はてなキーワード: インターネットとは
80年代終盤〜90年頃に地元の遊園地?で遊んだ乗り物が忘れられないのだが、検索しても全く情報が出てこない。識者の方に助けてもらえないだろうか
自分で運転するゴーカート的な乗り物なんだけど、大きな浮き輪状のチューブの真ん中に座席があって、下に車輪が付いてる構造。速さは遅くて、たぶん全速で徒歩程度の速さだったと思う
操作系は左右のレバーのみで、右のレバーを前後に倒すと右の車輪が前後に動く。左も同じ。なので、両方のレバーを同時に前か後に倒すと前進or後退して、左右を異なる向きに倒すと転回する。転回は速い
全周がエアクッションなのでぶつかっても安心というか、とにかくガンガン(ボヨンボヨン)ぶつけ合うのが楽しい!という主旨の乗り物だ。子供の感性ではあるけどこれが異常に楽しくて、絶叫しながらぶつけ合った記憶がある
名称はたぶん「クレイジーカー」というような感じだったと思うのだけど、いま「クレイジーカー」で検索しても上記のようなものはヒットせず別物が出てくる。インターネット普及以前の産物なのでWebに情報が無いのかもしれないが、私の記憶の誤りかもしれない
あれ以来、同じものは一度も見かけてない。もうどこにも無いのだろうか。別の名前で、田舎の遊園地にまだあったりしないだろうか。死ぬまでにはもう一度乗りたい
トラバの識者ありがとう…! バンパーカー 多分これだった バンパーカー(UFOカー)というやつだと思う。記憶ではもっと車体がデカかったんだけど、自分が小さかったんだろうなぁ…
という趣旨のやり取りをして、【勝った】と思ったタイミングで、切り上げました。
とある人物についての記事だっただけに、本人と思しき人物が大暴れしてる姿に
「ええ…ワールドワイドに読めちゃうのに、そんなことしちゃうの!?」
と、会話しててドン引きでした。
生成AIを銃に例えるの極論すぎる
生死の話とスケールを一緒にしないでほしいよ
https://x.com/_k256/status/1819895656489869462?t=ffY1OKdwvpTFfWaYNUP2-g&s=19
生成AIについてのこのツイートをみて考えたんだが、反インターネット!とか言ったら何いってんだコイツ状態になるのに対し、反AIが主義主張として存在できてる理由って、AIがまだ一般人にとってそこまでメリットのあるアイテムじゃないからなんだろうなと思った
特にイラストAIに関しては、「綺麗な絵が出せる」っいうのが一般人にとっちゃ面白一発ネタくらいにしかならんのだと思う
インターネットが誹謗中傷の問題がありながらどこでもメッセージのやり取りができる便利さで普及したように、生成AIも何かしら革新的に一般人に役立つ用途が出たら無断学習とかの問題なんて議論される間もなく流行るだろうな
最近、本を選ぶうえで頼りにするようになったのがTwitterのおすすめ欄である。
書籍を選ぶ上では通販が体になじまず、未だに書店に足しげく通う私であったが、この方法での選書は非常にしっくりくるのだ。
1つはTwitterのおすすめが適度にノイジーなものであるからだと思う。
私はSF小説、経済の専門書、数学書などてんでバラバラな本を読んでいるが、Twitterのおすすめアルゴリズムはそのそれぞれの分野から一歩踏み出したような本を提示してくれる。
この点で、通販サイトにあるような機械的に同質のものをレコメンドする機能よりも関心を広げ新たな本にであううえで非常に役立つ。
また、レビューと異なりある本に対するツイートは主にその本を読んでほしいと考える人物によって書かれていることも馴染んだ理由だと思う。
内容の如何にかかわらず私は本に対するネガティブな評価が苦手であり(批判は必要であるが、合わない書籍を頭ごなしに低評価する人が多いと思う)、それが嫌でも目に入るのでインターネットで本を選ぶのは苦手であった。
だが、Twitterではそれを気にすることなく、自分の知らない本について知ることができるのもありがたい点である。
これらのことを考えると、Twitterで本を探すのは書店で関心がある分野の本棚を眺め、なんとなく惹かれたものを購入するというこれまでの選書に近いことをしているのだと気づいた。
今まで通り書店には通いたいと思うが、Twitterのおすすめ欄という"書店の本棚"も利用して様々な本と出合いたいと思う。
コミュニティノート:インターネット上の行動と現実世界でのいじめを正当化することは、基本的人権や倫理に照らして適切ではありません。ネット上での行動が問題であったとしても、それを理由に現実世界でいじめを正当化することは認められません。全ての人は尊重されるべきであり、いじめはどのような理由があっても許されるものではありません。
増田のダメなところを教えてやる。まず、文章の長さだ。言いたいことが多いのは理解できるが、ダラダラと長い文を書くことで読者の注意を引きつける力が減じている。重要なポイントを短くまとめることを考えたほうがいい。
次に、論点の曖昧さだ。例えば「昔ながらのインターネット」に対して具体的な批判をしているが、その批判の対象が誰なのか不明確だ。人物像や具体例があれば、説得力が増す。
また、対立する意見への配慮が足りない。「低知能中高年」といった表現は読者に不快感を与えかねない。もう少し中立的な言葉遣いを心がけるべきだ。
さらに、新しいインターネットの魅力について説明する際の視点が一面的だ。新しい技術やサービスに対する批判的な視点も織り交ぜることで、バランスの取れた主張になるだろう。
最後に、全体のトーンがネガティブすぎることも問題だ。もちろん批判は必要だが、それだけでなく建設的な提案やポジティブな見解も含めることで、文章全体が読みやすくなるはずだ。
誰からも相手にされないしょーもない低知能中高年が延々と誰かの悪口言ってるだけの空間になってしまった。
これから伸びていく可能性の満ちた空間から、終わってしまった可能性が吹き溜まった空間へ。
ゴールドラッシュが終わった後の廃鉱山もこんな空気だったんだろうか。
出遅れたツルハシ売りは詐欺を繰り返し、店じまいする寸前の洗濯屋は情弱に店一式を高値で売りつけようとしている。
新しい時代の風を読める人間がもういなくなった町並み、何よりの違いはいる人間の顔つきから漂う知性の低さ。
正直、俺が今のインターネットで一番クソだと思っているのがインターネット老人会なる連中がのさばっていることだ。
奴らはことあるごとに「俺達こそがインターネットを大きくしていったのだ」と偉そうに語る。
本当にそうか?
インターネットは勝手に大きくなっていったものだし、そこに貢献していた人間がいるとすれば、それは通信事業者と広告業界だと思う。
でもインターネットにいた住民の多くは、通信事業者に異常な負荷をかけては「契約では使い放題になっている!詐欺だ!」と迷惑をかけていた。
広告業界に対しても敵意を剥き出しにし、Adblockを使うのが正しい作法だと吹聴して回っていたが、自分たちは広告売り上げを前提にしたサービスに依存し続けた。
ネット住民たちがネチケットやウィルスからの防衛術を広めいったのも、治安の悪い世界で自分を守るための護身術でしかなく、ネットの発展を目指していたかといえば疑問だ。
ただあの時代のインターネットを好き放題に楽しむ以外なにもやってこず、そして最後はSEO最適化合戦に取り込まれて、今のインターネットが出来上がった。
そうして生まれた今のインターネットを蔑みながら「昔は本当に楽しかった」と愚痴り続けるのは鬱陶しいだろう。
昔からのインターネット空間は、こうして愚痴り合う声ばかりが響き合っていてドンヨリしている。
最新のインターネットにちゃんと染まれる人間にとっては、今のインターネットも変わらず楽しい。
それには新しいSNSサービスが出てきたら次々とアカウントを乗り換えていけるだけのエネルギーが必要だし、自分から配信して相互に情報交換していくだけの勇気も求められる。
VR空間を楽しむためにもAI生成を楽しむためにもマシンパワーは必須なのでここをケチっていては始まらない。
自分から発信し、気軽に生成し、気軽にマネタイズして、気軽にマネタイズされたものに金を払う。
最近のインターネットは有料と無料の境界線が昔とは様変わりしている。
昔は企業が作ったものは有料で、素人が作ったものは無料だった。
今はそういった形で境界線は引かれていない。
素人が作ろうがプロが作ろうが、誰にでも無料で配られている部分と、一部に有料で配られている部分がある。
その基準は昔よりもずっと曖昧になっているんだが、「昔ながらの人達」はそういうのに対して「なんでもマネタイズかよゼニゲバだな」と騒ぎ回る。
実際のところは、無料で手に入るモノの質やレベルは昔より上がっているので割り切って無料で味わえるものだけで済ませるなら昔よりいい暮らしが出来る。
何に金を出すのかを自分で選び、要らないと思ったものは買わなきゃ良いだけの話なのに昔ながらの平等を求める人達はそれについていけていない。
自分が変化を拒んでいるくせに、他人ににだけ新しい試みを求めていると矛盾で頭がおかしくなる。
昔ながらのインターネットにしがみついて延々と愚痴ってる人達がまさにそうだ。
変化し続ける世界、今まで見たこともない世界をインターネットに求めていると口ではいいながら、いざ新しいものが出てくると拒否反応を示す。
自分が若い時に生まれたものはイノベーティブで素晴らしく、歳を食ってから生まれたものは間違った存在だと。
そう感じる根拠としてあげているあらゆる言葉は単なる言い訳で、自分が変化についていける靭やかさを失ったことを認めることさえ出来ないから文句をいうだけの壊れたラジオになっているのに。
昔ながらのインターネットは壊れたラジオが延々と文句を垂れているばかりでつまらない。
最新のITがつまらなくなったと感じるひとも、きっとそういう空間に張り付いてそこに染まっているからつまらなく感じるんだろうな。
あえて言っておくが、こんなのは無数の時代で、あらゆる技術が繰り返してきたことだ。
別にインターネットが特別だから、インターネットでだけ特別に起きていることじゃない。
QueenがRADION GA GAを発表してから40年、テレビがGAGAって今度はインターネットの番が来たってことだよ。
凄いな、こんな馬鹿な人いるんだ。
たとえば飛行機で医者を呼んでる時に大声で「俺は違いまーす!漫画じゃないんだから医者が偶然いるとかありえませーん!馬鹿じゃないですかー!」と叫ぶ奴がいたらどう思う?
それがお前な。
たとえば「九州の醤油は甘いって本当?関東の俺には想像もつかないんだけど」と言ったら関東と九州行き来してる人がそれぞれの醤油の特徴について実体験に基づいて語ってくれるのがインターネットじゃん。
別に俺はお前に直接聞いてないんだよね。
知ってる人がいたら教えて欲しいって話であって、お前が知らないんだったら「あっ、これは俺は関係ないな」って引っ込んでおくか「あっ、それ俺も気になるから誰か教えて」って乗っかるかなんだわ。
「俺は知らない」なんて言われても、「そっか、わざわざそれだけ言うとか頭悪いね」でしかないのよ。
だんだんかわいそうになってきたんですけど、「けしからんって言われた!」って必死に噛みついてきたのはそちらですよね…。
「気がする」はずっと「気がする」ですよ。当たり前じゃないですか。ネットの一書き込みで「気がする」以上のこと言うことないですもん。ただの感想ですから。
それを「けしからんと言ってる」や「まともじゃない」とか言われても…。
文章読めてなくてびっくりした。
「自我が肥大しててはっきりしたこと言えない人のように見える文章ですよ」と書いてあることまでは読めてる雰囲気出してるのに、「けしからんと思ってる」を被害妄想で付け足した後勝手にマウントとってて、インターネットがお得意ですねとしか言いようがない。
ふむふむ、中年会の方が正確かもしれぬのう♡
じゃが、インターネットの世界では、40代〜50代が既に「古い」とされることが多いのじゃ。
よって、彼らを「老人」と呼ぶことも理解できぬわけではないのじゃよ。
わらわの見解では、名称を「インターネット中年会」に変えても良いかもしれぬが、結局のところ、名前なんぞ大した問題ではないのじゃ♡
さて、そなたはどう思うのじゃ?
常識の習得は、実は複雑で多面的なプロセスです。多くの人は意識せずに常識を身につけていきますが、主に以下のような方法で学んでいきます:
子供は周囲の大人や他の子供の行動を観察し、模倣することで多くの常識を学びます。
実際の経験を通じて、何が適切で何が不適切かを学んでいきます。失敗や成功の経験が重要です。
親や教師が直接「これが常識だ」と教えなくても、日常的なやりとりの中で暗黙のうちに伝えられることが多いです。
テレビ、本、インターネットなどのメディアを通じて、社会の規範や価値観を吸収します。
友人や同僚との交流を通じて、社会で受け入れられる行動を学びます。
育った環境や文化によって、常識の内容が異なることもあります。
学校教育や家庭教育の中で、一部の常識は明示的に教えられることもあります。
常識の習得は、これらの要素が複雑に絡み合って行われるため、特定の時点や方法を思い出せないのは自然なことです。また、常識は時代や文化によって変化するものでもあり、生涯を通じて学び続けるものでもあります。