はてなキーワード: 若林とは
若林みたいにもっと素直に健常者である自分を羨んでほしいってこと? 自分のしょうもない人生でも発達障害者からみれば喉から手がでるほど欲しいもののはずなんだ、みたいな。
インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。
たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。
で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込」(角川文庫)を読んだ。とてもよかった。
すごいよかったのは、若林の言っていることがだんだん変化すること。連載の最初では「スタバで『トール』っていうのが恥ずかしい」と言ってたりするのだが、途中から「別に恥ずかしくないぞ!」と言い出す。過去の自分のネタ帳を読んでこう振り返る。
「テレビに出たい!」「お客さんに笑ってもらいたい!」となぜ素直に書けなかったのだろう。他人事のように考えを巡らせた。それを書いたら最後、いよいよ本格的に自分の力不足を直視しなくてはならなくなるからだろうな。それを書く強さなんて勿論持ち合わせていなかった。だからこそ、それを手にする気がないことを殊更に強調することが、当時の精一杯の自己防衛だったのだろう。
この辺りの文章が超絶に刺さった。素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
全然関係ない話なのだが、私は非常に感謝していることがある。むかし「部屋が汚い」ということを記事にしていたら、「発達障害(ADHD)なのではないか」というコメントをもらった。それに対して私は「そうなのかな?」と思っていたのだが、自身がADHDであり、それについての文章をよく書いていたYさんが、そのことについて怒ってくれた。
その怒ってくれたものの中身はあんまり覚えていないのだが、「増田ちゃんは部屋が汚いことを気にしているのに、そういうレッテル貼りはいかがなものか」のようなものだったような気がする(違ったかもしれない)。
ADHDがらみの話は私の中で非常に混迷している。ADHDの特徴を、当事者やその周りの人が知っておくことは、生きやすさ、過ごしやすさにつながると思う。「どうして自分はこんなにできないんだろう」と悩んでいる人が、ADHDの情報を知ることは、とても救いになるし、大事なことだと考えている。
ただそれは当事者と、その周りの人が楽しくコミュニケーションするために知っておくべき情報であり、赤の他人がその相手を理解しやすくするためにレッテルを貼り付けるものであってほしくないという気がする。たいていそういうのは雑になるものだから。それは「発達障害」という言葉でもあるし、「定型発達」という言葉でも同様に発生している。
ttps://x.com/ao8l22/status/960065753872416772?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960066055988129792?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960093910063235072?s=20
②パク増
③パク増再投稿(元のパク増本人?)
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リ..
https://archive.vn/2021.03.19-214155/https://anond.hatelabo.jp/20210319191550
オードリーの若林が社会的弱者である無職に「将来お前が苦しむのが楽しみだ」とかほざいてた過去があることを今知った
他人が無職になった原因なんて大量にあるしそいつに迷惑掛けられたわけでもない
なのにそんな相手に暴言吐いて越に浸るガイジとそれみて喜ぶガイジ、お前らが普段憤ってるイジメの件と何が違うんだか
ちょっと前に相方の春日がペンギンの池に入ったりとか椅子壊したりとかで炎上してたが、あれは故意じゃなくて他の演者やスタッフにやらされた所もあるからまだ分かる
でもこいつのこの発言はそういうのじゃないし単純に人間として倫理観が終わってるだけ
寧ろこっちの方がよっぽど炎上するべきだわ
映像を学んでいた学生時代、トレーニングとしてTVの演出や映像テクニックを真剣に見るということをやっていた。
試しにみんなも3分だけでもやってみたら良い。
映像を作る技術や手間の多さに気づいて、誰しもが頭がおかしくなる筈だ。
大学を出てからは、TVを観るときは必ず突っ込むようにしている。
昔、小学校の同窓会で、「私、家に居るときにTVに向かって話しかけているの」ってヤベー奴発言をしていた女子が居たけど、彼女は正解だったと思う。
多くのTV番組なんて、子供が言葉や所作を学んだり、老人がボケ予防のために観るものだと見下した方がいい。
いつの間にかステレオタイプに毒されて、面白くない奴がダウンタウン思想に染まるように、TVから流れる空気が正解だと盲信するようになる。
「アンタと観ていると気分が悪くなる」
YouTubeにはTVのような高度な演出技術が存在していない。
最近、そんなYouTubeのショート映像に「だが、情熱はある」というドラマの宣伝が頻繁に流れるようになって来た。
こういうマーケティングだな、というのは勿論、MCバトル動画を見ている人に紐づけているのかな?と考えた。
オードリーと南海キャンディーズがブレイクするきっかけとなったM-1は当然リアルタイムで観ていた。
爆笑オンエアバトル出演から存在を知っていた2組の異色漫才コンビが、今や芸能界で超売れっ子になっているのは世も末だなと思っていた。
この「世も末だな」という言葉は、僕自身の世が末になっているという意味だ。
そんな2組の喋り口調や漫才ネタを役者達が忠実に再現している所が興味深かった。
でも、オードリーや南海キャンディーズを支持するのは自分が負け組であると認めて傷を舐め合うような情けないような気がしていたので、「オードリー良いよね」「南海キャンディーズ良いよね」なんて言う人とは近づきたくないと思っていた。
そう、世も末だということを認めたくなかったのだ。
で、このドラマのキャスティングを調べてみた所、主演の二人は現役のジャニーズアイドルだったことを知る。
ジャニーズは嫌いだ。数多の実写化作品を強引なキャスティングで潰して来た恨みがある。
それにつけて、ジャニー喜多川の性加害問題が都市伝説から公然の事実となった。
でも、このドラマはなんか気になる。
すると今度は、YouTubeで「オードリーのオールナイトニッポン」の音源がおすすめに上がって来た。
オードリー春日がプロポーズ直前の浮気をフライデーされた回だった。
YouTubeとWikipediaでオードリーの背景を知ってしまったので、機会があれば「だが、情熱はある」を観てみようと思った。
何も予定の無い平日2連休。全話観れるhuluが2週間無料らしく、一気観をした。
20年前は邪道だと否定されてたけど、現代においてナレーションによる場面展開は正当な技法として認められている。
ドラマを見ながら、ネット検索をしてドラマの再現性に感心した。
YouTubeのショートではしずちゃん役の背の低さに難色があったものの、ドラマを視聴するにつれてあまり気にならなくなっていた。
脚光を浴びたM-1の舞台でのネタを劇中で全編放送していることによって、視聴者がカタルシスを感じることが出来ていた。
役者の演技力と、メロドラマに走らない制作側の真摯さによって成立していると思った。
「作品に罪はない」
例えジャニーズが気に入らないとしても、ジャニー喜多川が死んで影響力が無くなった今、ジャニーズ事務所が強引なキャスティングをする事は難しくなった。
日本はようやく作品のクオリティだけで評価される時代が来たのかも知れない。世も末である。
けど、若林と山里の「たりないふたり」ってユニットは正直、面白く無い気がする。Twitterが大好物のロックとお笑いが好きなサブカル俗物たちに支持されてるだけに過ぎない印象だ。
https://note.com/wakario/n/ne9a6dfc546e2
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※あくまでもグラビアアイドルと近しい職業でもあるイベントコンパニオン経験者の立場で執筆しています。政治・法律に関してはもっと詳しく説明されている方がいるため、その点ご了承のうえお読みください。
※未成年の水着撮影については、私は切り離して考える問題だと考えており、また法的な立場から正確な情報が提供できる自信がありません。そのため、こちらにつきましてもタイトルどおりの内容ですのでご了承ください。
しかしながら2018年のF1グリッドガール廃止のように、同じようなことがまた起こるのではないかと懸念しています。
悔しい。
私はグラビアアイドルではない。
元イベントコンパニオンだ。
あえて産まない人生を送る女性たちが、少子化対策で透明人間のようになっていると書いたことがある。
悔しい、悔しい、悔しい。
自分は、たぶんそれこそM-1準優勝でブレイクした頃、その後じゃない方と言われてもがいていた頃の若林さんだったら、自分の半生のドラマ化なんて鼻で笑ってそうだけど、年月を経て今の考え方では「まぁそういうのもありなのかなぁ。任せてみますか。」と受け入れられるようになっているのも理解できます。
きっと元増田さんはそういう心境の変化自体、若林さんが変わってしまったようで寂しいんでしょうね。
無理に見ろとはいいませんが、フリートークで聞いたあのエピソードが実写化されてるとか、髙橋海人君の演じる若林さんが生き写しすぎるとか、そういうのだけでも見る価値はあると思いますよ。
TVerで無料で見れる3話だけとか、YouTubeにアップされてる漫才完コピ動画だけでも十分と思います。
このところラジオでもほぼ毎週ドラマの話してるので、フリートークもより楽しめます。
何より、元増田さんが自分を重ねていた頃の二人を追体験できて懐かしく思えるんじゃないでしょうか。
ここからはたりないふたりが中心になると思うので、そこを通ってないならちょっと思い入れは薄れるかもしれませんが。
まぁ何が言いたいかというと、見たくないもの見る必要はないけど、オードリー好きならこの祭りに乗っかっといても損はないと思うよ、きっと楽しめるよという話です。
自分はオードリーANN古参で、就職とほぼ同時にオードリーのラジオが始まった。
自分が新社会人として戸惑う姿と、急に脚光を浴びての葛藤を好き勝手話すオードリーをおこがましいけど重ねては笑っていった。国際フォーラムでのイベント、チケットとっていたのに過労で胃潰瘍になって入院していけなくて、泣きながら病室からラジオ聞いたなあ。
オードリーはそれからずっと売れっ子どころではない活躍ぶりで、若林さんは男性アナのような見事な司会業を始めたり、春日さんは世界を飛び交いながらいろんなチャレンジをしていたのは知っているが、自分はあまりテレビを見ずラジオの二人をリアルと思っていたので、なんとなくちょっと遠いところにいるんだろうなーぐらいの認識だった。
だけど、「だが、情熱がある」、これにはたまげた。ドラマは素晴らしい作りのようで、各方面から絶賛の声は聞く。ドラマに関してあれこれ言うつもりはない。(だって見てないし)だけどあんなに各方面に気を使い続ける芸人のオードリーが、まだ現役の自分を伝記化するようなドラマをオッケーするということが、すごくすごく大人の判断すぎて、まだ自分の中で整理がつかないのだ。きっと「たりないふたり」の長年の功績をそのままではもったいないとのことで、色々二人の自著を参考にしながら丁寧に作るという企画があって、その熱意で承認したのだろうけど。(実は自分は何キャン山ちゃんがすこし苦手でたりないふたりを全く見てない。それもあるかも)ラジオの二人なら「死ぬ前に自分のドラマなんて恥ずかしくてできねえよ」と言うとばかり思っていたからさ。(アンガールズの山根さんが愛ある大イジリしてくれたので少し救われたが)
なんか、毎年忘年会でバカ話してた地元の友達が、実はみんな結婚もして子供もいて家も車もあるけど、「まあ、増田いるからさ(笑)そういう話はやめとこうぜ(笑)」って気を遣っていてもらったような、そんな感覚。
そもそも才能もあって努力もできる超非凡な芸人に、ど凡人の自分を重ね合わせることが、もともとおかしかったし、そこまでストーリーをのせるのがキモいってのも重々わかるんだけどさー。二人のフリートークが少しずつ大人を隠し切れなくなるのも、それと比べての自分のガキ臭さもうっすら気が付いていたけどさー。なんだかやるせなくなっちゃうんだよね。
たまたま先週「14年もラジオ聞いてるやついねーよ!」と言ってたからちょっと寂しくなっちゃてね。実はここにいましたよ。くたくたに働いたあと暗い部屋でオードリーANN聞いて笑ってたあの日々は自分にとって人生の基盤だし、宝物だな。
元々芸の腕前はイマイチな分、相手からの期待に最大限答えようとしてボディビルや潜水とか頑張る男だが、昨年の年間出演数ランキング1位を取る為にいつも以上に色んな番組に出た為に心身共に疲れ切ったのである。(余談になるが、そもそも出演数ランキングの数え方がおかしい訳で週5帯のMCが圧倒的に有利になるわけでそれにゲスト専門のオードリー春日が立ち向かうのが土台無理である。MCであれば週5で12か月出演でも1と数えるべきではないか。実際オードリー春日を除いたランキングメンバーがひっきりなしに出演しているイメージはあまりない)
中継前の状況は分からない。どうぶつ王国がどんなにNG言ってたか分からないし番組スタッフが何を言ったかも分からない。
ただあの状況、あのメインMCのフリに対してどうすればよかったのか。断ればよかったと言うのは簡単だが別にオードリー春日にペンギンと戯れる映像の為にオファーは誰もしない。そういうのはジャニーズだ。つまりオファーの時点でオードリー春日にはハプニングを望まれているのは確かであり、メインMCも人柄や言い方はともかく番組としてちゃんと与えられた役割をこなしている。
ANNで説教するだろうが正直春日のやらかしではないと思うので出来る限り寄り添って欲しい。番組スタッフはなるべく味方になって欲しい。出来ればメインMCと天の声も。そもそもこのコンプラ厳しい時代にどうぶつ王国に説明無しとはあまり考えにくいし、もしかしたら面倒な動物愛護からのクレームや飼育員からの非難からいちぬけする為に出した声明かもしれない。そうなると番組とオードリー春日にとっては寝耳に水であり、そりゃないよとなるが反論できるわけもなく粛々と批判を受けるしかない。だが我々の見えないとこで出来る限りのフォローをしてやってほしい。
とりあえず来年のドーム公開収録を満員にするくらいじゃないか?今回の件で東京ドームからNG出たら知らんが。