本ではvert.xの話題あんまり盛り上がってないよね。どこかの企業さんが実践で使いましたって記事を書いたら会社の知名度が上がると思う。
scala,golang,elixirこの3つの選択肢でいいのかな。
でも負荷の高いブラウザゲームやってる会社ってrailsとかphpだよね。
redisをうまく活用しとけばあんまりそれ以外でボトルネックとなるようなことって無いのかな。
スクエニさんのオンラインのドラクエもどうやってるんだろうね。
あと海外のブラウザゲームってほとんどがaws使ってるのでaws使えばいいのかな。
でも怖いよね高額料金を請求されたらさ。
乙武サンの謝罪文が、朝の四時だか五時だかにテレビ局にFAXで送られてきたって
ワイドショーでやってたけど、夜中、奥さんがこの作業をぜんぶやらされてるところを想像してぞっとした。
どれだけ才能があろうが、教育者や政治家をするには向いてない。
善良でもなければ、まわりをしっかり騙すこともできないんだから。
面白おかしく、私人として生きたら十分じゃないの。そっちのほうが正直な生き方だよ。
陣笠議員を十年くらいしたって、何になるの?
近ごろの若い女は無知でワガママだから子供を産まんのだ。ここは一つ、ワシが正しい知識を授けてやろう。そして女どもの性根を叩き直してやらねば!
って考えが長年の間違いのもとだったんじゃないの?そんなやり方をずっと続けてたから、今の惨状があるんじゃないの?
「少子化は、子供を産み育てることを厭う考え方を植え付け、日本人を根絶やしにすることを目論む勢力の陰謀なのだ」って電波は論外な。
人類だってまだそこまで本能ぶっ壊れてないんだから、将来に絶望してなければ大抵の女は子供産むんだよ。
今は収入低くてもいずれ昇給するはずとか、妊娠しても仕事辞めなくて済むとか、出産しても一人孤独に子育てしなくて済むとか。子供産んでも大丈夫!って安心できれば子供産むんだよ。
公務員や大企業の正社員ばかりがホイホイ結婚して子供作ってるのは、奴らがワガママじゃないからじゃねーよな。
ワガママが許されるほど身分が保証されてるから、将来に不安がないからだよ。
個人のワガママを抑え付けて、全体に奉仕させるとどうなるかなんか、ソ連や北朝鮮を見りゃ分かるだろうよ。
「我が社のために大事な話をします。社員は滅私奉公しなさい。雇ってもらった恩を考えれば、残業代がほしいだの有休が取りたいだのとワガママは言えないはずです。君らも会社が潰れたら困るだろうに」とほざくブラック企業で働きたい奴がいるかよ。
若いうちから「女の務めは国のために子供をたくさん産むことだ」と叩き込み、公共心とやらを養ってワガママを許さなければ、二人といわず四、五人産むはずだ万歳と妄想に浸る国でいいのか?
仕事してお金稼いで、子供にいい教育や暮らしをさせたい、やりがいも感じたいし社会参加もしたいって「ワガママ」を当たり前に叶えられる国にするのか?
数当てゲームから始めなくても、テトリスとか簡単なシューティングゲームみたいのなら検索すれば出てくると思うよ。
以下に書くことは読み手の都合で考えた場合、自分と同じ位の認識レベルの人にとっては今さらだし、それ以上の人にとって不十分ということになる。そもそも私の認識や前提とする知識が間違っている可能性も否定できない。なので個人の思考をアウトプットした日記として、または知の反復作業として読むことを推奨する。
映画メディアの場合が主。テレビ放送ならば「特別編」などとして、普段の放送より長くしたケースが多い。「刀語」のように1話をおよそ1時間、1ヵ月ごとに放送という変則的なスタイルもある。ただ、1話毎の期間が空きすぎていて視聴者がついて行きにくいのか、変則的すぎてこのスタイル自体はあまり流行っていない。
時間は長い上、映画ならば作品に対して直接お金を払って貰うということもあり、制作体制は大掛かりかつ高いクオリティのものが多い。テレビで放送する「特別編」の場合でも、特に気合が入れて作られることが多い。
これで作られるアニメは、原作があるにしろ普段はテレビで放送されているものにしろ、壮大にしつつも1話完結型のエピソードが多い。「亡国のアキト」のような各章に分けて、章ごとに映画メディアなどで提供という特殊なケースもある。
また、原作やアニメ制作会社側などの事情から、予定されていた話数で完結させることができず、かといって2期にするには帯に短し襷に長し。ということで、後に改めてこのスタイルで提供する場合もある。ただ、映画メディアでそれをやる場合は賛否両論の声が大きい(基本、金を払わなくても享受できるようにしてきたものを、最後の最後に支払いを要求するという提供側のスタイルが利己的だという批判。或いは「正当な対価を、作品そのものに対して支払いたい」という消費者からは比較的シンプルな形だとして受け入れられている。もちろん、その他にも様々な理由での批判、賞賛の声がある)。
30分とはいってもOPやED、間に挟まれるCMなども含まれるため、実質的な内容はこれより短い。また、内容を増やすためにOPやEDをカットしたり、逆に前回のあらすじなどで尺を稼ぐケースもある。そのため、「実質的な内容」という観点から見た場合アニメによって、また話数によっても幅は大分ある(なので便宜上それらの幅は考慮せず、かつ後のカテゴリについても大分ザックリしたカテゴリ分けで所感を述べる)。
最もポピュラーなスタイルで、個人的にパッと思いつく有名な作品を例に挙げるだけでもキリがない。
実質的に20と数分とはいえ、その長さのものを一定以上のクオリティで、かつ週に1回のペースで作ることはよほどのことがない限り物理的に困難とされ、実際には1話放送の前からストックを貯めておき、1週間以上かけて1話を作ることが普通らしい。
つまり一応の理屈の上では、このストックと現在進行形で製作しているものとの話数の差が縮まると、「できなかった」ということだけは避けるためにクオリティを下げて、作業効率を上げる必要が出てくるということになる。他の仕事にもいえることだが、納期を厳守することは社会では基本で、信用に関わるからだ(まあ、クオリティなど他のものが犠牲になった以上、それはまた別の問題として対処する必要はあるだろうけれども。作り手など提供側の事情がなんであれ、受け手にとってその作品自体が評価の対象であることは変わらないしな)。
これで放送されるアニメは、ストーリーやキャラクター、舞台設定など「非日常的な要素」が多分に含まれた内容であることが多い。日常のものを何の加工もせず切り取っただけではエンターテイメント性が低く、それを1話に20分以上観せ続けられても、視聴者はついて行きにくいからだ。もし、それでもエンターテイメントとして成立するならば、それはスタッフたちがそれだけ優れているともいえる。
こちらも「実質的な内容」という観点で見た場合、実際の時間は減っている。私がパッと思いつくのは「よんでますよ、アザゼルさん。」あたりだ。
放送される際は他の15分アニメとセットで放送されていたので該当しないかもしれないが、ネット配信の際は分けられているし、別々のアニメなのだからこちらで扱う(恐らく制作しているところとかも違う……よな?)。 あと「ドラえもん」など、1話完結型でそれが10~15分くらいのものをセットの場合も、「別々のアニメ」と広義的に解釈してこちらに含んでもいいかもしれない。
時間が減ったのだから、その分クオリティが上がったり、それが安定したりする。……というわけでもないらしく、15分で作られることを前提としたスタッフの配備、そしてスケジュールを組んだりするケースもあるようで、30分と比べてクオリティが安定しやすいとは一概にいえないようだ(ただ理屈の上では、「時間の短さ」というアドバンテージだけで考えるなら制作するための労力は下がるわけで、仮に全部の作品を把握できた場合、傾向としてこちらのほうがクオリティは安定しているということはあるかもしれない。ないかもしれない)。
これで作られるアニメは1話完結型のエピソードだったり、次回に引っ張ることはあまりない傾向。「のび太が道具を使って調子に乗ったままその1話は終わり、何らかの因果応報オチで終わるのは次回」みたいなのは基本的に避けられるということだ。仮にあっても、数話もかけることはない。
随分ぞんざいなカテゴリ分けだが、短いアニメは便宜上ここに全て含めて述べさせていただく。私が真っ先に思い出してしまったのは「チャージマン研!」だが、これから述べる話の例としては不適当なので、「チャージマン研!」のことは忘れてくれ。
放送する媒体や形態は最も多様で、番組コーナーの一部として放送されることも多い。ネット配信だと関連商品の宣伝を前後に挟んだり、配信したものとは全く違うアニメや商品のCMが挟まれたりもする(制作会社や提供する会社が同じという関連性は一応ある)。30分アニメのネット配信だとCMがなくなりやすいということも考えると、この逆転現象は中々に面白い(まあ、そもそもネット配信するのとテレビで放送するのとは事情や立場が違うから、考えてみれば当たり前なのだが。それを踏まえてなお、短いアニメの方がその傾向なのが面白い、という意味だ)。
短い内容のものを週に1回のペースであげるなら、1話完成させるのは上記のものよりは理屈の上では楽といえるはずで、その分クオリティは安定しやすい傾向(ただ、これは15分の部分で述べたことと似たようなケースで一概にはいえない。それでも割合としては増えるんじゃないだろうかという推測)。内容が短いので視聴者的には「物足りない」と思われるかもしれないが、「腰を据えて観なくていい」という側面もある。コスパに優れているといえ、最近はこのスタイルでアニメが作られるケースも増えてきた印象だ。
これで作られるアニメは、15分のとき以上に1話完結型の傾向。15分で書いたことと理屈はほぼ同じだが、これだけ短くなってくると、「その短い中でエピソードを起承転結しっかり作る」ということの困難さが顕著になりやすい。これを解決しやすくするためには、元となる原作がある場合は1話完結型が主になるだろう。或いは、起承転結がコンパクトで調整しやすい、4コマ漫画などが選ばれる。もしオリジナルなら、キャラクターや舞台設定などを好き勝手に弄くっても咎められないので、融通が利かせやすい(このことは他のカテゴリでもいえることだが、短いアニメは1話完結型が多い傾向なので特に利点となる)。
以上だ。
いつもの通りバスに乗って家に帰る際、たまたまそのバスだけすごく込んでて、人が一杯だった。
乗り込んだら、バスの進行方向向かって左側の1番前の座席の後ろの、色々器具をいれる場所に両肘を立ててスマホゲーをしてる女がいたんだ。
次のバス停でもそれなりの人が乗ってきて、少し人が降りたから、自分は順番に奥に詰めようと思って横というか奥にずれようとした。そして、その女を肩で押した。
でもそいつ、ちっとも動く気がないんだ。
そういうのはよくある話なんで、仕方ないから自分だけが奥の空いてるスペースに行こうとしたら・・・
死角からだったけど、位置取りから考えてその女しか肘鉄を打てないから多分間違いない。
多分、押された拍子にミスでもしたのか、単に押されたのが嫌だったのか、多分そんなんだと思う。
その人、何で俺に押されたのかとか、そういうの全く想像できないんだなって、それよか、自分が迷惑だったりマナー違反をしているって、想像しないんだなって思った。
自分は面倒だから動きたくないとか、そういう人間はたくさんいたけど、全く負い目なくそういうことをしてくる人間は、初めて見た気がする。
中学高校の時はブレザーだったのだが、浅いし落としたら怖いので使っていた記憶がなかった。
定期は外より近い内ポケットに入れて、お財布(さすがに長財布ではない)はカバンに入れてた。
①放屁 ②包皮 ③褒美
おならが臭うことに加えて、
◆②包皮を選んだあなた
◆③褒美を選んだあなた
「ほうび」じゃなくて「ほうひ」と書きました。
やり直しです。
①と②から選択してください。
プログラミングをしたいと思っても
これ書くのだってとても無理をしている
でも、筋トレは充実する
若年者への商品券?
原発再稼働?
悪いがそんなことで悩んでいるヒマはない
己の肉体を鍛え上げる
その一点のみ
たまに問いかける。痛いか?
筋肉は答えてくれる。
まだいけるか?
じゃあいこうか。
今むちゃくちゃそういう欲が出ている。
昔は交流していたけど、その時の人たちは創作を辞めてしまったりして軒並み疎遠。
交流中に痛い目を見たこともたくさんある。やらかしてしまったんだろうな、というときもある。
その記憶もあってか、なかなか一歩を踏み出せない。
しかし手軽につぶやけるぶん愚痴だらけになり、時間の無駄だと我に返り止めてしまった。
交流するにはtwitterなんだろうけど、たぶんこのツールは自分に向いてないと思う。つい愚痴を吐いてしまう状況が目に見える。
フォロワー同士がリプ飛ばしている中、指をくわえて見ている自分、みたいなのが目に見えてしまうのも想像できる。
自分のサイトでせっせと創作物を上げてブログでだらだら持論を語ったりする今が一番平和なんだろうとは思う。
でも友達欲しいよ。
キャッキャウフフ言い合える仲間が欲しいよ。