はてなキーワード: 交換日記とは
○ご飯
朝:吉野家の目玉焼き納豆朝食。昼:牛カツ定食。夜:甘辛チキン弁当。間食:リプトンフルーツティーグミ。
○調子
ソワソワしてたんだけどだいぶ落ち着いた。
○プリコネ
なんか所属してるクランの団長が抜けるらしく、後釜誰にするか議論でクラバトの貢献度最上位だった僕にお鉢が回ってきそう。
いやまあ、三凸すらしないメンバーが大多数の緩々クランなので、別にいいか。
○ワーフリ
絆武器はどれも強そうだけど、既存のマルテで問題ないケースも多そうで、いわゆる「ダブルアタッカー」を組むと有効活用できるのだろうけど、僕にはまだ難しそう。
○グラブル
虚空武器のための鍵集めが終わった。後は欠片集めなので、半額中に一気に終わらせようと思う。
それとゼノコロ周回。ゼノコロ剣五凸は普通に使うけど、ゼノコロ石はどうなんだろうなあ。開幕使える属性アップ効果の石にはもうシュヴァマグの五凸があるし、効果量も同じなんだよなあ。
まあとはいえ、ゼノイフ、ゼノウォフ、ゼノサジと今までのは全部四凸してるからコレクション欲を満たしがてら周回しよう。オートで流しとくだけだし。
○ご飯
朝:なし。昼:海鮮丼、バジルチキン、プリン。夜:カレーうどん、ハム、ビール。間食:チータラ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
久々に自宅で休日を過ごせるの嬉しい、家好き、ビジホ好きじゃない。
来週行ったら念願の正月休みなので、食い物買いだめしたり、散髪行ったり、連休の準備をしようと思う。
○ワーフリ
メリルか不具合が、男性ユニットに囲まれてBL妄想を繰り広げる実装のはずが
男女を逆にしてて、女性ユニットに囲まれて百合妄想を繰り広げる実装になってれば面白かったのになあ、と思いました
ヒトカゲ、サルノリ、アローライシツブテ、ミミッキュ、タネボー、ウインディ、ニョロボン、ガラルマッギョ、ヤミカラス、サルノリ。
○ご飯
朝:アップルパイ。昼:味噌煮込みうどん。夜:牛丼、みかん、モモ。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
疲れた。年末年始の休暇までもう少しのようでまだまだ遠い。一応予定では、24日の午後からお休みなので、頑張るぞいや……
もうとにかく疲れてる、一刻も早く寝たい。おやすみなさい。
○ワーフリ
超級武器集めが終わって燃え尽き症候群。ちまちま絆武器のために素材集めを頑張ってるけど、新しい絆武器の詳細がわかんないからダレてる。
マルテ持ってて、今絆が55個なので一個はすぐ交換できるから、あとはデュランダルと新武器の中から選ぶだけ。まああと95個集めて絆武器コンプを目標にするのかもだけど、流石に長くなりそうでうーむ。
○ご飯
朝:カロリーメイト。昼:紅茶飯カレー。夜:ファミチキ、サンドイッチ、サラダ、パスタ。間食:ブルボンオリジナルアソート。
○調子
むきゅーはややー。仕事はそれなりー。
いやもう感覚が麻痺してきて、日曜日に仕事してるのに違和感があんまない。
ただこの地獄もようやく一区切りなので、年末年始に大きくお休みをとって、むっきゅりしよう。
休日出勤唯一の利点は月曜日前の死にたい気分が無くなることだなあ。
○グラブル
生放送で色々情報が出たけど、なんと言ってもアナザーサンダルフォンでしょ。元々年末のガチャは干支キャラの為に天井予定だけど、これは引くっきゃない。なんなら二天井もありだな。
クリュの英雄武器を作った。これのおかげで光有利2100万チャレンジは非AT4ポチ、AT3ポチ。
非ATの方はミリ耐えなので、炉とプラス振りあと覚醒レベルや指輪厳選すれば3ポチもできるかも。
○ワーフリ
オロチ超級武器完凸。これで超級武器コンプリート。紫カケラを使わずに貯カケラできた。とはいえ使わないのももったいないので、次の新ボス実装の時はこれでスキップも良いかも。
○ご飯
朝:パン。昼:カップ麺。夜: カップ麺。間食:ハッピーターン。ブルボンオリジナルアソート。
○調子
ただ出張中アンド待機中なので、ビジホの狭い部屋でじっとしてただけ。気狂うで……
出かけてもいいんだろうけど、金無いし見知らぬ街をぶらつくのも怖いし、外食は色々怖いしでじっとしてお昼寝したりしてた。
○ワーフリ
イベントは、後盾一つなんだけど中々出ない。
オロチ超級は、紫コイン250個で、鏡無凸、勾玉2凸。勾玉にドロップが偏ってるけど、そもそも紫250個までの間に4つもドロップするのメチャメチャついてるので良い感じ。
ジグザグマ原種、エレブー、サマヨール、ヤドン原種、ピカチュウ、ディグダ原種、ヨルノスグ、サイホーン、ニドランオス、チョンチー。
月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験を所謂「オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。
月経カップはユーザー数自体が国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。
興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップのユーザーはメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザーは何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。
第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的に薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。
誰だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから、自分に合うものかどうか、各メーカーの製品を比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。
「使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報もレビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか。
そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感や不自由を感じていたことだった。
ここで特定の生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。
言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップの使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。
苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。
しかし当然ながら何をより不快、苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。
それぞれ自分が安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観や個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。
加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我のリハビリテーションのようなところがある。
リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなたの身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢を自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか。
そういった性質と、元々ある程度各自でリサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。
そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。
しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップを使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。
私自身初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。
反面、拡散される中で月経カップユーザー側からすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。
ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。
この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである。
そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題がSNSでバズったとする。
紙ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンとかいうやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮系カルトの人が好みそうだよね」と特定の思想や集団と結び付けられたり、「公共のトイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブな意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ちが理解いただけるのではないだろうか。
意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人の領域に踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベートな身体・健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか。
最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手なイメージや想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。
一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまったことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。
使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。
月経カップのメーカーのHPなどには身長体重や出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。
レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズやさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初の月経カップは自分で選んだ方が間違いがないと思う。
また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャーな月経カップメーカーの使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップは区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自で判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。
最後に、処女の場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーのペニスは入る方でも月経カップは最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。
ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。
◆追記
ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。
先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティや属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。
文章内で”マイノリティ”という言葉を使用したことに関しては、単に”少数派”という意味で使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。
そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザーを特定の属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである。
月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記がレポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。
また、「ナプキンのネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキンを使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記のコメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。
元々この日記はレポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴な発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート主個人の気を悪くさせる結果になってしまったことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。
SNSは苦手だがTwitterは細々と10年ぐらいやっている。
昔は良かったなんて言うつもりはないが、最近はより村社会的なノリになっている様に感じる。
わー!とか、きゃー!みたいな盛り上がり。
マジ無理、とか、しんどい、尊い、とか。そのものズバリ、〇〇村が燃えた!なんてのもあるよね。
オタクのホームグラウンドが2ちゃんねるであった時代、余程のことがない限りスレ内のノリはスレ内で完結していた。まとめサイトが出来てくると、そういったノリは一気に拡散される様になった。
ニコニコ動画が隆盛を誇った時代、その拡散はより顕著となった。
アニメや特撮が公式配信される様になっても、映像は二の次。画面は内輪ノリのコメントで埋め尽くされ、2ちゃんねる発、或いはニコニコ動画発のネットミームが座を席巻し、作品がネタとして消費されるようになった。
それ以前とは空気が変質してしまったジャンルも数多くあった様に思う。
そうして私はTwitterに流れていった。
当時はまだ公式RTなんて無かったし、リプライも相互フォロワーにしか見えなかった。ふぁぼっても当人達しかわからない、秘密の交換日記の様な独特なコミュニケーションもあった様に思う。
すべてが良かったとは思わない。当時から村社会的な利用をしている人達もいた。
それでも今よりはもう少し淡々とした『つぶやき』で形作られたコミュニティが主流であった様に思う。
しばらく経つと、2ちゃんねるやニコニコ動画はかつて程の勢いは無くなっていった。
そうなると2ちゃんねるやニコニコ動画にいたオタクはTwitterを併用する様になり、結果として村社会的なオタクの内輪ノリがTwitterを侵略した。
繰り返しになるが、昔は良かったなんて言うつもりはない。
でも村社会がMajorityになったTwitterにどこか居心地の悪さを感じる様になっていた。
いやならやめろ、その通りだと思う。
SNSをなんだと思っている、その通りだと思う。
求めていたゆるいつながりは既になく、あるのは村社会的な鉄の結束。
オタクは清廉であり、賢人であり、聖人であるとでも言う様なTweetが数万いいねを集め、買ったグッズは写真を上げて購入報告せねばならず、そしてソシャゲの課金を煽られる。
つぶやきは、かき消されていった。
オタクのノリが苦手だ。
つぶやきを見るのが好きだった。
つぶやくのが好きだった。
今はもう、つぶやきが聞こえない。
親友という、なんだか幼稚で滑稽なワードにまつわる、ここ数日起こった話をする。
長文だからな、読まんでいいよ。
私:大学3年生のオタク。酒が1等好き。最近のお気に入りは氷結の超冷感レモン。うまい。
書き出してて思ったがまあつまらん女だな。
日々積み重なるストレスを酒で発散しているのだが、今はコロナで呑みにも行けないので、最近流行りのオンライン飲み会…というかなんというかを高頻度でやっている。
おとといの話だ。まあいつものように友人と2人でビデオ通話を繋げて酒をかっくらっていた。この友人をAとする。
Aはまあなんというか、ひとに好かれる質だ。
特に美人なわけでもないがとにかく聞き上手であり、たまに鋭いツッコミを入れるような。猫を被るのが上手くて、ONOFFのスイッチの切り替えが早い。そういう女だ。交友関係は浅く広く。
私とAとの関係性は9年ほど遡り、中学入学時。名前順に並んだ席が近かったので、私から話しかけ(たらしい、私には記憶が無いがAはそう言っていた)、そこから仲良くなったような仲である。
友人というよりかは悪友であり、高校生の時分は学校をサボってAの家で遊んだりしていた。
彼女と遠いところへ遊びに行ったことは無い。お互い喋るのが好きなので、サイゼやマック、通話等で延々身のない話をするのが常だ。
おとといもいつものように駄弁っていたのだが、Aがいきなり黙り込んだ。どうしたのかと聞くと、彼女は
と、ぽつぽつと就職関連の話をし始めた。結構真面目に話をした。
中身はプライバシーの問題があるから言わないというかまあ関係なくて、いつの間にか彼女の中で私は親友という枠に入っていたのである。
別に良い。それだけ信頼してもらえているのだろう。素直に嬉しかった。
私はAのことが普通に好きであるし、私はAとは別に親友と呼べる友人を持ってはいるが、親友は1人につき1人でなくてはならないなどという話はないはずだ。私は2人目の親友を手に入れた。とても嬉しい話だ。
だが私は、その後衝撃でビールをこぼすことになる。
何に衝撃を受けたかを話す前に、もう1人の友人を交えた長い昔話をしておこうと思う。このもう1人の友人をBとする。
中学入学時のAと私は、特に示し合わせることも無く、新聞部に入った。というか新聞部に体験で入って、あ〜!きみ!みたいな。そこから仲が急に良くなっていった関係だ。
新聞部は特に人数も多くはなく、先輩たちは5人ぐらいいたほど。
で、そこには、もう1人同級生が居たのである。彼女がB。彼女もクラスメイトであった。
Bは綺麗で細くて、すてきなひとだ。しかしまあ、他人とコミュニケーションを取るのが苦手なタイプであり、人見知りがすごい。
私とAは物怖じしない上に誰にでも話しかける不審者であるので、彼女にも話しかけた。
部の中で3人しかいない1年生、かつ全員がクラスメイトとくればそれはもう仲良くなるしか道はない。
そうして、まあまあ楽しく部活を過ごしていた。
私は本当に誰にでも話しかけるので、入学時に大量の人間に声をかけた結果、特にとても仲良くなった子がクラスにひとりいた。彼女はAでもBでも無く他の子であり、今では私の親友と呼べる友人である。なんならCと置いておこう。
ただBは先述の通りあまり人に話しかける質ではない。仲良くしているAと2人で居た。Aはまあ、他にも喋る友達を作ってはいたが。
中学生女子なんてものは、基本的に2人で行動するのが主流であり、互いを特別視する。そうでなければ、1人を崇拝して取り巻く形をとる。そうやってクラスの中での安寧を図るわけだ。
Aは特にそういったことを考えてはいなかったようだが、Bからはその気をとても感じた。
下校時など、3人でいる際に、BはよくAに耳打ちで何かを伝えたり、メモを渡したりしていた。流石に少し、疎外感を感じていた。
とはいえ私はそれで怯む女ではないし、何より私はバカであった。その2人と仲良くなれなかろうが仲良くしているCがいる上、そもそもその疎外感に対して寂しくなることもなかったのである。バカなので。
進級した。
その頃私はある漫画にハマり、なりたてのオタク、引いては腐女子によくある雑食っぷりを発揮していた。多分人生でいちばん楽しかった時期であろう。
AとBはその頃、ある地下バンドにハマっていた。
彼女らはよくライブにも行ったようだし、遠征もしていた。2人ともその話をよくしていた。
またこれがよくある話なのだが、AとBにはそれぞれ想い人が居た。彼らのことを便宜上A1、B1と呼ぶが、A1とB1も仲が良い2人だった。そして、彼らはテニス部に所属していたのである。
新聞部には私1人が残ったが、初めて出来た後輩に浮かれ、特に気にすることもなかった。
記憶が定かではないが、耳打ちやメモ等はこの頃は既に無くなっていたように思う。部活が変わったのもあるのかもしれないが。
と、ここまででわかったと思うが、AとBはとても仲が良かった(ように、少なくとも私には見えていた)のだ。
高校は全員別のところに進学したが、家が近いのでよく出くわしていた。
近況報告を聞いていた限りAとBはその間も仲が良かったようだし、高1の途中でバンドを追うのを辞めたらしい後も、ディズニーや原宿等に行った話をよく聞いていたし、3人で近場のカフェなど行って喋ったこともある。
ここで誤解のないように言っておくが、私は別にBと仲が悪い訳では無い。むしろ良い。
Bと2人きりでカラオケに行った回数は中学3年間で両の指以上だし、高校の通学路が被っていたので会った際にはよく話をしていた。今もよくお茶している。
で、だ。
私は中学の頃からBがAのことを『親友』と称するのをよく聞いていた。
そうかそうか仲がいいんだなと思っていたのはここにも起因しており、実際Bと会った時は、彼女はその綺麗な顔で楽しそうにAと行ったディズニーの話をしていたし、私はそういったBをにこにこ眺めながら顔が良〜〜〜友人で良かったマジ感謝感激雨スパチャ〜〜〜〜〜〜〜などと思っていた。(ちゃんと話も聞いていた)
だから、AとBは親友と呼べる仲なのだと私は思い込んでいたのである。
現軸に話を戻そう。
Aの相談にひと通り付き合った後のことだ。
難しい話を酒の回った頭ながら必死に色々考えて、なんとか彼女ががんばる!と意気込んだ時。
私に話すぐらいなのだから、まあBにはとっくに話しているものだろうと。親友というのはそういうものだと私は思っていたし、そもそも酔った私の意見だけを参考にしてもらうわけにもいかない。他の、まともな人間の意見も必要であろうと。
そのため、Bはなんて言ってた?と聞いたのである。
そうすると、画面に写ったAはきょとんとした顔を浮かべ、
「え?なんでB?」
と言う。
いや、私に話すぐらいだから他の、例えばBとかには話してるかなって。
そう返したところ、Aは
「Bにはこんな話してないよ、こんな話出来るほど仲良くないし。〇〇(私)と、あと親と教授にしか話してない」
と言ってのけたのである。
衝撃にも程があった。なんなら食べてたさきいかを落とした。
そしてそれに続けて、
「Bには言わないでね」
と念押しされてしまった。
さきいかを落とした焦りと、Aが言った言葉の衝撃で金麦もこぼした。今も私のクッションからはほんのり芳醇な麦の香りがする。早く洗わねば。雨続きだったので洗えていないのだ。
こぼしたものへの応急処置を施す私をAは馬鹿だなあと盛大に笑っていた。
私はそれに文句を言い、またダラダラとつまらないことを喋って、通話を切った。
これはどういうことなのだろうか。
私のことを親友と呼んであの話をしたAは、Aを親友と呼ぶBにはあの話をしていないらしい。
Aは、Bを親友だとは思っていないのか。
私は頭を抱えてしまった。余った金麦を煽りしばらく考え込んだがどうにもならず、仕方ないので寝た。
まあ次の日は容赦なく来る。忘れているはずもなく、もやもやとしていた。
その日の晩はCと通話する予定があり、私は昨晩の話を掻い摘んでした。勿論相談の中身は伏せたが。
するとCは、
と言い始めた。
CはそもそもBのことはあまり好意的に見てはいなかったらしい。発端は例の耳打ちやメモの話だそうだ。
中1の青かった私とCは交換日記なんてものをしており、私はそこに苦言を書いていたらしい。
申し訳ないが全く中身の記憶がないので真偽は確かめようもないが。
その時点で、中1のCは自分の親友に対して何をすると憤慨したらしい。私はこの話を聞いた時嬉しくてハチャメチャに照れたので今ここに書いて自慢しているが、Cは「あんたが特に何も考えてないの知ってるから今なら何も心配しないけど」と冷たかった。
結局色々言っていたが、私に理解出来たのはBが依存気質であることぐらいだ。
彼女がAに張り付いて他の子からウザがられていたのを私はミリも興味が無くて知らなかったし、Cが「あんた今でもBのこと構ってあげてるの偉いと思うよ」と言われたのは正直驚いた。私にとってBは、普通の友人にカウントされているからだ。
これをAかBかが見ているかは知らないし、まあ多分見ていないだろうと思う。
だからまあ、一応Bに言っておくが、
あなたが親友だと言っている人間はあなたのことを親友だと思っていないみたいだよ。あなたが彼女を親友だと言っても、彼女があなたを親友だと言った事が一度でもあるだろうか。あると思い込んでいるならどうしようもないけど。
というか、親友とかいうワードを言いふらして自慢げにするのを、そろそろやめた方がいいと思う。あなたがどうしても幼稚に見えてしまうから。
あなたが彼女に依存する限り、彼女はあなた以外の人間と関わることが出来なくなってしまう。そしてそれのせいで、あなたは他の人から嫌われている。
そろそろ、独り立ちしてはいかがだろうか。
2週間後ぐらいに、Bと話す予定がある。面と向かって言えるだろうか、というか言わなきゃならないんだろうか。
Aにもこの話をすべきなのだろうか。