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2009-03-11

そんな君にはこの曲を贈ろう(おっさんホイホイ)

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

PC-6601が歌うタイニーゼビウス

http://www.youtube.com/watch?v=yi7A2-nWuTA

合成音声バリバリ

ボーカルははるか昔のPC-6601

でも俺はこの曲に感動したよ。

今でもiPodに入れてちょくちょく聞いてる。

2008-11-14

衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0011

第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001

第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010

 中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブル好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。

 住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。

 僕は、当時全盛期だったNECマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。

 当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)

 PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。

 PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。

 その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。

 そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない

 あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。

 当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。

 ちなみにその当時、僕はファミコンゲームをかなり軽視していたと記憶している。

 ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンゲームマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。

 ファミコンなんかよりもマイコンゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。

 しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。

 あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。

 まだ続くと思います。

2007-10-22

8bit時代とは何だったのか - 8色タイリングが拓いた表現者の時代 -

ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。

YouTube『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』

80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコンホビーパソコン

要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。

もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。

しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然言語を取り扱えた。いきなりバイナリコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。

そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本ソフトウェア産業レベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。

怪しい部分はいろいろある。

8bitパソコンうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。

また、90年代の停滞だ。Macintosh廉価版と続くPC/ATWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォーム現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。

思うに、80年代パソコン90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。

そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログイン伊藤ガビンPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。

特に当時は計算能力限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。

ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。

そしてこれはコミック60年代??)、アニメ70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本サブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。

だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。

※作者が何者か全く知らない。本当は20才のモデルかもしれないし65才会社役員かもしれないのであしからず

 
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