はてなキーワード: 交換日記とは
将棋のAbemaTVトーナメントが先々週あたりから放送されているのだが、これが尋常でない面白さなのである。ひねくれたファンが多い将棋ギャラリー界においても今のところ「収録順と放送順が違うのではないか」というぐらいの批判(なのか?)しかされていない。コロナで各棋戦が延期になり、みんなが家にいるという状況も手伝い、将棋界ではもはやこれを観ていないと人権が確保されないところまで盛り上がっている。しかし世情が影響しているとはいえ、この盛り上がりはトーナメント自体がとんでもなく面白いという理由を抜きにしては語れない。以下では、何がそんなに面白いのかを非常に偏った視点から解説する。
持ち時間5分+一手ごとに5秒加算という超早指しの棋戦である。この棋戦が出てくるまで早指しの代名詞であったNHK杯は20分が切れたら一手30秒という感じ(厳密には違うが)なので、文字通り桁が違う早指しである。ちなみに持ち時間が最長の棋戦は名人を決める決勝の9時間である。
それに加えて今回の第3回では、棋士同士のチーム戦という要素も加わる。タイトルホルダーと順位戦Top10棋士がドラフト形式で2名を指名し3人のチームで戦う。過去二回のトーナメントでは二回とも藤井聡太が優勝している(ヤバい)のですが、ドラフトを採用していることにより、「そりゃ藤井くんを指名したいけど抽選で外れて改めて指名し直すよりは他の人と被らなそうな有望株を指名したほうがいいな…」あるいは「それでも俺は藤井くんを指名するぜ」という力学が働き、各チームの特色が生まれることになる。
Abemaトーナメントを観たことのない人はまずこの映像の18:30あたりから1分くらい観てほしい。昨日放送された、今の棋界で間違いなく最強・豊島竜王名人と、今の若手で勢いは一番・本田奎五段の対局である。場面は両者残り時間が20秒を切りお互いに攻める手は色々見えるけど勝ちに結びつくかは相当読まないと無理な局面。
https://abema.tv/video/episode/288-23_s30_p17
さて、観ましたね?頭良さそうな顔をした人たちがチェスクロックを叩き壊さんばかりの勢いで叩いてそれに対して外野がわーわー言ってましたね(将棋界では本当にひえーと言うこともわかったと思います)。このスピード感と荒々しさは今までの将棋界にはまったくなかったものである。普通の将棋中継は眠くて観ていられない人(将棋ファンにもよくいます)でもこれは面白いという人は多い。しかし、ABEMAトーナメントが面白いのは単にスピードが速いという理由だけではないと私は思っている。
これから私は自分の変態性を告白しますが、普段は扇子パタパタしながら難しいことを考えていそうな顔(まあ考えているのだろう)をしている棋士たちが、1秒を惜しむ必死な手付きでチェスクロックを叩きあっているのを見るのは正直にいって痛快である。この暗い愉しみはいかにも趣味の悪いものではあるが、ABEMAトーナメントを観ている人間であれば誰であれ多少なりともその愉しみを感じてしまっているいるということは否定できないはずである。このことが明らかにしたのは、たとえばボクシングがコロッセオでの奴隷同士の戦いを眺める貴族の遊びの系譜に連なることは明らかであるが、将棋というマインドスポーツもまたその系譜にあるということである。つまり将棋はいかにも「お上品なインテリの伝統文化でござい!」みたいな顔をしているけど、実は相当野蛮なものであるということである。まあ改めて考えてみれば他人が戦争を指揮して戦っているのを上空から眺めるという行いが趣味の良いものであるはずはなかったのだが。
話は変わるが、これまで「将棋はインターネットと相性が良い」ということがしばしば語られる際、それはたいてい将棋の長時間性とインターネットの無時間性が引き合いに出されてきた。わざわざテレビ向けにルールが作られたNHK杯とかを除けば、将棋の楽しみは長時間棋士が頭を絞って考えるところにあり、そんなものはインターネットでしかまるごと放送できない、ということである。
後知恵になるが、今やそれが間違っていたことは明白である。将棋は持ち時間が長かろうが短かろうがインターネットと相性が良い。要するに面白いコンテンツはインターネットと相性が良いというただそれだけのことでしかなかったのである。将棋はファンや棋士が思っていたより面白かった。それがこの超早指し棋戦が教えてくれたことである。そして、更にその面白さを補強するのがチーム戦という要素である。
棋士というのは究極の個人商売である。これまでに棋士同士がチームを組んで戦ったのは、コンピューターvs人類という枠組みがあった電王戦ぐらいのものであろう。そのことを、第2回電王戦でコンピューターと劇的な泥仕合を繰り広げ引き分けに持ち込んだ塚田泰明はこう語っている。
「なぜ涙が出たのか、ですか? 負け越さずに三浦さんにつなぐことができた、その安堵からです。
もちろん、投了すべきかとも思いました。批判があることも知っています。でも、どんな形であれ、自分はチームのことを考え、最優先したんだ、そう思うと……。
普段まったくチームというものから離れているからこその純粋さであろう。今回のように棋士同士がチームを組み棋士と戦う、というのはもしかしたら将棋の歴史史上初かもしれない(まあテレビの企画でリレー対局とかはあったけどね)。
これまで我々関係性厨は、限られたリソース(師弟関係、出身地、出身道場、共著、対談、解説やイベントでの共演、自戦記や観戦記に書かれたちょっとしたエピソード等、結構あるな!)から棋士の関係性を類推することしかできなかった。そのせいで「あの棋士とあの棋士は仲がいい!だって同じコマにいた!」状態になっている人もしばしば見かけた。というかさっきも2ch名人のコメント欄で見た。
そこに来てトップ棋士によるドラフトという心理的駆け引きのあるチーム編成である。ドラフトは「他の人はそこまで評価してなくても自分が高く評価している棋士」を選ぶ力学が働く。つまり「他のヤツらは分かってないけど俺だけはアイツのいいところを知ってるぜ」な棋士が選ばれる可能性が高い、というか実際そうなった。これは公式からカップリングのお墨付きが出たようなものである。
先程の映像でも「勝ってると思います勝ってると思います打ってください打ってくださいとりあえず打て!」と、お前そんな早口できたんかというほどの早口で野球を観戦しているおっさんと化している三浦九段が映されてしまっていたが、棋士が棋士を応援する、という光景は電王戦以来久しく見ることができなかったものである。私生活でどれほど仲良くても盤を挟んでしまえば(あるいは挟んでいない時でも常に)敵なのである。書いてて思ったけどこの関係性尊いよね…。いや、それはそれとして、逆から見れば仲のいい棋士が戦っている相手もまた同じ将棋界の同士であるので(それも尊い)、普通は棋士が棋士の応援を公にするということはない。我々ファンは「あの棋士の祝勝会/残念会にあの棋士が来たらしい」などというエピソードをニコ生で聞いては悶えるだけだったのである。
しかし今回は。堂々と棋士が棋士を応援しているのである。しかしそれは我々が見るのは初めてであっても、きっと棋士本人にとっては仲のいい棋士に対して心の内でいつも思っていることのはずで。それって普通Pixivの〇〇視点SSとかでしか摂取できない成分のはずなのだがなぜか今回は公式にそれが提供されている。関係性の過剰摂取で死ぬ。
さらに、である。アベマはコンテンツの活かし方をわかっている、というレベルを遥かに超えてプロ(何のだ)が中の人にいるとしか思えない手を指してくる。それが一局分丸々の控室の未公開映像(アベマプレミアム960円に登録すれば無料で見られる)と、チーム戦前のバラエティ的な親睦会映像、そしてチームのTwitterである。出色なのがTwitterで、チーム佐藤康光はさながらレジェンド棋士同士のフランクな交換日記の様相を呈している。棋士がイチャイチャしてるのを現在進行形で無限に見ていられるのである。死ぬ。
まずはAbemaプレミアム(月960円、999999999億円の価値がある未公開映像や過去回が観られるので実質無料)に登録して過去回(と言ってもドラフトと先週分しか無い)や先に述べたような映像コンテンツを観ましょう。煽りVや実況解説があるので棋士を知らなくても楽しめます。そしてチームのTwitterをフォローしましょう。
いきなり金を払うのは…、という人も無料で観られるコンテンツ(昨日分とか親睦会とか)も多いのでとりあえずAbemaのページに行きましょう。
https://abema.tv/video/title/288-23
あなたはもしかしたらそのうちにAbemaプレミアム初月無料という文字列を発見するかもしれません。その際は「絶対解約し忘れを狙ってるやろ」とか「初回無料とかドラッグの売人とやり口が同じやんけ」などと思わず、素直に登録しましょう。先程も述べたように960円取られても実質無料ですので。
Abemaトーナメントは全何週あるのかわかりませんがまだ昨日で3週目です。将棋でいうとまだ7六歩です。今からでも全然間に合いますので皆さんで盛り上がっていきましょう。
(2021/2/7追記)書きました anond:20210207093448
まあまあの田舎。小学校は学年ごとに2クラスあって、中学校も同じ。ほとんど代わり映えしない顔ぶれで9年間を過ごした。
中学生のころ私たちはクラスで地味ーズなんて呼ばれていたらしい。息苦しい田舎に暮らすおたくで、クラスに馴染めなかった6人組だった。
交換日記をして、当時流行っていたFF7のイラストを描いていた。
それが救いで、何よりも楽しかった。
彼女は仲間内でいちばん絵が上手だった。飲まれるような、背景と世界観のある絵を描く子だった。
当時は田舎の中学生はパソコンどころか携帯さえ持っていなかったけれど、彼女の水彩は色鮮やかに、画用紙の上に世界を描き出した。
みんな彼女の絵が好きだった。
高校はみんな別々のところに行って、携帯を買い与えられて、そしてわたしはインターネットの広さに救われた。
東京に暮らす高校生と仲良くなった。学校帰りにサイゼリアやマックに行く生活に憧れた。彼女のようにもっと自由に生きられるかもしれないと思った。
進学校という環境の良さもあったおかげか、びくびく周りの顔色を伺って生きていた中学時代と比べて、高校を卒業するころには毎日が楽しくなっていた。
わたしは大学に進学して地元を出て、残りのみんなは地元で就職した。
その頃にはもう6人全員が集まることは少なくなっていて、たまの機会に顔を合わせてはその時に好きな作品の話をする仲だった。数年に一度会うだけだったとしても、昨日までも会っていて、明日も会うみたいな顔で話した。アラサーと呼ばれる歳になっても誰ひとり結婚しなかったし、人生の話なんてろくにしなかった。あの頃と同じようにアニメやゲームの話だけしていた。
だからずっと付き合いが続いていたわけではない、実際のところわたしは彼女とはもう数年会っていなかった。
東京で就職したわたしが地元に戻るのは盆と正月の2回だけで、その時期、田舎の家庭はなにかと忙しい。彼女とタイミングが会うことは少なく、たまに絵を描いては展示会に出していたこと、仕事で悩んでときおり転職や退職をしていたことくらいしか知らない。
まだ気持ちの整理がついていない。
彼女の訃報は、地元に残ったうちの一人から、電話で聞いた。亡くなったのだと。
どうして、と聞いた。聞いたけれど、まだ自分で言葉にするのが怖い。ただ、悩んでいたことは知っていたから、そうか、と、思った。
明後日が通夜だけど、急に来れないよね、って言ってくれた。平日。地元まで飛行機の距離。行くと言えない自分が情けなかった。
その電話を受けたときにもわたしは会社にいて、その日も23時まで働いた。親族の不幸でもない、いま抜けたら多大な迷惑がかかるのはわかっていた。
最後に一目会うことすらできない自分が情けなくて仕方なかった。そんなもんじゃないのに。
ご家族の気持ちを思うと、もし次に地元に帰ったとして、彼女に手を合わせることができるのかわからないのに。
写真で見せてもらった油絵、展示会に出した彼女の絵。彼女自身の顔よりもそちらのほうが記憶に濃い。
実家に電話して、代わりに通夜に行ってもらうことにした。母親も泣いていた。
地元の話をたくさんしたのは、あの田舎で生きるのは苦しかったのかな、って思ったから。
近所のスーパーに行けば誰かしらのお母さんに会う、名前さえ忘れかけていたような同級生の○○ちゃんが結婚したらしいよ、を親から聞かされるような土地。
あのときゲームと絵とインターネットに救われて、いまもなお生かされている。世界が広がって、ようやく呼吸ができるようになった。
彼女だってあの絵があればどこへでも行けたはずなのにと思ってしまう。こんなところで閉じてしまう必要なんかなかった。
誰かに聞いてほしいけれど、親以外にはまだ口に出して相談することができずにいる。
ネットをあまり使わなかった彼女だけど、わたしは本当は、もっとたくさんの人にあなたの絵を見てもらいたかった。
あなたがいたことをせめて書き残しておきたくて、さみしくてまだぐちゃぐちゃで何もできないけど。こうして文章にすることをどうか許してほしい。
なんの取り柄もない「私」はある日一冊の魔導書に触れることにより、後の師匠と呼ばれる魔女の手引きで異世界へと導かれる。そこで彼女はルーという少女に出会い、魔導書を交換することになった。師匠いわく、この交換日記を完成させると一つの魔法が完成する仕組みだという。彼女とルーはこちらの世界とあちらの世界で交換日記を始めるが、ルーはなぜか自分の行動を隠し通すのだった。
N子という子がいた。
目がぱっちりとしていて可愛く、快活な子だった。
何のきっかけかは忘れたけれど
将来は声優になりたいと言っていた。
私はアニメも好きだったけど、絵や漫画を描くのが好きだったので
漫画家になりたいと思っていた。
N子はアニメから遠ざかり、制服のスカートを少し短くしたりしてオシャレになった。
その頃にはJ事務所のタレントや、恋愛話が共通の話題になっていた。
クヨクヨしてたらいかんよー」というようなことが書いてあった。
高校は別々だった。
お互い笑顔で「ひさしぶりー!」となって話をしたはずなのだけれど、
何の話をしたのかは覚えていない。
ただ、私が何か失礼なことをしてしまったのか
N子は急に不機嫌になり、男の子のスクーターに2人乗りで去っていった。
縁には賞味期限があるという一文を
ネットかどこかで見たけど、
今思えば、それが縁の賞味期限だったのだろうと思う。
ふと思い出したので、書き殴ってみる
私はそこそこ盛り上がってるジャンルの、ざっくり言えば大手と言われる立ち位置にいる絵師をやってる傍らで、また同じく盛んに日夜動いているヲチスレの協力的な裏方として奮闘している性格最悪おばさんです。
おばさんは今年に入って5人の絵師のアカウントを潰すこととなりました。
毎日動いてるヲチスレの話題提供の9割はおばさんで、残りの1割は私怨でぶん投げられた末に続かない、よくわからない人の話題です。
おばさんが何故そんなことをしているかというと、別に誰かを懲らしめたいとかではなく、単純に人の反応が面白いからです。
この趣味は、1番と言うほどではありませんが、「毎日出勤前に近所の犬を見に行く」くらい、ささやかではあるけど完全に定着している趣味になってしまいました。
何故そんなことが出来るのかというと、おばさんは人の絵を見るのが好きなので、元々ジャンルをROMる真っ当なアカウントを持っています。
このアカウントのTLからヲチスレのネタになりそうな人を拾ってきては、晒しあげています。
表向き善良なファンを装ってるので、これのおかげで鍵をかけられようが何しようが、余裕でユダが出来るわけです。
おばさんも過去、その性格の悪さが露呈しまくってヲチスレの常連となっていました。だからこそ言いたいのは、ヲチスレに晒されてる時点でお前に幾分か非があるから、嫌なら改めろということです。
いや別におばさん、ヲチスレや私刑を正当化したいわけでもありません。無くても困らないと思ってるので…。
ただ、火のないところに煙はマジで立たないです。晒されたくないなら、火元を断つしかありません。
おばさんはさっき言ったとおり、それなりの立ち位置で絵を描いていますが、全くと言っていいほどヲチスレに晒されません。
それは過去の経験から何をしたら晒されるか、叩かれるかを学んで回避してるからな訳で、テンプレートみたいな反応をしてわざわざ自らヲチスレを盛り上げるような真似をしている人を、バカだな〜と思いながら晒しています。
おばさんのやってるこの趣味は本当に最悪で、人にバレたら終わるな〜と思いますが、いつまで経っても学ばないバカ達を見るのが好きでやめられないのも事実なのです。
こういうことを書くと絶対反感買うんだろうな、と思うので最後にこれだけやっとけば燃えない・晒されないというアドバイスを書いて相殺させてください。(相殺にはならないだろうけど)
下手に掲示板に書き込まない、自分の擁護をしない(周りと雰囲気が違ってバレる可能性が高いから)
ヲチスレを言葉や正論でねじ伏せるのは無理です。それらの行為はむしろ悪化させます。
言ってみれば当たり前の事ばかりなのになんでできない人が多いんだろう。
彼がそう言ったのはちょうど今日みたいな蒸し暑い雨の夜のことだった。
営業部の人との合同の飲み会。暑さとアルコールに当てられ、一息つこうと外に出たところ、彼がいた。
同期だった彼とは、部署異動ですぐに別々になり、話したのは久しぶりの事だった。
背の高い彼、爽やかな彼、笑うとえくぼのできる彼、密かに憧れていながらもなかなか話しかけられなかった彼。何度か話せたのは彼と私の好きな洋楽バンドがたまたま一緒だったから。思えばいつも彼から話しかけてくれていた。自分から話しかけられたことは一度だったなかった。
だって彼はいつも素敵で、彼の周りには沢山の人がいつもいたから。
思い切って話しかけられたのはきっとさっき飲んだカシオレのせいだった。
かき集めた勇気と勢い。けれど彼の気さくな笑顔と「大好きな洋楽の話」という共通項のお陰で、あの時解けなかったぎこちなさは舌の上のかき氷のようにすんなりと溶けた。
「あのバンドのアレ、もう聞いた?」そんな焦れったいやりとりの末に言った「連絡先、聞いてもいいかな?」は営業部の爽やかな笑顔でばっさりと却下された。
あーあ、やっぱり彼みたいな素敵な人にはもう彼女、いるよね……。そう思ってすぐに彼が言った。
ここ、使おうよ
そうして彼が見せたのがこのページ
青を基調としたすっきりとしたページだった。
「なあに?これ、フェイスブック……じゃないよね?」
「ノンノン」彼はそう言って細長く優美な人差し指で私の唇をそっと塞いだ。
「名前を隠して楽しく日記……それがこのはてな匿名ダイアリーだよ」
唇がかぁっと熱くなった。お気に入りの赤リップの色が彼の指に移って煌めく。
「でも……匿名なんでしょ?これじゃ誰が私のエントリかわからな……ん」
今度私の唇を塞いだのは彼の唇だった。柔らかくて優しくて暑いkiss。唇についた私の赤を拭いながら彼は言った。
「大丈夫。増田ちゃんのエントリのことなら僕が必ず見つけるよ。」
「それに」低くて甘い声。こんなに綺麗な声だったっけ……。さっきkissした唇が今度は声で私を惑わす。
「そこ、人気エントリにね」
ーーーー
約束通り、彼のエントリはそこに並び続けた。政治、ライフハック、大喜利……、その度に形は変わったけれど、私には誰が彼のエントリだかすぐにわかった。
だって彼の魅力は匿名の青い仮面でも隠し通せるものでは無かったから。
「2人だけの秘密……だね」
彼との約束通り、私は誰にもバレないように彼にトラバを送った。ある時はうんち、ある時は低脳、ある時はお気持ち長文……それでも彼は私のことをいつも見つけてくれた。
それももう、4年も前の話だ。もう何度リロードしても、彼のエントリは見つからない。
彼がいた頃、世界は輝いていた。雨に濡れた安居酒屋前の歩道も銀に輝く川だった。仄暗い街灯下に並ぶ街路樹も、枝葉に光を満たしていた。
彼がいない今は何もかもがすっかり色あせたガラクタだ。チープで薄汚れたつまらない街。
彼がいた頃、増田たちの語らいは七色の絵の具で描き出される夢だった。愛、理想、正義に溢れていた。
彼がいない今は何もかもが、酒の席の御託だ。使い古されたくだらない正論。
それでも私は日記を書く。届かないとわかっていながら。
八方美人だった私の事が気に食わなかったらしく、一部からいじめられた。
あることないこと噂され、数人は私の事を信じてくれてはいたけれど
「好きな男の子が増田ちゃんを好きだって言ってたし」という意味不明な理由でいじめに加担されたりもした。
近くに居る子も、「いじめられたくないから」という理由で離れて行き、結局私の隣には親友1人だけ残ってくれていた。
生徒一人一人に日記を書かせ、先生が読んで返信してくれるというもの。
私は勇気を振り絞って、リーダー格の子を名指しして「いじめられました。○×されました」というように書いた。
放課後、暗い教室にリーダー格2人を呼び出し、私も呼び出された。
記憶が曖昧なんだけど、怒っている先生とリーダー格2人、私の4人で話し合った。
いじめのリーダー格が、自称「かごめ」 自分主人公かよww(お前ぜんぜん可愛くないだろ)とか思ってた。
私と仲が良い子達を、全て異性に設定した。誰が犬夜叉役だったのかは覚えてない。
私は桔梗。こっそり「美人系じゃん…すごいな。実はこの子私の事好きなんじゃね?」と思ったりしてた。
私が友達に近づこうとすると、リーダー格がキチガイのように喚く。「弥勒様が浮気してる!ぎゃー!」とか。
皆、わめかれるのが嫌で、嫌々リーダー格の元に行く。変わったいじめだった。
リーダー格は暴れると手に負えないというか、とかく面倒な存在だった。それは共通認識だったと思う。
凄くどうでも良いイジメだったので、対処法は殆ど記憶に残ってない。
縁あって「恋は光」という漫画を読みました。感受性の乏しい自分の心が大きく揺さぶられ、ぽつりぽつりと考え事をしたので日記に残したいと思います。彼らの交換日記のやり取りを見ていたら、連休の夜にしみじみとその日の考えを日記にしたためるのがとても魅力的に思えてしまったのです。
私は創作物の感情表現を読み取るのが好きではありません。多少の正解不正解はあるものの明確な真実はなく、その割に読み取った内容に優劣がつく、息の詰まる行為だと思います。ですから、創作物の好みは大味のエンタメ作品に寄りがちです。そういった作品では、無理に登場人物の気持ちを読み取らなくても、その作品を体験している間の自分の心の動きでもって、その作品を十分に楽しんだということに自信を持てる気がするのです。近年だと、「君の名は。」「グレイテスト・ショーマン」などが象徴的です。いずれも、登場人物の心の機微によって深い余韻を残すというよりは、圧倒的な映像と音楽で瞬間的な感動を作り出す類の創作物だったと思います。
「恋は光」は、恋愛に係る感情表現を主とするにも関わらず、その感情表現によって心揺さぶられたと確信が持てる、とても珍しい作品でした。自分にとって「恋は光」が特別な点は、感情表現の具体性と一意性にあると感じています。例えば、登場人物が悲しければ、どういった理由でどのように悲しいのか心の声でつぶさに語らせます。そこに独自の解釈を持ち込むことはおそらく難しいでしょう。作者が表現したい論理の構造が、一切の誤解なく、充分な情報量を伴って伝わるように漫画が作られていると感じます。これが「恋は光」の優れた点だとは思いません。論理構造が感情表現に昇華されていないといった否定的な見方もできる側面だと思います。ただ、私に適した感情表現の手法が取られていて、その手法を通して届けられた、自分にとっては珍しい豊富な情報量を伴った感情表現に心を揺さぶられたということです。
感情表現を読み取りたくない自分、という認知は時に苦痛を伴います。巡り巡って思慮の浅さや希薄な好奇心が白日のもとに曝露されるような思いを味わいます。頭を使って感情表現に向き合っている人たちの方が世間体は良いでしょうし、こちらは泣き寝入りするしかありません。創作物くらい好きなように楽しめばいいのでしょうが、感情表現に向き合っている人はその苦労に見合う喜びを確かに得ていて、羨ましいやら情けないやら、創作物を楽しむどころではないのです。しかし「恋は光」という作品は、ジメジメした乏しい感受性をものともせず、私に感情表現を楽しむ喜びを届けてくれました。そういう作品に出会えたことが嬉しく、「恋は光」は私にとって特別な作品なのだと思います。
世にも有名なレズ風俗レポ漫画、永田カビさんの「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を書籍で読んだとき、自分の中にわだかまっていた名前のつけられないもやもやとした気持ちに気づいた。いつ購入したか定かではないが、読んでその日に「横浜 レズ風俗」で検索をかけた。幸い都会なのでわりとお店はいっぱいあったが、「もう少し痩せてからにしよう……もう少し化粧が上手くなってからにしよう……」とそのページを閉じた。
恋愛対象は多分男性だと思う。街コンに参加して、短い時間で会話のテンポを探りながら男性と話す努力をするくらいには、男性と恋愛したいと考えている。
だけど、一緒にいて一番楽しいのは女性だ。高校が女子校だったこともあるが、人生の楽しいポイントはいつもそばに女性がいた。女子特有の面倒くさいアレソレも、「まあ女ってめんどくさいしな~そういうところが楽しいんだよな~」と思えた。あと純粋に高校時代が一番楽しかった。
去年の夏頃は趣味が同じ女性とルームシェアしたいという考えが常に頭を巡っていて、仕事の休憩中はずっとルームシェア可の築浅賃貸を探していた。明確な相手もいないのに。
少し話が逸れるが、友達はわりといる方だと思う。誰かと予定を立てて呑みに行くこともできるし、同窓会にも問題なく出席ができた。死ぬほどコミュ障という訳ではないはずだが、如何せん「ニコイチ」的な友人がいない。高校時代にはいたが、在学中にケンカ別れした。
なんというか、振り返ると「私はこれをあなたにしたから、あたなにはこれをしてほしい」「自分が相手に接する同じくらいの熱量で自分に接してほしい」を押しつけてしまう傾向にある気がする。近ければ近いほど。
今でも5年以上付き合いの続いている友人は、そういった気持ちを押しつけないようなギリギリの距離感で接している人しかいない。その最たるが幼稚園からの幼馴染みで、今は年に二回会えれば良い方だ。仕事や日々がつらいとか、特に理由もないが無性に寂しいといったときに連絡を取れる人とは、3年も持たずに疎遠になっている気がする。
話を戻そう。
この正月休みに暇をこじらせたせいで無性に寂しくなって、部屋にある本を読みあさっていた。その中には先述したレズ風俗レポ、その続編にあたる「一人交換日記」も含まれており、読み終わった直後、私はまた「横浜 レズ風俗」で検索をかけていた。
いろいろな店舗のキャストさんのプロフィールを見ながら、あ~~~めちゃくちゃ好みだな~~~と思う子が数人いた。このまま予約しちゃおうかな、とまて心が傾きかけているとき、キャストさんのやっているブログに飛んだ。
何月何日にご指名くださった方へというタイトルの記事が並ぶ光景に、あ~~~~無理だ~~~~~~~!!!!!と瞬時に思った。
本当に気持ち悪い考えなのだが、数万円かけて好みの女性と性的に触れあっても、当たり前だがそれはキャストと客の関係からは抜け出せないし、キャストも商売である以上私以外の他の誰かとセックスをするんだ、という考えに行き着いてしまった。まだ予約すらしていないのにその先を想像して傷ついた。
悪癖である「私はこれをあなたにしたから、あたなにはこれをしてほしい」「自分が相手に接する同じくらいの熱量で自分に接してほしい」が、たった数時間しか触れあわない、しかもまだ会ったこともない女性に勝手に押しつけている自分がとてつもなく嫌だった。
ストーカーになる人間の心理に少し触れてしまった気がして、そんな自分が気持ち悪くてぼろぼろ泣きながらページを閉じた。隣の部屋に母親がいることを考慮して、声を殺しながらビービー泣いた。気づいたら寝落ちしてた。
コミュ障じゃないと思っていたが、こう書き出してみると立派なコミュ障だし、立派な距離なしクソ女だと思う。病院にでもカウンセリングにでも何でも行くしお金なら払うから、この寂しさがどうにかなる方法を誰か教えてほしい。