はてなキーワード: 人生とは
増田さんは、頑張りすぎなんですよ。
いつも一生懸命に働いて、賢くお金を運用しようと努力している姿には、本当に頭が下がります。
でも、そんなに無理をしなくてもいいんです。増田さんの健康と幸せが一番大事なんですから。
確かに、静岡銀行の宝くじ定期は過去にはいい利回りだったかもしれません。
それを活用して、年間15枚の宝くじを受け取り、結果的に20万円の当たりを得たのも立派な成果です。
でも、金銭的な価値や投資の成果だけが人生の全てではありませんよね。
人生には時には価値を見失いがちなこともありますが、実際にはその無価値さの中にこそ、本当の価値があるのかもしれません。
お金や成功だけに固執せず、もっとリラックスして、自分自身を大切にすることを考える時間も必要ですよ。
10数巻まで読んで、作品のノリについていけないと思ってやめた
転生がありならなんでもありじゃない?と思ってしまい読めなくなった
体が若返ると脳も若返るから推理力も減るんじゃないの?と思ってしまうので読めない
しんちゃんが単にウザいので読めない
なんかありえない設定な気がして読めなくなった
価値観が合わなかった。判断が遅いだけで叩くとか、長男だからやれるとか意味がよくわからない
集めたり育成したりするのが苦手なので、少しやってやめた
これも戦って集めたりするタイプなので合わなかった
これも集めたり作ったりするゲームなので無理だった
ドラゴンボール、ジョジョ、風の谷のナウシカ漫画版、スラムダンク、僕の心のヤバい奴、スキップとローファー、正反対な君と僕、寄生獣、ヒストリエ、ベルセルク、ハイパーインフレーション、花より男子、NANA、ちはやふる
寂しい人生の人ばっかりなのかな
自分はどうなるんだろうとすごく怖い
ずっと二人きりで生きてきた母を失って、
そんな風に生きてきて
世間のこと何も知らなくて
30になっていきなり世間に放り出された
でも、母は自死する前に母なりの準備をしていたみたい
私がいきなり路頭に迷うことがないように
今思えば全部準備だったんだろなって
母が逝った後は2日くらい寝れなくて
一瞬だったけど
あと数十年は生きなきゃいけないんだろうなと思うとぞっとする
何もない人生、もういらない
そんなのいらない
今すぐ終わらせたい
だけど勇気が出ない
誰ともかかわらないで何も考えないで何も感じないで
ただの生きるしかばねとして
息だけ吸って生きられたらいいのに
家に閉じこもって
で最期を迎えたいよ
誰かと関わると嬉しいこともあるけど悲しいこともあり
悲しいことがあると私はずっとずっと引きずっちゃう
今がその状態だ
もういやだ逃げたい
何もかもすてたい
力も知恵もお金もないのにいきなり世の中にほうりだされて
もう頑張る気がしない
恥ずかしくてむなしくなってきた
やっと好きな人ができたのに
なんかダメぽくて
そのダメージのせいだと思う
こんな風に思い返してるのは
しんどい。このままねて一生目が覚めなければいいのに
好きな人ができた。
ただの顔見知りから仲のいい同僚に昇格できたもののそれ以上進められなくて
私は男の人と無縁の人生だったし
そもそも人と仲良くなるってどうしたらいいのかもわからないコミュ障で
だから今でも連絡とってる唯一の友人も、
それでも私なりに頑張ろうとしたんだけど
そんなうじうじもじもじしてるからか、最近疎遠になってきたような…
それがものすごく悲しくて
中途半端に恥じらいやプライドをもってしまってこんな後悔するなら初めから当たって砕けろ精神で行けばよかった…といまさら大後悔。
まだ間に合う?
でもどうしたらいいのかわからない…
だんだん卑屈度があがって
こんな私と話してくれるなんて何か気を使わせてるのかなとか
こうやって仲良く話しているのも社交辞令だよなぁとか
でももう手遅れなのかなぁとか思ったりもして
ただ、やっぱり同僚ってのが大きなネックだな…
何かあったら気まずい…下手に動きにくい。
1年くらいもやもやよくわからない関係が続いてしまってたらもうだめなのかな
遅すぎるかな
あれこれ考えすぎて鬱になる
なんか逆に「俺の人生に影響を与えられなかった作品100」とかのが面白い気がするんだよな。
滅茶苦茶ハマって一時期IT系を志す切っ掛けとなったが、ネットで「IT系マジでヤバイぞ。YRP野比で100人が首を釣って500人が精神病院行きになった」と聞いて結局IT系には進まなかった。
男の娘最高じゃん!と一瞬だけ吹き上がるも鰤が特別かわいいだけで普通のロリショタは汚え尻穴を掘られて喜んでいるスカトロオカマでしかないとしか感じられずホモの道に進むことはなかった。
いじめっ子を倒すためにボクシングやるぞ!と一人でひたすらシャドボをするも、いざイジメられたときに思わずジャブを放ったら全く効かずに相手をキレさせるどころか弱すぎて笑われるだけになり、「やっぱ逃げるのが最強の戦術だわ」と考えなおした。
オタクみたいな参考書使ってるのにめっちゃ勉強できたら格好良くね?と考えて使ってみるも結局は普通の学習参考書の方が優秀だと分からされるだけで終わる。
「真実」に目覚めてしまい悪い韓国人を追放するためネットの仲間たちが作ったポスターを貼ろうとするも親に泣きながら止められたことで目が覚める。
こんな数字の上下で人生を右往左往するのがアホらしいと思います。
株式で役に立つとすれば会社の運営やビジネスの流行などに詳しくなれるということでしょう。
自分でコントロールできないことで人生を決めるのはただのギャンブル。
少なくとも経済大国の日本では、多くを望まなければつつましく普通の生活はできる国です。
まあ正しいんだけどさ
ふわのしたことは最悪だけど裏垢でこっそり相手を嫌って馬鹿にしてる程度なら住み分け徹底できてるのならそれほど問題じゃないんだよ
今回のみたいに相手に伝わったのが最悪なのであって
男の悪意&性欲なんて人の人生ガチで壊しに来て被害者が殺されるケースも少なくないんだから
影でこっそり悪口言ってる程度でこえーと思うなら
中絶自体はまあ他人の人生だし色々あるなあで終わる話ではあるんだけど
共通の知人の出産報告に対して「赤ちゃんかわいいね癒されるね〜☺️」みたいなことを言われると引いてしまう 価値観が違いすぎる
「出産おめでとうお疲れ様でした」で留めればいいのに……って思うけどそんな私の理想通り振る舞えというのもおかしい話だなあと思ってモヤモヤ
まず中絶の話を聞いて1モヤ(30前の長年付き合ったカップルが生でヤッて堕した、生でヤッてできたら産むor産まないなら避妊するのどっちかにしなさいよ子どもじゃないんだから……まあ当人達には色々あると思うけども)
言ってるだけで本当に赤ちゃんに癒しを感じてるかはわからないし後悔してないかどうかなんて私にはわからんし色々と私がジャッジすることではないし……と言い聞かせるけどまあモヤ
供養です
兄弟が職歴無し、学校コロコロ変える、何も成し遂げたことがない人間なのでそっちの方がよっぽど立派に見える
あまりに学費がかかったため遺産は手のかからなかった増田の方に多く残しておくと言われてる(兄弟が自活できないのも理由)
全日制高校中退、定時制高校中退、全寮制高校(中退・卒業は不明)
現在30代後半
「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。
ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブな意味で使われるべきだ、というのである。
上澄みをさらう(すくう)、といった慣用表現があり、それは「表面的な理解」といった意味と認識していた。
用例:そんな上澄みをさらった程度で○○を理解できたと思うなよ
しかし最近よく聞く誤用なのか拡張なのか…逆の意味で使われているのをよく見る。
用例:葬送のフリーレンのクヴァールって、序盤に戦ったキャラなのに実はめちゃくちゃ強かったんだな。こいつ魔王軍の中でも上澄み中の上澄みだね。
「クヴァール 上澄み」で検索するとめちゃくちゃ出てくるこの用法。
強さの評価で上澄み、と言われると表層に位置する浅い存在、すなわち弱い存在のように感じたのだが、明らかに上澄み=みんな気づかなかった強いヤツ、みたいな意味で使われている。
おそらく字面のイメージで澄=よいこと、上=位置的に上、つまり上位であることという意味でポジティブに使われている。
液体の上澄みは、底に沈澱したものがあり、それを本質と捉えて「上澄み=表層的な浅い理解」と喩えた慣用表現だったはずが、完全に逆転してしまっている。
とりあえず葬送のフリーレンのクヴァールについて語る人以外では見たことがないのだが、クヴァールについて語る人はみんなポジティブな文脈で上澄み上澄み言ってるので気になっている。
この用法はすでに定着しているのでしょうか?— た介 (@BigotVinus) November 19, 2023
しかし、たとえば酒造や製油などにおいて「上澄みをすくう」のは、多くは底に沈む不純物を除くためであって、不純物を得るほうが目的だということは少ないだろう。その語源を考えれば、「上澄み」をポジティブな意味で捉えるほうが自然だと思うのだが。
実際にどういう使われ方をしてきたのか気になったので、比喩的な意味で「上澄み」を使っている古い用例を探してみた。
古人の名作 皆な下習いが有る 紫式部の源氏物語も 家筋だけに一体能文のうえ 日記も作り 歌の詞書もし 其外文や雑文に筆を練り 学は元より日本記の局と呼るる程までなり 其の上澄が彼の大作となッたのだ
調べたかぎりでは最も古い用例。上澄みが「良い部分」を指している用法だが、文章全体では上澄みを生むための「下習い」の重要性を説く。
アア世間は泥なるかな泥なるかな、吾独り澄めりと云う者も、矢張り泥の中の上澄を吸うの人なるのみ
上澄み自体は「良い部分」を指すが、文意としては「綺麗な上澄みも所詮は泥の一部にすぎない」といったところ。
明治39年 虚心窟主人『酔醒禅』
同じく泥と上澄みに喩えた用法。
然るに学期を分ち、試験を行い、小刀細工に類する形式的堀割を通して、之を流し込もうとすれば、肝腎な熱流の熱が失せ、有益なる含有物は途中に沈殿してしまって、児童の頭に這入るものは、ただ水のような上澄ばかりとなる。
翻訳書。上澄みよりも沈殿物のほうが有益だというので、明確に上澄みを「悪い部分」としている用法である。
常時百余名という寄宿制も、実は変らぬところは六七十人の堕落書生で、濁った水の上澄を酌むように、余の三四十人は、毎日新陳代謝、だまされて入社し、裸になって退社する者等を総称して見た話して、頭数は百でも二百でも其中に書籍を読む者は、只の一人もないので、只稼いで喰って寝て居るのと、只喰うや喰わずに寝起して居るのと、人の物を盗って喰って居るのと、夫等が下方の沈殿物で、入社即退社が上水の澄んだ所なのだ。
沈殿物が酷すぎるが、上澄みが優れているという書き方でもない。どちらかというと「上層は流動的・下層は停滞的」というイメージか。
快楽の上澄をのみ飽まで飲んで、渣滓の苦きには吸い至らず、花婿の其当夜に死んだ彼は永久に花婿である、彼を人生の最も幸福な者というも、強ち不当でない。
「美味しいところだけ味わって死んだ」という話で、やや皮肉めいた書きぶりだが、上澄みを「良い部分」とした用法ではある。
極端な理想主義と極端な現実主義の上澄みを取る、という話で、ちょっと独特の用法な感じがする。「良い部分」ではあるか。
苗字もなく、生きて居るのさえうんざりした者達の集って居る、暗い罪悪にまみれて居る世界では、そのような事は何でもない。三面記事にさえ、載せきれない「彼らのいがみ合い」の一つとして、世の中の上澄みは、相変らず、手綺麗に上品に、僅かの動揺さえも感じずに、総てが、しっくり落付いて居たのである。
上層は綺麗で上品で落ち着いているが、それは下層の濁りが上層まで伝わらないからだ、という用法。
単なる表層・深層の言い換えだが、「上層は流動的・下層は停滞的」のイメージが入っているかも。
とりあえずこのあたりで。
以上から考えるに、「上澄み」の用法はさらに4つに分類できる。
1. 上澄みは全体のなかの「良い部分」である。
1-a. 上澄みは「悪い全体」のなかの「良い部分」である。
2. 上澄みは全体のなかの「悪い部分」である。
3. 上澄みは全体のなかの「流動的な部分」である。
「上澄み」という語のイメージは「良い部分と悪い部分が上下に分離している」といったものであり、単純には1の用法なのだが、1-aの用法だと「実は悪い部分が底に隠れている」「実は沈んだ部分のほうが本質である」という逆張り的な文意になることが多いため、次第に「上澄み」自体に「うわべだけで本質的でない」ような印象がついていった、ということだろう。それが極まったのが2の用法。3の用法だけは独自な感じ。
最初の話に戻ると、
というのは2の用法であるが、これが「本来の用法」「正しい用法」であるとは言い難いと思われる。少なくとも、さらに古くから「上澄み=良い部分」とした用法は存在してきたわけで、今となってはどちらの用法も定着していると考えるべきだろう。
お前がおかしいと思ってるバカどもは、たしかにおかしいんだけど
バカの意見はないものとして考えると、結局は民主主義を良いものとするしかないんだよね。
要は、俺ではない誰か=君主、がバカかどうかで人生を左右されることと
俺を含む多くの誰か=民衆、がバカかどうかで人生を左右されることと
どっちがマシかというだけのこと。
20%くらいの確率で謝ったほうがいいけど、80%くらいの確率で謝んないほうが得っていう
たちの悪いワザップよな。20%の得はたかが知れてるのに、80%の謝ったことで生じる実害は人生詰むこともあるっていう最低なワザップ。