はてなキーワード: リア充とは
元々増田の言及が(元々くすぶっていた不満ではあったが)端緒だった某界隈の某炎上案件。
自分はなんで当該人物があそこまでやたらアクティブでむやみやたらに目立つのか(しかしなぜか既視感がある)がどうにも疑問だったが
なんとなーく見た「はてな村奇譚」と、発掘された当該人物のFBやらインスタやらはては2013年ごろからのはてダを見てようやく何か理解した気がした。
はてなでよく見る文章は飄々としたもの(イメージはなんとなくレンタルのひとと旧職?が給食提供会社のひと)、理詰め論理説明がちがちなもの(イメージはアルファでインフルエンサーなひとたち)、意識高い系なものがあるなと考えていたが当該人物のはてダは最後の分類だった。妙な空白とか古のテキスト系サイトのようでありながらちょっとオサレ感(死語)がある文章だなと思っていたら自分の中での「はてな系」の文章ではあった。ので、理解した(共感は全然しない)。
797記事もあった。
記事には思い出したようにコメントがあったりするがブクマはほぼない。
はてなで書いてて全く反応が見えないのは承認欲求がどんどん肥大するばっかりであったのではないか?
ただなんとなく当該人物のパーソナリティからくる文章はひきつける何かがあって、好んでいる読者もいたようだ。
美大出の空間デザイナーで趣味はロードバイクで遠出したり写真撮ること、みたいな人間は承認欲求とは無縁だったような(リア充のイメージ)感じもするがこの反応の枯れたはてダを見る限り誰かの承認がずっと欲しかったのであろうと思われた。
60000円のドローイング集を見る限り、空間デザインとして働いていたのは事実で素人目からも描きなれているように見える。
当該人物はもとから「物体ばっかり」描いてきてあんまり人物画には興味がなかったのだろう。
はてダは2017、2018と記事が減っていて、その減った分炎上案件に時間をつぎ込んでいたと思われる。
「そこ」では投稿するたびにいいねがつき褒め称えられリアルであえば誰もがほめそやし持ち上げてくれる。
きっと天国みたいな感じがしたのでは。
いや、そんなの誰だってわかるよという話ではあるのだが、承認欲求にも種類があって、「空間デザイナーでリア充っぽい趣味の人間が【簡単に】承認欲求が満たされるから『それ』に手を出した」というわかってしまえばすごくイージーであまりに対象を軽く見ている(そして別にそれはなんだってよかった。ラブライブとかでも)という事実から浮かび上がってくる承認欲求から来るものだったのだ、ということが理解できたということだ。
作品やキャラクタにどう向き合おうと個人の自由ではあるが、当該人物のこういう態度は自分の好むスタンスではない。
なんで『それ』をし続けたのか。
"「簡単にちやほやされるチョロい界隈だ」と認識していたから"
疑問に対する回答が得られた。
それだけの話ですっきりした。
…良く考えたら地獄にいるみたいな話だな。
別に3大漫画ではないけど、強烈な個性を持つ漫画の一つ。「努力は友情や愛情の支え無しで一人でできます」「別にお兄ちゃんの試合と関係なく手術は無事終わったよ」などの本音をぶちまけすぎるセリフ群や、徹底的な古武道へのリアリズムからくる罵倒、主人公がニートで社会のカースト最底辺という状況から、リア充へのゲスな思いと怨念だけで限界突破するという全く共感性がないシナリオ、あらゆる意味で突き抜けている。
そういう仕事の選び方してる人って今までの人生にビックリするくらい影がないんだよ。
学生時代、「人事の人が良い人そうだったから」「合説で社員と仲良くなったから」「話聞いたら面白そうな仕事だったから」、本当にそういう理由で全く損得考えないでエントリーして結果的に中小企業やブラック業界に飛び込んでいくことになった連中たくさんいたけど、総じてリア充だったわ。
逆に屈託なくこういう会社選びしてる奴らって超健全、情操教育大成功の証なんじゃねえか?と思ったくらい。
まあそんなある意味ハイスペックな彼らをも地獄に叩き落とす外食産業のラスボス感はすごい。みんな4年目突入したあたりで限界きて辞めてた。
奴らはリア充の極みだな。
リア充が自粛している間に俺が遊んだら、あいつらと俺の人生を楽しんだポイントの差が埋まるんじゃね?
そう考えたら自粛する気が起きなくなった。
あいつらは暇してる。俺は外で楽しく酒飲んでる。風俗にも行く。
どんどん差が縮まってるねえ。
今でも開いてる飲み屋に入ったら大体貧相なおっさんしかいない。
考えてることは一緒か。
疑問に思ってる連中が多いようなので、ここらでちゃんと言っとくか。
ずいぶん前から「うんち」を言っているんだが、「うんち」はうんちって意味じゃない。
はてな匿名ダイアリーでは、『うんち』は『いいね!』だ。
…そう言い切るのは微妙だが、だいたいそんな感じに運用されている。
だったら素直に、『いいね!』って言えばいいじゃないですか。
どうして『いいね!』って言わないんだろう。
そんなふうに思う人もいるかもしれない。
浅はか。
想像してみろ。はてな匿名ダイアリーが『いいね!』が言い合える場所だったとしたら。
増田がそんな風に利用されていたなら。
とても居心地がいいよな。
褒めたり労ったり、お互いを思いやれる空間は、居心地がいい。
あまりに居心地がいいので、次第に利用者は入り浸るようになる。自然に人の繋がりができていく。
「ニンジン増田さん、お仕事お忙しそうですね、体調は大丈夫ですか」
「ダイコン増田さん、心配してくださってありがとうございます」
和気あいあいの居心地の良さの中に、内輪然とした雰囲気が形成されていく。
特定の人に話しかけるような、手紙みたいな文章が投稿され、たくさんのお礼が連なる。
話しの前提は省略されて、共有された話題には通じていることが要求される。
居心地の良さに気をつけろ。
ネット古老には、インターネットの多くが匿名だった時代をくぐり抜けてきた老人には、常識的な知見だ。
馴れ合いがやりたいなら Facebook とか twitter とかの ID 付きの場所へ行けばいい。
そういう場所に馴染めない奴らはどこへいく?
褒められると、次は褒められないんじゃないかって身構える。
気が付かないやつはマジで気が付かないんだが、実は、日陰で生きる人間は結構、割と、たくさんいる。
いつも一緒にいる仲間には話せないようなこと、不満とか愚痴とかヤッカミとか。あるいは純粋な自慢とか。日向で咲いてる人間にだって、表社会で言えないようなことは結構、割と、たくさんある。
それを黙って抱えていたくないときは、どこに吐き出せばいい?
そういう奴らが居るべき場所が、そういうのを言える場所が、どこかしらには必要なんだよ。
コミュニケーション能力が低かったり文章力がないような奴でも、気軽に利用できるプラットフォーム。
若い連中は知らんかもしれないが、初期の2ちゃんねるや黎明期のニコニコ動画はそうだった。
住人を慮らない。
ユーザー同士がお互いに距離をとる。必要以上に近づかないことが、心理的安全性を生む。
いっそ”殺伐”っていえるほどに乾いた空気が、逆に言論の多様性を育む。
信じられないかもしれないが、そういうのはあるんだ。
居心地は、悪いくらいがちょうどいい。
オレら古株の増田はその辺をわきまえているから、「いいね!」なんて、間違っても口に出したりしない。
だが共通の符丁があると便利ではある。「あっそう」「へぇ」「まぁわかる」これら全部の状況を深く考えずにテキトウに放言できるような、短くて覚えやすいワードが。
そんなわけで、Let's say ...
「「うんち」」
追記・
こんなふうに誤解してる増田がいて驚いている。
富山・交番襲撃し警官ら2人殺害 21歳元自衛官は「中学時代、クラスで孤立し、家庭内暴力」
カップルでキャッキャしながら街歩いてる人間、これまでは許され・羨ましがられていたが今後は違うぞ
お前たちは感染拡大防止意識の低い人間の屑、社会のゴミ、犬以下の畜生ということになる
社会が変わるぞ 2年閉じこもるうちにロマンチックラブイデオロギーは衰えて死に絶える 正直引きこもって自分に都合がいい恋愛ファンタジーでも見てたほうがいいよね その本音が溢れ出すことになる
男も女も生身の付き合いなんて本当は求めてなかったんだ 求めてることになってるし、生身の交際相手がいると偉いっていう価値観をガキの頃から刷り込まれ続けるからそう思ってただけ それがこれからの外出自粛で剥がれていく
カップルはもはや羨ましいものではなくなる 奇特な人、変な趣味、時代遅れの不良 そんな扱いになる
日本の夜明けは近いぜよ
朝倉海がオタクの格好をする規格で、チェックのシャツとバンダナに陰ケースのリュックを背負ってたんだよ
「寝覚の床」の東屋で起きた木曽署の警察官とのトラブルも、計画を後押ししたようだ。雨の降る中、警察官3人に「ここから出ていけ」といわれる。小島は「雨が止んだら出ていく」と主張して譲らない。警官たちは「出て行け、邪魔だ」といい続ける。小島はこういう。「私には生存権がある」。すると、警官たちは彼の荷物を取って挑発してくる。
小島は「ホームレス自立支援法第11条に基づいて、まず社会の福祉を尽くしてから、法令の規定に沿って排除してください。生活保護の話をして、それでも私が受け入れなかったら、行政代執行してください」。警察官は「権利、権利ばかり主張して義務を果たしているのか?」と反論した。
https://www.j-cast.com/tv/2019/12/19375551.html?p=all
結果リア充が一人死んだのだからホームレス小島を公園から追い出し事件のきっかけを作った警察官三人は名誉勲章が授与されるべきだわ