はてなキーワード: 募金とは
これ本当に、明るいカツアゲだよな。
言い表すなら、こんな感じ。
「めかしこんで来い!
連休の式は新幹線代と宿泊費が高額らしいが、そんなの関係ねぇ!
式場まで遠いなら、残業後に新幹線なり飛行機なりで移動して前日から式場近くに泊まりやがれ!宿泊費出さないけどな!
前日入りできないなら、始発の新幹線なり飛行機なり乗りついで式場まで来い!交通費出さないけどな!
二次会も参加すんだろ?その日中に帰宅できないのか。残念だったな!もう一泊式場周辺に宿泊して明日帰宅しろ!
ご祝儀は3万な!お前ん家は家族4人で出席だから、7万〜10万は払えよな!
え?欠席?やめてよ!人数合わないじゃん!」
家のポスト開けて結婚式の招待状入ってたら、一気に震えと吐き気に襲われる人間が多い実態を知ってくれ。
新郎新婦予定共に告ぐ。
遠方の人間を呼ぶな!
軽々しく「参加しろ」言うな!
どんだけ負担かかってんのか分かってんのか?
相手の時間と金銭と体力を奪って「さぁ祝え!」って、何のプレイだよ!
事後報告で何の問題もねぇよ!
結婚式の招待ってのはな!招待客が汗水垂らして働いた給与の一部を募金してもらってんのと一緒なんだよ!
(1) 2017年10月:大学生が恋人を妊娠させるも金が全然ない。バイト増やしたくない。つかこのままじゃ留年。
→出産クラウドファンディングを企画、ブログで告知しTwitterで煽る。ある程度バズる。
(2) 2017年11月、クラウドファンディングCAMPFIREの審査に落ちる。
https://ishik0.com/not-accepted
(3) 2018年1月、募金サイト「polca」で企画立ち上げ。60人から合計4万円集める。真っ先にやったことはお名前.comへのお支払い。
(4) 2018年1月末、ブログ万PV公開→アドセンス導入、月3万PV程度あり3000円稼げることが判明しおおはしゃぎ。
https://twitter.com/ishiko_141/status/956546271174541312
(5) 2018年2月15日、留年が決定する。出産費用は出せないが学費は払えるらしい。
https://twitter.com/ishiko_141/status/964383658659295232
今後も彼を応援していきたい。
(1) 2017年10月:大学生が恋人を妊娠させるも金が全然ない。バイト増やしたくない。つかこのままじゃ留年。
→出産クラウドファンディングを企画、ブログで告知しTwitterで煽る。ある程度バズる。
(2) 2017年11月、クラウドファンディングCAMPFIREの審査に落ちる。
https://ishik0.com/not-accepted
(3) 2018年1月、募金サイト「polca」で企画立ち上げ。60人から合計4万円集める。真っ先にやったことはお名前.comへのお支払い。
(4) 2018年1月末、ブログ万PV公開→アドセンス導入、月3万PV程度あり3000円稼げることが判明しおおはしゃぎ。
https://twitter.com/ishiko_141/status/956546271174541312
https://twitter.com/ishiko_141/status/964383658659295232
今後も彼を応援していきたい。
募金やボランティアをやる人が、もっと増えるといいのに、と思う。
日本人の社会貢献の意識が薄いのは、単純に「周りのみんながやっていないから」だろう。
人は、みんながやっていることは簡単にやるのに、みんながやらないことは簡単に出来ない。当たり前だけど。
これはやるべきか否かという選択を自分の手から離して、集団に任せてしまった方が基本的に楽だからだ。この判断は善悪とは全く関係がない。
例えば、「殺人を犯すべきではない」というのは、”一般的に人は人を殺さないから、自分も他人を殺さない”そんなマインドが実は根底にある。
逆に言えば、それが犯罪であっても、周りの人がみんなやっていれば、多くの人は流されてやるのだ。そんなことが膨らんで起きた凄惨な事件がたくさんあったことは言うまでもない。
個人の自我は人が想像するよりもずっと弱くて、その選択は多くの場で集団に左右される。だからこそ、社会的な空気が変われば、きっともっと皆が自然に募金やボランティアをして、遠い他人を支援するのが当たり前の世界にもなるのにな、と思う。
そういえばたまに、「偽善である」という理由だけでボランティアを全否定する人がいるけれど、「偽善であるからやらない」というのは理屈としてはおかしい。
感情として、”私は私のためだけに生きていきたいから、他人にお金や労力なんて割かないよ”というのであれば、「私には時間とお金がありません」で良いのだ。つまり、偽善であるからやめなさい、とはならない。
しかし実際はそうではなくて、おそらく偽善者嫌いの人たちは、「自分は格好をつけない正直ものである」と言いたいのだろう。だけど実際人って気づかないところでたくさん見栄を切っているのではないか。
それが人間なのだから、仮にボランティアという行為に格好をつけた部分があるとしても、いずれにしても放っておけばいい、のに。
そもそも募金やボランティアというのは、基本的には「弱者支援」だ。それは皆が受けてきたもの、受けるであろうものであることを忘れている人も多い。
どういうことか。
最初から大人だった人はいない。人間は誰しも最初は子どもからスタートする。
子どもは弱者の典型だ。誰かが衣食住を与えなければ、大人にはならない。子育てとは一般的に、親から子に無償で与えられる支援のことを指すのだ。
また運が良くおじいさんおばあさんまで生きられた人は、言わずもがな介護を受ける。これも多くの人が「弱者支援」の当事者になる可能性を持っている。
「介護が貨幣を介しているなら、支援ではなくサービスだろう」と、そんなことを言うのであれば、その人はインフラにも同じことを言えるのか、と思う。
お金で今の生活が全部手に入ると思ったら大間違いだ。お金で何でも手に入るようになったのは、今の生活基盤、経済システムが作り上げられたおかげだろう。
支援や贈与というのは、貨幣経済の前提にある概念であり、否定対立するものではない。
なんでも貨幣で解決する、というのは大きな間違いだろう。人はスマホがなくても生きられるけれど、水がなくては生きられないし。
そういう点で、「弱者支援」は根本的に私たちの生活を持続させる上で欠かせないものなのだ。
弱い人を切り捨てていく集団は、最後の独りになるまでそれを許せない。このあたり内田樹先生が確か良く言っていたな。
ちょっと大きな話になってきたけれど、今現在必要な支援をギリギリで支えている(支えられていないところもある)のが公的なセーフティネットであり、それを動かすための税金だ。
ところが大抵の人にとって納税は「メシの食い上げ」であり、節税はやれる分だけやる方が良いものだ。だから皆故郷でも無い自治体に納税をして、税金の無駄遣いという言葉に異常に反応をする。
実際に税金が遣われている大部分は、目に見えないもの、実感を持ちづらいものだ。その必要の是非は検討すべきことだけれど、そもそも税金の無駄遣いと、自分が納税をする、という問題は別である。
「無駄遣いされる税金なら払わない!」という発想はごく簡単に「自分だけ得したい」に変わり、「自分が使わないサービスはいらない」という発想になる。
具体的には、自分の納めた税によって自分のために何がなされたか、ではなく、社会のために何がなされたか、という視点で考えると、納税感も少し変わるのではないか。
話が転じてきたけれど、つまり納税も社会貢献である、ということを多くの人は忘れているのではないか。納税は、政府にただ取られる、無駄遣いされるお金ではなく、社会を持続可能性を少しでも上げるためのお金だと冷静にとらえ直すべきだろう。その点は、多く納税をしている人は誇りに思ったっていいはずだ。
ここまで何がいいたいか、というと、自分のために100中100の意識を持つのではなくて、1でもいいから弱者や社会のために意識を向ける、それが当たり前になればいいのにな、ということだ。
0と1の差は、私の感覚では1と100の差である99よりも大きい。なぜなら、1が100人いれば100になるからだ。
人は1人では生きられないんだな、という気持ちがあると、生きていくのも少しずつ楽になっていくだろうに。
さぁ帰りにコンビニでお釣りを募金するか、街頭でおっさんからビッグイシューを買うか、次の連休をどうするか、知らん人のために何が出来るか考えるか、
棒
「コインチェックの盗難額=スカイツリーの工費」などと聞いたので、ほかにどんな比較ができるかなと調べた。
の、あたりにショックを受けた。富の集中とか資産と人口のパレート図とかが頭をよぎった。
コインチェックの返金が課税か非課税か、という話題があるようだけれど、課税して再分配してくれてもいいかもと、今日この時ばかりはちょっと思った(被害者の人ごめん)。
(自分勝手な考えであり、税金が必要なところに必ず届くとも限らないのだが)
募金してこよ…。
見たときに0レスだったから考えてみたんだけど、すでに意見ついちゃったな。
考えたけど、万能に解決するアイデアは出なかった。考えたことの過程だけ残しておく。
お題から
前提で。
現状把握。
18年度日本の生活保護費2兆8,803億円。多いか少ないかには議論がある。17年の給付実績164万205世帯。
賢い人は増田以外の世界にもいるわけで。そういう人は増田に寄り道しないで既に実践しているかもしれない。先人に学ぶ。
残念ながらアイデアは出なかったので、既存のアイデアを支援する。社会は不連続に変化しない。いっぺんに変えられないなら、既存の活動の延長線を信じてみる。
そういうボランティアってあるのかな?あと、自分が雇用者なら雇う。「一市民として」の前提から、福祉を仕事にすることは今回は考えない。職場改善や最低賃金上昇も「日本政府の社会福祉がこれ以上望めない」前提から考えない。
現在2兆円かけて解決してないのを踏まえると、個人が1億円かけても焼け石に水感がある。個人の頭にも限界がある。「一市民として」の参加リソースだと、164万世帯の頭数に負けてしまう。
残念なことに「福祉は団体が有利」の考えから抜けられなかった。
だからもうちょっと身近な範囲で考えて、100円でも多く寄付するとか、ボランティアに出てみるとか、お手軽にtwitterでRT支援するとか、新しくないことでも参加するのが大事かなと思った。
元増田のお気に召すかしら。