はてなキーワード: バイオリニストとは
はてなー的には、悪いに決まっているだろう、というのが多数派なんだろうけど、福原愛とか貴景勝とかみてると、どうみても抑圧されてたっぽいし、吉田沙保里なんか、明解に「お父さんが怖かったから、レスリングやめたいなんてとても言えなかった」と語ってる。
でも皆さん、人間的にさほど歪んでるようにも見えないし、福原愛なんて早速二人目も妊娠しちゃって本人も幸せだし、めっちゃ世間にも好かれてるし。
なんとなくだが、スポーツとかクラシック音楽(ピアニストとかバイオリニストとか)は子供の意志なんぞ芽生える前に親の夢を押し付けるくらいの方が成功するイメージがある。
一方で、将棋なんかは、羽生善治も藤井聡太も子供が勝手に強くなっていって、親は「もっとお勉強しなさい」なんて言わずに見守ってたみたいで、その辺りの対比も興味深くはある。
http://n-styles.com/main/archives/2016/02/25-053030.php
ウチも高島家と同じで子供にスケジュールを考えさせて実行していて
突発的なアクシデント以外でサボるかたちになってしまった場合は
ウチも、とある事情でペナルティとして3DSを折ったのだがSNSには載せていない
さて、ここから本題だが上記ブログの人はドヤ顔で探偵ばりに推理してるわけだが
しかし、高島さんと共通しているところは3DSの修理のプロではないということ
割るときに「修理できるように」とは考えるものの、どの部品が重要なのかはわからないので
リプライで修理できることを知ったことを突っ込んでいるが親の視点からすると
割り方が正解だったことと、修理費が安いことにリアクションしているわけだ
虐待するような親でない限り、子供の物を壊して喜んでいる親なんていない
そして、この気持は親にならなければわからないんだよ
高嶋ちさ子や私の子育て方法が正解か不正解かは誰にも判断できないが
少なくとも今回の件の高嶋ちさ子の行動は、上記ブログの探偵ごっこの推理は真逆であるということだ
子育て奮闘記をSNSにあげてしまうと、探偵ごっこで根も葉もないことを言われてしまう世の中なので
そこだけは自重するべきだと感じた
母親がバイオリニストの子育てが失敗しやすいということについては全面賛成する。
親が有名なバイオリニストだが、ヒステリックな女で子供はいつもびくびくしていたそうだ
子供の頃DSをバキバキに割られて、恐怖感から従うしかなかったらしい。
私が稼いだお金で生活しているくせに!が口グセで、子供の立場としてはもう何も言い返せないらしい。
数十年後、その子供は30歳ぐらいになったんけど、特に女性蔑視がひどくて女=ヒスで育ったものだから
リアルに「女はバカ」「女が悪い」「年を取った女に存在価値はない」とか口に出しちゃってる。当然彼女はいない。
母親に対して「いつ殺されるかわからなかった。」「いっそ事故で死んでくれればいいのに、と願っていた」と言っていた。
ただ、親が金をもっているので、自分が仕事しなくても食うに困らない身分になれると思って世の中なめてんのもわかる。
家族の中だけでいろいろあるんだろうけど、やっぱ母親がバイオリニストでまともに子供育てるのって相当無理があるんだろうなと思う。
高嶋ちさ子の事件は、あ、この人そういう炎上するタイプの人間だったんだって思った人が殆どだろう。
子供に押し付けがましく自己満教育をしている人は多いと思うが、普段は可視化されない領域だと思う。
子供に自分のできなかったことを押し付けている人は結構いるだろう。
そういった子供だからといって、めちゃくちゃなことを親という力で押し付けていることの可否を問われることは
あまりない。こういったことは民事であり、クローズアップしにくい部分である。
この人は、バイオリニストみたいな家系なのだから裕福だろうし、わざわざ炎上する必要もない人である。
それを体を張って議論形成に持ち込んだこと自体が私は素晴らしいと思うのだが、どうなんだろうか。
#子供に自分のできなかったこと、自分ではやりもしない、音楽教育、体育教育を
#押し付けたり、
#facebookには自分の写真だけでは絵力がないので、子供とセットの写真を上げる
#人間も同等だと思う。
京都大学同窓会(京大アラムナイ)、ANA.Japan、スターバックス コーヒー ジャパン Starbucks、Storm、McKinsey & Company、London Business School、Goldman Sachs Asset Management、TBS News(TBSテレビ報道局)、アロマ マーメイド、板野友美(Tomomi Itano)公式ファンページ、CYBERJAPAN DANCERS、きゃりーぱみゅぱみゅ、東京藝術大学、あみあみ そくほう、Yayoi Oguma、森彩香、阿部有加里- Piano、宮村カンナ- Piano、ありよし なおこ / N music salon、東京都 港区、relux、教えて!フェイスブック使い方!、しあわせ信州、Lexus International、風間ゆみ、ヒップス千葉、東京藝術大学版画研究室、池上季実子、名雪佳代(Kayo Nayuki)、安倍なつみ「光へ -Classical & Crossover-」、豊島岩白、静岡フルートアンサンブルアカデミー、大坪理子- Piano、舟山未紗- Soprano、Kaz Matsubara New page、山本ともみ- Trombone、公明党女性委員会、玖優、モデル 玖優、Saint Force、竹内結子、浜崎あゆみ(ayumi hamasaki)、あなたのお庭にリゾートを・・・アトリエ悠庵、日本地域経済再生機構、自由民主党、東京芸術大学、春香 (Haruka)、国境なき医師団日本、国連広報センター (UNIC Tokyo)、吉高由里子、朝クラ(朝クラシックを楽しむ会)、Prime Minister's Office of Japan、音楽家からの贈り物、日本赤十字社、会いに来るバイオリニスト阿部志織-violin、李明純- Piano、別所亜久里(akuri Bessho)、絵師 桜小雪、Social Music Cafe、村田綾、星野和輝、王立音楽大学、東京芸術大学大学院、安田 衣里、みさわさやか- Piano、松山真寿美- Saxophone、山下しおり- Piano、Tasukeai Japan 助けあいジャパン、外務省、長澤まさみ、孫正義、Norika Fujiwara (藤原 紀香)、久留米苅原整骨院整体院(交通事故の認定治療院)、オリンピッククラブ、British Airways、国際芸術連盟、NPO法人 NESげんこつ、土屋鞄製造所、革財布のお店mic&女子のお財布micsucco、Foxy Shot、東京2020オリンピック・パラリンピック - Tokyo2020、小泉 進次郎、文部科学省 MEXT、首相官邸、焼肉 黒牛【代々木】、アクトハウス、誰でも行けるPhotoStudio【DIPS写真館】、岩崎宏美、音楽家たちの晩餐会、望月プロデュース「Canon〜カノン〜」、おもしろ画像放送局、横浜総合建設 株式会社、佐藤綜合法律事務所、鈴木国語研究所、Takagi Business Planning、王立音楽大学、いいね!ロンドン Like! LONDON、OTOME BIBLE、投資銀行が教える!エクセルで学ぶビジネス・シミュレーション講座、Party Press、美人スナップ、Royal College of Music、この画像の最良の推測結果: 大倉 忠義
http://anond.hatelabo.jp/20150307105533
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「金髪バリキャリ嫁」「離婚ないし離婚寸前(事実離婚)」
「娘との接点は学校の送り迎えぐらい」「娘には軽んじられている」「最後に愛を取り戻す」
なので
「ドライブ・ハード」「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」と同じ映画。
3)#1煮詰まってて平凡な毎日を送る主人公(中年・男)。意に染まない退屈な仕事を繰り返していた。
#3試練をくぐりぬけ、
#4自分の本当にしたい仕事に気付き、それをはじめる。圧倒的成長!
#5ついでに愛も取り戻す。
B:ちょっとだけ時間が前後するので、実際のフィルムはこの流れではないよ。
#1
主人公はNY在住のアメリカ人の中年音楽プロデューサー。若いころから名声を得て育てたスターは数知れず。
だが最近は鳴かせず飛ばせず。会社の偉い人には逆らえずクビをちらつかされる。
お前のセンスは古いとかふざけるな。オワコンじゃねーよ俺は!ゴミアーティストしかデモ曲を送ってこないんだよ!
そして稼ぎのよい金髪の嫁とは離婚寸前(たぶん。離婚済みだったかも)。娘を送り迎えすることでかろうじてつながっているが、娘にはバカにされている。
#2
B:ひょんなことからキーラナイトレイと出会う。なんだこいつ。超いい曲じゃないか!歌うまいし。やったぜ!またオスカー狙えそう!会社の奴らの鼻をあかしてやれる!
だが彼女はプロデビュー、商業的成功には興味がない。彼女にはホームレス扱いされる。
この映画ではOPレベルよりあんまりひどい状態にはならない。結局キーラナイトレイも協力してくれるし。
#3
B:試練はいろいろある。金がなくてスタジオが借りられないとか。
でも、愉快な仲間、アスペのバイオリニスト、音大生、リズム担当黒人などが荒野の七人だの八犬伝だのを端折ったように集まる。
たのしいレコーディング(シェフ~の美味しい料理お楽しみシーンに相当)
#4
B:バンドの最後の一人は主人公の娘。分かり合えたよ!オレは間違っていた。売れる音楽なんか作らなくていい。
YOUTUBEがあるやんけ!オスカー時代のコネもちょっとはつかうぜ!
ほんとうの音楽をみんなにとどけるんだ!
#5
嫁とも愛をとりもどし、終わり。
(キーラ側の話のラインは省略。ゲイのストリートミュージシャン<上記荒野の七人の一人>に慰められたりするよ)
映画「君が生きた証」
も
「かつての輝きを失ったみじめな中年男が主人公」「しっかり者な金髪嫁」「離婚」
「息子とディスコミュニケーション」「最後に生きる意味を取り戻す」
なのでかなり近い映画。
#1
主人公は広告代理店のやり手部長。ブランドファッション!いい車! 仕事がうまく行った!息子と祝杯を挙げようと電話するも無視される
#2
息子は大学の乱射事件で死亡。ショックのあまり広告代理店の職も辞し、離婚。古家のペンキ塗りリフォームに転職。やさぐれて過ごす毎日。ひげもじゃ!立小便!
元嫁は再婚して新しく男の子を出産した。ちょっと凹むわ~ 飲んだくれすぎてペンキ塗りもクビに。クビじゃない。こっちからやめてやったんだ。
#3
息子の残した歌に心打たれる。息子の歌を歌う。息子のような世代の友人もできた。調子出てきた!でも、こいつは息子の作った歌を俺の作った歌だと勘違いしているんだよな・・・いつか言わなきゃ
#4
真の作曲者がバレたり、いろいろあって最高にひどい目に。息子の遺品のギターも壊れちゃった!
#5
234 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2014/02/09(日) 02:42:31.43 ID:t2MfM6b30
「男は、ただひたすらに音楽を愛していた」
「そして不器用な男の魂は、バイオリニストを目指す義手の少女と出会う」
静かに暮らす不遇の音楽家
「俺がお前の曲を現代の第九にしてやる」
「そして俺は、現代のベートーベンになる」
そして、音楽業界やオリンピックを巻き込む巨大な陰謀に飲み込まれていく――
「我が社が求めるのは売り上げ、人々が求めるのは耳が聞こえない悲劇の作曲家の物語だ」
「カメラの前ではうまく演じてくださいよ」
「お前が発表したなら誰も見向かなかった!」
「お前は黙って俺に曲を差し出せばいいんだ!!」
「――私はもう人々を欺くことはできない」
恭介に電話かけて予定を聞いてダメでがっかりするけど恭介には言えずにナイトメア化する、この一連の動作や言うことがいちいち自分のことみてるみたいだった。
もちろん私は仁美みたいに才色兼備お嬢様でもないし、彼氏は名家のイケメンバイオリニストでもないけど。
電話かけるまでの躊躇、電話かけてる間のそわそわ、そういうがんばってるあなたが大好きですとほおを赤らめるところ、電話切ってからの後悔と怒り。
がんばっている上条君が大好きなのも本当だし、もっと私のためにも時間を使ってほしいという気持ちも本当だから、相手にも言えない。
でも電話の先の恭介はまあ気づかないよな。同じように自分の彼氏も気づかないのだろう。
そしていつの間にかいらいらが募りいつか大爆発して、彼氏きょとんとするのだろう。
ため込むのは良くないし、言わないと伝わらないから言おうと心がけてはいるが、がんばってる彼氏を邪魔したくないし、うるさい奴と思われるのも嫌でついついため込んでしまうんだよね。
普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、
大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、
何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は
つまり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物に
常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。
もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。
この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。
例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。
つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。
たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。
人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンのインストラクター、
さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームやプログラムの制作、各種インターネットビジネス、
そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。
女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。
それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。
有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか。
そしてそれは大部分が正しい。
この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。
何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。
「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルなメイクで、
作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、
人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、
「普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは
つまらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。
「普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。
「普通の大人」というのは今までの「日本の典型的な大人」と言うことだろう。
それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが
「典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ
其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。
この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊を証明している。
オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、
神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビやメディアはそういったネガティブな人たちを
「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。
もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。
「普通」はシャープな感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。
それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。
訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。
それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。
この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしましたか。」とはほとんど聞かない。
成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、
まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。
確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。
語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、
それがいくら単調でも「苦労」にはならない。
だから長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。
どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。
それを、見つけることができたかあるいはできなかったか、人生はそこで二つに、分かれる。
見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。
見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。
「わたしはね、才能はあったのでも努力や勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、
だからあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。
今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」
そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。
努力を好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。
訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。
語学の学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから、
25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生を趣味でごまかすぐらいのことしか残されていない。
趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。
それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。
つまらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。
つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。
「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、
学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。
営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は
どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、
それはまた別の問題である。
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
***
俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
***
クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
***
ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
***
19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
***
ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
***
それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
***
もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
***
真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
ちと論旨からそれるような書き込みでスマンが、
肖像権を管理している側も相当無茶をやってるところってあるじゃん。
ビーチバレーの試合を撮影禁止にするとか、
バイオリニストの高嶋ちさ子さんのストリート演奏でも事務所の人達が
「撮影は禁止です。撮影しないでください」と大声を張り上げて、カメラを構えている人達に
物理的な妨害をしてるのを見たことがあります。
現行民法では、写真や画像データの使われ方について規制をすることは書いていても、
開かれた場所で行われているものを人力で妨害するのは、肖像権の趣旨から外れている行為じゃないかなぁと思うのですよ。
こっちのことは長く問題視されないんですよねー。