はてなキーワード: 不完全性定理とは
そんなことは言及していない。
私は「有限的算術を含む無矛盾な数学の形式体系」が増田の定義する「宗教」に含まれると言っている。
「有限的算術を含む無矛盾な数学の形式体系」が増田の定義する「宗教」に含まれるかどうかとこの議論は無関係。
非論理的。
それは数学ではない。
有限算術を扱う無矛盾な体系は必ず証明不能な算術命題を内包するというのが第1不完全性定理ですよね。
じゃあ、有限的算術を含む数学の形式体系は全て元増田の言うところの「証明ができない宗教」であり、「偽物」ということになるけどいい?
学問は何であれ研究対象 X というものを定めて、X に関する性質というものを調べるものだ。
X が鳥類の場合は生物学だし、X が回路であれば電気工学、そして X が論理の場合が論理学。
X を調べるときに使う方法論はいわゆる 科学的な手法 に限定される。少なくとも学術誌に載せる論文ではそう。
この科学的な方法でつくられた研究結果は X に関する言明が有限な規則で構成されている。これを Yと言おう。
論理学がヤバいのは、Y 自体が X で表現可能でありその性質が調べられるということ。
フランクに言えば Y はある意味人間の思考といってもよいので論理学 が人間の思考について言及するということだ。
電気工学で扱うテーマは「電流と電圧はどのような関係だろうか?」のようないわゆるまともなテーマだが、
論理学で扱うテーマは「人間が考える論理学についての性質は正しいか?」を論理学の枠で考えることができる。
あ...ありのまま 今 起こった事を話すぜ!俺は論理学について研究していたつもりが、論理学が俺について言及していたッ・・・
これは、そのように考えることができるよね!っていうアイディアレベルではなく、数式や記号をもちいてかなり厳密に調べることができる。
それによって、「お前の考え方では『私』を理解することなんかできっこない」なんていうボスキャラがいることを証明できたりする。
http://anond.hatelabo.jp/20161228170808
ブコメやトラバ含めて「正しさ」という言葉を無邪気に受け入れてる人がちらちらと散見されてビビる。そんなものを自分たちは判別できると信じてる人がいるんですね(そうじゃないブコメもあるけどね)。原理主義がなくならないわけだよね。
何度か増田にも書いた事あるけど,「正しさ」というのは有限時間を生きる我々には判別し難いものなのですよ。
典型的なアポリアであり「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」だったり「ゲーデルの不完全性定理」などを参照してみると良いんじゃないだろか。
論理構造を考えればこれは自明ではあるのだけど一応ざっくり書いておこう。分野を問わず物事の正しさを充足理由律(事象Aの理由はBという構造)で語る場合、我々は議論の俎上で次の問題にぶちあたるでしょう。
増田の言う「暴力」とは「独断」の事なのだろうから,それが暴力であるという指摘ならある意味当たっている。こうした馬鹿げた「独断」を排除するために数学は公理系という協約(いったんここで理由の遡りをやめましょうという約束事)を敷いてるし実験科学は観測結果の有効性を定義する要件と協約を設けている。それは目的上「正しそうな」物に近傍させる為の道具でありそれがid:turanukimaruの言う合意なんでしょね。
なので「正しい」と言う事をベースに論を展開してるお話を見たら人並みの教養がある人はうさんくせーこと言ってるなこのバカって思うので気をつけましょうね。