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はてなキーワード: 固定電話とは

2023-10-31

anond:20231031183927

携帯電話が出てくるまでは固定電話が「電話」だったし、クローズドボディが出てくるまではオープンカーが「車」だったから、VR動画が出てくるまでは2D動画が「動画」だったのと似てるなと思って。

FANZA動画2D動画っていうジャンルがあるの、VR動画区別するためなんだろうけど、「固定電話」とか「オープンカー」みたいでウケる

2023-10-21

anond:20231021102716

まずは固定電話を引くためにあのクソ高い電話加入権を買えってこと?

2023-10-18

anond:20231017182921

固定電話があるとそんなにそういうのかかってくるんだろうか。知らない世界

2023-10-17

追記あり)婆さんvs電話調査

こないだ祖母宅に遊びに行った時、電話が鳴った。

  

よっこらしょ、と婆ちゃん電話をとる。

  

なんか5分ほど電話のプッシュを押してて、聞いたら電話調査とのこと。

  

よく掛かってくるそうだ。

  

せっかくの機会なのでよく聞いてみると、「面倒なので、1しかさない」とのこと。

  

????となった

  

ばあちゃん曰く「私が答えないと、他の高齢者に掛かってしまうから」とのこと

  

よくわからんけど、正義感から「1」を押し続けるそうだ。

「1」に割り当てられてるのが「支持しない」だったらどうなんだろうな

  

こんな老人ばっか狙った電話調査はもうやめた方がいいんじゃないかと思った先週の話

  

追記

たくさんのブクマついててびっくりした

  

ちなみに、婆ちゃんの家は千代田区です

  

同じ千代田区住み専業主婦の友人宅も固定電話があって「電話調査がたくさん掛かってくるので、即切る」と言ってたので、あんたがガチャ切りするからうちの婆ちゃんがそれを拾ってんだろと思ったりもしたが、友情を優先して言わないつもり。

2023-10-16

anond:20231016171436

ネット回線固定電話とセットで売り出しているのが大きいんじゃねえの

固定電話保有率がまだ7割弱なのが信じられない

to C サービス事業者に勤めてるんだが、固定電話を持ってるお宅ってかなり少ない。肌感3割くらいしかいないんじゃないかって感じ。

特に世代選ばない商材なので「若い人が住んでいるところばっかりあたってるから少なく感じる」ってわけでもないと思う。

でも日本固定電話普及率は緩やかに減少しているもののまだ7割弱いるんだって。マジか~って感じ。

家電がこれじゃテレビもまだまだ減らなそうだね。

2023-10-12

俺は携帯電話が嫌いだ

俺は携帯電話が嫌いだ。


俺が子供の頃は、電話といえば家庭の固定電話か、街中の公衆電話しかなかった。当時も車載の移動式電話はあったそうだが、子供の俺には関係がなかった。

世の中で携帯電話が広く使われ出したのは、俺が高校生ぐらいの頃だったと思う。しかしその頃から俺は携帯電話が嫌いだった。

電話ボックスの中でもない屋外で通話する姿はどこか滑稽に見えたし、交友関係の狭い俺は頻繁に人と連絡を取る必要性もなく、むしろ一人で過ごす時間邪魔をされるのが嫌だった。

そのため俺は大学生になっても大学院生になっても携帯電話を持つことがなかった。


やがて就職活動の時期になり、さすがに働く上では必要だろうと思い、ついに携帯電話契約をした。

しかし初めて触る携帯電話は俺にとってとても使いづらいものだった。


まず電話の取り方も切り方もロクに分からない。最初のうちは電話を取れずに切ってしまうこともよくあった。

そして子供の頃からPCキーボードに慣れ親しんだ俺に携帯電話文字入力は辛すぎた。

同じ文章を打ち込むにも、キーボードより携帯電話の方が30倍は時間がかかって話にならない。


何より、携帯電話操作法が全然頭に入って来ない。

小学生の頃からPCMS-DOSコマンドを使いこなしてきた俺だったが、携帯電話操作となるとまったく頭が働かない。

PCでできたことは全然できず、操作法もよく分からず、より一層携帯電話が嫌いになってしまった。


やがて、スマホ時代になった。

俺にとって一番画期的だったのはQWERTY入力ができるようになったことで、文字入力の負荷はかなり軽減されたが、それでも嫌いなことには変わりがなかった。

スマホに乗り換えてから10年、多少は使いこなせるようにもなったが、

今でも俺はゲームもやらず、動画も見ず、本当に通話メールチェックぐらいにしかスマホを使っていない。

それらもほとんど来ないので、スマホをチェックするのも1週間に1度で十分だったりする。

仕事趣味PCですべて事足りるので、スマホを持っている意味ほとんど何もない。


しか最近の世の中は、牛丼を注文するにもスマホを使うという意味わからん世界になってきていて、DOSコマンド思考する人間はいよいよ生きづらくなってきている。

俺はまだ40代だが、40代でこれなら70代になったらどうなってしまうんだという気はしている。

俺が70代になる頃までには、固定電話携帯電話に置き換わるぐらいの技術革新があと1~2回はあるだろう。その頃にはもう携帯電話すら別の何かに置き換わっているのかもしれない。


しかしそれでも、俺の携帯電話嫌いは生涯変わらないだろうと思う。

俺は携帯電話を使わない生き方を生涯貫くのだ。そして語り継いでいこう。電話といえば、固定電話公衆電話だという時代があったのだと。自分はその時代最後語り部なのだと。

それが俺の生き様である

2023-09-09

anond:20230909131317

そうなんですけど、両親から自分のやったことが今バレて大変なんです

地元に帰ってこいと電話で怒鳴られてるので今は固定電話も使えません

2023-08-21

学生時代言葉をうまく話せなくなった

俺は一人で家にいるのが大好きで、何か月も誰とも会話しなくてもまったく平気なタイプである

もう20年前のことだが、大学に入り、一人暮らしを始め、大学大学院の6年に渡って人とほとんど会話をしない生活を続け、

気が付けば言葉をうまく話せなくなっていた。


とはいえ完全な引きこもりだったわけではなく、大学講義ゼミには普通に行っていたし、ゼミで発表なんかもしていた。

またコンビニスーパー店員とも会話をしていたので、致命的なほどではなかったようだ。

しかしそれ以外では、サークルにも入らずバイトもやらず、恋人どころか友達も作らず、

夏休みに至ってはコンビニスーパー店員以外とは誰とも会わない生活をしていた。

人と話すのが嫌すぎて携帯は持ってもいなかった。(一応、固定電話はあった)

俺は別に対人恐怖症とかではなく、自ら望んでそういう生活をしていたのである

しかしその生活は、俺の脳の言語野を確実に縮小させていた。


まず、言葉を発するのに喉や舌をどう動かせばいいのかが分からなくなった。

特に最初の一音目が出ない。

一旦話し出すとある程度なめらかに話せるが、最初の一音目がとにかく突っかかって出ないのだ。

それでよく、「あ、あ、あの、」みたいな言い方をすることになる。

これって吃音のものじゃん!


それから言葉に続く次の言葉連想するのが難しくなった。

大学以前はそんなことはなかったのだが、

会話の中で瞬発的に次の話題を出すことができなくなったのである

また語彙も少なくなり、特定パターン言葉ばかりを繰り返すようになった。

会話ではなくこうして文字に書くのは得意で、キーボードを前にすれば次に書く言葉がどんどん浮かんでくるのだが、

会話でだけ、それができなくなったのだ。


まるで、運動をしないと筋肉が衰えるように、

使われない脳の機能がどんどん縮小していく感じだった。


そんな生活を終えて社会人になって20年になるが、

その頃の後遺症は今でも残っていて、俺を苦しめている。

当時よりマシにはなったものの、いまでも最初の一音目は出ないことがあるし、

会話の中での言葉連想は苦手だ。

いつか定年退職をしたら死ぬまで家に一人でいたいと思うが、先はまだまだ長い。

言葉をうまく話せないというのは、ほとんどの仕事において大きなハンデとなる。

いくら一人が好きといっても、そんな生活ばかりしていたら取り返しのつかないことになると思ったのである

2023-08-19

anond:20230819094842

元々貧乏生活してささやか貯金をするのが趣味だった。

私と一緒やな

配偶者が「なおるあてのない長く療養が必要な重い病気

⇒詳細が分からなさすぎるので何も言えないが障害年金は? 指定難病であれば特定医療費制度が使えるわ

使える制度をフルに使っても100万円しかない貯金が毎月10万円ずつ減ってるの見てる

使ってる制度の詳細を書いてほしいわ

あと貯金趣味だったのに100万しかないってどゆこと? お若い方なのかしら

配偶者が重い病気で怖いとか悲しいより、このお金が無くなるという方が正直ストレスに感じてる。

そりゃそうよ

薄情なやつだな、と思うけど、そんなことを悟られないようにして最期まで面倒みるから、許して欲しい。

最期まで面倒みる必要ある? 「面倒みたい」なら分かるし、それなら面倒見ればいいけど、許しをこうてるってことは本当は見捨てたいのかなと

誰に許してほしいの? 誰も責めてないと思うが

実家新築の家を昔ローンで買ってたけど、今年55歳の父親が1500万の残債がどうにもならなくて売りに出すって。でも、私あの家にそんな価値ないって知ってる。猫が柱をがちゃがちゃにして、あらゆるところの掃除マメにしていたわけでないから汚れが酷くて立地が酷い。だからきっとそんな値段では売れない。

実家財政事情は今の元増田関係なくね?

脛かじりたいけど齧れないぜ!ってことが言いたいのかな?

父親母親熟年離婚した。母親貧乏生活してる。

離婚別に珍しくもない(統計データ確認

我が両親は私が3歳の時に離婚しとる(決断が早い!)

母親の脛齧りたいけど無理だってアピール

父親母親高卒で、両親はわたしを含めて4人子供を作って、そんでみーんな高卒

我が両親も高卒じゃ(父は高卒、母は短大中退

2人子どもを作って、1人は高卒でもう1人は中卒になった

私たち家系はこうやって一生金に困る生活するんだなって思った。一生お金が無いってきっと言い続けるんだなーって。

うちの場合高卒父はめちゃくちゃ金稼いでるし、高卒母は営業職→介護職に最近ジョブチェンジしたけど常に年収350〜400万円くらいは稼いどるけどなあ

母は一人暮らしだけどこの年収って貧乏に入る?

お金が無くなると思い出す。母親学校必要な何かのお金が足りなくて私たちに金切り声を上げながらお金が無い言ってたこと。

それはあるあるよねー

うちは母は金稼ぐ能力はあったけどパチンコに全力投球して養育費も全部つぎ込む系だったからいつも金欠だったわ

電気ガスと固定電話は止まるのが当たり前で給食費の滞納も当たり前、教師からみんなが見てる前で「お前、今月の給食費がまだだぞ!」とデカい声で言われたりしたけど、もはや昭和レトロで懐かしの思い出よね

(隙あらば自分語り

やっぱり子供作らなくてよかった。私の子供もきっと貧乏に困ったから。

私は自分人生でした決断の中で最良のものが「結婚しなかったこと」「子どもを作らなかったこと」だと思ってるから同じだわ

でも貧乏になるからじゃなくて(私は父に似てお金全然困ってない)、100000000000%の確率子ども虐待する親になると思ったからだわ

不幸な人間を増やさずに済んで良かった

子供を作ると幸せだとか社会貢献になるらしいけれど、私は今でも生まれたくなかったよ。

私も生まれたくなかったし、メンタルに余裕がない時は「この不幸の全ての元凶は生みの親である」みたいなモードに入ることあるある〜

社会にご迷惑をかけないよう自分の面倒見るようの子ども作る

価値観が昭和すぎるわよ!

自分の子供が苦しんで地獄を生きねばならん環境であれば産まないようにするの、どちらが大切かと言うと私は自分勝手なので後者なんだ。

ん? 矛盾してね? 一人の不幸な人間を産まなかったんだからめちゃくちゃ他者想いじゃん

つうか子どもがもし障害などを持って生まれてきたらっていうifは想定してないのかな?

子どもは作りたければエゴ100%で作ればいいし

誰にも理解されなくていい。

いいっていうか、誰かが誰かを理解するなんて不可能だしな

認知症の有病率は65歳で15%くらいで80歳後半になるとだいたい50%にあがる。

いや65歳で15%の有病率って高すぎるでしょ

直感的におかしいって気付きましょうや

厚労省データを見てきたけど65〜69歳の時点での有病率は1.5%、85〜89歳で44.3%、90歳以上で64.2%だから「85歳以上の高齢者」というくくりで平均を出すと一応54.3%にはなるな

うちの近所は割と治安が悪くて、ちゃん徘徊限界独居老人実態が見れる。ズボン履いてないばあちゃんスーパーに歩いてたり、ふくよかなばあちゃんスーパーに置いてあるはこの上に座ってたりする。

うちの近所には超有名な単科精神科病院があるけど、まあいろいろいるよ!(隙自語)

私、配偶者が死んで1人になったら、ああなっちゃうだなーって。

配偶者が生きててもなる可能性については考慮しないものとする、って感じすか?

60歳になったら死のと思ってる。

逆になんで60歳? その年齢区切り根拠 is 何?

年金もらう前に死んで社会貢献的な考えがあるんでしょうか

これは悲しい決断じゃなくて前向きな決断で、人らしく人生を全うするのに必要なことだと思うのよね。

うーん

そう思う根拠不明すぎて「お前がそう思うんならそうなんだろうな、お前の中ではな」としか

私、配偶者ご飯食べて、清潔な部屋で好きな飲み物ゆっくりのんで、勉強できたら、もうそれで、なんも要らないからさ。

それ今実現できてるんだよね? そのわりには恨み節が多くて「なんも要らない」どころか欲求不満爆発寸前に見えるから、その主張は嘘だと思うね

2023-08-16

anond:20230816203634

ネットが7000円なのに固定電話2000円ってどういう内訳なんですか?

2023-08-10

anond:20230810154401

かけてるときの呼び出し音で今ものこってるプルルルルみたいな音。

でも昔のケイタイ固定電話は呼び出されのほうもプルルルつかってることが多くてその名残で両方につかってしま古代人は多い。

いまだと呼び出されは大抵

ペッペロペンペロペン

ツテトテシャンとかみたいなやつじゃん

気を遣わない人たいていiPhoneデフォルトにしてたりするやつ

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-06-21

anond:20230620104704

同じ時期に就活した女だよ。

2000年代も確かに氷河期だけど、この増田が書いている氷河期第1世代はもう一つ忘れてはいけない不遇がある。

それは「団塊ジュニア」という、人数が多い世代だということだ。

世代の人数がとにかく多い。つまり競争相手が多すぎて大学受験が熾烈を極めたのだ。

私は県内公立の中でも有数の進学校に通っていたが、当時のクラス数は1学年14クラスもあった。この学校だけでなく、全体的にそうだった。そもそもこの学校に入るのも高倍率だったのだから、どれほど人数が多かったか

1972年まれピークに、前後数年はそれぞれ200万人の同学年がいた時代だ。今の子供の倍以上である

人数が多い世代からといって、大学キャパを急に増やしてくれるわけではない。

受験倍率は早慶レベルでも10倍超。

今みたいなAO入試などない。国公立は5教科が必須浪人当たり前。予備校大繁盛。

予備校ブギ」なんてドラマもやってたほど、浪人は珍しくなかった。

私も女子だったが現役では志望校に受から一浪して入学した。進学校ではそれが普通だったのだ。

親の意向で「女子が4大なんか行かなくていい」という家庭の女子短大に進んだが(当時はまだそんな価値観があった)大半の同級生は4大を目指し、厳しい競争をなんとか勝ち抜いて有名大学生切符を手に入れた。

そうやって勝ち抜いて勝ち抜いて手に入れた有名大学生肩書なのに、それが就活の段になって全くの紙屑になった。

増田が書いていたように電話帳くらいの厚みがある(あ、今の人に電話帳と言ってもわからいか資料請求ハガキ綴込みのリクルート本が家に届いて、ひたすら手書き資料請求。300社くらい出したっけ。それくらい普通だった。

そして女子というだけで資料すら送ってこない会社多数。

インターネットがまだ普及していない時代資料を送ってこない会社はそれ以上コンタクトが取れず、その時点で門前払いなのだ

会社説明会は電話申し込み。コンサートチケットを取るが如く、電話をかけまくる。携帯電話などまだない。家の固定電話だ。

やっと繋がっても「申し訳ありませんが定員になりました」と断られること多数。

面接の段になっても、健康診断まで受けて絶対内定確定、と就職課に言われた最終面接で落とされた会社もある。曰く「諸般の事情女子は今年は採用しないことにしました」だと!だったら最初から取るんじゃねーよ!

結局大卒がやらないような職種会社しかからなかったが、鶏口牛後を目指そうと気持ちを切り替えて働いた。正社員採用されただけまだ恵まれていた。

数年頑張り会社内でも評価され、幹部候補生選抜され高度な研修も受けさせてもらえた矢先。

会社倒産した。

今の会社には見るに見かねた親戚のツテで入れてもらった。そういう裏ワザがないとまともな転職先すらなかった。前の会社の同僚はほとんど連絡が取れなくなった。

大学の同期で働き続けている女子ほとんどいない。

私よりはるかに優秀だった子達もいたけど、結婚を機にみんな仕事を辞めた。辞めたというより「辞めざるを得なくなった」。寿退社暗黙の了解だった会社がまだまだ多かったのだ。女子社員結婚とか妊娠とかは、会社側にとって体のいい「辞めてもらう理由」でしかなかった。

仕事を続けたければ、結婚はできなかった。

私は仕事を続けたかったので、結婚は諦めた。

幸い自分1人食わせられるだけの稼ぎはあるし、同じような独身女性が多く、それなりに人生楽しんでいる。氷河期だし人数多いしろくでもない世代に産まれちまったが、それも運命と諦めている。

2023-06-17

anond:20230617094625

私用では全く必要ないと思う。今は年寄りも含めみんな携帯持ってるからね。

昔、客先の入館証作るのに固定電話必須固定電話ないって言ったら実家電話番号でいいから書けとか言われた思い出がある。今ではあり得ないけど。

会社も問い合わせはWebフォームやChatがあるし、固定電話くそうと思えば無くせるんだよね。BtoBはよほどケチ会社じゃなければ営業マン携帯持たせてると思うし。

固定電話を持ってない会社は怪しいっていう固定概念が無くなれば障壁はなくなるね。

撲滅はないだろうけどみんなの生活を支えるインフラ的な役割からニッチニーズを満たすサービスになるんじゃないかな。

固定電話はまだ必要なのだろうか?

純粋な疑問としてわからない。

ずっと当たり前のように固定電話を所有しているので、

固定電話(というか固定電話番号というべきか?)

を所有していないことで困る不便宜がどのようなものかがわからない。

やはり、いまだに固定電話がないことで社会的信用が損なわれる状態というものがあるのだろうか?

2023-06-10

記憶の中の平成

2023-05-26

anond:20230525170921

もう電報を連絡に使ってないのと同じく固定電話もその役割を終えた感はある。

個人はみんな携帯で良いよ。固定電話番号は企業

企業FMC携帯にかかってくるようにした方が良い。

2023-05-25

anond:20230525170921

😷ワイの固定電話詐欺電話はかかってきたことないけど選挙前は世論調査で連日うるさいやで

anond:20230525170921

問題は「固定電話」ではなくて同じ電話番号を長年使い続けていることにより名簿業者リスト化されてしまっていることにある。

今では携帯電話にも特殊詐欺が増えてる。そして特殊詐欺免疫がなかったり自分ターゲットになるはずがないと思い込んでる現役世代が引っかかってしまっている。

anond:20230525170921

高齢者場合電話番号しか知らないむかーしの知り合いから久しぶりに電話がかかってくる事もあるので、簡単固定電話は切れない。

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