はてなキーワード: キレイとは
もういろんなものを丁寧に憎み切ることが大切だと思う。
だからどんどんいろんなものを壊して行けば良いのだと思っています。
特に今はコロナ禍で、政治や世論に対して様々なヘイトが充満しているので、それをどんどん増幅していけば良いと思うのです。
日本はとにかくダメだ、糞だ、死ねば良いという感じで呪詛を撒き散らします。
とてもすっきりします。
もう日本の子育ては地獄でオワコンだ、子どもを育てることほどツライものはない、という呪詛を可能な限り極大化しましょう。
日本で子どもを産むことほど愚かなことはないんだ、という怒りと憎悪を増幅します。
とてもすっきりします。
弱者男性議論だと男が批判され、女ばかりが得をしているような感じがします。
MeTooなんかが出たらとにかく女の責任、女の悪さを徹底的に探してこれを叩きます。
キレイゴトには一切耳を貸さず、女の悪いところ、至らないところ、不誠実なところ、針小棒大に叩き潰します。
とてもすっきりします。
OculusQuest2を買って毎日ビートセイバーや卓球して遊んでる。VRのAVなど180度映像や360度映像は8Kであっても遠くの景色は不鮮明で画質は悪くとても現実にいるような感覚はない。Amazonプライムとか映画は楽しめるが視野角が狭いので難はある。
スゴイと思ったのは3D映像。ビッグスクリーンというアプリで3D映画が有料で上映されている。ハリウッド版「攻殻機動隊3D」のトレーラーをVR映画館で見てみたのだが、スクリーンに吸い込まれそうな奥行きがあるしスクリーンから爆発の破片とかが飛び出してくるし本当に迫力があった。
「アバター」が流行ってた時に見たい見たいと思いながら結局映画館に行けなかったのだが、このリアリティある迫力ならそりゃインドで女子高生が転生目指して自殺しちゃうわって思った。
360度映像だと解像度が全然足らないけど平面スクリーンの3D映像なら問題なくキレイに見られる。3D映像はVRと相性がいい。
3D映画は3Dテレビや3DSの失敗とともに茶化されてばかりのものになっちゃったけどVRで見られる作品としてどんどん新作が作られていいと思う。
社会運動の目的は他人の意見、とくに日和見から無関心層の意見を変更することにある
その手段として脅しがあるが
典型的な無差別暴力扇動はむしろそういった層の反発を買いやすいから
代わりに自分自身を対象とするハンストや自殺は有力な手段に見えるわけだ
本当に致命的な結果になるかもしれないという状況を作り出しつつ、しかし暴力の使用自体は最小限にして、もっと広がるかもしれないという危機感を煽るため
しかも長引けば長引くほど茶番性が増すため、脅しから時間を開けずにすぐ具体的な交渉に移るための裁量権や政治力も予め持ってないといけない
まあもちろん飯に困ってないキレイな服着た若者がハンストだかダイエットだか区別がつかないことやってハフポスがフワッと目標しかない作文書くみたいなのは確かにレベル低すぎるけど
https://magcomi.com/episode/3269754496306303440
オチが「従順で礼儀正しいマイノリティーには、差別されながら貧乏に暮らす権利が与えられます」みたいな感じでげんなりした。
漫画としては凄い上手いし絵もキレイだけど、オチだけちょっとグロい。
作中では主人公のケンタウロスが「異なる種族は無理に交わらなくてもいい」とか「距離を取る」って表現を使ってるんだけど、
そんなんしてたら肥沃な土地や実入りのいい産業は全部マジョリティに奪われるだろうし、そういった”従順で礼儀正しい態度”をマジョリティ側が制度化、法令化していったら最終的にアパルトヘイトまっしぐらだろ。と思う。
あと、作中で一貫して差別を行なっている側がほぼノーダメージなのもグロかった。
そのうえで、主人公のケンタウロスが革命派の友人たちを売って、名誉白人ならぬ名誉二足歩行としての立派な一歩を踏み出していくのがオチってどうなんだ??
つまるところこの話を極端に解釈すると、差別されっぱなしのキモイ男が「キモイ男は無理に美男美女に関わろうとしなくていい。モテたりお金持ちになろうとしなくていいんだ!」「キモイなりにキモイコミュニティを作って暮らしていくべき!」と主張したら、
去年のこと。
とても仲が良く、毎日連絡を取るわけではないけど、お互い思い立ったときに急にLINEで会話を始めたりどこかに遊びに行ったりする、そんな付き合いを10年くらい続けてる友達。
お祝いしたい気持ちはとても強かったが、世の中はコロナが猛威を奮っている。
ふたつ返事で参加を伝えたものの、式の日程が近づくにつれ状況は悪くなり、ついに会社から「同居家族以外との飲食は一切禁止」と通達が出てしまった。
「カクカクシカジカで結婚式いけないかも…」と寂しい連絡をしたところ、会場側と調整してくれて挙式だけの参列もOKということになった。
式の当日はいい天気で、友人夫婦は二人ともとてもキレイだった。
最悪ご祝儀だけPayPayで投げるか…とか思ってたので、部分的にでも参列できたのは嬉しかった。
なんだっけな、ああそう、それで、アスリート目線のオリンピックは新婚夫婦目線の結婚式みたいなものじゃないかなと思った。
結婚式をしたい夫婦がたくさんいるように、オリンピックに出たいアスリートはたくさんいる。
結婚式をしなくても夫婦は生きていられるように、オリンピックがなくてもアスリートは生きていられる(経済的・精神的な生死ではなく身体的な生死)。
結婚式が感染リスクが高まるイベントであるように、オリンピックは感染リスクが高まるイベントである。
そうだとすると、やっぱり今のアスリートに向けられている批判は意地悪だなと思う。
オリンピックをやりたいと言う(あるいはやりたくかいと言わない)と叩かれる。
結婚式したいなという希望を口にできないのは辛いのではないか。
オリンピックが開催できる形を考えたいと言うと叩かれる。
挙式だけならいいかも、親族数人だけならできるかも、みたいな検討すら許されないのは辛いのではないか。
そもそもオリンピック自体、アスリートが声を上げてどうこうというものではないと思う。
結婚式の開催自体に親類や職場などの事情が絡むのと、オリンピックの開催自体に委員会やスポンサーなどの事情が絡むのと似ていると思う(クソくらえってとこも含めて)。
アスリート全員が「断固反対」と声を揃えれば話は別だが、それはないだろう。できるものならやりたいと考える選手はいると思ったほうが自然だ。結婚式もできるものならやりたいと考える夫婦が必ずいるように。
ちなみにオリンピックに出たくなくて(あるいはオリンピックを諦めて)選考辞退したり競技を引退したりしているアスリートはもういると思う。パラの選手では見かけたけど、ある程度有名じゃないと報道もあんまりされないし、どの程度いるのかは知らない。
つまり、だから、オリンピックを否定しない選手を叩くのは、結婚式をしたい新婚夫婦を叩くのと同じくらい可哀想だと思った。
俺はよう叩かん。選手たちは振り回されながらもこれまでよく頑張っていると思う。
後で見返して自分で何言ってるかわかるんだろうか…
化粧をして、いつもと違う自分になれるのが好き。
ネイルをして、いつでも見える体の一部に「嫌なことがあってもテンションを上げられるお気に入りの宝石箱(概念)」を飾っておけるのが好き。
そう思ってるから、女として生まれたことを後悔したことは一度もない。むしろ女で良かった。
高いヒール履いて化粧濃くてギラギラのネイルしてる女なんて全然モテない。それでも私はそういう自分が好きだし、止めるつもりもない。
髪を短く切って、化粧しないで、体毛ボーボーのまま放置して、体のラインを隠すような服を着て、男のような振る舞いをして?
人が誰しも自由にのびのびと生きられる世界って、むしろ「男でもキレイになりたければ化粧していい、スタイルをよく見せるためにヒールを履いたっていい。女らしさに縛られたくないなら化粧しなくていい、ヒールを履かなくていい」じゃないの?
自分たちが化粧したくないなら、ヒールを履きたくないなら、そうすればいい。
でもそれを強要するのだけは止めてくれ。