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2024-04-18

母性神話?】「子どもはパパよりママが大好き(になるものだ)」

子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」

たまに聞く話だ。

正確には母性神話とは異なる、子ども側の話題だが母性神話一種と言っていいと思う。

これについて考察したい。

子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」論の理由はどこにあるのだろうか?

(1) 本能的に子ども母親を求める(父親祖父母ではない)

(2) 子ども乳児期に多くの場合母親から授乳を受けるので愛着アタッチメント)が形成される

(3) 子ども母親の胎内にいて出産されるので愛着アタッチメント)が形成される

(1)は論としての体をなしていないと思うので却下

生物学者の出典も無しに、あれは子ども本能だと言っても意味がない。

(2)は一見最もに見えるがよく考えると疑問がある。

長い子育ての間で授乳育児の一要素のはずだがそれが何故巨大な影響を持つの不明である

人工ミルクでないならば母乳母親しかできないが、これは逆に考えると母乳以外は父親でも同じことが同じ質で出来るはずである

出来ないというのであれば夫婦の子育て時間の違いに起因するものでありただの社会的な影響だろう。

子どもママが好き」ではなくて「ママが好きになるような子育て結果的にしている」と言うべきだ。

(3)も主観的すぎる。

ここの部分はむしろ子ども視点ではなくて大人視点というべきではないだろうか。

母親の胎内にいた事がどう子どもに影響するのか未検証だと思うし、母親が産んでくれたありがたいなんて発想は子どもが大きくなってから感じる事だろう。

特に乳幼児であれば、「母からまれたから母が好き」は不自然に思う。むしろ大人の発想なのだ

簡単に言えば「子どもはパパよりママが好き(になるものだ)」というのは科学的根拠が怪しい。

しか母性神話のように、母子特別な結びつきを疑問視すると何故か反発してくる人がいる。

科学的に確かであればそれは最もな主張だと思うのだが科学的な出典もなしに母子の結びつきを強調してもそれは母性神話か何かの思想に影響された発言のように思えてしまう。

今後も科学的な研究が待たれる分野ではあるが、母子の繋がりを証明出来てはおらず、今のところ可能性は高くはなさそうと思っておいて良いと思う。

根拠のない母性神話は親のためにも子どもの為にもならないのだから

anond:20240418105007

かに大人子ども問答無用ポケモンバトルを挑んでくる設定は、現実世界とは乖離していますよね。でも、ポケモン世界そもそもファンタジーであり、現実とは異なる法則で成り立っているんです。

ポケモン世界では、年齢に関係なく、誰もがポケモントレーナーとして対等な立場にあります。これは、現実世界多様性とは違う形かもしれません。しかし、ゲームの中だからこそ表現できる、一種理想郷なのかもしれないと私は考えています

現実世界では、年齢、性別立場などによって、人との関わり方に差があるのが普通です。でも、ポケモン世界では、そういった垣根を越えて、誰もが平等ポケモンと向き合い、バトルを通して絆を深めていく。それが、ポケモン世界観が多くの人に愛される理由の一つではないでしょうか。

もちろん、ゲーム世界観をそのまま現実に当てはめるのは難しいでしょう。でも、ポケモン提示する「誰もが対等に関われる社会」という理想は、現実世界でも目指すべき方向性の一つだと私は思います

ポケモンは、ゲームというフィクションの中で、多様性のあり方を独自方法表現しているのかもしれません。それを一概に否定するのではなく、そこから学べることもあるのではないでしょうか。

古典的な美の概念

美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアルネサンス絵画建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。

イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧バランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧イメージを達成しようと努めました。あらゆる形態自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的作曲システムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定独立性を維持します。それは原始芸術無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。

古典的概念では、美しさは、比例、調和対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。

これは西洋原始的な美の概念であり、古典および新古典建築彫刻文学音楽のどこにでも体現されている。

アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。

そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)

アリストテレス示唆しているように、この見方黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。

この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書パルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。

カノンは、完璧プロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。

医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率指定していると説明している。

その論文身体のすべての対称性私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体正典と呼んだ作品でその論文裏付けた。

古典的テキストにおける「対称性」の概念は、双方向鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要

それはまた、古典的意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能比率一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。

たとえば、『ソフィスト』 では、プラトン高潔な魂を対称的である説明している。

古代ローマ建築ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的概念体現している。

建築は、ギリシャ語タクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人ディアシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人エコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます

秩序とは、作品の細部を個別バランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。

プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。

シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます

アクィナスは、典型的アリストテレス多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)

18 世紀のフランシスハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。

「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。

実際、この見解の支持者はしばしば「数学スタイルで」話す。

ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッド命題を挙げる一方で、次のような普遍的物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然熱狂的に賞賛している。

「美しさはある、と彼は言いますアイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)

美とは部分間の特定比率問題であり、したがって古典的概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちアイデア起源についての哲学的調査」で与えられている。

植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えていますリンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えていますしかし、バラリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間身体には、相互一定比率を保っていることが観察される部分がいくつかありますしかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。

広告ブロッカーが問いかける、インターネット広告理想現実

インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告情報流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。

広告本来目的は、広告主の商品サービスについて、ユーザー有益情報提供することにある。それは、ユーザー広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Win関係を築くことが理想とされる。しか現実には、多くの広告本来目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。

特にブログアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり本末転倒な状況に陥っているのだ。

特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービス誘導したりする。健全広告というよりは、もはやサイバー犯罪一種と言っても過言ではない。プラットフォーム信頼性根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。

こうした状況下で、広告ブロッカー存在無視できない。ユーザー立場に立てば、質の低い広告ブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか

さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザー距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれしまう。広告主側も、自社広告配信状況を十分に把握できていない可能性がある。

結局のところ、問題本質利権問題に行き着く。質の低い広告詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺広告や質の低い広告自主的制限可能なのは提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界ルールメイカーとしての立場にある。

ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。

この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネット公共の場であり、現実ビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望真摯対応してこなかったのは問題だ。

この状況を打開するには、消費者広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。

まず、プラットフォーム運営者は、消費者からフィードバック積極的活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AI活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認厳格化し、広告内容の事前審査義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。

広告主側にも、自社広告配信状況を適切に管理し、質の高い広告提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制ガイドライン作りを進めることも有効だろう。

そして消費者は、問題のある広告積極的通報し、健全広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。

プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界リードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制表現の自由市場健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者広告主、プラットフォーム経営者三者が対等な立場議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。

ここで、インターネット本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネット社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースヘイトスピーチプライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。

こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットイノベーション表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制バランスいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である

今こそ、従来の広告依存ビジネスモデル見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。

また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォーム収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。

健全広告業界の発展は、ひいては健全インターネットの発展につながる。広告主、メディアユーザー三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。

インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全インターネット未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネット未来を切り拓く鍵となるだろう。

ジョジョランズ3巻良かった

1巻はべらぼうに素晴らしかったが老い荒木飛呂彦のことだからそろそろダレるに違いないと警戒して読んでみるとこれがなかなか悪くなかった。ドラゴナのダメージは早期退場のあり得るタイミングだったため一瞬ヒヤリとさせられたし、ファンファンファン戦のようにリズムのためだけに置かれた捨て戦かと思いきや「こいつを仲間にしよう」ときたのは正直虚をつかれた。それを言い出したのがパコだというのも良い。露伴の別荘ではほとんど無能だったが一転年長者の存在感を示している。腕時計一見無関係のつながりを辿って溶岩の持ち主のところへ戻る、という仕掛けは前作や最近の掌編でもみられる荒木飛呂彦の関心でこれを掘り進めようとする意図がしっかり見えて良い。溶岩石仮面や岩生物一種で、その超常的に思える生態と出自の両面に荒木飛呂彦の目は向けられていたようで、興味をそそられる。スタンドは相変わらずすべて非人間型で、今のところは一話で開陳した方針がまだ行き届いていることを感じる。

2024-04-17

anond:20240417174354

それな

ファブリーズって調子に乗るとすぐ無くなるけど香水一種だと思うとすげーコスパ良いなって思ったわ

金玉マッサージ店の思い出

いや一応、一応というかすごく正式ものとしてタイマッサージ一種ジャップカサイと呼ばれるものがあって

それは本格的な睾丸マッサージなんですよ。

日本にもちゃんとその資格取って睾丸マッサージ店をやっている健全なお店はそこそこあるんですよね。

その中の一つの話。

ただし店選びしてるとわかるけど、だいたいがメンエスの延長みたいなもんだし、あるいは露骨ホモ経営してる店。

その中でも本格的な店を選んだつもり。

インポ改善したくてそこに金玉マッサージ受けに行ったし、そこの店のSNSも精力増強を謳っていた。

でも3回施術受けたけど、俺のインポ改善にはまったく効果が無かったな。

 

改めてその店のSNSが取り上げてる体験コメントとか読むと、施術中の勃起描写が多いんだよね。

ちなみにその店は30歳前後女性が一人で経営してる店。

勘のいい俺は理解ってしまったけど、これは勃起チンポを施術である女性に見せつけるヌキなし風俗なんだなと理解した。

ガチインポ改善のために通ってシナシナおちんぽを晒す馬鹿は俺だけだったって話ですよ。

まあ他人金玉まれ体験はできたからいっか。

anond:20240417124337

参加型宇宙ってのはジョン・ホイーラーが提唱したやつで、意識による観測によって状態収縮させて情報を積み上げて世界存在するっていう一種人間原理理論ね。

若い内に結婚した方が良い

これはマジ。

当方30手前のおばさんだが本当にそう。

個人的意見を述べるなら以下の通り。

①おおよそのことは自分でできてしまうようになる。

(その為寂しさだとかよりも、誰かと共に何かをすることの煩わしさが勝るようになってしまう)

結婚に夢を持てなくなる

(年齢を重ねるに比例し、異性との交際経験が増えるためそうした結婚生活だとか異性へ対する一種の良い意味での幻想・ドリ〜ム・期待が薄れる)

キャリアを中断するのが恐怖

(自分出産育児におけるポテンシャル等が未知数なため、復帰できるか、また復帰した後のキャリア不安でたまらん。同じ様に働けたらいいのだが)

上記のように年を取ると屁理屈をこねるようになっていけないというのもある。物を知るとどうにも目の前の課題から逃げたくなるものだ。まあ、私だけかもしれんが。

これを打破し結婚するか〜に至った理由は次の一点です。参考までにドゾ。

子どもが欲しい

(キャリア中断の不安と、出産可能年齢等諸々考え天秤に掛けた結果、前者が勝った。生き物としての性なのだろうか)

やっぱりそれかよ〜〜〜!と思った皆さん。石を投げないでください。本当にすみませんだって可愛いじゃん子どもビビっててもしようがないので、やるしかねえ!と腹くくった次第です。共同親権とか暗雲立ち込めつつあるけど、分かりもしない先の事にずっと怯えていてもしようがないので。せめてそういう事に触れずになんとか生活できるようやっていきたいなと思ってます家族は仲が良い方がいいだろうしね。

ただ、最初にも戻るけど私的にはもう少し早めに腹決めて結婚出来てたら良かったのかなとは思う。出産育児にあたっての身体への負荷とか、パートナーとの新鮮味とか。色々考えて後悔しているおばさんからぼやきでした。

訂正後(訂正前が意味不明なので訂正)

(hapzeさんの返答見た後なので影響受けてる可能性はある。すでに返答の体を成していない)

hapzeさんの主張(増田解釈)"キチ〇イ(クソフェミ)を揶揄しているのだから、細かいことグチグチいうな"→hapzeさんから返答あり。

ただ元増田の内容は、コンテキストを汲んだうえでポジティブ解釈すれば風刺的な内容でもあるため、

「そういう性質を持つのは”女性”だけではない」と正しい反論をしてしまうのは、

属性を雑に批判された故にミラーリング的に返してしま感情機微があったように感じられますし、

反射的で表層的だなっと自分は感じます自分はそれを言いたいだけです。

増田解釈正論パンチするだけでなく、元増田気持ちにもちょっとは寄り添ったれよ


増田の主張(hapzeさんへの返答だったもの

フェミに対して批判揶揄)したいなら正確に表現する方がよい。訂正前の増田で”その方が建設的だから”と書いたが、少しズレている。増田はその特性からしても発言の前提や、誰に対しての発言なのかを共用しずらい。(そもそも元増田も正確に理解してほしいと思ってるか不明

 増田他人増田勝手ブクマして勝手ブコメつけている。)増田のような、背景が読めない愚か者勝手なことを言いかねない。誤解されたくなければできるだけ解釈余地は少ない方が良い。

増田ブコメで”主語定義の選定も適切に行うべき”みたいなこと書いたが、増田自身もそこまで真剣に考えてコメントすることは少ない(増田ブコメなど。匿名な分、増田の方が適当になる)。これでは筋が通らない。

コメント不正確ならその反応が的を射ていなくてもある程度受け入れる。これで一応筋は通るか?

フェミヤバい奴はやばいがアンフェにもヤバいはいる。主張の内容だけを見るべきか?(例えば米山 隆一フェミ関連以外では割とまとも(と思う)(維新いたこともある))どこまで背景を考慮するべきか?また、その責任はだれが負うべきか?

→何が言いたいのかわからんし、程度の問題もある。これは人それぞれの考え方にも依存するような気もする。考察は保留。


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訂正前↓(hapzeさんから返答もらったのでそのまま残す)

id:hapze-23_45さん https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240415124352 の件について。返答遅くなり申し訳ございません。もう日付変わってますが、お時間あるときにでもご覧いただけますと幸いです。

初めに謝罪しますが、増田酩酊状態でこの増田を書いているので非常に不明瞭だと思います。(hapze-23_45さんのブコメ見た時点でベロベロだった)あとで訂正します。



私も元増田の主張(自分流に解釈したうえで)自体には同意しますし、一部(割合はわかりませんが)のクソフェミ(以下KFとする)の男性差別的な思想は非常におぞましいと思います

私は基本的に(自分を棚に上げて)差別主義者が大嫌いなので。

それはそうなのですが、私はKFを揶揄する目的でも、批判するときは正確に表現する方が建設的ではないかと考えています(KFおよびその支持者に建設議論ができるという非現実的仮定!!)

以下その理由

1.「KFはカスなので、KFを揶揄するためならその表現は多少誇張してもいい(不正確でもいい)」という主張は、心理的にたいへん妥当に思えるのですが、要するに論者の意図を汲み取れということなので

  KFが論点のすり替え(KFはカスなのでしばしば行う)をしたとき、それを指摘しても 「お前は意図が読めてない」という言い訳される懸念があり、望ましくない(と増田は思う)

2.これは前提を無視しているのですが、KFには話が通じない(ときがある)と思います(この増田を書いてて思い付いたのですが、KFというのは一種陰謀論者ではないか?)。それゆえに普通の人は離れていき、KFはますます

  鋭化するのかもしれません。 話が逸れましたが、増田が言いたいことは、KFに関する批判揶揄はいわゆる普通の人も見るということです。表現過激になると普通の人にとっては両陣営ともにヤバいやつに見えるのではない    

  か?ということです。両陣営の主張が不明瞭になると泥仕合になると思うので。要するに”正確な表現を心掛けた方が(主張に筋が通っていれば)普通の人にとってもどっちがおかしいか判別やすい” のではないか増田は思

  います


すいません。全然まとまらないのであとで訂正します。

2024-04-16

anond:20240416125507

自分が得する、自分意思を通す効果を出そうと思って選挙に行く時点でもうなんかズレてんだよね。

 

民主主義の最大効率を出すために、投票率必要なわけ。

意味あるかないかは、投票してから全体が決めるのだ。

お前に意味があるかは関係ない。

これは、一種兵役だ。市民義務だ。

 

まあ増田にだけ責任があるとは思わない。

選挙効果について、自分意思を通すとかいう嘘でキャンペーンしている、選挙推進派にも問題がある。

弱者男性の救われ方

これは申し訳ないんだけど、おそらく弱者男性が生きているあいだ、少なくともこの先数十年は、男性権利女性の権利に優先してケアされることはないと思う。

弱者男性は、女性と闘って社会から何かしらの福祉を獲得することよりも、いまの苦しみを別の方法回避することのほうが現実的だと思う。

具体的には以下の3点あたり。

これ以外にも、弱者男性からも色々な回避策を発案して、福祉として取り込んでいくのがいいと思う。(女性をあてがえとか、女性枠を取り除けとか、そういうのはなしでね)。

男女で限られた福祉リソースを奪うために争いあうのではなくて、弱者男性女性に頼らなくても、穏やかな生活を過ごせるようになればいいと思う。

anond:20240415214105

ペドフォビアって言葉あるよ

ペドフォビア (Paedophobia/Pedophobia/Pedofobia, 仏: Pédophobie/Pédofobie) は恐怖症の一種ペド子供)とフォビア(恐怖)の合成語子供必要以上に恐怖を抱くこと[1]。

煩いから、汚いから等という理由で嫌いなのはなる子供嫌いであると思われる。 何をするかわからない等の理由で嫌いなのは子供恐怖症である確率が高い。

2024-04-15

一生一種類の寿司ネタしか食べられないとしたら

サーモン選ぶよね普通

anond:20240415104425

もともとは太った女性向けの生活雑誌で使われた言葉なので

太った女性全体に向けた言葉だったんだろうけど

いまは萌え属性エロ属性一種としても受け取られているか

その場合ちゃんエロく感じることが条件になるだろうね

Youtubeの反応集や、合成音声によるゴシップ仕事の闇等の下世話と自分

なんというか、ああいうのを見ると一種の腹立たしさを感じていた。

あの「ウケ狙い」という言葉をこれでもかと具現化したような。

デカくて派手な色の文字、「鬱ゲー」 「グロ」みたいな言葉の羅列、取り合えず仕事の闇言っときゃいいだろ感。

そんで、文化として云々とか、短絡的なコンテンツ消費はどうこうとか、そういう批判脳内でしていた。

でも、ふと冷静になったとき、ある考えがよぎった。

ゲーム脳」を信仰し、子供糾弾していた人々と何も変わらないのではと。

俺はちゃん文化について勉強していたのか? 消費社会に関する本を読んだことがあるのか?

お前は「脳」という言葉を都合よく振り回していた彼らと変わらないのでは?

そんなことをふと思った。

結局、気に入らない物を取ってつけた理屈否定することから逃れるのは、至難の業なのかもしれない。

2024-04-14

anond:20240414083653

単に界隈のヌシがそういう思想してて、ニラまれるのが怖いだけじゃん

アカデミズムとか劇団とか全部そんな感じだし一種ホモソーシャル的な何かでしかないのよ

2024-04-13

anond:20240413205617

よくわからんが、昔は頑張っていたことを現在様式だけで間違っていたように感じるのは老害一種では?

anond:20240413123821

こういうの見ると運営がBANしてあげるのって一種の優しさでもあるんじゃないかと思う

うちのネコがちゅ~る信者なのでイナバを擁護する必要がある

今回の件、偏向報道によって問題が過剰に大きく扱われているように思える。

まず状況を整理しよう。

今年の新入社員の9割が辞めた」は嘘。実際には102人のう17人が辞めただけなので2割未満

まずここだ。

メディア卑劣なる印象操作の爪痕は未だに深く、多くの人が「いなばに今年入った全ての社員の9割が辞めている」と誤解していることだろう。

実際には「特定職種19人のうち17人が辞めた」である

まあ確かに「9割の人間入社を辞退するような職種があった」というのは間違ってないとは言える。

だが、それを「いなば今年の新入社員の9割が」と誤解させるような書き方をメディアが繰り返しているのはどうかと思う。

これは憎むべき偏向報道一種であり、いなばがこの17人に対して行った行為がどれほど卑劣であろうとなかろうと、それが偏向報道をしていい理由鵜呑みにしていい理由にはならないはずだ!

そもそもやめた17人はグループチャット内輪ノリヒートアップして辞めただけかも知れない

これはね、マジでよく起こるんですよ。

特に女性社会ではね。

女性ってのはコミュニティ内のノリを優先するもんだから、どうしても一度方向性が決まったら自分だけ反対とはしにくくなる。

まして今回やめた人達ってのは一般職でしょう?

総合職人達と比べると、「特別この会社で働きたい!」みたいなのがないというかね、「楽にお金が貰えるならぶっちゃけどこでもいいかな。でもちょっとキラキラしたいかも」「ぐらいの動機で何社何社も思いつきみたいに面接を受けて、たまたま大手の所に通ったらそこに入るって感じなんですよ。

軽いんですよね会社選びのノリが。

からグループチャットちょっとしたノリとアッサリ天秤にかけることが出来てしまう。

信念がないんですよ。

ネコ様のために美味しいちゅ~るを作ろうみたいな情熱がないから、別にはごろもフーズシーチキンを作ろうが地元山崎パンで片親パンを作ろうが、そこそこの業務時間でそれなりに給料が貰えたらどうでもいいと思ってるわけですね。

副社長の決裁が下りなかった」を子ども言い訳扱いしていいものか?

ボロ家の修繕について、当時入院中の副社長から決裁が下りなかったことで業務が滞っていたことについて、もっとやりようがあったのではないかという批判が集中している。

では聞きたいのだが、どうすればよかったと考えているのだろうか?

1 副社長に社宅の全権を委ねているため社宅の実情を全く分かってない社長が変わりに決裁を承認する

2 社宅業務担当責任者である副社長から許可を得ることな業務を進めてしま

これがどちらもそれなりのリスクがあることは流石に分かるよね?分かるかな?わかってほしいんだけどわからない人に説明する自信はないからお母さんにでも聞いてね

そもそもこうならないように常に代理決裁者を用意しておき、複数人のブレーンを用意するのが理想だろう。

だが代理決裁というものは多用すればどの決裁者も自体を正確に把握することがないまま事業が進んでしまリスクがある諸刃の剣だ。

イナバが副社長に社宅の全権を集中させたのは、トップがキチンと状況をコントロールした上で社宅管理をしようという意思があったからなのではないだろうか?

それをさも「社宅をないがしろにしていたから、たかジジイが1人病気で死にかけているだけで仕事が止まっていたんだ」と報道するというのは、目先のセンセーショナルを追求し過ぎではないか

給料が3万下がった」はただの聞き間違い

総合職22万円・一般職19万円で提示されていた給料勘違いして3万円下がったと思っただけ。

うん、これで攻められるのは可哀想

たとえばだ。

ファーストフード店で、

コーヒー スモール100円(ミディアム 200円)』とメニューに書いてあったとしよう。

それに対してこんなクレームがついたらどう思う?

クレーマーコーヒーが100円だと思ったから注文したのに200円取られた。なんか注文時にゴニョゴニョとサイズを聞かれたから「普通で」と答えたらこうなった。よく読んでないお前が悪いと言われたから怒って返品しようとした店員から「は?」って顔された!許せん!分かりにくいんだよ死ね!」

おかしいよな?

俺はおかしいと思う。

うんこの話はこれで終わり。

2024-04-12

anond:20240412173226

紛争をすることができる。

紛争表記消えたけどアリエク民はずっと紛争って言い続けるんやろな

一種ミームやな

ロシアンたこ焼きとはその名の通り、小麦粉タネと水だけで作って焼いて作るたこ焼き一種だ。屋台でてる事も多いが、家庭で食うとなかなか美味しい。うどんソースを混ぜてメレンゲで作った麺で食べるのが定番だが、それだとたこ糸を通すのが面倒なのでたこに半分巻きにすれば良い(半まきから巻いたやつの方が安かった)。関東だと関東タコ焼きを売ってるが、関西では手打ち

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