はてなキーワード: フィルターとは
今の無線機みたいな、一部の愛好者に支えられるようになる。
こういうシーンはこういうフィルターを使う、
その代わり設定したら必ずその通りの写真が撮れる。
「こんな風に撮れたらいいな、に最適化された」写真がでてくるんだよ。
夜空に向けたら星空撮影になるし、手前に人がいたらその人達は明るくする、
ユーザーに「このパターンだとこういうのがいいんでしょ?」って形で
ビッグデータから割り出した最適な画像が撮れるようになるんだよ。
もはやここまで来たら自分がそこにいなくても自然に合成されるだろうし、
観測内で言うが、偏差値は「気立て」や「家庭環境」との相関はある程度あるが、日常接する上で感じるような「頭の良さ」との相関はそれほど高くない。
理由を考えると、どうも義務教育時期の教育がむしろ「何も考えず教えられたことをただ丸呑みする」方が高成績取りやすいからではないかと思う。要は、「ごちゃごちゃ考える」ことがプラスにならず、「何も考えず丸暗記」の方が高得点取れちゃうテストが多いってこと。
もちろん、本当に(たとえば人口比にすれば0.1%以下くらいの)「圧倒的に頭が良い」人たちはその程度のことは意に介さずすいすいパスしていくのだが、そういう人は本当に希少種。だから、普通に「頭の良い」人が期待するような異性と出会いたいときに偏差値フィルターを使っても、誤差の範囲内くらいでしか期待値は上昇しないと思う。それより、人口比にして5%以内に属するくらいの普通に「頭の良い」人々は、偏差値と関係なく様々な所に分散している。
従って、まず偏差値フィルターなんかとっぱらって色々な集団に関わるのが第一だと思う。そして、「頭の良い」人は周囲から見ていろいろと便利で魅力的なので人とのつながりが絶えることが少ない、みたいなことを手がかりに、リーダー風吹かすわけじゃないが人から頼られてる、コミュ力あるってわけじゃなさそうなのにちゃんとした同性の友だちがいる、簡単に人を信用せず安易に付和雷同しない、みたいな所に着目してアプローチしてみるといいんじゃないかな。
担降りブログって書く必要ある?構ってちゃんじゃん〜〜 って思ってた時期もありました…。 まさか自分が担降りブログを書くことになるなんて昔の自分に言ったらなんて顔するんだろう。
はい。突然ですがヲタ卒をします。ウダウダ一年間ずっと悩んでついさっきとあることがきっかけでやっと決まりました。新しい推しをつくるのではなくヲタ卒です。界隈自体から去ります。
純粋に推しを推すのが辛くなったから。色々バレたくないのでフェイクを交えますが推しはグループ内で2番人気でした。女性関係の炎上もなく、人望があって慕われていて推しがいないところでも名前が出ることが多い素敵な推しでした。
そんな素敵な推しでしたし、色々苦労してきたことも知っていたので私は推しに絶対に幸せになってほしかったし結構数字を気にするタイプだったので1番人気になってほしいと思っていました。
だから学生なりにCDを積んだりグッズにもお金をかけたりしていました。全然苦じゃなかったし推しが喜んでるのが嬉しくて仕方なかったです。それまでのヲタク人生の中で1番ハマったというのもあると思いますが本当に素敵な推しだったので推し事が楽しくて楽しくて。
でもある日嫌なものを見てしまったんです。それはいわゆる愚痴垢というもので。
私は結構パブサをするのが好きで暇な時はパブサしていたのですがその時に推しに対するマイナスな意見を見つけました。盲目ではあったと自覚はしていましたがまあそういう意見もあるよなというくらいに流しておきました。推しに実力があるか、と言われれば自信を持って「はい」とは言えなかったのも理由の一つでしょう。
しかし、なんとなく気になってしまったんです。結構口汚く推しの悪口を言っていたので。その時の私は愚痴垢というものを知らず、アンチなのかなぁ…くらいに思っていたのですがどうやら同担だったようで。他のツイートなどをまとめると
・実力と仕事が見合ってない
・推しの方が長く活動しているのに1番人気(以下Aとします)に比べてセンスがない、劣っている
・いい人ぶっている、どっちつかずで責任のない人間(これは過去に推しの周りであったトラブルが理由だったようです)
という感じでした。実力が見合ってないというのは私もそう思う節がありそれでも好きみたいな感じだったのであまり気になりませんでした。3つ目のいい人ぶっている、どっちつかずで責任がないというのもあまり気になりませんでした。
私が1番気になったのは2つ目。推しが実力人気双方Aに劣っているというもの。
それまでは1番人気になってほしいなとは思っていましたが、病んだりするほど人気がどうとか実力がどうとか気にしていなかったのですが、この言葉がどうしても頭に残って離れませんでした。
そこからです。いろんなものが気になって仕方なかった。CD売上や物販の完売速度、トレンドに載った際のツイート数etc…
また、愚痴垢の存在を知ってからというものその人達の意見を見るのが辞められなくなりました。今考えたら正しい意見なんて何一つなかったし、そもそも愚痴垢を作ってまで界隈に居座る人間の意見なんてとるにたらなかったんでしょうけど。
自分なりに頑張ったつもりが結果がなかなか出ず、推しも色々気にしてる様子で落ち込むことが増えました。何より、他担から色々言われるのが辛くて仕方ありませんでした。
そんな日々が続き、推しを降りたいと思うことが増えました。
推しのことは大好きで、ライブでは常に笑顔で楽しい幸せって気持ちが伝わるし、塩対応と言われることもありますがファンに対する感謝をよくストレートに伝えてくれてフィルターがんがんかかっていますがとっても素敵でかっこいい推しだったと思います。
でもだからこそファンが頑張っても結果を出せなかったのが辛かったしその度に愚痴垢の言葉が頭をよぎってしまいました。
そして今日、今年いっぱいはなんの発表もなさそうなのと個人的に少しショックなことがあったのでヲタ卒をする決断ができました。
このブログを書く前に、推しの思い出を色々漁っていました。ブログとかライブレポとか雑誌の取材とか。
もうどれを見てもやっぱりめちゃくちゃかっこいいんですよね。活動者としてヲタクを不幸にするようなことはしない人でした。自分はもう応援することはないけれど、絶対にこの先も活躍してほしいし誰よりも幸せになってほしい。降りた後もそう思っています。
完全にヲタ卒をするということで、推しだけが趣味だった自分はこの先何を楽しみにすればいいんだろうなあとめちゃくちゃ不安です。それでも気持ち的には結構楽で。多分どうにかなると思いたいです。
まあまあ昔から付き合いがあるフォロワーが、とあるアカウントと喧嘩別れした。
喧嘩のきっかけについては部外者なのであまり立ち入らなかったが、何かがあったというより徹底的に性格が合わなかったらしくて、バチバチに喧嘩をして関係は幕を下ろした。
そんな喧嘩相手のことを、TL上の愚痴やらグループ通話やらで見聞きする内に、とある感情が生まれてきた。
「その人のフォロワーになりたいなー」と。
「いつも興味のないジャンルの話をされて嫌だった」と聞いて「ああ、そのジャンル私は好きだなあ」と思ったのがきっかけだった。
聞けば聞くほど、知れば知るほど、他人とは思えないくらい趣味が合う。「こんな風に話が合わない」「こういう考え方をしていて分かり合えない」と愚痴を聞いていても、なるほどと思うところはあれど、でもそういうの結構好きだなあと思ってしまう。
ふんふんと聞き流す傍ら、日に日にひっそりとした親近感が湧いていた。鍵垢だから私から何かを知ることはできない。けれど、愚痴というフィルター越しでさえ相手があまりに魅力的で、ちょっと怖いくらいだった。
だけども、なかなか叶い辛い思いだ。勿論、喧嘩相手が気になるからといってフォロワーのことが嫌いなわけじゃあないから、喧嘩別れに対しての追い討ちか嫌がらせまがいの事はしたくない。そもそも、喧嘩相手のフォロワーからフォローされたら回し者だと思ってブロックするだろう。自分ならそうする。
かといって、新しいアカウントを作るっていうのも他に目的が無い以上難しい。そもそもそんなにツイッターが得意じゃないから、フォロー1フォロワー0のヲチ垢になるのが関の山だ。
今日も、だんだん少なくなってきた愚痴をスクロールしながら、プロフィール文とアイコンしか分からない誰かのことを考えている。いっそこんなことになる前に、しれっとフォロワーになれてれば良かったなあ。
最近、主にTwitterだが「界隈や人が嫌だと思ったら距離を置け」と言われがちである。まあ、それは正しい。合わないものに無理にしがみ付いて心が折れては元も子もない。
…では、例えばの話。
この場合、「距離を置くべき」ものはどれなのか、思考実験をしてみたい。
自分自身の中で「好きなジャンルA」「好きなジャンルB」と、複数の好きなジャンルがあるとする。
そしてジャンルAが好きなフォロワーCと繋がり、いいねやリプ等のやり取りもするようになる。
しかしその後、フォロワーCが「ジャンルBが苦手」であることを公言……所謂「地雷」だと判明する。
それが判明することで「これはフォロワーCの地雷だ」というフィルターがかかり、気付けば「ジャンルB=フォロワーCの地雷」だと刷り込まれ、徐々に自分自身がジャンルBに触れられなくなっていく。
ここで「フォロワーCをリムーブなりミュートなりすればいい」と思った際に沸くのが、「でもフォロワーCによるジャンルAの話は読みたい」という感情だ。ジャンルAを楽しむためのモチベーションの一つとしてフォロワーCにやるジャンルA話の存在がある場合、フォロワーCを切ることでジャンルAへの気持ちが薄れてしまうかもしれない。
勿論他人の好みと自分の好みは違う、と切り離して考えられる人もいるだろうが(むしろ本来は切り離して考えるべき点だが…)、いずれかとは距離を置かねば自らの「好き」を保てない…となった場合、この段階で距離を置くべきは果たして、
・ジャンルA
・ジャンルB
・フォロワーC
さあ、いずれだ。
…個人的見解だが、正解は「どこに重きを置くか」によってくるはずだ。
例えばフォロワーCがジャンルBに対して何故苦手意識を持っているか…に何となく同意ができるのなら離れるべきはジャンルBだし、それでと作品への気持ちを大切にするならフォロワーCだ。しかしこの場合、フォロワーCから離れたという事実を再確認してしまい、共倒れでジャンルAにまで嫌悪感を抱いてしまう危険はある。
それなら「Twitter自体」が一番いいのだろう……と結論付けようとしても、Twitterに馴染み過ぎてしまったらなかなか離れるのは難しいだろう。特に創作活動をする人だと発表の場を失ってしまう。
距離を置くにしても「自分自身に取って一番大切なものは何なのか」、そこを見極めないと距離を置いても全く意味がないと私は考える。
そこを見極められずに闇雲に距離を置くだけでは、逆に「距離を置いた」という事実が枷になって、かえって未練が膨らむだけで完全に逆効果なのだ。
今回はあくまで思考実験だが、同じ状況に陥った時、「何を捨てて何を取るのか」「距離を置くべきはどれなのか」は、その時が来た際のために考えておく必要があると思っている。
……自戒も込めて。
自慢ではなく、俺の彼女は物凄く人間として優れている。恋愛感情のフィルターがかかっているとしても凄い人だ
まず頭が良い。俺が頭が悪いから際立っているわけではなく、本当に頭がキレる。3ヶ国語を使いこなす上、旅行に行きたい国があれば現地の言語を相当に勉強して出向いてる。現地の店員と滅茶苦茶楽しそうに談笑し始めて、毎回俺は驚いてる
部屋の本棚は学術書がほとんどだ。以前花を贈ったら「花より本が欲しい」と言うほどの知識欲なのだ
その上、軍隊の司令官並みに冷静で判断力が極まってる。仕事では多くの人の管理運営を1人でやってるし、プライベートでも慌てたりミスしたりすることは基本ない
生まれる時代や場所、社会が違えば彼女は一国を統べる人間になれる人だと思う。人を正しく導いて、成長と幸福をもたらせる人だ間違いない。1番近くで見てる俺が言うのだから、間違いないと信じたい
彼女はまだ身を固めるつもりは無さそうだけれど、俺は彼女の遺伝子を後世に残すべきだと考えてる。彼女の遺伝子を持った子どもを育てて、彼女とその子どもの素晴らしさを世間に知ってもらい、活躍してもらいたい
俺は彼女の為に何が出来るだろうか。日々自問自答してる
それはフィルターで切ったあとな。
採用する側になって思うけど学歴フィルターほど有能なものはないわ。
こちとら採用はせいぜい数百なのにエントリーだけで何千何万を捌かなきゃいけないんだ。
100人中30~40人はOKって思う優秀な大学と100人中3~5人はOKって思う聞いたこともない大学を
一緒にして選考するなんてバカバカしいし時間の無駄なんだよわかるだろ。
優秀な大学だけで枠うまるんだもん。
Fランだから取らないんじゃなくて、Fランっていう砂漠でコンタクト探す作業が面倒なの。
昔一瞬だけフィルターは良くないって大学名隠して採用したことあるんだけど