空が、びっくりするほど晴れているというのに、私はいつまでも心に雲がかかったようになかなか晴れることがない。
どうしてクロスバイクなのか。単純に、土曜日にやっている謎の教育テレビのテーマがクロスバイクのせいなんだ。どれだけ流されやすい人間かと思う。なんにでも興味を持つと手を出さずにいられない甲斐性のなさが、また、私の心の迷いを増やす一因だと思う。
私は、買ったばかりのクロスバイクに乗って、宛てもなく走り出した。
初めてのクロスバイクのお尻の部分は固くて痛かった。
「・・固くて...痛い」・・。初めてのときは、いつの時も固くて痛い思いをするのかと、また、1つ大人になった気がした。
若い時は怖いものがなくて、自信もあって、勇気もあった。でも、大人になるにつれて、物を知れば知るほど前に踏み出せなくなることのほうが多くなった。
そして、歳を取るごとに、どんどん我侭になっていく自分。
痛みには強いのに、苦しいことには弱い。
走れば走るほど、苦しくなる距離。
我侭になった私には、自転車で走る距離は非常にキツイ気がした。
昔は、距離があって、自分が苦しくなった峠を越えたときの達成感が好きだった。だから、持久走とか水泳の遠泳とか好きだった。今は「苦しい」というだけで諦めてしまう。どちらかと言えば、ストイックだったし、負けず嫌いだったはずなのに。
持久走や水泳なんかの競技は、しっかりとゴールが決まっていて、迷うことなく進むことができる。
今の私は、ゴールが見えないまま、ただ苦しいだけの道をいつまでも走っている。
周りは、ちゃんとした目標を持って先に進んでいるように見える、そんな周りを見ながら、私の人生を比較して、また、猛烈に焦りを感じる。でも、私は目標が全く見つからずに今に至っている。
私が目標にしているものはなんだろう。
自転車で外に行く時ですら、目標が見つけられなくなっている自分に、また、自信を失っていく。
そんな時、道端で小さい興味深い看板を見つけた。
そこまでの距離、3km。
私は、1つ目標を見つけることが出来た。ゴールまであと3km。
目標を見つけた私は、その目的地までの間、苦しい坂も、痛いほど強い日差しにも耐えながら一生懸命自転車をこいだ。
不思議と、目標が見つかるまでの間苦しくて投げ出したいと思った気持ちも、むしろ苦しくて辛いことが、ゴールに近づいているようでワクワクした。
そして、私はゴールにたどり着いた。見つからないと思っていた目標を見つけて、達成した。
達成した時の私の心は、一番頑張っていたときの私に戻ったように、心がびっくりするほど晴れた。
こうやって、自転車を乗って目標を見つけたように、ふとした瞬間に何かのきっかけから私の目標が見つかることがあることを信じていたい。
そして、昔みたいに怖がらずに、挑戦できるほどの強さをもう一回取り戻したいと思った。
増田っぽくていい感じだけど、「甲斐性」の意味を勘違いしている悪寒がするぜ。