はてなキーワード: 男子校とは
こうなるのはざっくり偏差値60以上の学校限定。中学入学組と高校入学組とで素質にはあまり差が無いが、中学入学組のうち、中学3年間で勉強をサボっているやつは高校に入る頃には勉強はまるでできなくなっている。いわゆる落ちこぼれだが、そのタイプの人間も1~2年真剣に勉強すると旧帝程度の大学には合格する。高校入学組は中学の学習範囲をもれなく押さえているので、勉強に関してはそつなく3年間過ごす印象。
・SMART+CH(あるいはGMARCか。最近はマーチとは言わんらしい)にあっさり入れる人間がゴロゴロいる環境は偏差値55くらいまで。それ未満の中学に通わせるくらいなら中学受験は取りやめて高校受験で十分かもしれん。
今ちらっと調べたが、偏差値の相場はそんなに変わってないかもだが、中間層の厚みが薄くなった気はする。少子化の影響か?
https://www.yotsuyaotsuka.com/njc/deviation_top.php
https://www.study1.jp/kanto/list/deviation.html
・他の増田が
1. 高校受験をしなくて良いので、中学で内申点を気にせずに過ごせる、つまり中高の、6年間、成績を気にしないで、まとまった時間をもてることで、本当に没頭したいことに没頭できる時間を作れる
こう書いてるが、高校卒業まで担任の顔色をうかがわずに過ごせるのは不器用な人間にとって良いことかもしれない。学費さえ払ってくれるなら、私立はよほどのことが無い限り高校まで卒業はさせるスタンス。
・男子校や女子校は基本的にはお勧めしない。とくに男子校はお勧めできない(実体験として切にそう思う)。女子校はけっこう楽しめると学生時代に女子校出身者からはよく聞いた。男子が居ないから女子同士であらゆることをやり、のびのび過ごせるそうな。
小学3年生か4年生から6年生までずーっと、放課後は夜寝る前までの大半の時間を勉強に捧げることになる。毎週末に半日かけてテストも受ける。夏休みや冬休みも延々と講習だ。幼少期の密度の濃い貴重な貴重な時間を、それほどまでにおべんきょうに費やす価値があるのか?と言えば、あんまりなかったと私個人は思う。
中学受験のためだけに覚える無駄知識が膨大にある。そんなものを覚えるために時間を割くくらいなら、国語、数学、プログラミングなどリテラシー系の学習だけしっかりさせつつ(英語学習はたぶん無駄。子供らが大人になった時には自動翻訳で済むので)、なにか好きな習い事でも継続してもらうほうが有意義だろう。
年度の前半に生まれて発達が早い(から有利)とか、勉強大好きとか、勉強が苦にならないとか、そつなく何でもこなせる人間ではないから温室にぶっこんだほうが良さそうだとか、そういう理由があるなら中学受験は良い選択肢かもしれない。
愛のあるセックスがしたい。
素人のはずな人2人とはセックスしたことあるけど、別にあんまり愛してたわけじゃないしな。
懐かしきSkype掲示板で出会った女と一応しばらく付き合って、
あとは自治体の婚活パーティーでマッチングした女と3ヶ月ぐらい付き合った程度。
まあ嫌々付き合ってたわけじゃないけど、別に好きではなかったわな。
俺が人を好きになったと言い切れるのは、
小学校で出会った玲奈ちゃんと、大学で出会った由里ちゃんだけだよ。(中高は男子校だった)
どっちも片思いのまま一切進展なく終わったよ。
ソープにはもう20回ぐらいは行ってるだろうが、俺は愛のあるセックスがしたいんだ。
なぜ俺は愛あるセックスができないんだろうか。
近所の子供たちから、気持ち悪いと言われたり、草や泥で作ったものをご飯だと言って口の中に押し込まれたりしたこともある。
お金を持ってきたら一緒に遊んでやると言われて、親に理由を言ってお金が欲しいと言ったら、親が相手の子供に抗議してくれたが、親も気持ち悪いとか、チンパンジーの親子だとか言われて馬鹿にされた。
小学校に入った時から、自分は有名人で、「近づくと〇〇菌がうつる」と言われて、友達もできなかった。友達がいないので、一人で遊ぶしかないのだが、一人で遊んでいるとますます気持ち悪がられた。
近所のスーパーの駄菓子コーナーでお菓子を物色していると、同級生が親子で買い物に来たことがあった。その同級生が「あ、〇〇菌がいる」というと、その親に「汚いから〇〇が触ったお菓子とっちゃだめよ」と言われたこともある。
学校では、上履きを隠されたり、机の中のものを全部出されてトイレに捨てられたりしたこともあった。体操服の入った袋をとられて、校庭でサッカーボールのように蹴られて遊ばれたこともある。こともある、というかよくあった。
当然、両親も自分がいじめにあっていることは知っていて、学校に相談したりしてくれたが、全く解決できなかった。逆に、〇〇君は勉強をしっかりしていないので、家でしっかり勉強の面倒を見てあげてほしいとか親が責められたこともある。だって、いじめられてて学校が嫌なのに、勉強なんてするわけないよ。
そんな時、母親が2つ離れた市にある学習塾に通ってみるかと提案してくれた。小学校5年生になった時だ。離れた市なら知り合いもいないし、塾の先生に事情を話したら、市外の子でも大丈夫と言ってくれたそうだった。
小学校の授業は、今でも記憶にないくらい何を教えてもらっていたのか覚えていない。当時も学校に行きたくなかったので、授業も全く聞いていなかったと思う。自分は馬鹿だと思っていたので、塾なんて無理だと思っていたけど、子どもだし親に言われるがままにその塾に行ってみた。
最初に受けた算数の授業の内容、今でもよく覚えている。今でも衝撃的なその瞬間を覚えている。
勉強が分かる。楽しい。多分、自分の人生が変わった瞬間だったと思う。
それから、塾の勉強に一生懸命取り組むようになった。塾のテストで成績が上がると、先生はいっぱい褒めてくれた。うれしかった。
他の生徒も、自分のことを知らないのもあったのかもしれないけど、知らない子がいる程度の感じで、気持ち悪がったりすることはなかった。ただ、友達はできなかったけど。
小学校では相変わらずいじめを受けていたけど、塾に通うようになってから、前よりも辛く感じなくなっていた。
ただ、中学に入ってから、いじめがよりひどくなった。中学1年の時に、クラスの女子が、〇〇に痴漢をされたと触れ回ったことだ。当然、痴漢はしていないし、話したことも触ったこともない。
その後3年間、机や教科書には痴漢魔と落書きされ、上級生がわざわざやってきて、痴漢魔への制裁といって、毎日頭をはたかれたり、後ろからいきなり蹴り倒されたりした。
今でも忘れられないのは、中学2年の時に、休み時間が終わると(その時はいじめられない図書館に逃げていた)自分の机の上に、何か液体が入った小瓶がおかれていて、その中身がどうやら精子だったことだ。
誰かがそういういじめをしようと計画したのだろう。いじめをしていた男子が女子の方にその瓶近づけると、女子たちは悲鳴を上げて逃げていた。最後には、その瓶の中身を机の上に出された。
拭くものがなかったので、落書きされた教科書やプリントで拭うと、周囲からまた悲鳴が上がって、本当につらかった。
それでも、塾には通い続けた。その時は親と相談して高校は県外の高校を受けることに決めていた。
またその時は、塾以外に打ち込むものもできていた。10歳年上のいとこがバドミントンをやっていて、社会人のバドミントンサークルに誘ってくれたのだ。
ただ、サークルで使っている体育館は、家から車で1時間半くらい離れたところにあった。毎週土曜日の夜に、父親が送り迎えしてくれた。
塾も市外で遠いところにあって、ほぼ毎日母親が車で送ってくれていた。
塾は高校の部もあったけど、県外に進学したので通えなくなって辞めたとき、両親と塾に挨拶に行った。
塾の先生はよかったな、と泣いてくれた。先生を見て両親も泣いた。
バドミントン部に入って、友達もできた。その友達とは、大人になった今でも付き合いがある。
高校3年間は、とても楽しかった。男子校だったが、クラスでちょっと悪そうで遊んでるような、中学だったらいじめをやってそうなタイプの奴でも、ものすごくいいやつで、そいつとそいつの彼女との色々な話を聞くのが楽しかった。
誰も外見とか性格とかで差別しなかったし、勉強も部活も文化祭や体育祭も全力で楽しめた。
大学に入ってからもバドミントンは続けたし、部活の関係でバイトを紹介してもらった。
大学でもバイト先でも、自分のことをいじめたり、気持ち悪がったりする人はいなかった。
ただ、女性に対しては、中学の時の痴漢騒ぎを引きずっていて、苦手だった。結局、高校・大学と恋愛とは無縁な学生生活だったけど、とても楽しく、充実したものだった。
大学は大学院まで行き化学系の研究室で研究を頑張った。大学院での研究大変だったけど、それでも乗り越えられたのは勉強の楽しみを教えてくれた塾のおかげだと今でも思っている。
その後、希望していた化学系のメーカーに就職することができた。
就職してからも、仕事のために勉強しなければいけないことが無限で、終わりがない。
でも、勉強はかならず答えを与えてくれる。やればやるだけ成果が出る。結果が出る。自分にとって勉強は最強の武器だと思っている。
そして、こんな自分にも出会いがあり、結婚することもできた。バドミントンは今でも続けていて、社会人のバドミントンサークルで出会ったのが奥さんだ。
奥さんには申し訳ないが、自分のような女性と縁のない人間が女性と出会えたのは、やはりしっかりした仕事についていることが信頼されたことが理由だと思っている。
勉強ばかりしてないで、たくさん遊べとという考え方の方が普通だし、その方が楽しくて幸せな人生を送れるのかもしれない。
それでも、勉強という、自分の中で揺るぎない武器があることが自信につながったし、今の幸せも勉強が与えてくれたものだと思っている。