はてなキーワード: 教育テレビとは
「次から狩りに参加するときの挙手は分かりづらいんで『ノ』にしてくださいね」
「参加するとは言ってなかったんだがw」
もうね
こういう「リアル子どもか!」(いやリアル子どもなんだろうけど高校生なら泣けるな)
っていうのをさせられるとなんかもうめんどくせえなネトゲって感じになる
リアル人付き合いよりもネトゲの交流楽しみたくてきたのにアホみたいなのと遭遇すると虚無感くるね
色々やってやって調整とか気を使ってやったりしてもまるで感謝しないし素直でもない
問題に対して提案してもめんどくさい・やりたくない・どうでもいいで一蹴してくる
こういう理由でそれは嫌だとかデメリットがあるとか中身のある反論じゃない(まるでクソトラバだな)
そんな意識高い結果とか求めてるわけではなくてとりあえずやってみよう!教育テレビ的なノリも拒否るし非協力的
と、まあ色々めんどいことが重なってサブマスが抜けていくんだなと実感した
喜多方ラーメンが好きだ。
立川に喜多方ラーメンのお店がオープンしていたので早速行ってきた。
喜多方ラーメンの美味しいところを述べてみる。
①麺が美味しい
②スープが優しい
③叉焼がメチャウマ
3つしか書けないと言うことはあまり美味しところを見つけられていないのだろうか。
5つ書ける人は私より喜多方ラーメンを美味しく食べることができていて、私より喜多方ラーメンのことが好きなのだろうか。
中学生の頃、バック・トゥ・ザ・フューチャーが一番好きな映画だと友人に伝えた。
その友人もバック・トゥ・ザ・フューチャーの事が好きだったらしく、
「じゃあお前ビフのホバーボードの名前知ってる?」と私に聞いてきた。
私は答えられなかった。
「好きなくせにそんなのも解らないのか」と言われ何かとても悲しい気持ちになった。
ラーメンとバック・トゥ・ザ・フューチャーに関連性はないと思うが、好きだと細かいことまで知ってなくてはいけないのだろうか。
小学生の頃病弱だった僕は月に何回かは熱を出し扁桃腺を腫らしていた。
高熱でへろへろな僕を毎回勇気づけていた映画こそバック・トゥ・ザ・フューチャーなのだ。
教育テレビもお昼が近づくとつまんなくなるし、いいともとかワイドショーもそんなに楽しめない年頃の僕は必ずバック・トゥ・ザ・フューチャーを観た。
気がつけば寝ていることもあった。
ビデオが擦り切れるほど観たと思う。
片親で親が働きに出ている間、僕を見守ってくれていたのはマーティとドクとデロリアンだ。
僕だってバック・トゥ・ザ・フューチャーが好きなんだ。
喜多方ラーメンは熱くて、私は口の中を火傷した。
「女に復讐したい」と言って無関係な女子高生に汚物を投げつけた男もいた
国際女性デーに取り上げる論は古い自立論と「男がいないのは貧相だから作れ」
起こるレイプ事件は次々に不起訴または執行猶予。高畑に至っては冤罪、美人局扱い
ヘイト法でレイシズムは一応取り締まりの対象になったが女叩きは「女尊男卑」のはずのメディアは誰も報じない挙句、これまでレイシズムで稼いでいたまとめサイトはヘイト法でやり辛くなり女叩きにシフトし始めた
昭和もセクハラや痴漢が問題視されず大変だったのは分かる。でもネットの女叩きがなくて男性にマッチョイズム的な優しさがあった点では昭和の方が良かったんじゃないかと思う。
1年ぶりに全作品1話チェックしようと思ってる。全部見れてないけどとりあえず整理
○好き○
甘々と稲妻――― つむぎ可愛い。日常動作が細かく描写されてて良い。丁寧に間を取って演出してる
あまんちゅ――― ワカメみたいな髪の毛好き。1話はゆったり過ぎたのでテンポアップしてほしい
ショーバイロックショート――― 俺たちのサンリオ。カワイイは正義
○好きじゃないけどとりあえず見る○
チア男子――― (ストレン)ヂア男子かと思った(激ウマギャグ
一人乃下――― チャイナアニメなのに原画に韓国人の名前多くない?
○もう見なくていいかな○
OZMAFIA――― どうでもいい
クオリディアコード――― 作家3人集めて出来たのがこれですか
なりあがーるず――― よぐわがんにゃい
パズドラクロス――― うん
初恋モンスター――― 虚無
ばなにゃ――― にゃ
ベルセルク――― 目がつらい
腿の毛餡――― つらい
○まとめ○
アニメを見るって疲れるんだなぁと思いました
基本的にデザイン・作画・演出・シナリオくらいの優先順位で見てるので一話総当たりしても収穫は少ないですね
好きなアニメばっかり見てるとどーも感覚が偏るような気がして苦手なのも見るんだけどカット数を数えて平静を保たないとたまに狂いそうになる
30分×12話とか長すぎるので今期のショーバイロック、前期のルル子やとんかつDJみたいな気楽に見れて満足感のあるセンスの良いショートアニメがたくさん欲しいなぁああああああああ
終わり
タイミング的に伸びないだろうと思いましたが、そこそこ反応頂きましてありがとうございます
とりあえずcider_kondoさんのブコメ引っかかったので返答しときます
>>あえて原点に立ち返るとアニメは総合芸術。例えば音の役割は本当に大きい
まずここ、私の意見は違います。アニメーションの原点はあくまで絵が動くことにあるというのが私のアニメ観です。その絵を演出するために音がフィルムに付け足されるのであり、対等ではなく従属関係にあると考えています。そういうことなので私は「演出」の枠で劇伴や声優の演技を評価してますね
>>絵と動きに拘るのは構わないが、他の要素を軽視するのは馬鹿にしかみえん
この意見ははっきりいって理解不能です。優先順位としてデザインや作画が高い位置にあることは書きましたが、だからといって「他の要素を軽視」したことにはなりません。他の要素を軽視したように見えるのは、私が作画オタクであるという前提で反論をしようとしたからではないでしょうか。
あなたが邪推するなら私も邪推でお返ししますが、あなたはアニメにおける「音」について過大評価をしてるのではないでしょうか。だから、音を評価していない(ように見えた)私の文に「馬鹿にしか見えん」などという強い否定を示したのではないでしょうか。あなたがどういう価値観でアニメを見ようと構いませんが、それを他人に押し付けるのはそれこそ「馬鹿にしか見えん」と言わせていただきます
他にも反応しとくね
>>作オタくちゃいですわ
ボンズファンでufoの作画嫌い(撮影は良い)なのはあってるけど、作オタってほど作オタじゃないよ
どうでもいいとおもっちゃったのよ
>>あまんちゅはあれでも原作の三倍速なのよ
小学生の頃の能力差は才能の差や個性で、努力による差ではないっていう記事を見たけれど
他の子がだらだら教育テレビを見ていたり自転車で走り回ったりしている間、
私は地道にドリルをこなしていた。(もちろん遊びもした)
「小学生なんてみんな遊んでる」と思い込んでいる人は多いが
効率よく集中して勉強する方法もわかっていて中学高校の間も当たり前に勉強ができた。
毎日真面目に授業を聞いて宿題をこなし質問をし、放課後は友達と遊んだり部活に励んだり。
テスト前は「昨日全然勉強してないよ」と笑って、それでもいつも高得点を叩き出していた。
同じ「三時間机に向かった」という行動の結果が人によって違うのを
才能の差にする人をよく見るが勘弁してほしい。
他責的であるということは、歪んだ自責の裏返しなのではないか。
私自身にもその傾向があるが、何事も他人の責任にする人がいる。
傍から見れば迷惑この上ない人だが、実はその人の心の奥底では、自分自身を強く責めている何かがあるのではないか。そして、その何かが必要以上に自分を責めてしまうので、心のバランスを取るために、その負のエネルギーを内部で処理できずに、外に向かって吐き出しているのではないかと感じる。
私が何故そのようなことを思いついたかというと、今日たまたまNHK教育テレビで自閉症の家族のドキュメンタリーを観たからだ。
障碍を持つ家族がいるために、色々と振り回される。そして、誰も責める相手はいない。そのような状況の中で、不器用な人は上手く処理できず、「上手くいかないのは自分が悪いのではないか」と思いつめてしまう。自分の中に負の感情を溜め込んでしまい、負のスパイラルに落ち込んでいるようにも感じられた。
私自身も両親が障害者だったこともあり、ドキュメンタリーに出てきた家族の気持ちは少しわかる。
私も両親に対する怒りを感じることがあっても、「障害者だから仕方が無い」ということでどこか自分の中に押さえ込んでしまう癖がついていたように思う。
そのために、それが歪んだ形で外に向かうこともあった。
(現在は両親は亡くなり、そのときの気持ちを客観的に見ることが出来るようになりつつはある)
器用な人であれば、上手くその理不尽さを乗り越えられるかもしれないが、コツをつかめない自分のような人はどんどん不満を心の奥に溜め込んでしまう。
だからこそ、他責的であるというのは一つのシグナルだと思うのだ。
そういう人が職場や身の回りに現れたら、まずその人自身が自分自身を見つめなおすように促す工夫が必要だ。
下手をすれば、その人は一生中二病的な状況から抜け出せず、一生を棒に振ってしまうかもしれない。
取り留めの無い文章ですまぬ。
○NHKとか教育テレビとかテレビ東京とか深夜のドキュメンタリとかで
ビジネス関係のドキュメンタリをやっていたら勉強のために良く観ていた。
○ビジネス書、ビジネス雑誌(除く、自己啓発系)もよく読んでいた。
もちろん全てをまともに受け止めるつもりはない。
あくまで勉強の一環。
でも最近これらの触れるのが辛くてまったくと言っていいほど『観ない、読まない』
むなしさばかりが募ってしまうから番組も観なくなり、本も読まなくなった。
○仕事が暇なのといくら勉強して少しでも生かそうとしても何も跳ね返ってこないから、、、
(努力が足りないと言えばそのとおりだろう。役職にない人間にはできるやれる限界があるんじゃないか)
ほとんど努力しなくなった。自分が情けないし、自分がダメなのはわかる。
でも前に進めない。色々と麻痺しちゃった感じ、、、
なんかこの界隈で色々とあれみたいなんで思うところを書いてみる。
多分取りとめがなくなると思うが、いやなら読まないで次いこ、次、ってことでよろしく。
この前の誕生日で、46歳になった。
イタイ大人なのかもしれないし、大人になれないオトナコドモなのかも知れない。
こんなところに出入りしてROMったりDISったりしているのはオトナのすることじゃないのかもしれない。
これを読む若い人たちには夢も希望もない話に聞こえるかもしれない。
もとい、自分にとって大人になることとは自由になることだった。
親や教師や社会のルールや、自分を縛る何もかもから逃げ出すこと。尾崎豊みたいだなあ。
少なくとも経済的に自立しないと自分の好きなものは手に入らない。好きなところには行くことが出来ない。
好きな人と好きなようにあって好きなだけいちゃいちゃすることも出来ない。
だから、まずある程度経済的に独立した状態、それが自由の基本だ。
そのための手段としての仕事をどうしたか。
安っぽい言い方でほんと申し訳ないんだが、好きなことを仕事にした。
好きなものを作る業界で、自分の得意な分野での仕事に付くことができた。
2回転職してのことだけどね。結果収入も増えた、と思いたいが、日本の給与制度には永年勤続に対する退職金というすばらしい制度があるので、
生涯収入としてはどうだったのかはよく分からない。
新卒で大企業に就職していたら、そのまま一生留まるのがお得なのが日本の社会なのだ、とも思う。
これは時代背景やら経済状況やらとのからみで、上手いこと波に乗れたので運がよかったのだと思っている。
こればっかりは人の話はさっぱり参考にならないと思う。巡り合わせ。色々と一期一会。
んで、だ。
自由になって何がしたかったのか。
楽がしたかったんだ。好きな時間が欲しかったんだ。おいしいものが好きなだけ我慢せずに食べたかったんだ。
この夢は未だに叶っていないけどね。
その夢と引き換えにして(経済的には)家族を得た。パートナーと子どもが二人。
家を手に入れた。借金のかたに取られるかもしれないけど(普通の住宅ローンには普通に抵当権設定されるのが日本の標準)
はたから見たらごく平凡な、いや平均以上の家庭に見えるだろう、と思う。
そんな自分は大人なのだろうか?
けれど可能性はだんだんと減っていき、残ったものを得意なものと決めざるを得なくなる。
それに気付いて、残った僅かな可能性を握り締めて何とか仕事に繋いできた。
結果、必死で仕事をし、良いことも悪いことも色々あって、
成長なのか、鈍化なのか、
技術を習得したのか、変化に順応したのか、
ともかく仕事は続いている。
子どもを一応大学までは行かせてやりたいと思うから、仕事を放り出して逃げたい時でも頑張って仕事をしている。
仕事そのものは嫌いじゃないが、正直、矛盾だらけでしがらみだらけの会社ライフに嫌気が差して、
一人でどこかへ行ってしまいたいと思いながら、会社帰りに部下とカラオケしたり、コンビニで立ち読みしたりする程度で発散しいる。
こいつは小物だ、雑魚だなあ、と思うけれどもそれが自分だからしょうがないな。これを矮小化というだろうか。
これは大人のやることだろうか?
さっきまで教育テレビでアルゼンチン生まれのユダヤ人、バレンボイムの指揮するウエスト・イースタン・ディバン・オーケストラを聴いていた。
ロシアの作曲家、チャイコフスキーの悲壮を、アラブとイスラエルの若い音楽家で構成されたオーケストラが演奏している。
輝く音楽。指揮者は早々に(高校生の判断を早々と呼ぶのならだが)諦めた可能性の一つだけれど、音楽は美しい。民族、人種を超えて美しい。
なにか、分かり合えなくても共有できるのではないか、永遠に続く錯覚ならそれでも良いではないか、と思わずにいられない。
世界の平和を願い続けることをばかげているという人たちもいるけれど、自分はそれを信じたい。
大人になったからそう思うのではないと思う。
そういえば高校生の頃、別マを愛読していた。くらもちふさこは今でも好きだ。最近はのだめカンタービレが好きだ。
子どもにつられて読み始めたワンピースを大人買いして、今も毎週立ち読みするのも自分だ。コミックスは自分が買う。
そういえば小さい時から徒競走がとにかく苦手で、いっつもお前は本気で走っているのか?と訊かれていた。ああ、本気だったとも。
だから走るのが速くなれば女の子にもてると本気で思ってたぞ。今も心のどこかで思っているな。マッチョ信仰だな。
いや、ないものねだりか。大人には足の速さって価値がないな。プロスポーツの世界でもない限り。
昔から、軸がぶれていて、定まらなくて、今もぶれている。コンプレックスの塊だったから、早く大人の男になりたかった。
強く、揺るがない信念を持った大人の男。
今の自分はそんなものとはかけ離れている。
流れてゆく時間の中で、今を生きていくことだけを追いかけてたら、こうなった。とにかく、ここまで生きて来た。
これを流されたというのだろうか。
今まで生きて来て分かったことは、自分の自由は自分で決めて自分でやるしかないということ。
自分のしてきたことを認めること。後悔することもある。でも認める。それは自分であると。
過去何がしかの決心で分岐を選んだ自分を認めること。だからといって他の道を永遠に諦める必要はない。それは夢だから。
可能性が0でない限り、持っていてもかまわない夢だから。
こんな浮ついたことを言いながら多分50になり、還暦を迎え、だらだらと意地汚く行き続け、願わくばあっさりとひっそりと死んで行けると良い。
こんな自分は大人なんだろうか。
だらだら書いてすまなかった。もう終わりにするよ。
まあ、こんなオヤジもそれなりにいるのではないだろうかと思うのだ。
大人になりたい人は自分にとっての大人を決めるといいよ。
死ぬまで追いかけるぐらい遠いことに気が付くのは多分死ぬ時なんだと思うけれどね。
ああ、本当に大人気ないなあ。
空が、びっくりするほど晴れているというのに、私はいつまでも心に雲がかかったようになかなか晴れることがない。
どうしてクロスバイクなのか。単純に、土曜日にやっている謎の教育テレビのテーマがクロスバイクのせいなんだ。どれだけ流されやすい人間かと思う。なんにでも興味を持つと手を出さずにいられない甲斐性のなさが、また、私の心の迷いを増やす一因だと思う。
私は、買ったばかりのクロスバイクに乗って、宛てもなく走り出した。
初めてのクロスバイクのお尻の部分は固くて痛かった。
「・・固くて...痛い」・・。初めてのときは、いつの時も固くて痛い思いをするのかと、また、1つ大人になった気がした。
若い時は怖いものがなくて、自信もあって、勇気もあった。でも、大人になるにつれて、物を知れば知るほど前に踏み出せなくなることのほうが多くなった。
そして、歳を取るごとに、どんどん我侭になっていく自分。
痛みには強いのに、苦しいことには弱い。
走れば走るほど、苦しくなる距離。
我侭になった私には、自転車で走る距離は非常にキツイ気がした。
昔は、距離があって、自分が苦しくなった峠を越えたときの達成感が好きだった。だから、持久走とか水泳の遠泳とか好きだった。今は「苦しい」というだけで諦めてしまう。どちらかと言えば、ストイックだったし、負けず嫌いだったはずなのに。
持久走や水泳なんかの競技は、しっかりとゴールが決まっていて、迷うことなく進むことができる。
今の私は、ゴールが見えないまま、ただ苦しいだけの道をいつまでも走っている。
周りは、ちゃんとした目標を持って先に進んでいるように見える、そんな周りを見ながら、私の人生を比較して、また、猛烈に焦りを感じる。でも、私は目標が全く見つからずに今に至っている。
私が目標にしているものはなんだろう。
自転車で外に行く時ですら、目標が見つけられなくなっている自分に、また、自信を失っていく。
そんな時、道端で小さい興味深い看板を見つけた。
そこまでの距離、3km。
私は、1つ目標を見つけることが出来た。ゴールまであと3km。
目標を見つけた私は、その目的地までの間、苦しい坂も、痛いほど強い日差しにも耐えながら一生懸命自転車をこいだ。
不思議と、目標が見つかるまでの間苦しくて投げ出したいと思った気持ちも、むしろ苦しくて辛いことが、ゴールに近づいているようでワクワクした。
そして、私はゴールにたどり着いた。見つからないと思っていた目標を見つけて、達成した。
達成した時の私の心は、一番頑張っていたときの私に戻ったように、心がびっくりするほど晴れた。
こうやって、自転車を乗って目標を見つけたように、ふとした瞬間に何かのきっかけから私の目標が見つかることがあることを信じていたい。
そして、昔みたいに怖がらずに、挑戦できるほどの強さをもう一回取り戻したいと思った。
http://www.nhk.or.jp/kenko/drq/
http://www.c-folder.co.jp/popwoman.php?id=33
なんたる偶然か。
滅多に見ない教育テレビになんとなくチャンネルを合わせたら、ずっと気になっていた人を画面で発見。
自分がテレビで彼女を見なくなってから3年以上経つが、あの人はあんなに綺麗なのにどうしてどこにも出てこないのだろう・・・と不思議に思っていた。
GWの合間に平日昼間にテレビを見る機会があり、まだ出てるかな・・・と某番組の生CMをワクワクしながら見ていたがもう出演していないようであった。
もうずいぶん経つからなあ・・・つい先日そう思っていたのだ。3年以上前に検索で何度も調べた事があったが欲しい情報は全く無かった。
そもそも彼女の名前が解らなかったからどうしようもない。しかしNHKのサイトから名前が判明。初めてNHKのサイトを見たw
そして、名前を手がかりに様々な検索を試みたが、あまり大した情報が無かった。
しかし自分と同じように番組を見つけて、びっくりしている人がいた。嬉しい。
彼女のような人はblogとかやらないんだろうなあ・・・写真集でもあれば絶対買うのだけど。。。
http://www.kattch.com/mt/2008/04/maniac_tv_news.html
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