日本人という生きもの(今日の主語)は神の愛を知らないものですから、基本的に愛だの幸せだの権利だのセックスだのはすべて金で買えると考えています。
というか、金でもって費やした額でしか、ある対象についての愛情を定量的に推し量るすべはないわけです。ないと考えられているわけです。
それはまあ、しょうがないです。
問題は、日本人という生きもの(以下、私たち)が暴力を行使する権利までも手放したコインの重量で決定されると思い込んでいることで、この手の信仰は倫理的にただしくないよと活字上では言えたとしても、現実生活で意識するのはなかなかにむずかしい。
たとえばファミレスのバイト店員のサービスが悪い。マックの店員の笑顔に嘲りが含まれている。デパ地下で購入したおかきにひびが入っていた。
これらはすべて担当者をゲザらせるに足る理由となりえるように私たちには思えます。むしろ、膝をついて頭に床につけて誠心誠意詫びを尽くし、その上でこちらの懐に「どうかこれでお納めを……」と年間無料パス的なサムシングを忍ばせる以外にどんな解決法がありうるというのか。私たちにはそうした謝罪を受ける権利があるのではないか。だって金を払ったんだから。
そうですね、その主張はただしい。
圧倒的に正しい。
「お客様は神様です」という慣用句を三波春夫が本来どんな意味や文脈で用いたとしても、RTで大炎上時代を生きる我々の目には「お客様=GOD」という極めて自明で論理的な構文にしか映りません。
それでいいんです。
販売者に手落ちがあったら徹底的に責めればよろしい。土下座でも営業停止でもなんでものませればいい。
で、本題に戻ります。
では、同じコンテンツを嗜んでいる他のユーザーまで殴っていいのか?
試食コーナーに提供されたおかきをポリポリ食って訳知り顔で「やっぱ関西人はおかきの作り方を知らんわ。赤坂柿山の爪の垢を煎じて飲めよ」とコメントしたおばあちゃんにカチンときたからといって、ひざげりを食らわす権利は私たちにあるのか?
あまつさえ、そのばばあがくるりとこちらをむいて、「あんたみたいな嫁き遅れにおかきの味がわかるんかい?」とからまれ、その時に、相手のしわくちゃ面が先日見合いしたアンパンマンみたいな顔をした地方公務員の母親に酷似しているのに気づいて大変に不愉快な思いをしたとしても、手をあげてはいけないのか?
汝が隣人を愛せよ。
「オタ仲間同士は性別やこじらせ具合を越えて仲良くせよ」というゴッドの教えです。
神の教えです。
神がいないので倫理がありません。
だから殴ってもいいんです。本当のところ、私たちの暴力に理由なんていらないのです。
理由なんてものは二千字のレポートを要求された大学生にとっての最後の二百字にすぎません。
埋草なのです。冗言なのです。意味なんてないんです。
「私はコンテンツに対して人一倍金を払っているので、忠誠心に劣る他のユーザーを殴る権利がある」?
「私はコンテンツに対して人一番時間を費やしているので、理解に劣る他のユーザーを貶す権利がある」?
単なる文字列です。
なぜ私たちが他人を殴れるかといったら、殴っているから、殴ったから、殴るであろうから、それだけでしかないんです。
オタクの世界はすべてアクションで構成されています。言葉はなんの力もありません。言葉はなにも生み出しません。
ここはすでにファイトクラブです。人は人にすぎず、出来事は出来事にすぎない。インターネット以前から、twitter以前から。
私事ですが、最近サブ垢を、twitterのサブ垢を消しました。
Facebookアカウントなんて最初から持っていません。LINEもやってません、といいたいところですが、極めて遺憾なことに現代社会の必須ツールです。
私たちは夜毎夜ごとにあなたたちのブックマーク一覧を巡回する死せるオフィーリアです。
永遠の命が欲しいならまず死ぬことです。おまえはタイラー・ダーデンと知り合いか、ちかごろ私たちはよくそう聞かれます。
喜びは本編BD一巻分の値段です。
蔑みは作っている本人たちすらももうなんのためにどういう理由があって作ろうとしたのかわからないサブキャラのネタフィギュアの値段です。
いつものように難癖をつけて泣き土下座させているガストのバイトこそ、輝ける運命の人なのだといつか突然気づきます。
その人は、ひとしきり泣いたあと、はれぼったいまぶたをごしごしとこすりながらきっとこう言います。
「理解して」
「逃れられる」
「墜落を回避できる」
「そのために、話して」
言い分はまぁわかるところもあります。特オタは排他的なとこもあるし、私もテレビで声優や俳優目当てである特撮作品が好きです♥みたいな人がその作品ファン代表みたいに出てたらイラっとする。役者しか見てない人に作品を語って欲しくないとも思う。でも私だって役者さんも好きだし応援している。役者の成長を見守るのも楽しい。
爆発やミニチュアだったり、ヒューマンドラマだったり、アクションや演出だったり、役者の成長を見守って応援することだったり・・・全部含めて特撮の魅力はだと思います。男女関わらず特オタの大部分はどれを重視しているかはそれぞれだけどそういうのひっくるめて特撮作品を楽しんでいますよ。竹熊氏のような人もいるけどこんな凝り固まった人は今日稀ですよ。以前氏の発言は大炎上してますし。
まぁそちらは置いておいて、要約すると「私たち俳優ヲタはお金を使っているのだから、お金を出さない特オタ()は文句を言うな」ということですか。メインターゲットで最優先なのは子供達と親なのは大前提として、たくさんお金を出した人が偉いんだったら上を見たらキリがないし、その理屈だと1番たくさんお金を使った人しか言えませんよ。あなたの周りにはたまたまいなかったかもしれませんが円盤、フィギュア、おもちゃ、ファッション・・・特オタの大部分が大なり小なりお金は出してますし、1年で出て行く俳優オタさんよりは財団BやTAさんに搾り取られてるんじゃないですかね。特オタがお金を出さないというのは妄想じゃないんですか。主張の理由が事実無根なのでもやっとしました。結局は子供・親>特オタ・俳優オタです。
あと特オタは出演俳優さんにとても好意的です。俳優さんが有名になっていくのを喜んでいますし卒業後に多少やらかしても「あぁあいつか」とあっさり許したり。あなたの好きな俳優さんもテレビに出て食べていくのならこういう評判やイメージを落とさないでいてくれる男性の存在は貴重ですよ。結婚やP賞で世間を騒がした彼に「子供できたしまた出てくれないかな」「やっぱり応援しちゃう」と好意的な男性が多いのも特オタくらいでしょう。もちろんその俳優のファンにもです。それなのに俳優オタへこう風当たりが強いのはやっぱり俳優オタのマナーが良くないからなんですよね。主演俳優のファンのせいでヒロインが降板になったと言われる年もありましてね・・・。舞台挨拶だけ見て帰ったり途中で抜けたりなんて俳優オタからだって批判されることです。俳優オタは郷に入っては郷に従うべきなんですよ。俳優のことに口出しするなと言うならばそれからです。マナーが良ければ受け入れられるし楽しみ方は違っても理解はされますよ。それができないのならば二度とこちらに来ないで頂きたい。
どうせ「弱いもの」も「いじめ」もお前が勝手に定義するんだろ?
では話し合いは不毛なのか?そうではない。
どちらも譲りたくないのであれば、お互いが関係を絶って離れるのが一番良いだろう。
離れられないのであれば、折り合いをつけるしかない。これは、個人の度量によるが、より不満を抱えていない側が歩み寄ることになる。
ところで、ある科学評論家が言っていたが、女性は一般的にセロトニンの量が少ないらしい。セロトニンは安心をもたらす脳内物質だ。逆に、男性はセロトニンが女性に比べて多い。安心しやすく、楽観的とも言えるだろう。
ここで、先ほどの理論を持ってくると、不満を抱えるものに歩み寄らなければならないので、一般的に不安になりにくい男性のほうから女性に歩み寄る構図が出来上がる。
この溝が埋まる時は来るのだろうか。
ニートのおじさんは消してばっかりだけど
また「自分は反原発の味方ではない。反原発のクズさを否定したことはない」とか言っときながら反原発というクズへの扱いだけ他の種類のクズよりものすごく甘い高能様が自分じゃやらないことを他人に要求してる
ということは、そいつらを駆逐したら誰かが替りを完璧にこなさないと、「貴族制」であるかぎり国がマトモに
回らなくなるってことだ。
「いやその貴族制そのものを破壊してやるんだ!」としたら、破壊してその後どうするんだ?
公務員批判してる奴らはその「革命後の世界」に対してなんらかのビジョンがあるのか?
到底あるようには見えんのだが。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20150526/1432612495
「弱者男性」の不満は「自分がケアを分担できないこと」ではなく、「ケア役割」の女性が自分に配分されないことのように見える。それも、上で想定されているような生活上のケアだけではなく、金銭的な援助も含む。それも無賃で親密性の中で与えられたいというのだ。
この「女性」、「ケア役割」を無賃でこなしながら「金」も持って来てくれる女性って、まさしく「『古き良き時代』の『嫁』だよなあ」と思った。
「弱者男性」の中には、実際にそういう「嫁」が多数存在した時代を知っていて、そういう要求をしているのも居そう。
実際に母親や周囲の年配の女性がそういう女性である、と言う環境で育った人も居るだろうと思う。
彼ら(だけじゃないけど、ネットの「若者」は)は大抵老人も嫌いで、「老人と比べたら俺らは損している」とやたら言いたがるけど(この「老人」は男性限定だろう)
「老人世代は低収入キモメンだろうが何だろうが『家事も育児も介護も仕事も全部やってくれて稼ぎは全部夫に渡してくれる女性』を手に入れる事が出来たのに
自分はそういう女性を手に入れられないのはフェミニストのせいだ」と思ってるんじゃないかな。
そしてそれは事実だろうとも思う。そんな境遇から女性を解放したのはフェミニストの功績だ。
しかし勿論それは不当な事ではない。女性をそういう境遇に追いやっていた事こそが、不当だったんだ。
彼らの一部は、それが不当な事だと認めず「今どきの女は我儘だ、『嫁』の役割を果たそうとしない」と文句を言い、
(「高収入女性は弱者男性と結婚して専業主夫にすべき」と言うのは「高収入女性は『嫁』になれ」と同義であり、
女の専業主婦のように「ケア役割」を自分が担う気なんぞ無いのは明らかだ)
また別の一部は、流石にそれが不当な事だと分かりつつも「老人と比べて俺らは損している」と言う思いが消えないんだろう。
でもどっちにしてもそんな時代にはもう戻らない。
私の前を歩く女子高生と目が合った。
同じ方向に向かって歩いているのに、前を行く人と目が合うとは何事か。出会え、出会え、ヒットラーをひっ捕らえよ。少し賢い人であればそう思うだろう。
しかし、私は決して賢いとは言えない頭と連れ添ってうん十年、そんな事など理解できっこない。目が合ったと私が言う限り目が合っているのだ。うん十年とウンディーネは少し似ているかもしれない。
少し気になったが、うん十年と言う表現は、実際何十年経過していれば使って良い表現なのだろうか?十年、二十年程度では「うん」の足下にも及ばないというのはわかる。五十年超えていれば良いかな?あっ、そうすると先程のうん十年は使っちゃダメだな。三十年だ、三十年。
しまった。おおよその年齢がバレてしまった。三十年も生きてきて、さっさと言いたい事も言えないのか。そう、反町に言われた気がした。調べたところ反町氏がpoisonしたのは氏が25歳の時で、結婚したのは28歳の時だそうだ。いやーんどんだけー!今の私より若い時に言いたい事言ってるー(憶測)
ドキドキ動悸、救心、救心。幸いにも私は求心力のあまり無かった上役と同じ名字であったため、その上役が居ない時には部下達が私のデスクに行列を作り、私の印鑑を求めた。承認。承認。誰かに見られて居ないだろうか。この不正なんだか不正じゃないんだかわからない承認ゲーム。
女子高生がつけていたヘアゴムは、お世辞に趣味が良い物とは言えなかった。血管の浮いた目玉を模したプラスチックの飾りが着いていたのだ。この飾りと目が合っただけである。あっこんな話をしていたら、乗車した駅まで戻ってきてしまった。
今度は きちんと やり直し したい
ガチな金融マンというのはそうなのか?大手の金融関係に勤めてる奴って40代でも学生みたいなノリの奴とかよくいるけどな。社会常識って概念が無いんじゃないか?企業に金貸してやるぜみたいなかんじで偉そう。
それどころか
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/11/2012-25.html
公務員の賃下げは、公務員の生活を破壊するだけでなく、民間の賃下げと相まって、日本の労働条件全体を引き下げる一因となり、デフレの一因ともなっています。いまこそ、公務員の労働基本権を回復し、労働条件の向上に転換すべきときです。
つまりそういうことだ
つ http://kijosoku.com/archives/30275468.html
これの696だな
どっかで見たことあると思った
http://anond.hatelabo.jp/20150525193142
「声優の演技の気持ち悪さ」ってなんだろう。
なんとなくはわかるんだけど、具体的な例をって言われるとうーんってなる。
ただ、声優の評価って個人差が大きいと最近感じる事が多い。
ブコメでもキムタクのハウルも良いって人と、そんな人いるんだ、みたいな人までいて面白い。
「気持ち悪さ」はひとまず置いといて、最近感じた個人差が大きそうなものを挙げてみる。
そこで便宜的にこんな評価項目で分けてみた。
キャラに | 合ってる | 合ってない |
---|---|---|
声優的? | 声優的 | 声優的じゃない |
演技 | うまい | 棒 |
この右側に◯がつくと、個人差が大きくなりがちっぽい。
追記:以下の表の[太字]が◯つけてる体です。わかりにくくてすんません。
個々の項目については以下の具体例を見てもらえるとなんとなく分かってもらえると思う。
某巨大掲示板で「なんか棒だな」という書き込みを見かけた。
その後の書き込みにより、それを書き込んだ人は池田秀一がキャリアの長い人だという事は理解しているようだった。
カイトの声に「合ってない」ならわかる。なぜ「棒」と言ったのだろう。
単純に語彙が足りなかったのか、棒を別の意味で認識しているのかわからないが、とにかくそういう人がいた。
つまり、
キャラに | 合ってる | [合ってない] |
---|---|---|
声優的? | [声優的] | 声優的じゃない |
演技 | [うまい] | 棒 |
個人的には「棒」でもないし「合ってる」し、好きだという人も多い。
が、初見だと違和感を覚える人が多いようだ。二期のニコ生で「初見だけど主役の人棒だね」というようなコメントを何回か見かけた。
よくある声優的な演技ではないのでそれが原因だと思う。
キャラに | [合ってる] | 合ってない |
---|---|---|
声優的? | 声優的 | [声優的じゃない] |
演技 | [うまい] | 棒 |
こういう子役特有の演技に名称があるなら知りたい。
「むかーしむかし、あるところにぃ、おじいさんとぉ、おばあさんがぁ、いましたぁ」
みたいな、音読上手だねぇって褒められちゃうタイプの演技の延長線上にいる感じ。
わかるかな…
蟲師の子役たちもこれ。ただ蟲師はすごく自然だった。
プリキュアの場合は周りが声優声優してる中で突然出てきたから違和感が強かったんだと思う。
子役特有の演技にも「棒」かそうでないかはあって、個人的にももかは「棒」じゃない。コナン映画のゲスト子役の演技がだいたい棒。
キャラに | [合ってる] | 合ってない |
---|---|---|
声優的? | 声優的 | [声優的じゃない] |
演技 | [うまい] | 棒 |
ギンコと同じだけど「声優的じゃない」にも色々種類があるよ、ということで。
あとハウルもこれなんだと思う。「演技」に関しては賛否ありそうだけど。
ラブライブ!(再放送時)の某巨大掲示板で「言うほど棒か?」という書き込みに対し「それは慣れだ」という趣旨のレスが付いてた。ナニソレイミワカンナイ。…じゃなくて、完全に同意。
キャラに | [合ってる] | 合ってない |
---|---|---|
声優的? | [声優的] | 声優的じゃない |
演技 | うまい | [棒] |
演技が棒なら個人差も何もないんだけど、慣れ次第で評価が変わる稀有な例。
あ、なんかdisってるように見えるけど、真姫ちゃん推しです。
キャラに | [合ってる] | 合ってない |
---|---|---|
声優的? | 声優的 | [声優的じゃない] |
演技 | うまい | [棒] |
こんな感じ?
挙げればキリがないのでこの辺で。
つまり何が言いたいのかというと「声優的じゃない」「キャラに合ってない」等の理由だけで「下手」や「棒」と言われることが非常に多い。
そういうのを見かける度にうーんってなる。まあ個人の感想だし、適切な言葉で言い換えようぜ!と言いたいわけでもないけど。
それで、ここまで書いといて「声優的」って一体何だよって話なんだけど、それが所謂「気持ち悪さ」の正体の一つなんだろうなぁと。
じゃあそれを感じる人感じない人がいるのは、単に「慣れ」なんだと思う。
そしてそれに慣れてしまった人たちが「声優的じゃない」演技に対して、逆に「気持ち悪さ」を感じるようになる…という事なんじゃないでしょうか。どんとはらい。
※これらは全て個人の感想です。