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はてなキーワード: 不完全性定理とは

2014-04-21

円城塔もっと楽しむためのノンフィクションはこれだ!

SFもっと楽しむための科学ノンフィクションはこれだ! http://d.hatena.ne.jp/huyukiitoichi/20140417/1397744529 を受けて10冊選んでみました。

「『現実とはなにか』という認識が変わっていく」ような本はありません。

言語

ヨーロッパにおける完全言語を求める歴史を扱った『完全言語の探求』と多くのプログラミング言語設計者へのインタビューをまとめた『言語設計者たちが考えること』は、あまり読者が重なっていない気がしますが、円城塔きっかけにして両方読んでみるのもいいのではないでしょうか。

つぎの著者につづく」(『オブ・ザ・ベースボール』収録)の冒頭で語られるエピソードが『完全言語の探求』から引いたものであることは単行本収録時に追加された注で明示されていますし、「道化師の蝶」に出てくる無活用ラテン語についても『探求』で触れられています

一方『言語設計者たちが考えること』については、読書メーターで「小説を書く人も読むと良い」(2010年12月10日)とコメントしていて、『本の雑誌』の連載でも取り上げています(2011年11月言葉を作る人たち」)。また『本の雑誌』の連載では『言語設計者たち』以外にも時々プログラミング言語言語処理についての本が取り上げられています

最近連載のはじまった「プロローグ」(『文學界掲載)も今のところ、より望ましい文字の扱いや処理についての話をしているので、いささか強引な解釈ですが『完全言語の探求』『言語設計者たちが考えること』と繋がっている小説です。

翻訳

ロシア語作家として出発しアメリカ亡命後に英語作家に転身したナボコフは、自分自身の書いた文章を別の言語翻訳する「自己翻訳」を相当数おこなっていますが、それを主題とした評論書です。

円城塔本人も語っていますが、「道化師の蝶」ではナボコフモチーフとして使われています。友幸友幸が「希代の多言語作家であることもナボコフへの参照のひとつでしょう(若島正は『乱視読者の新冒険』のなかでナボコフを「稀代の多言語作家」と形容しています)。その希代の多言語作家の「わたし」とそれを翻訳する「わたし」が重なるようで重ならない「道化師の蝶」の筋立てにも、同じ作品について作者と翻訳者の両方の役割を演じたナボコフの影が見出せます。また「道化師の蝶」の姉妹編といえる「松ノ枝の記」での、相互翻訳相互創作する2人の作家という設定も「自己翻訳」の変奏と見ることができるでしょう。こうした創作翻訳交錯する2編を再読する上でも、この評論書が良い補助線になるのでは。

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2011年4月28日)。

数学 全般

最初期に書かれた『Self-Reference ENGINE』や「オブ・ザ・ベースボール」「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」(『虚構機関』収録)などに顕著ですが、円城塔小説には、掌編の積み重ね(積み重ならず?)によって全体の物語が作られるという構造がよく現れます。これは辞典を順番に読んでいく感覚ちょっと似ているかもしれません。『数学入門辞典』を読んでいると、たとえあまり数学に詳しくなくても、円城塔小説に対してしばしば言われる「よく分からないけど面白い」という感覚を味わえると思います。ただし、円城塔小説に出てくる数学用語がこの辞書に出てくるなどと期待してはいけません。

一家に一冊」だそうです。 https://twitter.com/rikoushonotana/status/402707462370758656/photo/1

数学 数学者

円城塔小説には数学者やそれに準ずる人が多く登場しますが、『史談』は数学者を語った本として真っ先に名前のあがる定番の名著です。著者は類体論確立したことあるいは解析概論の著者として知られる高木貞治。かの谷山豊はこの本を読んで数学者を志したそうです。

数学部分については河田敬義『ガウスの楕円関数高木貞治先生著"近世数学史談"より』という講義録があるくらいには難しいので適当飛ばしましょう。

考える人2009年夏号 特集日本科学者100人100冊」で円城塔が選んでいたのが高木貞治とこの本でした。

数学 モンスタームーンシャイン

ムーンシャイン現象は、『超弦領域』収録の「ムーンシャイン」の題材で、他に「ガーベジコレクション」(『後藤さんのこと』収録)にも単語だけですがモンスター群とコンウェイが出てきます(コンウェイは「烏有此譚」の注にも言及あり)。作品内に数学的ホラ話といった雰囲気がしばしばあらわれる円城塔にとって「怪物的戯言(モンスタラスムーンシャイン)」はいかにもな題材かもしれません。

ムーンシャインを扱った一般向けの本というとたぶん最初に『シンメトリーモンスター』が挙がるのですが翻訳が読みにくいし『シンメトリー地図帳』にはあまり説明がなかった気がするので、この『群論』を挙げます

数学の専門書ですが、第4章「有限単純群の分類/Monsterとmoonshine」は読み物風の書き方になっています。ただし詳しい説明なしでどんどん話が進んでいくところも多く、きちんと理解するのは無理です(無理でした)。

第4章を書いている原田耕一郎はモンスター群の誕生にも関わりが深い人で、多くの文章モンスタームーンシャインについて触れているので、雑誌などを探せば難度的にもっと易しい文章が見つかるかもしれません。

数学 確率

円城塔小説には「オブ・ザ・ベースボール」のように確率についての言及もよく見られます。『数学セミナー』『数学のたのしみ』『科学』等で高橋陽一郎が書いた確率論についての諸入門解説記事、は探すのが面倒だと思われるので、もっと入手しやすいこの本を。

確率微分方程式で有名な伊藤清エッセイ集です。「確率」より「数学者」の項に置くのがふさわしい本ですが確率の本として挙げます

読書メーターコメントは「素晴らしい」(2010年10月24日)。

数学 力学系

やはり専門が力学系ということもあり、力学系関連もしばしば登場します。

本のタイトルを見て「力学系力学は違う」と指摘されそうですが、副題は「カオスと安定性をめぐる人物史」。力学系歴史に関する本です。実のところどんな内容だったか覚えていないのですが、「いわゆるこの方程式に関するそれらの性質について」(単行本未収録)で引用文献に挙がっているか大丈夫でしょう。

数学 ロジック

Nova 1』収録の「Beaver Weaver」をはじめ、ロジック(数学基礎論)関連も円城塔小説に頻出する素材です。

とりわけ計算可能性、ランダム性、busy beaver、コルモゴロフ複雑性……とあげてみると、まずはチャイティンの諸作が思い浮かびますが、あれはむやみに勧めていいタイプの本なのかちょっと疑問なので避けます読書メーターでは、最近出た『ダーウィン数学証明する』に対して「 チャイティンチャイティンによるチャイティンのためのいつものチャイティン」(2014年3月20日)とコメントしています

これという本が思い浮かばなかったので、いくらかためらいながらもこの本を挙げました。『メタマジックゲーム』か、あるいはヒネリも何もなく『ゲーデルエッシャーバッハ』でよかったのかもしれません。ただ『ゲーデルエッシャーバッハ』だけを読んでもほぼまちがいなく不完全性定理理解できないということはもっと周知されるべきじゃないかと思います

円城塔はこの本について「すごかった。(但し、かなりハード。)」(2011年3月27日)とコメントし、『本の雑誌』でも取り上げています(2012年10月ゲーデルさんごめんなさい」)。

初心者向きの本ではありませんが、不完全性定理について一席ぶつ前に読んでおくといいでしょう。


天体力学パイオニアたち』が上下巻なので、以上で10冊になります

別にノンフィクションを読まなくてもフィクションを楽しむことはできますが、ノンフィクションを読むことによって得られるフィクションの楽しみというのもまた楽しいんじゃないでしょうか。

追記: 小谷元子編『数学者が読んでいる本ってどんな本』に寄稿している13人のうちのひとりが円城塔なので、そちらも参照してみるとよいと思いますリストに挙げられている約50冊の本のうち半分くらいがノンフィクションです。上に挙げた本とかぶっていたのは『数学入門辞典』『天体力学パイオニアたち』『ゲーデル定理 利用と誤用の不完全ガイド』でした。また、はてブコメント言及のあったイエイツ『記憶術』もリストに入ってました。

2013-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20130824162525

集合と位相は単に現代数学の基礎だから

不完全性定理なんてやめろ。勘違いするだけ。

調子ぶっこいてシェイクスピアとか読む前にTOEIC(笑)で寝てても900点は取れるようになれよ、って感じ。

てか「深くは知らない」とか言ってるが、「全く知らない」の間違いだろ?

位相が何のためにあるのかすらわからんだろ?

http://anond.hatelabo.jp/20130824150040

哲学ではなく、数学ですか。

良い機会ですので触れてみたいと思います

ただ、私は集合や位相について深くは知りませんので、勝手妄想になってしまますが、

集合や位相について勉強しろとおっしゃたのは、不完全性定理証明のためでしょうか?

不完全性定理は以前から気になっていたので、この機会に合わせて学びたいと思います

ありがとうございました。

2013-07-22

宗教の無矛盾性と、ゲーデル不完全性定理

 親鸞仏教にたいして、矛盾を感じ、無矛盾な体系を持つ浄土真宗を作った。

 しかし、無矛盾であることは、完全であることではない。とはゲーデル不完全性定理の言い分。

 キリスト教おいても、バイブル解釈を複雑化させることで、無矛盾を編み出そうとしているが。

 神の無矛盾性を人間認識しようとするならば、完全かどうかはわからない。

 結局、宗教というのは、無矛盾公理を求める作業であり、無矛盾があれば人間精神が救われると思った。 無矛盾なら完全だからという直観があったから。

 しかし、無矛盾からと完全かはわからないという現実を突きつけた時に、

 「人が作った宗教というものは、人間人間をすくいたいために無矛盾を作っただけです。」

 ということにはならないだろうか?

2011-08-27

たまに四季は素晴らしいというやつがいるが

たまに四季は素晴らしいというやつがいるが、熱中症などで人が死にまくりなのにふざけたことをぬかしやがって。

たまに人体は素晴らしいというやつがいるが、熱中症などで人が死にまくりなのにふざけたことをぬかしやがって。

たまに生命は素晴らしいというやつがいるが、熱中症などで人が死にまくりなのにふざけたことをぬかしやがって。

たまにこの世の物理法則はすばらしいというやつがいるが、火星にすらまだ行けないようなひどく重力に縛り付けた世界じゃねえか。

たまに数学世界はすばらしいというやつがいるが、少なくともゲーデル不完全性定理が成立する時点で腐ってる。

ま、この世の中、素晴らしい素晴らしい吹聴していたほうが何かと得ですからねえ。人間関係にしろ権力にしろ商売にしろetc.素晴らしいものに囲まれているという幻想に浸っていたいのは道理ではあるわな。

2011-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20110719133024

もう特に言うことはないが、小学一年生の喩えで憤慨したと仰るので、なぜこの喩えを出したのかだけ付け加えておく。

この喩えを出したのは、そういうやる気のない小学生を想定してたんじゃなくて、

小学生の頃、友達がそういえばこんな感じの事言ってたなって思い出したからだ。(もちろん正確ではないけれど)

「算数って、お店やさんにならないと使わないでしょ?国語はみんな使うから国語のほうが大事だよね。」

じゃあこの子にどう返事するの?ってのを、もし暇なら考えてみて欲しい。

私は小学生の時、確かこれに反論できなかった。その頃、算数がなぜ大事かっていう話を先生がするときはいつも、

「買い物するとき計算できないと困るでしょ?」

みたいな事を言ってたからだよ。でもこれおかしいよね。レジに並ぶときカゴに入れた品物の値段を合計して小銭準備している奴って、まぁ居るには居るけれどそんな事しなくてもいいでしょう。私は当時そんな風に思ってて全く納得してなかったけど、まぁなんとなく算数は将来使いそうだなって思ってた。

結局小学一年生の手の届く範囲に、算数の具体的な使い道ってないわけだよ。大学一年の手の届く範囲で線形代数の使い道って、まぁそんなに無いけれどあるにはある。「例えばこれこれこういう使い道があります」って誤魔化しが効かないぶん、線形代数場合より面倒だと思うんだ。

最後になんでこんなに否定的だったかって話。

行き過ぎた例として、

線形代数の授業でジョルダン標準形常微分方程式しか教えませんでした。てへり

とか、

微積の授業でゲーデル不完全性定理から始めて微分はフレッシェ微分教えました。てへり

とか、(なんでゲーデル教えるのかさっぱり分からん

こういう伝説いくらでもあるのよ。

こういうの見ると、ああやっぱ線形代数線形代数の領分守っとくべきだなーってしみじみと思うんですわ。

2011-05-08

モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得

元ネタモテる女子力を磨くための4つの心得 http://youpouch.com/2011/04/26/162331/

 

 

こんにちは現代思想文芸批評を専攻しているエス嬢です。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、現代思想に関してはファッショナブル。今回は、モテる現代思想女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います

 

1.あえて近代人間観を飲み会に持っていく

あえて2~3世代前の人間観を持つようにしましょう。そして飲み会の場で好みの男がいたら話しかけ、わざとらしく主体を過剰に根拠化してみましょう。そして「あ~ん!この主体本当にマジでチョームカつくんですけどぉぉお~!」と言って、男に「どうしたの?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「主体性とか詳しくなくてぇ~! ずっとコギト信じてるんですけどぉ~! 自律してるんですぅ~! ぷんぷくり~ん(怒)」と言いましょう。だいたいの男は生=政治を批判したがる習性があるので、古かったとしても構造主義的な人間観を持っているはずです

 

そこで男が「近代人間主義の客体化しないの?」と言ってくるはず(言ってこない実直な実証研究系の男はその時点でガン無視OK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近アガンベンが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 本質としての主体欲しいんですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなモダニスト★」と返します。すると男は「潜在性としての実存でしょ? 例外状態に集約されない共同体はまだ到来してないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんな<主体>幻想が欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでデカルト以降的人間観の脱構築に行けるというわけですあなた女子力が高ければ、男が文学における作者の死も宣言してくれるかも!?

 

2. テクスト批評不完全性定理を使うとモテる

人間理性の限界」とか「理系コンプレックス」などを表現する「不完全性定理」をテクスト批評に入れると、男性ポストモダニストは「なんかこの子アカデミズムに回収されないなぁ」や「対象aかも」と思ってくれます現代思想上では数学基礎論のイメージけが都合よく曲解されて相手に伝わるので 「不完全性定理」 を多用することによって、男性あなたポストモダニストらしいと勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対に自然科学者・数学者論理学者分析哲学者に嫌われますが気にしないようにしましょう。

 

3. とりあえず男には「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておく

飲み会などで男が女性に話すことといえばポストコロニアリズムフェミニズムの話ばかり。よって、女性にとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「へぇーそうなんですかぁ~?」とか「よくわかんないですけどすごいんですねぇ」と返してしまうと、さすがの男も「この女伝統的な古典文学研究志向だな」と気がついてしまます。学究の徒だとバレたら終わりです。そこは無意味テンションをあげて、「えー! なにそれ!?  知りたい知りたーい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的に話を聞いてくれる女性に男は弱いのです

 

いろいろと話を聞いたあと、「脱構築正義で、テクストの外には何も無いんですね! 覚えたぞぉ! エクリチュールメモメモ!」とコメントすれば常にあらかじめ差延が発生。続けて頭に指をさしてくるくる回しつつ「デコデコデコン! デコデコデコン!」と言って、「どうしたの?」と男に言わせるのもアリ。そこで「私のロゴス中心主義をデコンストリュクシオンしているのでありますっ☆」と言えば女子力アップ! そこでまた男は「この子脱構築そのものをも脱構築し続ける運動を動的に受容してるのかも!?」と思ってくれます。私は形式論理自然科学も分かりませんし知の欺瞞ですが、こういうテクニックを使えば知識を持たない私のようなバカ女のほうがモテたりするのです。男は優越感に浸りたいですからね。

 

4. レストランではレディースセットを食べられない娘をアピールせよ

男とレストランに入ったら、真っ先にレディースセットなどの女性限定のメニューを探して「あーん! 私これ食べられないんですよねぇ~(悲)」と言いましょう。するとほぼ100パーセント「どうして? 嫌いなの?」と聞かれるので、「嫌いじゃないし食べたいけど食べられないんです><」と返答しましょう。ここでまた100パーセント「嫌いじゃないのにどうして食べられないの?」と聞かれるので、うつむいて3~5秒ほど間をおいてからボソッとこう言います。「……だって、……だってセクシャルマイノリティを排除するマッチョ論理じゃないですかぁっ! LGBTかわいそうですぅ! ジェンダー社会的に構成されるのにぃぃ~(悲)。わたし実は男の娘なんですよ……」と身を震わせて言うのです

 

その瞬間、あなた女子力がアップします。きっと男は「なんて優しい天使のようなコなんだろう! 絶対にゲットしてやるぞ! コイツは俺の男の娘だ!」と心のなかで誓い、あなたに惚れ込むはずです。意中の男と付き合うことになったら、そんなことは忘れて好きなだけレディースセットを食べて大丈夫です。「食べられないんじゃなかったっけ?」と言われたら「大丈夫になった」とか「差別暴露がむしろ差別固定化再生産する」、「男の娘ネット上では既に市民権を得た」と言っておけばOKです

 

(文=現代思想批評家・エス嬢)

 

 

関係各分野の皆さんごめんなさい

 

 

蛇足(2011.07.10

「例外状態を実現する共同体はまだ到来してないよ」はおかしいのでは、という指摘がtwitterでありました。

http://twitter.com/kazukazu881/statuses/67421840242515969

くその通りですね。失礼しました!

2010-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20101012215854

7+8が14かもしれないということは、16かもしれないし、任意の自然数nかもしれない。下手すると一般の複素数zかもしれないよなあ。

7+8が15になる確率が1でない世界を考えて、無矛盾な系を構成できるんだろうか…。

ま、リンゴとか例えを出した段階で数学じゃなくて物理学の領域になるから、死ぬほど実験してどうも間違ってないっぽいと言うしかできない気がする。

量子効果とか非可測的な何かによって数が変わったりすることはあるかもしれないけど、まぁ一生数え続けるくらいの試行回数じゃそういうことは見られないという感じ。

純粋数学だと思うと、無矛盾性をもって「15だと思って良い」くらいしか言えないと思うけど、ゲーデル不完全性定理があるから無矛盾性は証明できないだろう。

というわけで、飽きるまで数えさせ続けるくらいしか無いんじゃなかろうか。

ゲーデル不完全性定理

20 :名無し三等兵 :sage :2008/06/29(日) 14:04:00 ID:???

ちなみにゲーデル不完全性定理発見された当時、学者的受け止め方には2種類あったそうな。

 

完璧公理系が存在できないなんて!絶望した!数学が終わったことに絶望した!orz

数学に終わりはないんだ!俺たちの知的探求はまだこれからだ!(先生次回作にご期待下さい)」

 

 

21 :名無し三等兵 :sage :2008/06/29(日) 14:05:00 ID:???

>> 20

どっちも終わってるやんけw

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100924174404

くその通り。

原理的に判断不可能なものに対して「原理的に判断不可能であることを証明しろ!」とか言ってウダウダしてるようなもん。

ゲーデル不完全性定理でも勉強してこいよアホ、という感じ。

ウダウダした分だけ確実に不利になるという事実には全く気付かない。

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917134336

不完全性定理だかなんだかで、世界の全てを明らかにすることは出来ないということまで証明されちまった

不確定性原理において現在主流となっているのは

「明らかにできないも何ももともと決まってねーんだよヴォケが」

ということが明らかになったという説。

科学が不完全であるより先にお前の理解が不完全なんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100917132019

人間には信仰が必要なんだよ

そもそも人間ごときに何がわかるの?科学って宗教と同じようなもんだけど、結局不完全な宗教止まりだろ。さらに、不完全性定理だかなんだかで、世界の全てを明らかにすることは出来ないということまで証明されちまった。

結局人間は何かを信じるか信じないかでしか判断出来ない。神というのは全てを知る絶対的安定の擬人化科学がそれにとってかわろうとしてるけど、うまくかわれていない(不完全)から、この閉塞感が生まれているんじゃないだろうか。

君だって何かを日々信じながら生きてるはず。信じなきゃ何も出来ないよ。これが人間限界

追記:神は絶対的安定の擬人化になろうとしたが、人間側のほうが頭が悪くてうまくいかなかったんだな。それで科学誕生したけど、これは最初から不完全、手さぐりだから神がいた時代よりもさらに酷いってこと。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628003637

どうもありがとうございます。不完全性定理については(第一についても第二についても)その数学的な意味以上の意味を引き出すことはできないと考えているのですぐには同意しかねるのですが、ロラン・バルトテキスト論と「ファイヤーベント」の方法論虚無主義についてはとても興味を引かれました。調べてみたいと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20100628003637

ゲーデル=タルスキー不完全性定理

->ある事実が真理であることはそのシステム内部では証明できない

自然数を含む帰納的に記述可能な公理系では」という制約がつくよ

だから、どんなstatementでも、証明可能かその否定が証明可能な公理系は、(うまく作れば)いくらでも作れるよ

http://anond.hatelabo.jp/20100627233010

論理学にはあまり詳しくないのでなんなのですが、以下のあたりをどうぞ。

ゲーデル=タルスキー不完全性定理

->ある事実が真理であることはそのシステム内部では証明できない

ある意味究極の定理です。厳密に証明されていますので数学として「定理」と呼ばれます。まずは「ゲーデル不完全性定理」で調べて頂ければ資料は大量に出てきます。数学すら穴があることを証明してしまった恐ろしい定理です。

ロラン・バルトテキスト

->記号論からイデオロギーが固定された意味を持たない無意味なものと論証

まずは「(ポスト構造主義」「ソシュール」なんかを調べてから「バルト」を引いてください。「正義」の体系とも言えるイデオロギーが記号論的には無意味な戯言と等価になってしまいました。

ファイヤーベント」の方法論虚無主義

->合理主義と非合理主義に差異はない、など「何でもあり」を唱えています。証明とは言えませんが、現代思想がどんなものか知るにはいいでしょう。科学の方法論すら恣意性の塊で何ら特権的な方法ではないことになってしまいました。

2009-09-07

情報系と自然科学系の違い

世間では理系とひとくくりにされがちだけど、自然科学系の理系情報系ではかなり本質的に性質が異なるんじゃないかと思った。

自然科学は相手が自然なので、『全てを把握できるわけではない』という意識がまず前提にあると思う。それは別に不確定性原理でもいいし、もっと単純にモデル化して近似しないとほとんど何も計算できないという現実でもいい。

対して情報系では、扱う対象がそもそも『人が作ったシステム』であり、基本的には『本質的に全てを把握できるもの』だ。ゲーデル不完全性定理とか、NP完全問題なんかの話もあるが、これらをまともに扱う人間情報系の中でもごく一部ではないかと思うし、述語論理のような完全システムを構成することも可能だ。

何を言いたいかというと、世間一般に流布している『理系は頭が固くて融通が利かない』というようなイメージは、理系の中でも情報系の人間によるところが大きいんじゃないかと思ったということだ。

それが良いとか悪いとかいうことではなく、刷り込まれた思考の様式として、情報系の理系は何事にも『完全なシステム』を構築しようとするケースが多いんじゃないかと思う。

なぜそんなことを思ったのかというと、俺は物理出身なんだが、全くいい加減でテキトーな人間なんだ。世間で言われるような『キッチリカッチリ』というようなイメージの対局にいる。だから(特に理論)物理学の『まぁ大体こんなもんでしょ』という大雑把さがとても肌に合っていたのだ。

もちろん単なる性格の問題と言うのもあるとは思うが、周りの情報畑の人間を見る限り、専門分野の雰囲気による影響というのも結構あるんじゃないかと思ったのだ。

2009-08-08

お、カルト

ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。

量子オーディオ

オーディオ新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンオーディオマニアに向けてこういうことを言った。

完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。

すなわち:

  • このオーディオシステムは音がよい状態と音が悪い状態が重ねあわさっている。
  • 部屋の扉を開けて音を聞いた瞬間に状態が収束して音のよさが決まる

これは明らかにおかしい。

オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている

しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。

これが有名なシュレーディンガーオーディオシステムというパラドックスだ。

相対論オーディオ効果

昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験

その後、1905年アインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。

音質の不完全性

数学者だったクルト・ゲーデルオーディオマニアだったことでも有名だ。

彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデル自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。

彼は後に有名なゲーデル不完全性定理発表することになる。

すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。

オーディオ統計力学

日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。

このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニア市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。

もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。

このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者名前を取って、フェルミディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。

なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。

同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニア想像できなかったことからこの統計採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。

転機は90年代半ばに訪れた。自分意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニア尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験危険であるとして禁止されている。

やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。

2009-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20090424221709

ゲーデル不完全性定理の狭間でもがく私達はどこへ向かおうとしているの?

教えてよ。

ねえ

紀伊店のか

2009-01-06

[][]クィンティリアヌスくらい読めよ

それは違う。

それらは社会的に構築された“創られた伝統”であって

ジェンダーポリティクスの批判対象になるべきものだろ

簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケー

された、「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそが

ジェンダーベリフィケーションなのよ。“サバルタン

語ることができない”とはこういう意味なの。

このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点

拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。

つまりゲオルグカントール予言してゲーデル不完全性定理

見事に証明されたってワケ。

あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的な

ナラトロジーでもいいんだけどさ。

あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な

部分がエクリチュールの過程で無残にも前景化されたわけで。

そういったことが私のディコンストラクション脱構築)の

射程に入るのよ。ポストコロニアルな“政治”のレトリックだね。

クィンティリアヌスくらい読めよ。

2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081029012936

ニューロンの発火がどのような機能を果たすかについては論じうるけども、ニューロンの発火パターンの「意味」をデザインした存在なんていないでしょ、ということ。

人間はなんらかの知性によってデザインされたものではなく、進化の結果こうあるものなんだから。


確かにそれには同意。あるパターンが赤であるパターンが水色だ、というようなことは自然界が勝手に決めたことだろうとは思う。

最初によく考えずに「意味」なんてさらっと書いたのが良くなかった……。

いや、ゲーデル不完全性定理自体は、数学の内側から数学言葉だけで数学の方法の限界を描出した、まったく数学の内輪で完結した論理だよ。君達文系勝手に変な応用してるだけでしょ。


反省します。(汗)

でも、理系ペンローズ勝手に変な応用をしたのが気になっていてつい……。(このあたりも文系臭だが)

http://anond.hatelabo.jp/20081029011133

いや、そういう話ではなく。

ニューロンの発火がどのような機能を果たすかについては論じうるけども、ニューロンの発火パターンの「意味」をデザインした存在なんていないでしょ、ということ。

人間はなんらかの知性によってデザインされたものではなく、進化の結果こうあるものなんだから。

いや、ゲーデル不完全性定理自体は、数学の内側から数学言葉だけで数学の方法の限界を描出した、まったく数学の内輪で完結した論理だよ。君達文系勝手に変な応用してるだけでしょ。

2008-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20081028003134

ニューロンの発火パターンはそもそも何を《意味》しているのか?

進化の結果なんだから、ニューロン勝手に発火して、それらが勝手システムを構成して何かの機能を果たしているだけで、それらを何らかの意味づけをしてデザインした存在がいるわけではない、ってのが科学的なスタンスじゃねえ?

みんな大好きなゲーデル不完全性定理論理的な知識の限界を証明してしまったり

これが文系チックな表現に見える。むしろ文系の人が言いたがるような。

あれを知識の限界というべきかどうかも疑問だし。むしろ数学の方法の限界というべきか。

自然科学人間を変化させる時がある、ということだ。

人文学人間を変化させる時があるけどね。たとえば、それこそキリスト教神学とか。

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