はてなキーワード: 抗鬱剤とは
いろんなヒトが思ってるコトだろうし、増田にも似たような投稿あるだろうけど、気にせず書きます。
なんとなーく、それとなーく、いつのまにか死んでたい。
というより消えたい。
別になにか嫌な事があった訳じゃない。
常日頃、悩んでる事がある訳じゃない。
手に職もあるし、人間関係も人並みにあって不満もさほどない。
それなのに、何故かいきなりヤル気がなくなっていろんな事がどうでもよくなってしまう。
どうでもよくなってしまうのではなくて嫌になるってのが近いかもしれない。
「なら自殺でもすれば?」って思うけど、親を悲しませたくない!ってのが心の中にあるので実行できない。
この消えたい発作のせいで仕事変えざるをえなくなった事もある。
心療内科にも通って適応障害とか抑うつ状態っていう診断で抗鬱剤もらって飲んだけど変わった気がしない。
風邪拗らせて会社休んだ先週からまたこの状態になってしまった。
たぶん抜け出すのにあと1週間くらいかかる。
この期間ずーっと消えたいって思ってる。
本当にどうしていいのかわからない。軽いパニック。
会社行けば良いのに、焦ってるのに、行かない。なんで行かないのかわからない。
会社の人達は連絡入れる度に心配してくれる。すごく嬉しい。でも行かない。
腐ってる。
どうにかなんないのかな。
どうすればこの状態にならないのかな。
誰か助けてください。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
前から希望していた言うことで、会社に期待し過ぎなんじゃないだろうか?
以前勤めていた会社がもしかしたら社交的だったのかもしれないけど、となりの人とのコミュニケーションがメールのみっていう雰囲気の会社も結構ある。
日記を読んでいると周りの社員が増田に対してそらぞらしだけで邪見にしているわけではなさそうだし。(この点では統合失調症ではないな。)
自分は精神科医ではないけど、仕事に行けたりしている時点で重度の鬱病っていうわけではなさそうだ。もっともこのままの状態が続けばわからないが。
この点は信頼できる精神科医に定期的に看てもらう、必ずだ。(可能なら、複数の医者に看てもらった方が良い。一人の医者の言うことを鵜呑みにしないように。)
それと、酒は控えるんだ。特に抗鬱剤とは絶対にチャンポンしちゃダメ、絶対。(医者に言われなかったの?)
どうしても飲むのだったら、どちらか片方にするんだ。
誰にも相談できないので、叩かれるのは承知で書いてみる。
20代後半。男。
転職して今の会社に入った。前から入りたかった会社で、内定をもらったときは本当にうれしかった。これからはこの会社で頑張っていこうと思った。
しかし、内気な性格のせいでうまく人と喋ることができず、人間関係が築けない。
上司には、仕事ができないせいなのか、内気なせいなのか分からないが、冷たい態度をとられている。今は恐怖の対象になってしまった。後輩には劣等感を感じて敬語を使ってしまい、うまく話せない。
自分は対人恐怖症なのかと思って、ネットで対人恐怖症克服の何万円かする教材を購入したが、効果はなかった。
モチベーションが全く上がらない。知識、情報の収得に取り残されている。焦りは感じるが、まったくやる気にならない。
鬱病なのかと思い、メンタルクリニックに通院するようになった。
飲酒の量もかなり多くなったと思う。仕事帰りに近くのコンビニに寄り、500mlと360mlのハイボールを購入し、駅までの道を歩きながら一気に飲み干す。実家のある駅に着いたら、またコンビニに寄って、500mlを1本、360mlを2本購入。実家に着くまで歩きながら1本飲み干す。就寝する前に、残りの酒と抗鬱剤をチャンポンしながら飲む。背中全体に赤いブツブツができてきたが、多分肝臓が悪いせいだと思う。
一旦会社は休職してゆっくりするべきなのだろうか。耐え続けて通勤するべきなのだろうか。どうすれば前の会社の時のように、高いモチベーションを保ちながら、楽しく過ごせていけるようになるのだろうか。前の会社の思い出を美化しているだけかもしれないが。
どうすればいいのか、どなたかアドバイスを頂きたい。
批判でも結構です。
■追記
皆様へ
おかげさまで、仕事はしばらく休職して、心身が休める時間と今後について考える時間がもてました。
転職するか、もうちょっと今の職場で頑張ってみるかは、これからゆっくり考えて行こうと思います。
ストレスを感じない生活を送ることができるので、アルコールも暫くは控えるつもりです。
今の職場は、前の会社より、コミュニケーションがとても希薄で、仕事のレベルも高いものが求めたれていたので、それでストレスがたまったのだと思います。
今日の新聞の折り込みチラシに抗鬱剤の治験募集の広告があった。
いろいろ抗鬱剤を試しているけどなかなか効果が出ないので応募してみようかと思っている。
・ 20歳以上、65歳未満の男女
要件は満たしていてあとは主治医に相談するだけなんだけど、
こういった治験に参加したことある方いますか。
ご意見ありがとう。
30歳女性っていうととりあえず結婚しちゃえって意見をいただくのだけど、
生まれてから一度も男性と付き合ったことがない、もてない女です。
抗鬱剤の影響でものすごく太ったし健康でなく美人でもなく若くもない女を嫁にしようとする奇特な方はいないでしょう。
だから一生一人で稼いでいかなければいけないけどもうどうしようって困っているのです。
そろそろ勉強始めてアルバイトを探して体を慣らしながら普通の仕事を探そうとしています。
いったい何を目指していけばいいんだろう。
散歩しながら涙が止まらなくて、でも毎日歳だけはとっていって辛いです。
自分にできることはあるんだろうか。
世界中の人間どもに「あなたには、私の苦しみがわからないのよ!反論は許さない!」と叫びたくてたまらない。
真人間のふりをしようと努力するのはもう限界だ。自分以外のすべてを見下す腐れ外道として生きるほうがよほど楽。
すき家でマグロたたき丼を口にしたとたん吐き気に襲われ、トイレに駆け込み嘔吐した。何かヤバいものが入っているのか、ぼくがインフルエンザにでも罹患したのか。はたまた昨日から服用しはじめた抗鬱剤の副作用か。
完食してきた。このあと食中毒で死のうがどうでもいいや。
帰宅した。これから『軽音部!』を見なければならない、というかメニュー画面でいきなり心を叩き折られた。
軽音部!wwけいおんのAVwww
ほい http://www.naoru.com/seiyokuga.htm
意外と深刻な病の前触れかもしれん。思い当たることがないか一応チェックをおすすめする。
個人的には、性欲もほどほど程度にあっていいと思う。
結局はなにごともバランスか。
昔から人付き合いが苦手だった。
運動が苦手で、やることがいつも人よりワンテンポ遅い、トロい子だった。
友達ができずハブられたことも1度や2度ではない。
同時に、この時期に学ぶべきだった、人との付き合い方を学ばずにきてしまったため、
ハブられながらも周りを見下しているような、傲慢な人間になってしまっていた。
「自分はいらない人間なのだ」「自分さえいなければ、クラスみんな仲がいいのだ」と思うようになった。
周りの人間は努力もせずにうまくやってるはずだという決めつけがあった。
絶望で苦しくて苦しくて仕方なかった。
毎日泣いていた。
ある時、気がついた。
それなら、勉強で誰からも認められるようになれば、こんな絶望感を味わわずにすむのではないか。
「すごいと周り中に認められれば、みんな自分を尊敬してついてくるはず」という
虫のいい考え方をしていた。
初めて恋人ができた。浮かれていた。
だが今まで、まともな人付き合いをしたことのない自分は
相手のことを思いやることもできず。
相手の気持ちを汲むこともできず。
相手が言っていることの意味も理解せず。
別れてから相手が言った。
「君は変だ。普通の人になればいいのに。君は理解できない。理解できないものに対する恐怖を感じる。」
横になって呼吸をしているだけの日々。
今までどうして普通の生活が送れなかったのだろう。
どうして普通の人付き合いができなかったのだろう。
なんて自分は甘えているのだろう。
絶望の陰にあったのは、
自分はもっとすごい筈、自分を尊敬して皆がついてくるような人間関係を築きたいという
傲慢があった。
トップクラスの大学なのに、なんでその会社なの?と言われるような
中小企業。
コンプレックスは膨らみ、
頭をもたげる。
だが、さすがに学習していた。
そんなことを思っても何もならないことを。
自分にはコミュニケーション能力がない。
だから、ひたすらあたりさわりのない会話をすることを覚えた。
趣味も隠し。
自分を隠し。
そんな人間が好かれる筈もない。
うまく築けない人間関係に七転八倒しながら、
人の顔色を伺う。
そうしてできたのが、ただの八方美人だった。
何の特徴もない、空気のような存在。
だが、自分はまだ願っているのだ。
いつか、人から好かれるような自分になりたい。
他の人がやっているように、自分をさらけ出し、本音でぶつかりあってみたい。
もうすぐ30歳になろうとしているのに。
自己啓発本を読み、あがく日々。
この歳で、まだ希望はあるのだろうか。
躁の薬飲んでみな、楽になるから。
多分躁転してるんじゃねーの?
落ち着かないんだろ?
抗鬱剤は飲まんで、マイナートランキライザー&メジャートランキライザー、多めに飲んでしまえ。
毎日が長い。
そして一生はもっと長い
薬が効いておちついてきたけれども、
だからといってよくなるわけではないのだとわかった。
体調不良から内科→精神科という道筋だけど、
鬱ではないんじゃないかといわれた。
じゃあなんなのかはわかってない。
死にたいわけではないけれども、生きるのはしんどい。
貯金が100万を超えたけど。これ何に使えばいいの?
本もちょいちょい買ってる。
ゲームも少し。
両親ににベルトを買ってあげたり、箸を贈ったりしてる。
どうしよう、何も楽しいことがない。
ご飯もおいしくない。
甘いものを食べるとなんとなく落ち着く。
人が多いところは疲れる。
たすけて。
別れた方がいい気がする。
一度伝えて、今保留中。好きだけど、頭がおかしいのわかってるから一緒にいられない。
歩き続けなければいけない。
でももうだめだ、座り込みたい。
トイレで座り込んだら落ち着いた
頭の中がぐしゃぐしゃだよ。
カウンセリング行っても、きかれたことには答えられるけど、ほかはなんかいえない。
会社でも声を出して、がんばってる。
がんばれない。
わかってるんだ。
あした、電車が止まったらごめん。
もう、線路までの距離を感じないよ。
でも、飛び込まないようにする。
がんばる、
元増田です。
>増田が鬱なら直りかけはすごくつらいのだから自分中心にして吉とオモ
やっぱりそうですよね…。今はようやく抗鬱剤も絶ってゆっくり治していっているところですが、苦しいです。
そんな時にこんなことになったので、もうおかしくなりそうで。
先日その上司の方と3人で食事をする機会があって(この時初めてお会いした)、
向こうの仕事の愚痴が、聞いているだけで辛かった。「正直あの時は死にたいと思っていた」とか言われるとねぇ。
自分には痛いほどよくわかるだけに。
その食事の席ではなるべく会話には混ざらずに(向こう二人だけで話していたから)、飲み物の注文とかするほうに徹していました。
まだ一回しか会ったことなくて次に会うのは最悪旅行のときとか、よくよく考えたらやっぱりおかしいですよね。
やんわり、断ってみようと思います。
他の方々も反応ありがとうございます。
http://anond.hatelabo.jp/20090401200113
ども、↑の元増田です。
僕はイデオローグでも何でもなく、個人の体験談として書いただけで、それがこんなにブクマされるとは思っていませんでした。ただ、これだけブクマされたら少しは補足しないと変なことになりそうなので、昨日までに自己レスで書いた分もふくめてタイトルをつけて書きます。トラバだけだと読んでもらえないようなので。
p_shirokumaさんの指摘ですが、客観的に見て正しい指摘だと思います。ただ、観点が当然違うのでそこを指摘させてください。
これはたしかにそうなんですけど、むしろ、僕にとってはこれは前提で、僕みたいな症状の人は低血糖症を疑ってはどうでしょうか?と言いたかったというのがあります。これは書き方が悪かったかもしれません。
おっしゃる通りです。参考にします。炭水化物を少しずつとっているというのはその通りです。なんで炭水化物を完全に絶つって短絡されるかな。
このポイントは重要だと思います。治験やなんかでエビデンスがない以上、そうであると医者の人は言ってはいけないと思います。僕もエンジニアなのでそれが科学的な態度だと思います。僕の場合、5年前に強烈な鬱病になりました。その時の感覚は、ホワイトノイズにつぶされているようで、腕を上げることもできませんでした。なので、もとのエントリーの最初に書いた症状は、その鬱病が治ったあとの症状です。「20年来のつらさ」なんていうと、メンタルをずっと病んでいたのが治ったみたいですが、そうじゃなくて、体の症状とそれにともなう、ひどいうつ病に比べたらまだましな精神症状が良くなったと言っています。エントリーの最後に「長期のうつ病」と書いてしまったのでそうとられてしまったんだと思います(これは言いすぎです)。そういう意味で食事っていうか、血糖値で気分が変わるというのは、DSM-IVの一般身体疾患による精神疾患に分類するのは正しくて明快ですね。テクニカルにはまったく私も同意します。
ただ問題は、現場の医師がそこまで意識しているかどうかです。私の知っている心療内科の医師でそういう判断をする人はいません。食事で気分が変わるんですがと言ったとしても、単に抗鬱剤や安定剤を出されるだけでしょう。その原因は、低血糖症に対する理解が日本ではほとんどないからだと思います。本当にしつこいですが、糖尿病の人がなる低血糖と低血糖症は別です。http://d.hatena.ne.jp/yachimon/20090403/1238685142にあるような感じで血糖値が食事でおかしくなる現象です。私はここのグラフで上が200以上、下が50くらいで、山は一つです(yachimonさんは山が二つあって気分の動きが相当つらいだろうなと思います)。
トンデモとか疑似科学とか言われてもプラクティカルに効果があればどうでもいいんですが、英語だとDummiesシリーズの本が出ています。
"Hypoglycemia for DUMMIES" Cheryl Chow and James Chow, MD
この本にも、symptonとしてanxietyとDepression/mood swingsがあります。もちろん医学書ではありませんが、アメリカの本屋だったら絶対にあるDummiesシリーズになるくらい一般的なんだろうと思います。
で、病院に行かずに素人の浅知恵なんてコメントをする人もいますが、まず病院には行っているし、この本もふくめ学術的ではないけど相当研究はしました。普通に血液検査をしても標準値内に入ってしまうし、運動(筋トレとランニング)もしているし、いい妻にも恵まれているのに、なんでいつまでも朝は憂鬱で、昼食後はだるくてイライラして不安と焦燥感に駆られるのか、が不思議でしょうがなく、、あとは元のエントリーに書いたとおりです。
もしかして、以下のサイクル自体が信じられないという人も多いのかも知れません。
糖質とる→(糖尿病になりかけているせいで)血糖値上がりすぎる→眠くなり、インスリン出過ぎる→血糖値が急に下がりすぎる→血糖値を上げようとアドレナリンとノルアドレナリンが出る→イライラしたり、不安になったり、無気力になったり
↓
糖質減らす→血糖値上がらない→眠くならず、インスリンもあまり出ない→血糖値下がらない→アドレナリンとノルアドレナリンが出ない→いい気分
毎食後勝手に飢餓状態に置かれてしまうこの現象と解決法を否定されたら意味がないんですが、p_shirokumaさんやfinalventさんの指摘はここではなく、この現象がメンタルヘルスの対象である精神疾患かどうか?ということであるととらえています。
もともと言いたかったことの一つは、もし同じような症状っていうか現象が出ているなら、この食事はそんなに大変じゃないからちょっとためしてみてはどうですか?ということです。一度寝る前に無糖ヨーグルトやSoyJoyを食べてみてそれで朝が楽になるならそれだけでもいいし、昼食を軽めにして卵やチーズや豆の間食をしたら夕方が楽になるならそれでもいいでしょう、ということです。その変化が劇的だったら、医者に行って詳しく見てもらうといいでしょう。ただほとんどの医者は低血糖症を知りませんが。あと、食事の取り方はindividualizeしないといけない、というのは別のhypoglycemiaの本なんかにも書いてありました。確かに腎臓が悪い人がこの食事は良くないでしょうね。
少し覚悟はしていたけど、左右両方に曲解されて極端なコメント(メンヘラがマクロビやったらすべてがうまくいった!のレベルの賛否になっていたりする)をもらうのはちょっと疲れたので、こういうことを増田に書くのはやっぱよくないですね。なのでこれでおしまいにします。
個人的にうれしかったのは、文章がうまいと数名の方に言ってもらえたことです。それだけで十分かも。
自分は誰かを好きになるという経験をする前に異性からも同性からもセクハラを受けた。
30近くなって鬱っぽくなって、どうしようもなく精神科には通っているけれど、
医者に相談しても、こういう問題に関しては何をどうすればいいというものではないらしく、
話は聞いてもらえるし眠剤や安定剤や抗鬱剤は出してもらえるけれど、
「恋愛やセックスができない」という問題に関して何か効果のあることをして貰えている訳ではない。
好きな相手に触れようとすれば酷い吐き気と動悸に襲われるような人間を、
(好きな相手に触れられようとする場合もまったく同じ)
今までの自分の経験から、気をつけることを書いておきます。不調かな、と思ったら読み返す。
<追記>
確かに長くなっちゃいましたね。読んでて疲れちゃった人、ごめんなさい。自分でも読み返して「あれれ?」って思いました。
あまり気にせずぼちぼちいきましょう。
→http://anond.hatelabo.jp/20090103032255
人間関係が薄くなりすぎているのでは? カウンセリングや認知療法では人間関係の代わりにはならないだろうし、抗鬱剤で承認が得られるわけではむろんない。人間関係を具体的に広く深くすることに踏み出せれば前に進めると思うが。
* * *
一つの参考として読んで下さい。私も鬱病経験者なので一人の経験者の立場で書きますが、この病気の十全な改善のためには、「自分が生きる」とか「生きる」ということについての或るていどの深さのある肯定が必要なのだろうと感じます。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような問いを抱えていて、その問いの答えが分からない状態だと、色々な辛いことや苦しいことが剥き出しになって自分に迫ってくるように感じられて非常に辛いし、憂鬱にもなります。具体的な行動に踏み出す気力も出にくくなります。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような問いは要するに人生の意味を問うている問いなのでしょうが、鬱状態だと人は意味や価値について一種の盲目になる(意味や価値をあまり信用できなくなる)ことがあるので、そういう状態で「人生の意味や価値を問う問い」について答えを出そうとしても無理があるのではないかと思います(鬱状態でなくても扱いに困る問いですが)。
「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」といったように人生の意味や価値をストレートに問おうとするから答えに窮するのであって、答えに窮しているから憂鬱にもなるのでしょう。だとすると、そもそも「こんなに苦しいことがあふれている生を続けていく意味は何?」というような形式の問いを抱くことが憂鬱さの原因の主要な1つかもしれない。だとすると、この原因を取り除くためには問いの形式を変えるべきだと思います。
どのように変えるかというと、例えば「生きているとはどういうことか?/人生とはどういう事態か?」という問いに変えるわけです。つまりこれは「生きる」とか「人生」という語の意味自体を本人が再定義する試みであって、これを果たせば鬱病者当人が自分の現状を或る意味でクリアに見ることが可能になるし、あるべき生と比べて現状に何が足りないかということを自覚することもできるでしょう。「人生の意味は何?」というような問いの1つの答えが副産物として得られる可能性もあると思います。
「生きる」とか「人生」という語を単に通俗的な意味でとらえているだけだと、「生きる」とか「人生」ということを通俗的な意味の外側から見る視点が得られないでしょう。そうすると、通俗的な意味での「人生」に幻滅すれば精神的に行き詰まり得ます。「その行き詰まり状況を打破するためには、本人が人生を積極的に肯定しなければならない」といったときに、そこでいう「人生」の語は通俗的な意味を超えたものにならざるを得ないのではないか。それを提供するのは宗教かもしれないし、哲学かもしれないし、文学かもしれないし、何らかの直観かもしれないが、理性を否定したりトンデモに堕ちたりはしないかたちで「人生」という語の意味を本人なりに再定義することはできるはずです。
>>薬なんか飲んでも極論、治らないんだよ。
>>本人が回復しようと思わないと治らないんだよ。
人生観に関して行き詰まっている人間は、行き詰まりが打破できないがために「自分は回復の見込みが無い」と思い込んでいる可能性もあると思います。ですから、「生きているとはどういうことか?/人生とはどういう事態か?」ということを考えることを通じて少しでも人生観を更新すれば「回復しようと思」い至ることができるでしょう。そして「こういうことが自分の善き生である」ということが明瞭に意識のなかに立ち現れれば、具体的な行動にもつながると思います。
そういう試みを鬱病者本人が一人でやるのは正直しんどいかもしれないので、信頼できる伴走者的な人と一緒にすすめた方がいいと思います。とりわけ、「こういうことが自分の善き生である」と意識するためには他者の存在が欠かせないでしょう。回復した後も社会のなかで生きていくのだから、「自分の善き生」というものは他人との具体的な関係のなかで築いて(気づいて)いかないといけないと思います。
人生への幻滅や人生観の行き詰まりが原因で鬱病になっているのだとすれば、その鬱病者の人生観の方をこそ誰かが理解し解きほぐしてあげるべきだと私は思います。あなた一人の手に余るならば第三者にも頼るべきでしょう。
人生観の更新で「健康」を創ることはできると私は思うし、できる以上はするべきだと思います。「健康」に生きることが善であるとお認めになるのであれば。
〈参考〉
入院施設のある本格的な精神科へ行き、抗精神病薬を処方してもらえ。個人的な経験からいって、心療内科の類はオススメしない(*1)。また、軽いうちの方が回復も容易だし、通院で済む。手が付けられなくなってから入院したのでは、長くかかるぞ。
たとえるなら、風邪と同じだ。風邪もこじらせば肺炎になり、死に至る。精神病も様々だが、軽いうちに治療するのが効果的という原則は変わらない。通院が決意できないのなら、とにかくきちんとした食生活と睡眠のリズムを心がけること。睡眠は早寝早起き、時間は最低6時間以上とること。夜10時に寝ることを心がけるだけで、だいぶ楽になるはずだ(ただし眠れないのなら、やはり通院することになる)。
追記 : 私は統合失調症かと思ったが、鬱病かもしれない。鬱病なら抗精神病薬ではなく、抗鬱剤が必要になる。私は素人なので、治療にあたっては医師の判断を優先すること。
消したようなのでバックアップしておく。
http://anond.hatelabo.jp/20081216205541
僕の周りにいる人間はみんな馬鹿でして、ああこいつなんて頭が悪いんだと思ったことは数知れず、いや、数はどうでもよいのですが、僕が人を見下すことにかけてずば抜けた才能を持ち合わせているのかについて多少書いておこうかと。
小学校に入学したときから卒業するまで、ずっと「今学期先生にクラスみんなの前で名指しで何回褒められたか」を数えることを欠かしませんでした。授業中積極的に手を上げた、1回、進んでクラス委員を引き受けた、1回、今学期は12回だったので前より減ってしまったな、とこのような調子でした。クラスみんなの前でというのが大切な条件であり、例えば班を組んでいる中で褒められたものは数に含めません。どのように振舞えば先生に褒められるか考え、意図した行動で褒められればよしやったという気分になりました。3年生と4年生のときには、帰りの会でその日のクラスメイトの善行を褒め非のある行いを諌める制度がありまして、そこでもできるだけ僕の名前が出るよう、音楽の時間には楽譜の読めないクラスメイトのために楽譜にカタカナのド・レ・ミを振ってやったり、給食係の後片付けを手伝ったり、分度器を2セット持ってきて忘れたクラスメイトに貸し与えたりと、さまざまな恩を振りまいていました。恩のパターンを増やしてできるだけクラスメイトが僕を褒めやすくするよう気をつけ、また適度に僕もクラスメイトのよかったところを褒め、褒められてばかりの状況にしないよう気をつけました。おかげで先生の僕に対する心証はすこぶるよろしく、三者面談ではクラスの中心になってよく頑張っていると必ず褒められ、毎学期の通信簿も上々の出来でした。いや、さすがに小学生の僕でも意図してここまで厭らしく点数稼ぎを行っていたわけではなく、どのような振る舞いをすればよく見られるのかということを意識しないまでも身体に染み付け、そう振舞うように僕は自律していたのでありました。
僕が勉強しなくてもよい成績を取れることに気がついたのは中学生の時分でありまして、テスト前に1週間くらい勉強すれば普段はなにもしなくても簡単に高順位が取れる、勉強時間では周りの生徒より少なかったかもしれません。そのころは親や先生や友人にちやほやされて気をよくしていたものですが、高校に入ってからは同じやり方で学年トップが取れるようになりまして、周りの皆様は僕のことをさらに頭がよいとみなすようになったものですから、すっかり天狗になってしまい、それと同時に頭がよいことは僕のアイデンティティであり触れえざる自尊心のよりどころとなりました。これで周りの人間と普通に接することができれば僕は普通の秀才君になれたのですが、元より卑しい性根の持ち主ですから、必死に勉強して自分より成績の劣る生徒を見下すことに快楽を覚えるようになって、それでもその卑しい性根を表面に出さなければまったく問題のないことなのですけれど、そんなことできるわけもなく、勉強の話になるとどうしても自分を売りたくなってしまいます。河合塾の模試で全国20位くらいになったときが絶頂期でした。教壇の前で先生から模試結果と図書券をもらった日には、一日中にこにこと気色の悪い笑みを浮かべ、友人が僕に模試の話題を振ることをまだかまだかと期待していたのでした。そんなことをしながら僕は自尊心をさらに肥大化させるのですが、臆病な自尊心と尊大な羞恥心といったところでしょうか、恥をかかされることを極度に恐れ、周りもそれは察していたようで何か壊れやすいガラス細工の置物のように僕を扱うようになりました。
それなりによい成績を維持し続けることができたので、大学も難関と呼ばれるところに合格し晴れて入学、さあ知の世界とやらにはどんな人間が集まるのかと期待していたものの、1年くらいたつと、あれっ、どうも違う、こいつらは自分と同じくらいの学力のはずなのにどうにも頭が悪いらしいと感じるようになりまして、そうなるとさあ持ち前の腐った性根の出番だ、友人との会話にちょっと難しい言い回しを使ってみたり、アーレントだとかフーコーだとか少しかじっただけの知識をべらべら披露してみたり、そうすると友人は僕のことを頭がいいと尊敬するようになるので、僕の悪癖は余計に拍車がかかるのでした。小難しい言い方をするやつは頭がいいと見せかけたいだけで本当は馬鹿だなんてよく言われますが、これは案外あたっているような気がします。
大学生はみなTOEICを受けるというので僕も受けてみところ、1回目は何も対策を採らずに740点くらい、世間では皆様が730点を突破するのに必死こいているのに僕は易々と通過してしまい、2回目は3日勉強して830点くらい、何だ簡単ではないか、TOEICが難しいといっている連中は馬鹿ではないのかなどと今でも思っているのですが、とにかく程ほどの得点が取れたのでTOEICには飽きてしまいました。TOEIC830点なんて何のことはない、実はTOEICで流れてくる英語が聞き取れるだけで、普通の英語は英会話教室の教師のようにゆっくり話してもらわないと聞き取れませんし、会話などできるわけもなく、外国人の教官に質問するときはあらかじめ質問文と対応を考えておいてそれをそのまま述べるという情けない有様でした。それでいてリスニングやスピーキングの特訓をして英語力をつけようともしないのです。なぜならばれて恥をかく心配がほとんどないから。己が羞恥心それだけが汚されないために勉強してきた人間なのです。そのような恐れがなければ当然努力するはずもありません。
僕の怠惰な性格はとうとう大学へ通うことすら妨げるようになりました。と、ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。「大学へ行かないで引きこもるのは恥ではないのか?」そこは舌先三寸、まず「自殺したい」と言って心療内科にかかって抗鬱剤などを処方してもらい、家族や教官に「鬱になった。医者に薬を出してもらった」などと言えば、大概は「無理をしてはいけない、しばらく休むといい」と心配してもらえます。最近はこのように鬱でもないのに医者にかかって「自分は鬱だ」と言い訳をする人が増えているらしいのですが、自分の両親は落ち込んだ表情と声色を使って「鬱で死にたくなった」と言っておけば簡単に信じ込むことは心得ておりましたので、当初の見込みどおりに鬱を装い実家へ帰省、こうして日本にまた一人のニートが誕生したのでありました。いや、人を騙すのは簡単だ、両親が二人とも馬鹿でよかったと、そんなことをたまに考えることがあります。
未だに僕の邪悪な性根、穢れた精神は誰にも知られておらず、嫌味なやつと思われることはあってもここまで腐りきっていることは誰も想像できないでしょう。裏表のある人なんてのはかわいいもので、外見は変哲もない人間、中を見たら中はダニ、ゴキブリ、ハエ、蟲、蟲、蟲、糞便、尿、吐瀉物、血液、汚泥、悪臭、ありとあらゆる汚物が満ち満ちており、誰も想像しえぬほどの穢れた、醜く、忌まわしき、獣の、ああ、言葉では言い尽くせないほどの本性を僕が隠し持っていると考えるだけでも、気持ち悪い、殺したい、殺したい、殺したい、なんとかしないと。
鏡で自分の顔をずっと見つめていると段々おかしな気分になってきて、鏡に写っているのは本当に自分の顔なのか、実はそうでもないような気がしてきて、そんなはずはないのだけれど、物理法則は絶対のはずなのだけれど、頭の中が掻き回される感触、ぐるぐる、ああ気持ち悪い、見ていると吐き気がする。
少し落ち着きました。ついでにネット上での活動も懺悔ついでに書いておきましょう。一丁前にウェブサイトやブログも運営しておりまして、そこでもまた例のごとく、どこかで聞きかじった知識をつぎはぎしてさも自分で考え出した理論であるかのように雄弁を、そうネット上では雄弁をもって披露していました。それらしいことが書いてあるので馬鹿がどんどんブクマしてくる、まともな人が見れば「これはひどい」タグをつけるところでしょうが、若干のアカデミズムをちらつかせておけば文盲を引き付けることは十分容易いのです。「こいつら本格的に馬鹿だなあ、これでネットリテラシーとか言ってたりするのかなあ(笑)」などと思いながら、一方では人がたくさんいる掲示板を首尾よく荒らす方策などを練っていたり、はてなにいくつかアカウントをつくって気に入らない記事にネガコメ攻勢をかけるなど、裏ではネットの荒れ模様を作り出すことに労力を費やしていました。2ちゃんねるで6年くらい続いていたスレッドを糞スレ化することに成功したときは快感でした。FAQに載っているような質問をパターンを変えてしつこく繰り返す、自分で投稿した質問に対して「テンプレ読め、ぼけ」などの煽りを入れるとたいてい誰かが加わってくれます。自作自演と見破られないように手を変えながら同じことを、徐々に間隔を詰めて繰り返し、返答の煽り具合も過激にしてゆけば、次第に通常の質問でも荒れ出しついに人がいなくなってしまうという手法でした。かなりたくさんの人数を操作できたので非常に満足しました。よもやあの○○さんがこんなことをしているとは思わないだろう、あはははは。
ネットは僕の本性を活かすには恰好の舞台でありました。リアルな僕の存在を知られる可能性は警察沙汰にならなければ限りなく0に近いので、僕は本性に従った行動をほぼ無制約に起こすことができ、それは大変素晴らしい所でした。甘美。エクスタシー。こんな馬鹿げた駄文も匿名でなければ流すことはできないわけでありまして。
人間はみな、かくも恐ろしき二面性を持ち合わせているのでしょうか。僕はいつからか自分の本性に薄々感づいていましたが、自分の内面を覗いてみたついさっきはっきりそれを自覚したため、言葉にして綴ってみたら気持ちの悪い感覚が離れず、自分の身体の中はどうなっているのだろうか、本当に筋肉があって臓器があって人間の身体なのだろうか、皮膚を切ってみたら肉は少し見えたけれどバラバラにしないと本当のことはわかりそうにないので、しかし自分でバラバラにして自分の目で中を見るような器用な技は持っておらず、諦めるしかないのかなあ。考えれば考えるほど、螺旋の階段を下りるように、闇の底へ、もう戻れない、何もないのか、いつまで続くんだこれは。
まあタイトルの通りなんだけど。週5日とか無理。今週も昨日までは頑張ってたけど、今日は力尽きて半休使用。
会社に不満はあるけどそれは経営陣がアホとか給料がクソ安いとかまあ常識的な範囲で、俺が会社員に向いていないのが一番の原因だと思う。
何度も辞めようと思って一度辞表まで書いたけど、無収入になるのが嫌で辞められなかった。でも辞めないとダメよね。
毎日人生の貴重な時間を通勤やオフィスでくだらない製品の開発に費やすのがとても間違っているように思えて大変つらい。
問題なのは辞めてもその後やりたいことが特にないってことだ。今は何か自分一人でできるビジネスはないか、毎日考えながら抗鬱剤を飲んで会社に通っている。こういう日々がいつまで続くのか俺にもわからない。30代も半ばに差し掛かった所で人生結構悩みどころ。
10年以上の付き合いのある(まあもう腐れ縁)、友達が一昨年、自殺した。
どうしても悔やんで仕方がないのが、最後の電話で何一つ優しい言葉を
かけられなかったばかりか、ずいぶん邪険にしてしまったこと。
これは悔やんでも悔やみきれない。
元増田が書いてるように、自殺が衝動だというのは、たぶん本当なんだろうと思う。
その友達のケースもあまりに突然でビックリした。
鬱やら何やら病気を抱えているのは知っていたけど、そこまで追いつめられて
いることは知らなかった。あの時、言ってくれればとは思うが後の祭りだ。