はてなキーワード: パブとは
その差も大きいが、やっぱり他の男の唾液を舐めるのが細かいこととは思えない。
おっパブに客が入るのは唾液を洗っていないことを知らないとか、深く考えていないだけで、
事実を知ったら大半が行かなくなると思う。
おっぱいパブは男女間の粘膜接触は無いけど、乳首に前の客の唾液が付着しているはず。
俺は
に反応しただけなんだけど。性病云々なんて、そんな「理由」は書いてないじゃん、これ。
「風俗」って書いてあるだけで。
オカンがやめた時親父は現役だったから、そんな事したら転勤するエリア内全部に知れ渡って、いく先々で腫れ物扱いだよ。
おかんも親父も、生計と俺の身の安全を考えてすんごい我慢したんだと思うよ。
上は役立たずで自浄作用もないし、出た大学の派閥が強くて、そこの先輩(校長OB)に気に入られてるとコネ昇進も普通だ。
どうか同期で一番に管理職昇進したいのでよろしくお願いしますってなもんさ。
で、研修会で海外行ってパブのおネェちゃんとホテルに消えるハゲ親父ども。
それでもお子様には笑顔で社会道徳と夢や希望、不遇に負けない心を説いてるんだ。
今時のお子様が表面だけ取り繕うような中身の無い子供になるのも納得じゃね。
http://anond.hatelabo.jp/20111109225007のつづき
確かにナンパで見ず知らずの女性に声かけができるようになると(連絡先交換したり、連れ出したり、セックスしたりしてない時点で)何かふっきれたように自信がつく。実際、自己啓発目的でナンパを始める者も多い。
相手が同性であっても、たまたま隣席だっただけの見ず知らずの人物に話しかけるのは抵抗がある人は多いだろう。
ナンパで声かけさえ経験すれば、上記も非常に簡単にできるようになる。声かけは交友関係を広めたり、人脈を作ったりするのに必要なスキルだ。
どうしてもナンパできずに地蔵になってしまう人は、逆もまた真なりで、ナンパ以外で他人に声をかけることから初めてもいいのではないか?
コンビニの店員に「ありがとう、朝夕寒くなってきたね」「○○さんって変わった名前だね」
犬の散歩してる人に「おはようございます。可愛いワンちゃんですね。」
電車の中で立っている老人を見かけたら「どうぞ座ってください。どちらまで行かれるんですか」
などなど、ハードルの低いところから経験値を重ねていけばいいのではないか。
これらをこなしていけば、さらに恋愛対象の異性を探すときも、イベントに参加している人や習い事教室でいっしょの人なら、緊張せずに話しかけられるようになっているはず。
あなたが学生なら周囲の女子に声をかけてみるのもいい。タダでこれだけ女性と接点が持てる時期は今しかないと心得るんだ。
私は大学時代のクラブの関係で女子大生と知り合える機会はあるが、さもなければ女子大生パブで金を払って相手してもらわないといけない。
EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。
A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)
https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms
pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空の名前。ペンネーム
個人が生来の名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済的報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。
オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからのオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。
仮名での発言は歴史的にも重要な役割を果たしてきた。ジョージ・エリオットやマーク・トウェインの文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアスの政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。
Google+の身元確認ポリシーから、オンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+はユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報を提供せよ」という要求と似ている。Googleのポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームがアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。
ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名はユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキングや嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。
これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。
例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイードが警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月に管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookのスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。
個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティのティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者やパートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治的見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。
マッキンタイア対オハイオ選挙委員会の裁判でジョン・ポール・スティーブンス最高裁判事が提案したとおり、
「匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的、不寛容な社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利は詐欺的行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会は言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」
「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう。
ギークフェミニズムのブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々をWikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。
Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名はJing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来の名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された。10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebookは実名ポリシーの厳格な強制を主張した。
Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。
「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。
GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシーを作成する権利がある。しかしこれらの企業が多様性や表現の自由を犠牲にしておきながら、「実名」ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。
起きてみたら意外と伸びていたので(自分では予防線を張り巡らせていたつもりだった)、多少補足をしておきたいと思います。
身元がバレると嫌なので書かなかったのですが、自分の行った歓楽街は全国的にも風俗店の相場が安くて有名だそうです。
思い立ったが吉日、の勢いで退社してそのまま突撃したので、参考にしたのはコンビニ売りの風俗情報紙だけです。
これによると、この街での相場は、「高級店は2万6千円~、上級店は1万8千円~、(以下略)」とのことです。
自分の行った店の場合は、システムがちょっと複雑なので(「入浴料+指名料+α」という形らしい)、具体的な金額はわかりませんが、どうやら通常だと2万数千円はするところを、時間限定のクーポンで1万6千円、という扱いだったようです。
実際、サービスの感触としては、入店から退店までの待遇を総括するに、少なくとも並以上ではあったのかな、とは思います。出迎えやら内装やら服を脱がせてくれる行程やらを踏まえるには。もっともこれも、それぞれの歓楽街によって基準がまちまちのようではあるので断言はできませんけども。嬢についても、容姿は好みでこそありませんでしたがそこそこの美貌ではありましたし、テクニックも拙さを感じさせるものではありませんでした(これこそ初心者に何が分かる、という話ではあるのかもしれませんが)。一応、本番までやらせてくれたのですが、これは先に童貞だと伝えていたためにサービスで練習させてくれたのかもしれません。
それから、必死になってるみたいなので何なのですが、この情報紙には「XX(地名)ソープの中でもハイレベルと名高い同店のサービス」とも書かれています。もちろんこれがどこまで信用できるものか、風俗初心者の自分には判断がつきませんけども、どうせならそれなりの店に行ったのだと認識しておきたい、とこれは矛盾しているようではありますが、自分の素直な思いではあります。
忘れていました。エイズ含め、性病のリスクには注意していきたいと思います。
コンドームつけてたし大丈夫だろう、と思いたいところですが性器ヘルペスのように口から感染する病気もあったんですよね。
ご指摘ごもっともだと思います。この文章は童貞をこじらせた自分が、自分を守るために書いている節がありますから。
最近は本番ありのソープよりも、手軽に利用できるヘルスやマッサージやおっぱいパブと(まだまだ色々あるらしい)、簡易的な方向に業態がどんどん分化していっていると聞いていて、実際風俗情報紙にもソープ以外の店の方が多く紙面を割かれていた。利用してみて納得したのは、実際ここまで手順踏んで一通りのサービスを受けるのは面倒なので、ピンポイントに自分の「ツボ」を突いてくれるサービスの店に行って抜く方が、日常生活の一環としての風俗利用としてはラクなのだろう、ということである。正直、アナルだけ責めててくれれば(以下略)。そしてこのことは、個々の利用者が自分の「ツボ」をある程度認識していることを前提として当然要求するのであるから、AVをはじめとするバリエーション豊かなポルノメディア市場の発展、および以前はレンタルビデオ屋、近年ではインターネットを通したその低コストな普及あってこその現状ではあるのだろう。嬢も「ビデオとかばっかり見すぎて間違った知識を身につけちゃった人が結構来る」と言っていた(これも噂に聞いていた通りだが)。
それから、視力の悪い人はあらかじめコンタクトレンズを装着していくべきだと思った。眼鏡を外したら至近に寄らねば女体も何も碌に見えず、ちょっと損した気分である。
2010だけトップにない。あと知らんの多すぎ。
って言うか、僕の中では美人な日本人女と美人な白人女だったら少なくとも話しかけると言うハードルにおいて後者の方が圧倒的に楽です。
アメ女やユーロ女は会話するだけならとりあえずフレンドリーで僕とセックルする気が全くなくても楽しく話してくれることが非常に多いからです。
ところが、美人な(不美人も!)日本人女は時として「私みたいな高めの女にあんたみたいな下衆野郎が気安く話しかけるな」と言わんばかりの完全な無視とかを公衆の面前で平気やってくれるので凹みます。
Failure is just a part of the game.
ところで、女性を口説くために必要な英語力と言うのは相当に高度です。
僕的には恋愛映画のDVDを片っ端から借りてきて英語字幕にして見まくると言うのが最も良い勉強法だと思います。
そこで出てきた使えそうなフレーズとかをノートに取ったりして覚えていくのです。
この方法を続ければものすごい英語力がつくことを保障しますが、如何せん莫大な時間がかかるのが難点です。
暇な学生は挑戦してみてください。
忙しい社会人や映画が好きじゃない人はもっと手っ取り早く勉強するのも良いでしょう。
僕としては西森マリー氏の「愛の殺し文句」は秀逸です。
映画や文学作品の中の珠玉の名台詞がおしゃれな解説とともに集められています。
しかし、「愛の殺し文句」は読み物としては秀逸ですが、如何せん映画の中のかっこいい場面でのかっこいい俳優や女優が言う台詞ですから実用性が乏しいと言う欠点があります。
こっちの本は実践的で僕は結構好きです。
CDもついているので通勤時間等を利用してどんどん覚えていきましょう。
一般に日本人男にとって、米国や欧州の先進国の白人女はもっとも難易度の高い部類に属します。
(ちなみに同じ先進国白人女でも通常ブロンドは別格扱いです。同じ顔ならブロンドの方が2ランクは上と理解してください。)
僕たちのようなグローバル恋愛市場のプレイヤーの間でも欧州先進国の水準以上の女をゲットした時にはかなり高い評価を受けるのが普通です。
この辺の人種的、文化的な話題に関してはまた、今度じっくり議論するとしましょう。
最初は、映画や僕が紹介した本でじっくりと愛の英会話を勉強して、フィリピン・パブあたりの新興市場(Emerging Market)から投資を始めるのが良いかと思います。
しかし、あるレベルまでがんばって駆け上がれば後は自然と楽しみながら英語力が高まって行くものです。
それでは、みなさん、
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/50078539.html
http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLをクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。
思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。
僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。
僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。
さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけである。しかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員の家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。
定期演奏会とはまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。
その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのである。ソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。
では、実際私はどうだったか。
クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。
だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。
というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。
で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである。
これは先日の話だが、その彼女の葬式を執り行なった。喪主は彼女の兄である。彼女は白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。
彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタルな年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味で常識に欠けた配慮だった。
彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学四回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい。彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。
しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社の倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後の賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャな約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。
そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやかな幸せを叶えてくれた。
バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。
楽なほうっつーか、増田説では「金使わないと女とは付き合えない」んじゃなかったのか
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それとも元増田まで戻って
中世の頃の欧米では、スポーツ観戦なる娯楽は、まだ発明されてなかった。
だから音楽は娯楽として大きな位置をしめていた。
ここの音楽は崇拝されるものではなく、聞き手を遊ばせるためのものだ。
また欧米の音楽家には、ルックスや精神的に障害を追っている者も多い。
聞き手は、こいつには音楽しかできないかも、という哀れみの感情から音楽家を支援したりすることもある。
一方、いわゆるパトロン、つまり社交界の人間のステイタスは、屋敷で、盛大な舞踏会を開くことだった。
ここでは、豪華なものが受ける。いわばパトロンに対する偶像崇拝。
荘厳で圧倒的な音で人々を勇気付け、神をたたえればいいんだ。
ここで、欧米ではウンチな音楽に対しての批評やブーイングは激しいので、音楽もその分早く進化する。
だからそれぞれの分野でパワーのある音楽が生まれる。
それに対し、日本人は娯楽に対して批判的ではなくブーイングも少ないので、音楽の進化ははるかに遅い。
芸者・芸人。ショーパブ・ジャニーズ文化はあるわけだが、所詮ピンナップガールやピンナップボーイのオマケの音楽は、批判の対象にすらならず、
その音楽家が哀れみの対象にもなることも、ほとんどない。
ピンサロもそうだけど、セクパブも不潔すぎる。前の男の汚い唾液やばい菌が唇や乳首についたまま、まわってくる女をさわるのは無理。
前入った時、おもむろにキスしてきたり、パンツの中に前の男のちんぽをさわってカウパーだのばい菌だのがいっぱいついた汚い手を突っ込まれそうになって必死にガードして防いだけど、最悪だった。オレにとっては公園の便所のばっちい洋式に直に座るのより抵抗があるわ。
まずはセクキャバとは何かについて説明しよう(wikipedia「セクシーパブ」より引用)
セクシーパブとは、女性接客係が男性客の座るソファーの横で接待し、体に触らせるサービス(以下、セクシーサービスという。)を提供している飲食店。
客が女性接客係の体を触るなどの行為が許されている点でキャバクラとは異なる。中には女性の服を脱がせるといったサービスを行う店もあるが、一般にはソファーに座っている客の上へ女性が対面で乗り、キスや体を触らせる行為を行う。
要は、おっぱい触れてキスが出来るキャバクラと考えてもらえばいいです。
っと思ってるあなた!それは大間違いですよ!!!こればかりは一度行ってみてもらわなければわからないですが、セクキャバに行くだけでわりと満足できます。まぁ、ヌキたくなることもあるにはありますが、別にお金払ってまでピンサロやら風俗に行きたいほどではないですね。セクキャバの女の子で妄想オナニーで十分です。それで満たされます。(これが私個人に特化したことであるなら申し訳ありませんm(_ _)m)
射精のためだけのサービスも確かに大切だと思います。筆下ろしには最適だと思いますし、そういったサービス業を営む方々にも美人さんや、トークが上手い方も一杯いらっしゃいます。
けれど、自分にとっての費用対効果・コストパフォーマンスとしてはセクキャバが一番良いと感じるのです。
私は恋愛に必要な要素のほとんどをセクキャバが含んでいるからだと考えます。ちょっとイメージのためですが、私が良く行くセクキャバは、1対1のサービスで仕切りで仕切られたソファの中で女の子とおしゃべりしたりします。そんで音楽はうるさくない。但し、ハッスルタイムも無い。
ここで私がすることは、自己紹介をお互いして、お酒を飲みながら色々な話をします。そんで、キスしたり、ペッティングしたりします。要は、ココまでのセットが恋愛の一番楽しいプロセスだと思うんですよね。セックスに至るまでの過程、これこそが恋愛の醍醐味なのです。
誤解を恐れずに言ってしまえば、男性にとってはセックスをしてしまうことが興奮するプロセスなわけで、一度セックスをしてしまった相手っていうのは、相性が良くない限りは段々と飽きてくるものだと思います。そういう、一番楽しい段階をフルで経験することができる場所がセクキャバなのです。私は、ソープやらピンサロなどいったことはありますが、全然セクキャバの方が楽しいです。
それは、私がセックス苦手だからじゃない?という意見もありそうですが、私ももちろんセックスはしたいです。まだ二人だけですが、仲良くなったセクキャバの子と外であってセックスはしたことはあります。ただ、付き合うことはしませんでしたし、関係を持ったのも両方一度きりです。遊びとして割り切るには、スッパリと関係をきらなければいけないと思います。
とにかくセクキャバはおもしろい!ぜひぜひ行ってみてね!