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はてなキーワード: 勇気とは

2024-05-15

AIと話をしていても、奇異に感じられないようになる。そしてスマホ死ぬ

街中で普通に電話で話している人がいても、おかしく感じることはない。

それと同じように、AIと会話するのが自然光景になる。

AIの声が外部にも聞こえる形になるか、それとも電話での会話のようになるかはわからない。

まあ、電話でも普通にスピーカーで話している人もいるからどちらでもいいのかもしれない。

Siriにしてもグーグルにしても電車の中で話しかけるには、ちょっと勇気必要だ。

それは「会話」とは違う話し方をする必要があるからなんだと思う。

でも、これからAIは完全に会話になる。

「来月の〇〇さんの結婚式、何時からだっけ?」

「こないだ買うかどうか悩んでたゴルフとき帽子ってどれだったっけ?」

こういった会話でも恥ずかしい、違和感があるというなら、

冒頭に

「あー、もしもし、えっとね」

などと、つけてしまえば完全に人と話してるの同じになるだろう。

最終的には、AIと話すのがありふれたことになるから誰も気にしなくなるはずだ。

聞いた話によると大昔、携帯電話液晶画面がついてネットを見ることが出来るようになったとき

最初アーリーアダプターたちが電車の中で携帯電話をじっと眺めていたら、ちょっと変な人だと思われていた時期もあったと聞く。

AIとの会話も最初の頃はちょっと違和感があるかも知れないが、すぐに見慣れた光景になるだろう。

なんだったら、もうスマホなんてなくなるかもしれない。

会話オンリー携帯端末だけでも事足りるケースも多くなるはずだ。

スマートフォンのような機械は、いまのタブレット端末のようなポジションへと追いやられるかもしれない。

相変わらず必要ではあるが、ど真ん中の主役からは外される、という運命となる可能性もある。

役人職場内の同調圧力に屈して同和利権をセーフにするのと、私生活コーヒー窃盗することの区別もつかないのか?

Rの支払いでLのコンビニコーヒーを飲むと数百円の差額で懲戒免職になるという。1900万円の不正支出自殺への追い込みはどれほどの懲罰になったのだろうか。

ちょっと意味が分からないな。

職場の中における同調圧力が強すぎて本人の意志とは半ば無関係同和利権容認するような書類を処理してしまうのは、職務における真剣さや勇気の欠如ではあるが、それは個人生存戦略社会通念上のモラルのどちらを優先するかの話であって、その人間を明確な悪と断ずるのはいささか求めるハードルが高くないか

対してコーヒーの値段をちょろまかす行為は、明確な自由意志に寄る明白な詐欺窃盗行為であり、100%自由自分の行動が選べる状況において、完全に自己利益のみを目的として、他者に不当で不誠実な取引、というよりハッキリ言って差額分の万引きと等しい行為を行っているわけで、判断力の低下を招くような追い詰められている状況でもなければ、本人以外の意思が介在するようなシチュエーションでもないわけだから、明確にその人間悪党であると断ずることが出来るんじゃないのか?

扱った額の大小に注目してどっちが重い罪をなしたかではなく、どちらがより「自分自由意志をもって犯罪行為に手を染めることを選んだのか。犯罪行為に手を染めない道を選択できる自由がどれぐらいあったのか」で判断すべきじゃないのか?

というかそもそも、この2つを比較するのが完全におかしいというか、状況が違いすぎないか

マジで何を言ってるのか意味がわからない。

本当に意味がわからないのは、こんな意味のわからないコメントがそこそこにスターを貰っているということだ。

読解力が反転して、逆読解力が高まりまくった人間SNSかよ

anond:20240515193549

エゴ v.s. エゴ ならいいけど 善の勇気迷惑扱い は流石にキレるわ

アナウンスってのが更に

戦争はそれはそれでダメだけど、方向性として

anond:20240515192118

同意。アレって十分な謝罪したの? 思い返すたびに怒りで震えてくるわ。

人を救うための正義勇気を、さも弁えない身勝手さんの迷惑行為かのように断ずる邪悪さは本当に許せない。

anond:20240515191704

うへぇ……… 思い出しちゃったじゃん、女性土俵に入らないでください、本当にクソ

勇気出してくれてる女性をくじかせる高圧

胸糞悪くなるわ

命を何だと思ってるんだよマジで

anond:20240515172723

それな。

Twitterできったないけど好きな焼肉屋があって、関係性ができた所で勇気を持って彼女と一緒に言ったら楽しんでくれてそれで結婚したってのろけ話があって、もういいわ、爆発しろって思ったことあるけど、それとの違いが理解できない人はきつい。

anond:20240515132315

うーーん

男として当然の正義とか勇気を測るテストはいいけど

赤ちゃんの高い高い、とかは出産後にインストール可能じゃね?

生活力スコア化は女性も嬉しいけどさ

切り分けが難しそう

anond:20240514140151

自分の好きなBL漫画の作者がXで「最近好きな人ができた」とか「彼氏ができた」とかリアル恋愛の話をつぶやいていたらよってたかってぶっ叩くでしょ?


えぇ……?いつの時代?悪いけど追記ますます釣り感が

今って結婚して子どもいてその子もも小学生で~みたいな人いっぱいいない?

コスプレイヤーであることを活かして子どもお遊戯会で着るお姫様の服を作ってあげるとか子ども幼稚園先生に「ママってたんじろーのえがとってもじょうずなんだよ!」って同人活動やってることをバラしてしまうとか小学校卒業文集作りに携わった時に最寄りの印刷所に詳しすぎて他の保護者怪訝な顔をされたとか子持ち同人あるあるみたいなのも定期的にバズる

リア垢を持たずにリアルの話を同人アカウントで垂れ流す人の方が多いと思う

三次の男が嫌いってカミングアウトする方が勇気いる、私はジャンルによってアカウント分けてるけど一番人口多い大手ジャンル大手カプでもそんなこと言ってる人見たことない

どうやったら増田みたいなタイムライン構成できるんだ?どこ行っても喪女なの私だけだよ!!

好きなジャンルを起点につながるんじゃなくて男嫌いっぽいことをつぶやいてる人をジャンルわずフォローしてるとか……?

それはもうBLクラスタじゃなくて男嫌いクラスタなのでは


とここまで書いたところで何となくツイッター検索したらやらおんにまとめられてたしアフィリエイト用の投稿だったのかな

腐女子男嫌いの喪って風潮を作りたいのかもしれないけど上で言ったように今時は既婚者の腐が大勢いるか現実的じゃない気が

クーポンを使う謎を解きたい増田住まい多記とをぞな羽化つをンポーク回文

おはようございます

微妙にいまだ肌寒かったりするときがあって困るんだけど、

なので薄手の羽織ものを入れておくのはこの時期の必勝法で、

でもなんか今年は5月に入ったらもう寒くない決定!って踏んでいたのよ。

なのに今年はちょっとまだ寒い時もあったりして、

なかなか油断ができないわ!

こういう時にうっかりすると風邪引くのよ!

私は最近お昼はキーボードを打ち込めるところで行ってるのだけれど、

私があまり毎日うから

配膳猫ロボット特別割引クーポンを一緒に食事と乗せてやって来たの!

私だけ特別?って

思ったらまたよその人への配膳される猫ロボットにも同じクーポン券がのって運ばれていたので、

私だけ特別ものではなかったようね。

勘違い勘違い

令和入ってからのいちのテヘペロ案件だわ。

そんで、

いつもセルフレジ無人で後方前転して退店していくんだけど、

もちろん入店時は飛び込み前転を決めつつ、

お支払い時は無人なので、

逆にこのクーポンどうやって使うの?って

いやバーコード読み取らせたらいいのかしら?

そうなるってーと、

使用期限中ずーっと券は回収されずに使えるの?と言う新たなる疑問が1問私の目の前に浮かんだの。

なんかさー

5パーセントオフ!って行っても微妙だけど消費税5パーセントオフってなると

違い方感じ方思うこと大きいなーってその5パーセントって思うのよ。

たぶん月に行った人が初めて消費税を喰らったときに良いそうな、

人類にとっては小さいかもしれないけど私にとっては大きな5パーセントだよね!って、

はい名言出ました!って思うことを言いそうなぐらいだわ。

この5パーセント塵も積もればツモリチサトって言うかは知らないけれど、

金利曰くほぼそれだって0パーセントじゃない。

から

積み重ねていったら、

大きいのよねーってそこでやっぱり超節約人間とかとの差が出ちゃうのかも知れないわ。

つーか

そもそもとして

節約人間はそんな猫配膳ロボットファミリーレストランには行かないかーってミランダカーばりにそう思うのよ。

そこ盲点だったわ!

最近は朝のそういうファミリーレストラン的なところであまり朝一番で行くと猫配膳ロボットがまだ充電中だったりとか起動していなくて、

朝一のパフェも頼んだものなら、

まだアイスリーマーの機械が電源入れたばかりなので冷えてないのでできませーん!って

猫の代わりに人間店員さんがやってくるのよね。

まりに早すぎるのもまだ準備が出来ていない率高しだわ。

ルービーも朝はまだ生樽酒屋から届いてきてないから飲めないって言うしー。

ルービーを決めるのもなかなか難しいときがあるわ。

私はそう言う時はヒーコーで我慢するけれどね。

そこは大人よ。

むやみにスープバースープの桶を開けたり閉めたりして何を確認してるのかよく分からない人を演じたりはしないの。

あれってさ、

たまに用もなくスープバースープの鍋の蓋を開けて中身を確認する人ってなにがしたいのかしら?って思うわ。

からあのスープバースープ鍋はちょっと周辺緊張感が走るし衛生面そんな様子で大丈夫なの?って問題もあるので、

あのスープバー私信用してないのよね。

猫ちゃんロボットの方がよっぽど信頼が置けるし、

食事も置けるし

いろいろなものを乗せて店員さんに押されているときを見たときは頑張ってるなーって

そのお店の大将にあの子頑張ってるからこのオイルでも飲ませて上げてよ!って言いたくなるのよ。

まあそんなことで、

私はこの持て余しそうなクーポンはどうやって使ったら良いのかと

1花衣だけしか使えない方式なのかしら?とか謎が多いけれど

勇気を振り絞ってクーポン使える日が来ることを願うわ。

クーポンは5パーセントオフだけど勇気は100パーセントよ!

なんてね。

うふふ。


今日朝ご飯

豆乳ポタージュスープミックスしたものですませてきました。

なんかポタージュスープだと心細いので、

豆乳でかさ増しよ豆乳しまし、

まだマシかしらね

デトックスウォーター

液体物ばかりで朝からたぽたぽ具合半端ないけれど

水出しルイボスティーウォーラー

朝の起き抜けの時の水分補給1発目にとりたい水分でごくごく飲んじゃうわ。

朝もだいぶ過ごしやすくなってきたからいいわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

万引きする勇気がほしい

貧乏なので好きな菓子すら金だして買うのが馬鹿らしいので万引きする勇気がほしい

だけど高くても数百円の菓子万引きで捕まるのアホらしすぎるとも思ってる

2024-05-14

anond:20240514161744

chatGPT

キラキラおしゃれな人たちが多くて、入る勇気が無い

新宿スタバに群がる愚民共を眺めながら

ワイは優雅デッキの上でお茶してる

なんであんな狭いところにいなきゃならんのや

デッキの上ならショバ代タダやろ?

別にキラキラおしゃれな人たちが多くて、入る勇気が無いから書いているわけでは無い。

朝の連続テレビ小説「豚に真珠

### あらすじ

「豚に真珠」**は、弱者男性田中大輔主人公の朝の連続テレビ小説です。大輔は田舎の小さな町で育った心優しい青年。彼は都会の生活に憧れ、上京して成功を夢見ますが、厳しい現実に直面します。様々な仕事に挑戦し、人との出会いや別れを経験しながらも、なかなか報われず、人生の壁にぶつかり続けます
第1週 - 第4週:田舎から都会へ**

田中大輔(27歳)は、田舎農家で育ちました。彼の夢は都会で成功すること。ある日、家族の反対を押し切って上京します。しかし、都会の厳しさに直面し、アルバイト転々します。

第5週 - 第8週:初めての恋**

大輔はアルバイト先のカフェで知り合った、明るく前向きな女性鈴木美咲(25歳)に恋をします。美咲との恋愛は彼の人生に光をもたらしますが、美咲は突然海外留学のために去ります。大輔は心に深い傷を負いますが、前に進もうと決意します。

第9週 - 第12週:挫折と新たな挑戦**

大輔は新たな仕事として、IT企業就職します。最初は順調に思えたものの、上司や同僚との人間関係に悩み、成果を出すことができずに退職余儀なくされます失業の中で再び自分価値を見つけようと模索します。

第13週 - 第16週:友情裏切り**

同じような境遇の友人・山田健太(29歳)と出会い、二人で小さなビジネスを始めます最初はうまくいくかと思われましたが、健太裏切りによりビジネスは失敗。大輔は再び一人になりますが、自分自身を見つめ直す機会を得ます

17週 - 第20週:家族との再会**

田舎家族と久しぶりに再会します。家族の温かさに触れることで、再び立ち上がる決意を固めます家族との絆が彼の支えとなり、再び都会での生活に挑戦する力を得ます

第21週 - 第24週:最後の挑戦と報われない結末**

大輔は最後の挑戦として、かつての夢だった農業関連のスタートアップを立ち上げます。多くの苦労を乗り越え、ようやく事業軌道に乗り始めますが、突如として天災に見舞われ、事業破綻。すべてを失った大輔は、再び田舎に帰り、静かに生きることを選びます

### 主要な登場人物

この物語は、現代社会での苦難や挫折、そして人間の温かさを描き出し、視聴者共感と感動を呼び起こします。大輔の人生は決して報われることはありませんが、彼の挑戦と努力は見る人に希望勇気を与えます

2024-05-13

anond:20240513163004

童貞こそがマトモなんだよ。

俺もキミのように、かつて童貞を気に病んでたことがあった。

だがな。

今では180度考えが違う。未経験二割の時代に合わせてアップデートされた。

まさにトラックバックで言われてるような、人心掌握術を無自覚適用したみたいな、女性意志とは無縁のセックスが全てだと思ってる。

野球部主将マネージャーを落としたり、イケメン少女マンガ的な憧れに乗じて無辜少女をテゴメにしたり。もっと多いのは強引に迫って仕方なく受け入れるやつだろうな。ノリとか習慣とか惰性とかの刷り込みでやってたり。

女性があらゆる外力、文化パワーバランスから完全に独立した自由意志で、心から、望んだセックスなんて、ない。

あるいは男が女性を傷つけながら磨いたコミュニケーション術で籠絡したケースしかない。

キミは。

童貞は。

いつか邪な考えがピュアな内心によぎったかもしれない。

勇気がなくて一歩踏み出せなかった側面も確かにあるだろう。

だけど少なくとも、女性を傷つけなかった。

anond:20240513170405

相手を傷つける勇気を持たないと恋愛はできない。

他人を傷つける勇気を持って初めて、他人を傷つけないコミュニケーション能力が得られる。

から傷ついても許しあえる幼少期のうちに経験を積んでレベルアップしておくべきなのさ。

anond:20240513165425

じゃぁ弱者男性結果的童貞脱出するには、まず誰かを好きになり、その上で乏しいコミュニケーション能力と発展途上の恋愛スキルで偶然相手を傷つけない幸運を踏み続けなきゃ、正しくないってコトォ?

下心で恋愛術を磨くのは女性トロフィーにしてるんだから、そうなるよね。すべては結果じゃなきゃダメと。

童貞は初めて好きになった愛する人を、そんなリスクさら勇気を持つべきなの???

文化にハマれなかったオタク女の愚痴

TRPG、ひいては卓文化にハマれなかったオタク女の愚痴

どこにでもある、ありふれた、ただのコミュニティから溢れたオタク女の嫉妬だ。




私には10年以上繋がっているフォロワーがいる。彼女たちはみんな、一次創作と銘打ったいわゆる「うちの子文化が元で繋がった。

当時、私たちは「うちの子語り」を頻繁にしていて、彼女たちの語るキャラクターの魅力や世界観が好きだった。

その時その時で作者の推すキャラクターは変わるが、どのキャラクターも魅力的だった。

親しい人同士で組んでいた関係、いわゆる「うちよそ」の話をする人も多く、そのうちよその話も、基本媒体Twitterなので、手軽に情報アクセスすることができた。

どんな関係性なのか、どういったところがこのふたりの魅力なのか。作者たちの力の入った紹介やイラストを見るのがとても好きだった。

生憎、私は自己完結型オタクだったので、うちよそを組んで交流!といったタイプではなく、淡々キャラクターの掘り下げとストーリーの公開を行っていた。それでも、彼女たちとはキャラクターへの推し感情を伝えたり、日常的な話での交流は頻繁に行っていた。

創作活動なしに、良い関係を築けていたと思う。現実での悩みを相談しあうような、親しい仲の友人と言える存在だった。






そんな状況を変えたのが、TRPGブームだ。

いわゆるCoCがとにかく流行った。

みな語る内容が「この間の卓が〜」「HO○が〜」とTRPGの話に変わった。

当時私は既に就職しており、夜の8時まで仕事がある日も少なくない、おまけに平日休み彼女たちと全く予定が合わなくなっている状態で、後から時間差で「なんか遊んでるんだな〜」と確認する程度で、完全に波に乗り遅れてしまった。

その乗り遅れている間に、彼女たちは共通体験をしたものしかからない、いわゆる"身内ネタ"で盛り上がっていく。

そうして、みるみるうちに、取り残されてしまった。





かつて仲の良かった人達がどんどんと、いつも卓の話ばかりになっていき、そのままいつも卓を囲む面子しか話をしなくなる。

その様子をただ見ていることしかできなかった。

これは私のコミュニケーション不足が招いたとも言えるが、その"身内"の固まるスピードが異常だったのだ。本人たちは楽しく遊んでいるだけではあるので、水をさすような真似はできなかった。

媒体Twitterからdiscordに変わり、discordグループでの会話が増え、Twitterでのツイートが減っていく。

コミュニティ外の人になってしまった私は、彼女たちが楽しく過ごしているのを見るだけで、入り込めなくなってしまった。



Twitter上で「つわぼ!鯖にて!」「通話出来る?」と私抜きで仲良くしている様を見ることしかできないのは、とても寂しかった。

でも仕方がない。私はTRPGをやっていないので、そのコミュニティへの参加資格はないのだ。


一度気を回してもらったのか、卓に誘われ、参加させて貰ったことがある。

経験者たちがサクサクと「キャラシート」なるものを作っていく中、「これ回して!」と言われたステータスデータ提示して、「じゃあこういう職業ができるよ!」「キャラデザ、メーカーでいいからざっくり考えてきてね!」と放り出され、キャラクターについて考える間もなくセッションが開始してしまった。楽しさを知る前に、あっという間にセッションは終わってしまった。

その時に嘘でも「たのしい!またやろうね!」と言えれば良かったのだろう。

でも、どうしても楽しいものには思えなかった。使い捨てのこの一瞬のためだけに作られたキャラクターたちに愛着を持てなかった。

そこで、かつてのキャラクターを掘り下げて、楽しそうに語っていた彼女たちはもういないのだと悟った。

CoCに限らず、TRPG時間と遊ぶ相手必要ゲームだ。

頻繁に一緒に遊び、時間を共有する友人により深い友情を感じるのは必然と言えるだろう。

それでも、急速に完成されていくコミュニティ。それに加え、彼女たちは無自覚でも排他的空気コミュニティを作ってしまっている。

それが恐ろしく、悲しかった。


彼女たちと私の愛したかつてのキャラクターにはもう会えない。

コミュニティに参加することも出来ない。その勇気もない。

ただ、取り残されたという被害妄想を抱えた、私という愚かなオタク女が取り残されただけだ。

2024-05-12

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

2024-05-11

現状の自分に不満があるやつは、もっと上手く行ってない人間が今の自分に転生したものしと思い込もう

働いてるやつは、無職転生前世の男が死んで今の自分に転生したと思い込む

前世の男にとって、今の自分は働いてるだけマシなので、この自分なら頑張れると思うだろう

その男のように現時点で無職のやつは、死刑が確定し日々執行を怖がるだけの凶悪犯が自分に転生したと思い込もう

まず生きて活動できる、殺されないということに喜びを覚えているはずだ

そうして転生したものと信じ、自分の肉体のプレイヤーを、人生をやり直したくてもやり直せない

自分よりも欲しがるだろう魂に明け渡してやることで、今の境遇を乗り切る勇気が湧いてくる

三十年来の爪噛みが治った

三十も後半にさしかかった。もう自分構成する全ては変わらないと思っていた。

爪噛みもその一つだった。

幼稚園の頃から爪噛みをする癖があったけれど、人前ではしないか放置をしていた。

それが最近治った。

ちなみに爪を噛むと言っても、私の程度は爪を噛むだけではなく、幼い頃など母の爪も噛んでみたり、ささくれをむいたり、足の爪さえ手でいじってむいてしまうぐらいの程度だった。

自分の爪噛みは専門家の人に診断してもらった事はないけれど、多分精神的な事に由来してるのではと思っている。一種自傷行為的な。

希死念慮が薄ぼんやりと付き纏う人生だった。

家族関係は重大とは言わないがそこそこ問題があった。

中学生ぐらいか死にたいとはっきり思っていた。社会人になって自殺しようとして失敗した。

それでもなんとかギリギリ周りに助けられつつ生きてきたけれど、数年前ついにメンタルクリニックのお世話になって安定剤を飲み始めた。

(正直もっと早く行っていれば良かったと思う。)

ちょっと持ち直してきた、と思ったら、今度は職場人間関係パワハラ休職して、更に異動先でも上司と合わず、今も安定剤と一緒に生きている。

このままこうやって生きていくのかな、と思ってたし、今もそう変わらない。

ただ、うっすら張り付いていた希死念慮最近意識しないで済むようになった。死にたいと言わなくなった。それと爪噛みの癖がなくなった時がほぼ同時だと気づいた時、凄く感動した。

自分は死んだ方がいい。生きている価値などないし、友人や姉も私以外の大事な人がいるので、たかが私が死んだところで別にどうでもいい。悲しんでくれるだろうけれど、悲しみなんて一生続かないし。と思っていて、また死ねタイミングがあったら今度こそ死のうと思っていた。

でも数ヶ月前のある日ふと、本当に何故か分からないけれど、そんなに自分価値のない人間なのか?と思った。だって誰にも迷惑をかけてないじゃないか、と。諸々のルールを守ってるし、職場の人に意地悪なんてしてないし、ちゃんと親切をする。それなのになんで、生きてちゃいけないのか?と思った。

そして、今まで自分は無価値というベースの上に生きていたけれど、立ち位置を変えて、自分の良いところに立ってみようと思った。

良いところなんて分からないけれど、多分あると思って、ぼんやりとした良いところに立って生きてみようと。

そして、それと同時に考え方を変えた、というか、気付いた、という事がもう一つあって、それは自分が今まであってきた辛い経験精神不安定さ、生きづらさを宝物のように思っている事だった。

こんなに辛い経験を何もなかった事にしたくない、この不安定さ生きづらさこそが私で、だからこそ私は他の人と違うのだと思っていた。

痛みを手放さず、痛いまま、その痛みこそ自分だ、と思い込んでいたのだ。

でも、そんな事はない。頭が痛いとき頭痛薬を飲むのは治す為で、本来痛みとは治すものだ。

それを私の人生だ、と思い込んでいたのだから、生きづらいし、死にたくもなる。

痛みを取り除いた私、例えば好きな事をしてたり、大好きな友達と話してる時の自分本来自分であって、それは誰かに傷つけられ、嫌な目にあったとしても、何も変えられない、侵される事はないはずだ。

今思えば、メンタルクリニックに行って良かったと思う。というか、もっと早く病院へ行くべきだったと思う。

メンタルクリニックで言えなかった様々な事、希死念慮自殺未遂、家族会社問題コンプレックスを吐き出せた。勇気がいったし、二人目の先生で、それでも早いと思うけれど、言うことができた。

それが変わるきっかけの一つだったと今思う。

死にたい気持ちは、今も心のどこかにある。

でも、随分マシになった。

それだけで楽になった。生きていたいと体はどうしても動くから、体と心がバラバラなのは本当に苦しかった。

でも、今は心と体が一緒というか、心が体を傷つけなくなったというか、やっと2つが私のものになった気がする。

気分の波は今もあるし、今日こそ死んでやる、と思う日も、少なくなってきたとはいえ、なくはない。そういう自分も、自分から、ただその都度癒して行く方向で、いつまで続くか分からない人生を過ごしていこうと思う。

まもなく出産する、コワイヨー(追記しました)

(追記)

産みました~ブクマカのみなさん、暖かいコメントありがとう!なんとか月曜日まで持ちこたえてくれて無事無痛分娩出産できました。無痛分娩すごい。自然分娩の10分の1くらいの痛みと疲労でおわった。

コワイヨーというお気持ちちゃんと答えてくれたブクマカ、ほんとありがとう。救われた。怖いときはどんな内容でも励まされると力になりますありがとう

追記おわり。

今日明日陣痛きそう。二人目なのでなんとなくわかる。二人目だけど怖い。二人目だからこそ怖い。

またあの地獄に戻ろうというのか、という恐怖。陣痛の痛み。耐えるしかない数時間

かかってる病院無痛分娩が平日の日中しか対応できないからこの土日で陣痛が来たらもうそのまま産むしかない。コワイヨー。

実は逆子でしたーとかなって帝王切開にならんかな…帝王切開が楽なわけではないだろうけど自力で分娩に立ち向かう勇気がまだない。あーコワイヨー。

なんか気を紛らわしたい。もしくは分娩に向けて気合いいれたい。このままでは怖くて仕方ない。

2024-05-10

同人活動交流、やっぱ苦手

ジャンル規模はまぁまぁなんだけど何せマイナーカプ。

片手で数えるほどしか人口がいないぜ。

まり交流してこなかったけど勇気を出して交流始めてみた。

結果、交流めんどくせー期。

最初感想もらったのは嬉しかったけど、同じ丁寧さ・同じ熱量文章さないといけない。

これは続けるの難しいぞと思っている。

思ってることを文字に変換して、相手に失礼ないように精査して、文章整えて、ってその時間創作に充てたい。

そういう作業楽しい人じゃないと向いてないんだな。分かってきた。

対人だとエネルギー削られる。

みんなこんなんようやるな

ダルい

もう降りていいか

でも進行中のあれは降りられない

なかなか長期の企画だけどどうしようかな

一応最後までやるけどTwitterはしばらく更新せんとこかな

人間、無理していつもと違うことするもんじゃいねぇ。

anond:20240510201924

そうか、俺が悪魔だとして

人間のお前が人間よりも強い悪魔に対して文句を言うのはずいぶん勇気があるな?

anond:20240510172218

運動神経ゼロなのにバスケ部入る勇気すごいやん。

ボクシングだったらトレーナーについてもらうだけだから虐めとかないんちゃうか。

はてなブックマーク記事の外からクソみたいな石しか投げられない人間が、社会を変えようと戦う人間を笑うなよ

お前のコメントには彼らの勇気の100分の1の力すらない

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