「第一人者」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 第一人者とは

2023-01-18

anond:20230116091501

おやおや

嫌儲と並ぶ失敗の第一人者たる増田にしては厳しい意見だねぇ

失敗してたら意見しちゃいけないのかい

失敗したからこそ得られる視座もあると思うが

2023-01-16

anond:20230116174130

もうちょっと長期的な損得も考えたら?

この人と仲良くしたら出世できそうとか、業界第一人者から気に入られたら転職かい企業斡旋してくれるかもとか

2022-12-10

なぜ「多様じゃない多様性」が生まれたのか?

多様性と言ったら「色んな人がいていい」なのに

なぜか現代多様性では「色んな人がいなきゃいけない」になっている

「色んな人がいなきゃいけない」の正しさの押し付けになっている

スタートの公平じゃなくて結果の同一性になっている

 

こういうのって、最初に言い出した人はいいんだけど

その声を聞いて周りに正しさを押し付ける人が一定数居るんだと思う

 

1.最初に言い出した人(当事者第一人者

2.それを広める人

3.正しさを押し付ける人

4.彼らに従う人

5.反発する人

 

と言う構図がある

 

こういうの誰しも覚えがあるんじゃないだろうか

昔、某掲示板二次創作を始めたことがあって、その後それなりのブームになったことがあった

私はちょっとした始祖というか神扱いされて気分が良かったのだが

やがて「増田さんならこう言っていた」「増田さんはこう言うはず」「増田さんはこうだから君は逸脱している」

のような、勝手ルールを増やす人達が現れた

そのたびに私がもっと自由にやろうと、多様性を確保しようとしたのを覚えている

 

あるいは某技術系の業界では、有名な人のやり方を当然参考にするムーブメントがあるわけだけど

「彼がこうしていたからこれが正しい」というような人たちが一定数居る

それで後になってその有名人が「あの方法よくないよね」とかちゃぶ台返ししたりする

 

まり、神を作り上げて周りに押し付ける人というのが世の中には一定数居るんだと思う

今回で言えば当事者マイノリティ

マイノリティ過去何十年も同じように主張してきたが

最近になってこの「神を作り上げて周りに押し付ける人」が現れてきて、監視社会のような様相になってきている(主にアメリカで)

たぶんだけどこれはSNSが強く影響していると思う

今のツイフェミ周りのムーブメントにも似ているし

 

そうやって「多様性を謳ってるのに多様じゃなくなっている」といった意味不明な状況が生まれているんだと私は考えている

 

あとはそういう一連の流れがバズるので社会的煽り合戦が行われてしまうというのもありそう

2022-12-02

観相学ってのを初めて知ったのだけれど

数年前に起きた「大雪りばぁねっと。」事件岡田という元代表をふと思い出した。当時岩手(内陸だが)に住んでいたので、あの悪人面がテレビ報道される度に「悪そうな奴だなあ…」と思っていた。知らない人は大雪りばぁねっとを調べてみてほしい。相当な悪人面だから

そんな事件をふと思いだし、「人は見た目によるのか?」という疑問を抱いて調べた。あった。観相学、あるいは人相学というらしい。

『顔だちや表情から、その人の性格気質、また才能を判定しようとする学問。』(コトバンクより)

一応、観相学自体は古くからヨーロッパ中国でも存在はしていたのだが、「こういう顔の人はこういう傾向だよね」というぼんやりとした情報集合体からなる、いわゆる「人相占い」の域を超えなかったようだ。

しかしこの観相学第一人者である20世紀ドイツ医師クレッチマーさんは、特に体型の方に着目し、人の体型を細長型、肥満型、筋骨型という3つのパターンに分けた。これが現代における観相学の基礎となっていると言われている。

その上で細長型は分裂気質、静か、控えめ、真面目であるとか、肥満型は躁鬱気質、社交的、親切、温厚であるとか、筋骨型は粘着気質几帳面、熱中しやすい、頑固、興奮しやすいであるとかのように、体型と気質を結びつけた。(ここらへん全部wiki受け売り)

と、ここまで観相学について述べてきたのだけれど、私は思った。「…これ、ルッキズムとか叫ばれてる現代においてアウトじゃね?」と。

もちろんこの観相学現在でも本が出版されたりと進化を続けてはいるのだけれど、正直マイナーである(自分無知なだけかもしれないが)。だから例えば友人と話していて「君の体型は筋骨型だよね、だから頑固なの?」とかいう会話をするような機会はほぼゼロと言ってもいい。会話のレベルとしては血液型性格を診断するのと同じようなものだ。

だが私が言いたいのは、心理学という学問を盾にすればなんでも許されるのだろうか、という点だ。

「君は太っているよね。太っている人は社交的な人が多い。だから君も社交的ではないだろうか?」と聞いたら昨今の社会では確実にアウトだ。

でもこの後にこの発言者がこう言い足す。「…と、ドイツクレッチマー心理学的な観点から提唱しているんだ。」と。

こう言われたら最後いくらムカついても「心理学的に提唱されている学説から」という言葉に守られた相手理論を崩すことは難しくなる。

昔、オードリー若林さんが心理学者に「あなたは後輩のネタを見下して見ている」と言われて激怒した話があったが、それと同じような気がする。若林さんは身に覚えがないことを言われてムカついたが、心理学を介して言われたためにキツかったらしい。

いくら失礼なことを言っても、「心理学的な視点から考察している」と言えば許されるのだろうか?そうではないだろう。心理学は万能な免罪符などではない。心理学あくま統計的ものであって100%の人に当てはまるものではないということを忘れないでほしい。そしてどうか、その心理学的な視点かいう凝り固まった印象を目の前の誰かに被せないであげてほしい。心理学的に見て99.9%の人は当てはまっても、今あなたの目の前の人は0.1%の当てはまらない人かもしれないのだから

2022-11-15

イーロンマスク以上の世界経営者図書館設計第一人者たちが溢れるはてブを役立てる方法

なんかないですかね。

毎日毎日いろんな分野にあれやこれやと上から目線で物申してるはてブの才能を何にも活かさないなんて人類の損失でしかないですよね。

2022-10-12

anond:20200522201503

安楽死コーディネーターになるのです。

日本国内安楽死希望者と、海外安楽死施設との仲介をしてあげるのです。

そうして、実績を積んでゆきましょう。

多くの安楽死に立ち会えば、さまざまなケースを知ることができます

そして、理想安楽死 について書籍化しましょう。

日本国内安楽死第一人者になりましょう。

安楽死専門家としてのキャリアを築くのです。

各地の老人ホーム安楽死について講演し、安楽死希望者を増やしましょう。

安楽死希望する人が増えれば、自然と、安楽死希望者の票を取りたい議員が現れます

安楽死基本的人権の一部であると主張し、

安楽死理解のある議員が増えたら法制化するのです。

2022-09-19

anond:20220919084145

関係ないけど、マンポエ作家というのものがついに生まれなかったのは残念で仕方ない。

マンポエって社員の人が考えてるかコピーライター発注してるかなんだろうけれど

その中で作家性を持って第一人者になる人が生まれなかったのは不思議

2022-08-29

anond:20220828231828

同じことを考えたことがあるか、選手権=代表という意味理解するに至った。

全日本選手権日本代表を決める戦い。

世界選手権地球代表地球第一人者)を決める戦い

2022-08-25

本物の陰謀陰謀論の区別自分はどのように行っているのだろう

これは過去に一部の幹部だけに配布されたという極秘の組織

という名目で【邪悪組織】の内情を暴露しているある種の怪文書的なツイートを見たとき

邪悪組織】が統一教会なら(眉唾ながらも)信じるのか

邪悪組織】がフリーメーソンなら信じないのか

発言者統一教会第一人者で実績のある弁護士なら信じるのか

無名の人の発言であればどうか

判断基準はどこにあるか

ツイートを見たとき一見して「おっ陰謀論者が怪文書ばらまいてる」と思ったのだが

実際の陰謀と戦っているとされる人が内部告発文書を公開しているツイートだったという

ほとんど構造が同じなんだよな……

自分の中の陰謀論判定ロジックチューニング必要かもしれない

前者を無抵抗に信じるのは危ういなと思ったし、ましてや邪悪組織憎しで熱を上げるのはもっと危うい

2022-08-08

勉強会ハックの自作フレームワーク宣伝おじさんVS 離婚によってチンポ化したReact第一人者

勝手に戦え!」

2022-08-04

anond:20220804143443

地縁血縁、学縁という言葉があるけど、

日本フェミニズム第一人者として知られている上野千鶴子先生は、「女縁」を提唱しているよ。

女縁を大切にすれば、立場地位の違いをこえて女性連帯できる。

女縁の大切さは、上野先生弟子筋にあたる派閥フェミニストも、上野派とは犬猿の仲にある派閥フェミニストも、思想の違いをこえて共感できると思う。

2022-08-01

いかがでしたか?」問題に「欲しい情報が出ない」問題… Google検索第一人者が語る、検索で不満が募る“意外な理由”とは | 文春オンライン

https://bunshun.jp/articles/-/56122

辻氏の記事に対するコメントにこんなものがあった。

blanqui 2022/08/01 12:51

Google検索第一人者って何ぞって思って読んだら、クローラ作成者とか自然言語解析やアルゴリズム研究者とかではなく、SEO業者だった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4723202290562822882/comment/blanqui

WEB屋というか技術屋が多かったはずのはてなにおいて、「SEO業者」の一言唾棄するコメントスターが集まってるのを見て悲しくなったわ。まぁ「Google検索第一人者」という言葉が適切かどうかはともかく。

なんではてなって意地でも何かにイチャモンを付けたがる偏屈ジジイ巣窟なっちゃったんだろうな。何も知らんくせに偉そうなことをいう奴だらけ。ヤフコメレベルネットスラムになってしまって俺は悲しいよ。

2022-07-26

日本犯罪者で一人で日本を変えた第一人者宅間守だろう

池田事件以降、全国的学校部外者が入るということに対してのハードルめっちゃ上がった

女子高なんかでは文化祭であっても生徒から認められて入館証のようなものを持ってない人が入れない場合が増えた

昔は公立中学校なんか人の出入りがゆるゆるで定期的によくわからん知らんおっさん侵入していたりしたが

最近ではそういう事件を耳にすることはほとんどなくなった

 

5年後に統一教会の件がどうなっているかわからん

宅間がカマした一発は20年たった今でもいまだに影響力を持ってる

2022-07-22

京都に行った時に、ブライアン・イーノ展を見てきた。

ブライアン・イーノはみなさんご存知の通り、ロックバンドロキシー・ミュージック」の元メンバーソロ転向後は、アンビエント・ミュージック環境音楽)を開拓した第一人者として知られているし、デヴィッド・ボウイベルリン三部作制作にも参加しているミュージシャンであり、視覚芸術インスタレーション作成しているアーティストだね。マック女子高生が言っていたから、みんな知ってる。常識

で、イーノ(マイフレンド)の展示だが、非常に印象的でして。京都信用金庫旧厚生センターという何やら歴史の趣を感じられる建物内に、複数階に渡って設置された音と映像インスタレーションをじっくり楽しめる。どの展示も室内に椅子ソファが設置されており、寛ぎながら鑑賞することができる。視覚的な変化を楽しむ、という作品が多く、イーノアンビエント時間空間の変化として捉え、変化の一形態としての音や映像といった落とし込みを行ったのかなとか。

音をメインとした展示では、ここのところ純粋に一枚のアルバム聴くというリスニング行為から、すっかり遠ざかっていたんだな、ということを思わされる。真っ暗な室内に立ちすくんだ後、薄らと見えてきた椅子に座り、周りから聞こえてくるあらゆる音に圧倒されてゆく感覚。この人は、アンビエントミュージックだけの人ではなく、長いキャリア作曲家であり音楽家なんだな、ということを実感する長尺の演奏曲。

そうして私の心の一部は、喜怒哀楽の隙間、言葉では形容しづらい感情感覚を呼び起こす原初音響の中、靴を脱いで展示スペースに上がると言う所作からわずかに思い起こされる、京都という地場の影響を受け、遠く海の向こう、空の向こうにあるかもしれない過去未来と溶けあっていく……とかなんとか。

思ったよりも楽しめました。まる。

2022-07-17

信仰を棄てた統一教会2世として統一教会の闇と反カルトの闇を暴いてほしい

私は統一教会2世として生まれて、成人してから徐々に信仰が薄らいでいまでは信仰は無い。死ぬほど貧乏だったり精神病んだりで色々とツラい思いもした。

から統一教会とも関わりたくないしたくさん愚痴を言う場所もほしい。

でも、反カルトにも近づきたくない。反カルトの核心に近づけば近づくほど、統一教会信者暴力的拉致監禁してきた「拉致監禁ビジネス」と縁のない者の割合は薄れていく。いまテレビ活躍している弁護士だってかなり怪しい。下の資料は「青春を返せ訴訟」(統一教会霊感商法関連で訴えた有名な裁判)で原告代理人だった伊藤弁護士証言だ。彼が統一教会信者側に立って証言するのはあまりにも不利益が大きい。それゆえに真実性がある。本当にあの弁護士たちは大丈夫なのか??

http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-112.html

相手いくらカルトであろうと、信者路上10人がかりとかで無理やり車に連れ込み、窓やドアも全て南京錠をかけて部屋に閉じ込めて何ヶ月も時には十年以上も監禁するのは、人権侵害以外の何物でもない。

この拉致監禁を直接に実行するのは親族から、反カルトは「家族との話し合い」などと言うが、近い知り合いに被害者複数いて内情をよく知っている自分としては、こんなもんは「話し合い」ではなく「拉致監禁強制棄教」としか言いようがない。反カルト例外的な逸脱でもなく、これが常態化していた。だから、近い知り合いに被害者複数いるのだ。被害者は数千人に及ぶはずだ。ツイッターでも拉致監禁経験者(統一教会脱会たか統一教会にも批判的だが拉致監禁にも反対している人達)は探せばいる。

いま話題になっている統一教会関連の学術書を書いている人だって、著書の中で拉致監禁に関与した人物を「脱会カウンセリング」の専門家として紹介している。アカデミアの腐敗もいいところだ。

どうせこの機会に統一教会の闇はたくさん暴かれるからそれはそれでいいのだが、反カルトの闇は放置されるのだろう。

こんな状況じゃ信仰を棄てた2世としては誰も頼れない。正義の味方のふりをしている社会が憎い。

追記

これは統一教会側の人のブログ記事ではあるけれど裁判資料に基づいているので無視もできない内容。統一教会研究第一人者櫻井義秀は、「拉致監禁強制棄教経験者を「自発的脱会者」としてカウントしているという告発事実なら研究不正統一教会も関わりたくないが反カルト欺瞞もっと気持ち悪い。

http://suotani.com/archives/2198

追記

拉致監禁されて脱会した人の中には監禁の時のトラウマでずっとPTSDで苦しむ人もたくさんいる。監禁中に脱会説得者(牧師であることが多い)にレイプされたケースもある。餓死寸前に追い込まれた人もいる。自殺した人もいる。人権侵害てんこ盛りみたいなものだぞ。これじゃどっちがカルトなのかわからない。

こんなものを「必要悪」として積極的に関与したり、容認・黙認、隠蔽してきた人間達にカルト批判する資格が本当にあるのか?

努力とは

努力次第でどうにでもなると思ってる人間って結構いる

努力だけじゃたどり着けないかもしれないような領域を目指そうとすらしなかっただけなのに上から偉そうに根性論を唱えやがる

天才努力してる!お前も努力しろ!とかね、もう、ホントバカかと

必ず人間には得意不得意があるのは当然として、天才はそりゃあ天賦の才がありますから最初から完璧でないにしろ人より少ない努力でメキメキ伸びていくわけですよ

本当に努力次第でどうにでもなるならなぜお前はアスリートにならない?宇宙研究の第一人者を目指さない?なぜ?なぜ?なぜ?

2022-07-10

一水会代表による反統一教会論文昭和六十年 朝日ジャーナル

「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html

阿修羅よりコピペ


勝共連合民族主義運動の敵だ

――――文鮮明王朝建設に利用される日本若者

右翼民族派の人たちが統一教会原理研国際勝共連合のことをどう思っ

いるか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い

って気が進まなかった。

しか右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、

原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公

安や公安調査庁人間だって反共なんだから仲間だし、日本共産革命が起き

ときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界

から原理運動をそう思ってもても仕方はない。

しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん

混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い

て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい

う気もあった。多くの右翼原理勝共反共の味方だとおもっているのなら、

それでもいい。何もおせっかいをして、原理勝共実態はこうなんですよと

<告げ口>することもあるまいと思っていた。

ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼沈黙」(本誌一二月十四日号)

を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。

それに、『世界日報事件追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋

に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代から

長い付き合いだが、最近の<豹変>ぶりも見てきた。

原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に

やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原

運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってから

(その前から漠然とは知っていたが)。

それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争

火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派

学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連

を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原

理研駅前で黒板を出して演説したり、個人オルグをしていたが、大学に入

りこみ、サークルをつくったりして組織的全国的に活発にやりだしたのはこ

早大ストのころからだと思う。

全共闘民族派原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ

同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺

激され、全共闘反面教師としながら民族派原理も、己の組織化を急ぎ、全

国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研

今やっている大学でのサークル学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは

完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動民族派の運

動もある意味では「全共闘遺産」なのである全共闘との付き合いについて

はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。

はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一

水会」の機関紙レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何

度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家第一人者である茶本

繁正氏を招いて一水会事務所勉強会したこともある。その時のテーマは「

勝共連合愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ

れわれは明らかにした。

また、われわれの仲間には何人か原理オルグられたり、「合宿」に誘われて

行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研

が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「

こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ

体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元原理も考えていた。

さらには、われわれ一水会連帯している統一戦線義勇軍機関紙義勇軍報』

でも原理勝共との戦いを呼びかけており、事実一水会義勇軍は他の民族

派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。

小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼

からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利

する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方

だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、

早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇

なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は

ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては

それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天

皇制を守り、憲法改正、スパイ防止法の制定を」と言っている。

統一教会原理研勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間

は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか

どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方

だ」と思ってる右翼同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく

れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」

だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で

もないことを知った。

反共方便、実際は共産主義

イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界

一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国共産化した

からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、

さらに、全体主義国家として、…・

韓国キリスト教迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。

また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国

家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン国家との対戦であった」

という。

これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族いかに「サ

タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも

かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か

れている。韓民族選民であり、他民族優越しており、再臨主とは、すなわ

文鮮明氏のことであり、文氏によって世界統一され、必然的韓国世界

の中心となり、韓国語が世界共通語となる。こう説かれているという。

また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『

文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式

だそうで、本文から引くと…・・。

統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時から敬礼式があり、そこ

では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝

礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカニューヨーク州

イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗

大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部担当し、

文教一族に拝跪して全世界主権者文教祖に拝礼したという儀式を行うの

である日本天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長久保

氏なのである。何とも奇妙で、そして国民象徴として天皇を上にいただく日

本国民としては見逃せない情景ではないか

全くもってひどい話である文鮮明氏の精神は、信仰王国ではなく、現世の

王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反

共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて

もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」

と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格漠然とは知って

いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。

これを見ても分かるように、原理勝共は決して右翼民族派ではない。では、

一体何なのか。

まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ

ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人

生について考えている青年や悩んでいる青年オルグってきては「合宿」につ

れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…

・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵

抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想強姦

である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと

いう。さら自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚

式。本場の共産主義国家ソ連中国でも、ここまでは共産主義化していない。

自分たちの内部生活共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その

反共本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本民族主義とは一

切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共

ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ

ナショナリズムだったのと同じ構造である共産主義と同様に、この原理

勝共もまた、最も反日的、反民族運動である

第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会勝共連合

宗教活動愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便

である」と、副島氏も告発している。

世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。

韓国反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、

世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ

り、韓国世界の王に向けての手段である反共運動の全部が全部、仮面とは

言えないにしても、原理運動世界の王になることが第一目標であり、反共

運動二の次、三の次ぎであろう。

また、反共活動をいっしょにしている自民党体制文化人にたいしては、勝

連合に入るように勧めるが、統一教会原理研には入れようとはしない(な

かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間想像を絶するストイ

ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党体制派の人間をストイッ

クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近

寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの

人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や

しているかもしれないが。

虐殺兵と似た目つきの原理研

第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、

その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『

マインカンプである。『マインカンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄

禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され

日本は手を結んだ。それと同じように韓民族選民であり、世界の中心だと

いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居

直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本体制側、そして

一部の右翼は再び犯そうとしている。

第四に、この狭量なストイシズム宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権

力の奪取、文王朝建設を目指すという政治世界には入るや、必ず悪い結果

になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その

先例は歴史上にいくらでもある。

ツヴァイクの『権力とたたか良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ

ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖

政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない

者が処罰される方がいい」と公然告白したという。また、カルヴィンやロベ

ピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険

専制君主典型である」と、ツヴァイクは言う。

それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理

観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分

を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄カンボジア

実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制人間を殺

尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと

より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい

う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来

暗示するようで、何かゾッとする話だ。

贖罪意識」につけ込む文鮮明

第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。

僕は十年近く前、三一書房から腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ

爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである個人的なまじめさに

おいて、また、日本戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に

とっては先の戦争はまさしく原罪である日本韓国中国侵略し、残虐の

限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ

うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に

は「自分祖父や父は兵隊になって侵略たか自分はその贖罪のために新左

運動に入った」と公言するメンバーもいた。

それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本からは、いくら金をしぼり取

り、人間消耗品のようにつかってもいい、という原理勝共朝鮮人参、印

鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法日本から

をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい

う(もっと統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。

末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2

0億円、年に240億円もの金がアメリカ文鮮明氏の元に送金されていると

いう。合法非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に

金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば

いいという考えだ。

会員もそれに甘んじている。これは日本戦争に対する韓国側の復讐なのかも

しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪

ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ

レックスを色濃く引きずっている。

第六に、文王朝建設のために日本人の<献身美徳>が最大限に利用されてい

る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働

いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青

将校、在野の右翼運動日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん

だ人たちも大部分はそうした純粋動機からだろう。

今の日本のように皆が皆、自分さえよければいい、金がすべでだ、マイホーム

だ、酒だ女だとPermalink | 記事への反応(7) | 19:56

2022-06-26

anond:20220626193238

氷川きよしさんがテーマになってる件、この動画でボロクソにたたかれてるけどw

きよしは美的オネエ系の第一人者だし訴求力はあると思う

https://www.youtube.com/watch?v=tDONab3go_0

2022-05-21

絵柄を真似されたくないという感情

 Twitter上でたびたび話題となる『トレパク』の件について、日々さまざまな立場意見を目にする。それを追っていく中で、「落とし所を見つけておかなければいけない」と思ったこと、それが本タイトルだ。

 ※『トレパク』については考えるキッカケに過ぎないため、本文では実例には触れない。


 絵柄を真似されたくないという感情

 なぜ『感情』と書いたかというと、ひとの絵柄の真似をすることについて『善悪』で考えたところで、本当に辿り着きたいゴールには辿り着けない(平行線になる)からだ。

 そして、一次創作物の著作権知的財産権)に関わる話とは異なるステージの『悩み』として向き合うべきだとも思う。

 「嫌だ」という感情に「合法だ」と言い返しても、もとより「真似されたくない」という感情もつ人間は煮え切らない思いを抱えるだけだ。

 私が思うに、本気で違法行為だと思って喚き立てている人はほとんどいないのではないだろうか。

 ※法律に関する詳細は、専門家ではないため割愛する。

 ただ、嫌な気持ち自体が本物であるが故に、そうさせた相手悪者だと言うほか、自分を守る方法を知らないのだろうと思う。

 絵柄を真似されたくない人って、どうしたらいいんだろう。

 真似していることを咎められた時、どうしたらいいんだろう。



 絵柄。辞書意味を調べると、『工芸品・布地などの絵の模様の構図』とあるが、アニメイラストに対してネット通用されている定義の例としては

・主線の強弱

・人体のデフォルメ

・影,ハイライトの入れ方

・全体の色彩

・加工方法   etc

さらに細かく

・まつ毛の本数

・瞳の塗り方

涙袋の有無

・歯列の描き込み  etc

さらさらに細かく

・まつ毛のハイライトの有無

・瞳孔のサイズ,形,有無

・眼球のハイライトの幅,不透明度 etc

 これ、全部『絵柄』だ。イラスト構成している全ての特徴を『絵柄』の一言で表すことができるわけだ。

 それも、辞書に載っているような「絵そのものを指す言葉」ではなく、作者の「描き方の傾向・作風」という概念に対して『絵柄』と呼んでいるのが、恐らくネットアニメイラストを嗜む者の間)では当たり前の意味合いとなっている。(風景画などの絵画を嗜む方達も同じように使うのだろうか?)

 絵柄の類似に関する議論平行線になりがちなのは、中心の言葉が広義であることが、一因として割と厄介な役割を持っていると思う。

 絵柄。改めて考えると実にふわっとした言葉だ。

 私は趣味で絵を描いていて、常日頃『絵柄』が安定していないと感じているのだが、時たま「あなたの絵柄が好きだ」と言って頂ける事がある。しかも、稀にかなりの熱弁を受けることもある。

 それはそれは嬉しい。もったいない言葉だ。ありがたい。けれど、不思議だ。

 自分では自分の絵の特徴が分かっていないのに、他人からはそれが見えているらしい。

 もちろん、こだわりを持って描いている部位はあるから、そこを褒められると堪らない気持ちになるのだが、逆に全く意識していなかった部分をGOODと言われたりもするのだ。

 私が意識していなくとも、見る人にとってはそこが私の『絵柄』なのだ

 キャラクター主体アニメイラストにおいて、見る側が最も注視し、特徴を感じやすいと言われているのは、キャラクターの『顔面』。さらに言うと『目』だとの意見がある。

 「目さえ描き込んでおけば、顔の輪郭さえ整えておけば、髪などは多少線が雑でも『作品としてそれっぽく』なる」という話を聞いた事があるだろうか。それほど、目の印象はイラストの印象に大きく関与している事がわかる。

 ということは、言ってしまえば『目の描き方の特徴』に他の人との類似性があるだけで、直感的に「『絵柄』が似ている」と判断されやすいのではなかろうか。

 逆に言えば、それ以外の部分の類似はあまり気付かれにくいことになる。

 そして、この「直感」は普段、ひとの描いたイラストを「どれくらい解剖して観察しているか」によって、それぞれ見えるものが異なってくることは断言して良いだろう。

 作者がどんな『絵柄』を好み、どの部分に“意欲的に”取り入れているかは、絵を見た人に全てありありと伝わるものではない。

 また、作者の描き方自体100%意図されたものとも言えない。

 見る人によっては「目」という一つのパーツが、作者にとっては「まぶた」「まつげ」「眼球」「瞳」「瞳孔」「目頭」「目尻」の七つのパーツであったりする。(解剖とはこの事)

 私はだんだんと、「絵柄が似ている」という言葉不安定さが見えてきたようだった。

 「絵柄を真似している」の一言だけでは、意見としてあまり漠然としているのだ。

 「同じ時間に、同じ歯磨き粉を使って歯磨きをしている」という意見を「モーニングルーティンを真似している」という大きな言葉で訴えるようなものではないか

 正直、そんな主張はまったく滑稽だと思わざるを得ないところだが、きっとそれでも「嫌だ」と思う人はいるのだろう。

 『絵柄』に『流行り』がある以上、その第一人者はいたはずだ。流行りの絵柄というのは数年単位面白いほど変わる。『流行り』は『真似』で広がる。

 その第一人者が「真似されたくなかった」と思っていないとは言い切れない。自分で見つけた絵柄の組み合わせなのに、自分で見つけた表現の仕方なのに、簡単に真似しないで、という感情があったかもしれない。

 真似されたくなかったけど、我慢したのかもしれない。

 じゃあそれ、実際に言葉にしていたら、『絵柄の流行り』ってどうなっていたんだろう。

 どうして第一人者は「真似してほしくないと言わなかった」のだろう。

 自分の絵って、何に影響されて、何に感銘を受けて描いているんだろう。

 自分は“何を表現するため”に“絵を描いて”いるんだろう。


 今更だが、この日記は一つの答えを弾き出すものではなく、自分や読まれた方が、この感情を持ったり向けられたりした時にどう対処するのが「自分に合っていて」「ストレスが少ないか」を考える手がかりになればと思って書いた。

 絵は、人によっては手段であり、人によっては目的だ。

 どうしたって芸術は、誰かの真似の連鎖で生まれものだ。

 その事実を受け止めたとき、何を思うかは自由だが、『ストレスのない考え』を見つけることが、この問題のゴールになるのではないかと思う。

 ちなみに、私は知らない世界だが、ネットでは一人の絵柄を1から10まで全てコピーたかのような模倣をする人もいるらしい。そうなったらいよいよ法の出番かもしれない。


追記。私は好きなイラストの好きだと思った部分は積極的に真似している。仮に「真似しないでほしい」と言われたら、申し訳ないが私の好みが変わるまで待ってほしいと言うだろう。

2022-05-08

anond:20220508054711

そのムラでの第一人者は、それはそれで注目・尊敬されるだろ

2022-03-26

anond:20220326220051

素晴らしい、ぜひあなたが率先してやって第一人者になってください。

2022-03-23

anond:20220320193433

本来安全保障論という専門領域課題なのに,憲法学者とか社会学者とか安全保障とはかけ離れた狭い領域での知見しかない連中が第一人者のように振舞っているのが大問題

メディア国民も,専門家が何の専門家なのかを見極め切れていなかった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん