はてなキーワード: タグとは
「バッグワーム」とか「ダミービーコン」ってランク戦なら有用だけど、ネイバーでは敵のレーダー欺けたりするの?
サークル各位
平素より弊社のサービスをご利用いただきまして誠にありがとうございます。
本日(11月17日)より、AI生成作品が従来作品と区別の上、作品リストページに表示されることとなりましたのでお知らせ致します。
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◆今後の対応に関して
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ゴールドラッシュが終わったね。
私が10/19にFANZAにZipを提出した作品は、昨日11/16にやっとリリースされた。
10/26に提出した作品は、審査は通って公開OKになったが、FANZAが決めた公開予定日は12/17である。
11/5に提出した作品は、12日経った今でもまだ審査されていない。
待ち行列がどんどん伸びているなぁ、提出される量が審査できる量を超えているのだろうな、と思っていた。
そこにこのアナウンスだ。今から参入する人は、今この瞬間にデータをそろえて提出したとしても、リリースは来年だろう。一月中かどうかも怪しい。
審査を投げ出すと角が立つから、審査に掛けるリソースを絞って、待ち行列に並ばせる
あっ、これラーメン発見伝で見たぞ?
https://downloads.fanbox.cc/images/post/4780003/w/1200/Dk9fWs7bbrCPVji1Qj1PJPI7.jpeg
そもそも、審査やリリースが提出順に行われるという保証もない。FANZA側が利益を最大化するために合理的な行動をするなら、審査待ちのものの中から売れそうなものを選んで優先的に審査するだろう。
今から参入する人は、もう「とりあえずお試しでいくつか出してみてコツを学ぼう」という戦略は取れない。最初からそれなりのクオリティのものを出さなければ土俵に上がることができない。
ゴールドラッシュは終わった。
https://twitter.com/search?q=%23colabo%E3%81%AB%E9%80%A3%E5%B8%AF%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99
申し訳ないけれどやってることが安倍元首相の信者と同じレベルに見えてしまう。
安倍信者:①安倍批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②安倍の功績部分だけを強調し ③批判する奴は悪魔化して無視する。
Colaboに連帯しますタグ参加者:①Colabo批判側の問題点の指摘にはまともに向き合わず ②Colaboの功績部分だけを強調し ③Colabo批判する奴は悪魔化して無視する。
こんなずさんな擁護が通用するのってネットリテラシーがない人たちだけだってのが君たちの主張じゃなかったのか。
「あなたたち安倍政権を批判しまくってたくせに、自分たちが批判にさらされたら安倍信者と同じことやるのか」と思っちゃったよ…。
どうして仁藤さん自身は黙ってるのに、仁藤さんの周りの人たちは批判されたときに「批判されても私たちは何も間違ったことは行ってないんだから立ち向かうべきだ」という姿勢が取れないんだろう。
それに「間違ったことが部分的にあってもそこは受け止めて正せばよし信頼されるだろう」ってなんで思えないんだろう。
規模は全然違うにせよ、TwitterとかMetaだって社会的に間違ってるわけじゃないけど急速に拡大しすぎて組織がおかしくなったからリストラするって最近発表してるじゃん。
Colaboだって全体として正しいことしてても間違うことだってあり得るじゃん。
むしろ走りながら一生懸命活動してるんだからいろいろ不備があったりしても全然おかしくないじゃん。
なんでそういう時に間違いがある可能性すら認めないんだろう。
そんな態度とられたら、「間違いがあっても一切認めない。正せないのではないか」って思っちゃうじゃん。
私が信じてる人が同じ立場になったら私は絶対に菱山さんみたいな態度はとりません。
「監査が入るみたいなので見守ります。問題点がないと信じていますし、仮に問題点があっても彼女ならそれを正せると信じていますし、必要があれば手助けします」とか言うんじゃないか。
どうしてこれではいけないのか。
この人たちは、正しさとかよりもメンツとかそういうのを大事にしてる気がします。
「社会的正義を実践するものはわずかな誤りも許されない」というのは全くもって現実的ではない。
「行動すること」自体は尊いのは確かなので、あとはトライアンドエラーが大事だと思う。
ここで一度も間違ってはいけないとか、間違いを指摘されただけで仲間内からすぐ袋叩きにあうみたいな土壌なら、まともな人が育つわけないじゃん。
左翼陣営にとって一番大事なのが「絶対に間違いを認めないこと」になってる現状本当にやばいって早く気づけ。
発端の暇な空白さんは「温泉むすめ」を燃やそうとしたからという行動で行動されてるみたいですが、私はちょっと違ってて。
とにかくこの左派の方々の「自分たちは敵対勢力をぼろっかすに言うくせに、自分たちの落ち度は指摘すら許せない」という態度が嫌すぎます。
たとえ行動が正しかろうが、じぶんがやってることに一切の批判を許さないという態度の人なら個人レベルで活動をするにとどめるべきです。
そういう意味で仁藤さんも菱山さんも全く支持できません。
石川さんは事実上一線から退いた後、結構聡明な発言が増えてきました。
おそらく、左翼の運動そのものがリーダーに「絶対に謝るな」だとか「絶対に誤りを認めるな」とプレッシャーをかける構造になってるのじゃないですか。
同じ意見をもつものがこのタグを付けて発言する。そうしてトレンドに乗ると、さも自分の発言がまっとうな意見なように思えてくる。
個々の井戸端会議で閉じていた愚痴の言い合いが全世界に広がってきたのだ。
また、裏アカウントという何の規範もなく発言できる場があることでアクセルべた踏みの不満が噴出してくる。
そうした過激なものはいいね!されやすく、それもまた発言者が世の同じ立場の人間の代弁者であると思ってしまうのだ。
しかし、これは悪いこととは言えない。
自分の意見を周りの目を気にすることなく堂々と主張できているのだから。
「BE:FIRSTが大嫌いになりました!」V6ファン、Twitterの“タグ”に「バカにしないで」と不快感あらわのワケ
https://www.cyzowoman.com/2021/11/post_365644_1.html
「音楽チャート・Billboard JAPANのサイトで発表されるランキングでは、Twitterのツイート回数などのデータも順位に反映されるといいます。BE:FIRSTファンはTwitterを通してグループを宣伝しつつ、Billboardにもランクインしようと意気込んでいたのでしょう。そんな中、『Gifted.』のMVが解禁となる11月1日は、V6が解散する日でもあるため、一部ファンは『Twitterのトレンドに乗せるよりも、ここは配慮してMVの再生に注力したい』『V6さんにトレンドを埋めていただきたい』と発信。V6のためにBE:FIRSTに関する投稿は控えようと呼びかけたんです」(ジャニーズに詳しい記者)
その後、11月7日頃になって、あるTwitterユーザーがBE:FIRSTファン(BESTY)へ“お礼”をしようと投稿。V6の解散日にツイートを控えてくれたことへの感謝とともに「#V姉さんより感謝を込めて」とのタグをつけたところ、リツイート数は3,000件を超えた。
これをきっかけに、一部V6ファンが「V6最後の日へのお心遣いに泣いた。お礼に『Gifted.』もダウンロードしました! #V姉さんより感謝を込めて」「BESTYさん配慮いただきありがとうございます。デビューおめでとうございます。#V姉さんより感謝を込めて」「V6とV6ファンのためにご配慮いただきありがとうございました。BE:FIRSTデビューおめでとうございます #V姉さんより感謝を込めて」と投稿する動きが見られたが、ほとんどのV6ファンは困惑していたようだ。
「そもそも、V6ファンの間で『V姉さん』なる呼び名は浸透してないので、反発の声が上がったんです。『V姉さん、って何? 勝手にタグ芸するのはいいけど、巻き込まないで』『#V姉さんより感謝を込めて、ってタグ、気持ち悪い。V6ファンがいいように使われてる。バカにしないで』『タグ芸によって、「V姉さん」とかいうワケのわからない架空のファンネームが広まったのがしんどい』など、ネット上では不快感をあらわにするコメントが続出しています。なお、『#V姉さんより感謝を込めて』タグの発起人はV6ファンかと思われていましたが、アカウントを削除したようで、10日時点で『このアカウントは存在しません』と表示されてしまいます。おそらくBE:FIRSTファンが、“ツイート数稼ぎ”のためにV6ファンになりすましたのでしょう」(同)
「BE:FIRSTが大嫌いになりました!」と怒りあらわ
Twitterのツイート回数はBillboardのランキングに反映されることから、「V6ファンに恩を売って、BE:FIRSTのことをツイートさせようとしたってことね。Billboard対策か! BE:FIRSTが大嫌いになりました!」「“お礼”と称してビルボ対策でタグ芸してきたのか。そのためにV姉さんなんて名前まで作らないで」と、“からくり”を推測し、怒りをあらわにするファンも見られる。
特にナマモノ(現実にいる人を扱った二次創作)BL界隈等からよく聞こえてくる
「公式の目に入らないように隠れるのが大事(=隠れてればOK)」
って文化が、理屈が、処理プロセスが、正当化方法が、以前から疑問。
よく聞く「どうやってもどうせ届いちゃうだろ」的な批判もあるけどそれは今回は置いといて
この「隠れる」の先にあるものというか、上手く表現しづらいけど、その「隠れた先にある空間」って、どんくらいの規模感なのよってのをいつも思ってしまう。
20年30年前の学生がこっそり友達数人と妄想マンガ書いたノート回し合ってたのとは違うことが起きてるわけじゃない?今の時代って。
公式タグを使わず〜とか、いや関係者はブロックして〜とか、いや鍵までかけて〜とか、まあ色々段階はあるけど、そこへのアクセス数はどれくらいあるのよ?って思っちゃう。上の話みたいな、友達とちょっといけないことやってる的な規模じゃすまないよね?
隠れた先に何十人何百人居て、その人達に見せびらかしても「隠れてる」なの?OKなの?
というか実際何十人何百人ですめばマシな方だよね?
これを、我々は隠れてます!だからOKです!って処理する認知ってなんかぶっ壊れてない?って思っちゃうんだよな。
自分が同じことされたら、仮に自分に見えないようになってたとしても
「いや確かに直接来ないぶんマシかもだけど…いやでもしんどいのそこだけじゃないから…」みたいになる人の方が多数派な気がするんだよな。