はてなキーワード: タイコとは
フチゾリネッタイコシビロだんごむしの10倍尺フィギュアが、私の目の前にある。3ヶ月ぐらい、ずっと探していた。やっと手に入った。
くぼんだ手のひらにちょうどおさまるジャストフィット感。卓上に置いても映えるし、同居人(私と同居している人間)の腹の上に乗せても生物めいた可愛さが強調される。たくさんの足とまるい体と、スカートみたいな後ろの方の節が、おしりに向けてきれいにすぼまっていくのも良い。朝の通勤電車にいても良いと思う。手すりや、つり革や、みなさまの肩の上に…。
バンダイが発売している「DANGOMUSHI03」というガチャガチャ(以降、ガチャ)を引くと、このだんごむしのフィギュアが入手できる。
https://gashapon.jp/dangomushi/
そもそも、仕事の往路復路にあまりガチャは置いていない。それに、あたりをつけようにも、バンダイの公式ページにはだんごむしガチャの設置場所が記載されていない。だから、ツイッターのタグで検索をかけて、しらみつぶしに口コミを探すしかない。
そこで、私は同居人(ツイッタラー)にだんごむしの捜索を依頼した。同居人は、「誠心誠意だんごむしを探す」と言って、近年稀に見る真面目さでだんごむしガチャの置き場所をリサーチしはじめた。結果、新宿の高島屋タイムズスクエアに入っている東急ハンズ内に、目当てのガチャが設置されていることがわかった。
そこで、我々は4月の土曜日に新宿に繰り出すことにした。その日は春一番の陽気だったので、新宿御苑で桜を見ながらぐるっと散歩した。それから、近くの店で大盛り(無料)のざるうどんを平らげた。美味しかった。最後に、件の東急ハンズに向かった。しかし、そこに、だんごむしガチャはなかった。同居人は、落ち込んで口をきかなくなった。
東急ハンズが入っている階から、エスカレーターで3階分降りたくらいのタイミングで、私が「落ち込んでるね」と声をかけると、同居人は「落ち込んでる。だんごむしはいらないけど」と答えた。同居人は調査に関わる仕事をしているから、だんごむしが見つからなかったことは沽券に関わるのだろう。
そして昨日、私はたまたま東京駅にいた。家に帰る途中で経由する駅だったが、ふと「東京駅にもガチャあったよな」と思い立った。思い立った勢いのまま、丸の内側の横須賀線入口から八重洲口まで早足で歩いて移動した。もしかしたら、あるかも。
私は東京駅地下一番街に潜り、さまざまなガチャが肩を並べる「ガチャガチャストリート」みたいな名前の通りに到達した。子供や外国人が和気あいあいと遊ぶ中、いい歳した女性がガチャに張り付くのは気がひけるので、何も見てないそぶりでガチャの前を早足で歩く。そして、ストリート最後列のガチャにたどり着いた。そうか、なかったか…。そう思った矢先、私は発見した。そう、ガチャを!だんごむしガチャを発見したのだ。
ガチャを回すと、10倍尺のフチゾリネッタイコシビロだんごむしが丸まった状態でごろん、と排出された。私はだんごむしの外側を覆っている透明なパッケージをむしり、右手に丸いだんごむしを握りながら帰路についた。同居人にSNSで報告すると、とても喜んだ。
その日、私より遅く帰宅した同居人は、食卓に転がっている茶色い巨大なだんごむしの模型を見て、「捨てればいいと思う」と端的に感想を述べた。
「つけがち」というか現在の主要な米海軍艦はだいたい人名だったはず
これら全て米海軍の発展などに大きく貢献した海軍関係者(要するに提督といった偉い人)の名前に由来する
全てが人名由来だが、確かに少し前まではそうでないものもちらほらあった
たとえば「米海軍最後の原子力ではない空母」である「キティホーク」は、ライト兄弟が初めて空を飛んだノースカロライナの街の近くの地名に由来する(そのため古い戦闘機の愛称にもなっていたりする)
また「世界最初の原子力空母」であり数年前に退役した「エンタープライズ(冒険心)」は米海軍の象徴的な名前として位置づけられている(太平洋戦争時における旧日本海軍の「大和」とか「長門」みたいなもん)
そのためNASAのスペースシャトルや、有名なSF映画の宇宙船の名前にも採用されている(「戦艦大和」→「宇宙戦艦ヤマト」みたいなもんか)
これら人名由来じゃないやつってのはだいたい、「軍艦の名前は人名由来」という慣習が根付く前につけられた古い名前だったりする
たとえば世界初のイージス艦は「タイコンデロガ」って名前で、これはアメリカの古戦場(タイコンデロガ要塞)、ネイティブアメリカン(イロコイ族)の言葉で「二つの水に挟まれた地」という意味
http://anond.hatelabo.jp/20140423191935
漫画とかドラマと同じ。見てて楽しいものであって実際にヤリタイコトはまるで違いますよ。
僕は進撃の巨人が大好きだけど、実際に命がけで巨人と戦いたいなんて1ミリも思わないよ。
AVも同じ。
そもそもプレイの内容も見た目に派手だけど現実にやったら面倒なだけのプレイが多いじゃん。
あんな派手にケツ降ってピストンしたところで疲れる上に相手に文句言われるだけじゃん。
ファンタジーですよAVなんて。
じゃあどういう気持で自慰してるかというとまあ覗きをしている気分ですね。
実際に女優さんとヤッテみたいか、と言われたらそりゃ男なのでどちらかと言えばヤッテみたいですけど、
別にAV女優さんが至高の女性だとも思わないし仮にセックス専用としても別にという感じ。
好物でなくても目の前でだれかに美味そうに飯を食われたら気になるでしょ? そんなレベル。
女性向けのドラマとか漫画とかでも同じでしょ? あんな恋愛現実にはやりたくないでしょ?
ある日突然前世からの運命により御曹司のイケイケ強気イケメンに無理やりさらわれて豪邸で何不自由ない暮らしを送らされてるのに
政治的ななんやかんやとかライバルの邪魔とか他のイケメンのちょっかいとかに阻まれて、
2人は完全に両思いなのに何故かいつまでたっても結ばれないとか嫌でしょ?
「クソッ・・・俺はお前のことをこんなにも愛しているのに・・・」とかそんなセリフ現実で吐く男とか嫌でしょ?
だいたいそんな感じ。
24歳で実家暮らし。正社員としての職歴なし(短大→バイト→お見合い→専業主婦)夫と子供あり。
※1年齢間違えてました。アニメ版だと24歳、原作だと27歳とのことでした。
※2ご指摘のとおり、探偵事務所とハロー社でアルバイトの経験ありとのことでした。すみません。
専業主婦とはいえ、実際はフネさんが家事を全部取り仕切ってるから、サザエは単なる家事手伝いである。
夫もいるのに、24歳になっても3兄弟の長女として”子供のまま”でいられるのだ。
妻は言っている。
長いスパンで仕事をしたことがない、専業主婦ですらない、育児も実家に頼りきり、メンタルも母になりきれてない。
中途半端でラクすぎる立ち位置ではないか。こんな立場、今の世の中ありえない!
僕はマスオさんは個人的に尊敬している。あのコミュ力は半端ない。僕なら無理だ。
でも波平お前は駄目だ。あまりに幼児性と独善性が強すぎる。結局フネさんに甘えているとしか思えない。
追記:ご指摘を受けて修正しました。
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
前日は空が白むのを見てから寝たにも関わらず、暑さゆえに8時過ぎ起床。
テントサイトにて、フジロック初回から参加し続ける猛者たちと杯を交わす。
潰れる一歩寸前まで日本酒を飲み、大声で歌いながらライブ会場へ。
・青葉市子
前野健太とソープランダーズを見逃し、フジロック2日目は森の中の青葉市子からスタート。
会場は、青葉市子に似つかわしく、森の中にぽつんとある一番小さなステージ。狭いながらも超満員。
心地良い演奏にうとうととしてしまい、椅子から転げ落ちそうになったため次のライブに移動。
青葉市子の弾き語りは2週間前に下北沢音楽祭で見たし、前日の深夜にもピラミッドガーデンにて見ていたので特に感想はなし。
なんか日本のバンドっぽくない印象。逆輸入アーティストだからまぁそりゃそうなんだけど。
日本のバンドは演奏が上手く、サウンドメイキングにより強烈な個性を出すのは苦手、
そして海外のバンドはサウンドメイキングにより表面的な個性を打ち出すのが上手く演奏は下手くそ
というイメージを勝手にもっているのだが、トクマルシューゴは後者に該当した。
演奏は下手くそというとさすがに言い過ぎだが、難しいギターのフレーズはCD音源のほうが綺麗に弾けてるし、バンドのアンサンブルもなんとなくだけどそこまで息がピッタリという雰囲気でもなかった。
前日にギターの達人たちを見たからハードルが上がってたのかな?
しかしおもちゃ箱を開けたようなサウンドはライブでも健在であり、楽しいライブであることは間違いなかった。
そういえばドラムの人が目測で身長190以上あって存在感半端無かった。
・SUZANNE VEGA
本当はオレンジコートでVERY BE CAREFULというクンビアバンドを見たかったが、豪雨により断念。
フィールド・オブ・ヘブンのTシャツ屋でなんと2時間近く雨宿りをして意地でSUZANNE VEGAを見る。
何度テントに帰りたいと思ったことか。まぁこの時テントは雨漏りしまくっていたわけだが。
しかし演奏は素晴らしかった。フジロック三日間を通してのベストソングは間違いなくSUZANNE VEGAのLUKAだろう。
LUKAのリリースからは既に26年が経過しており、声の変化が心配だったが、そんなのは杞憂に過ぎなかった。
バンド編成はなんとアコギを抱えたSUZANNE VEGAとエレキギターのおじさんのみ。
エレキギターのおじさんはルーパーを巧みに操り1人でドラムとベースとリズム&リードギターをこなしていた。
最初は「おいおい手抜きかよ」と思ったが、今思えば逆にそれが功を奏していたといえる。
このシンプルな構成により、LUKAに限らずSUZANNE VEGAの声が前景化して、より感動的に仕上がっていた。
リバーブが思いっきりかかったおじさんのギターソロも際立っていた。
豪雨によりずぶ濡れになった服を着替え、少し遅れてレッドマーキーへ。
ボーカルはスーツに黒い革手袋!真紅の帳に舞い降りた漆黒の歌い手!
いやー、モニターに足をかけて客席を指差すとかもう完全にV系です、ありがとうございました。
This song is called〜〜って演奏前にいう感じもなんか外国語ながら中二感を感じざるを得ないw
遅れて行ったからか、Wonderful Lifeが聞けなかった。
・KENDRICK LAMAR
ビョークはあんまりわからないし、死ぬほど混んでいたのでさらにわからないKENDRICK LAMARへ。
なんと10列目でラーメンが食べられるほど空いておりましたが、ライブ自体はとてもよかった。
まずDJセットではなくバンドセットで、B-BOYたちがバンドをやっている姿はなんともシュールだったw
そして、今風なアンビエント的R&Bみたいなのを生で初めて聞いたのだが、あの手のものは音圧が半端無いんだということを知った。
Frank OceanとかJames Blakeとかも生で聞いたら恐らく音の風が吹いてくるみたいな感じなんだろう。
KENDRICK LAMARはとにかくアンダーグラウンドのワルみたいな雰囲気で、なぜか雨もやんでいてステージには屋根があるにも関わらず300円のビニールレインコートを着ていたw
スヌープドッグがシャンプーハットをファッションとして着ていたりするが、これもそういうことなのだろうか…
フジロックベストアクト、エンターテイメント部門はJURASSIC 5に決まりでしょう。
途中でタイコクラブで知り合った人に遭遇したり、後ろの人に声をかけられたりとテンション上がりすぎて、いつの間にか持っていたジン300mlをライブ中に飲み干していた…
ライブはショウとして完成されており、DJの二人によるショルダーCDJ(!?)とショルダーサンプラーでのライブが挟まれるなど、90分間片時も飽きさせないライブだった。
そして脱退したと思っていたカット・ケミストが生で見られたのもなかなかに感動的。
前日のDJシャドウは深夜につき断念したが、カット・ケミストのターンテーブルさばきはしっかりと目に焼き付けた…と言いたいところだが、酩酊状態につきそこまで覚えていないw
DJももちろんすごかったが、前に立つ4MCもKICK THE CAN CREWのように、それぞれキャラ分けがしっかりとなされており、コミカルなボディランゲージと共に最高のフロウを聞かせてくれた。
全てがノンストップにミックスされたライブだったので曲単位でこれがよかった!とかはあまり感じなかったが、BreakのサビやI am sombodyのコールアンドレスポンスは酩酊状態だったにも関わらず鮮明に記憶している。
全体的にショウとしての完成度で言えば直前のKENDRICK LAMARを大きく上回っていたな、まぁ比較してもしょうがないが。
この後はJURASSIC 5で声をかけてきた人とそのお友達(みなさん私よりも10歳以上年上…)に二時間以上も絡み続けて、千鳥足でテントに向かいましたとさ。
ももクロじゃねーんだぞ?
本当にどうしようもないなんの価値もない映画だなーと思って見ててさ、でも俺は何かこれを見る義務があると思って見てたんだよ。
今30歳で、最近の一番テンションが上がったニュースはマイブラの新作公開!みたいなさ、なんていうかどうしようもねーな!俺!みたいな感じのね、義務で。
映画モテキはまったくの薄っぺらな映画で、音楽PV(しかも真正面から作ってない感じのPV)の継ぎ足しでさ、「ところどころこういう音楽流しとけばお前ら喜ぶだろ?」的な感じでさ。
内容なんかほんと何もなくて、もう何にもどこにも誰にも愛がなくて、愛着も感じされない感じで、サブカルっぽかったらお前らどうせ見るだろ?って感じで胸クソ悪くてさ。
ももクロの「走れ」とか、最後の名前の読み方わからないバンドの「物語はー不安定ー」って歌うのはよかったよ、本当に、これはちゃんと聞きたいとは思ったよ。
それはそれだから映画とは何の関係もないし、映画は最悪の映画だったんだよ。
でさ、イライラしてネットでモテキの悪口書いてないかなーって調べてたら、五十嵐隆復活、単独ライブってなわけよ。
犬は?タイコは?マキリンは?とかさ、今度は本当にやるのかな?とか思ったよ。
でもね。
これでもうフリースロウからラストアルバムまでスマホで通して聞いて、未発表曲も音質悪いけど聞いて、犬のアレらの曲も聞いて、あれから何年か経って普通に毎日朝起きて夜まで働いて帰って奥さんと娘に会って、お風呂を洗って娘をお風呂に入れて、作ってもらった夕飯を急いで食べて、食器を洗って、とかのさ、そういった日々が報われるなって単純に思ったんだよ。
待ってたからさ、本当に。
うれしいな。
ライブ行けるかな、平日だしな。
CD出してくれるといいな。
http://anond.hatelabo.jp/20080213211710 の続きの続き。
老人ホームに移った祖母は、常に悲しんでいた。元々人見知りの性格もあって、共同生活になかなか馴染めなかった。それは亡くなるまで変わることはなかった。
タラオは何度も会いに行った。他の人たちも休みになると何度も行った。実は、嫁も行っていた。ウキエやイクラを連れて!
それを知った皆は開いた口がふさがらなかった。けれど、祖母の前では何も言わなかった。今まで数十年一緒に暮らした嫁や孫達に捨てられたなんて言えなかった。それに、祖母はイクラのことをとても可愛がっていた。どうも子供の頃のタラオと区別がつかない部分もあったが、本当によく可愛がっていた。そんなイクラに会わせないわけにはいかなかった。
でもそのうち、祖母も会いに行く側も精神的に辛くなってきた。会いに行くと祖母は泣きはじめ、会話をしてもほとんど答えず、「家に帰りたい。家に連れて行ってくれ。そうしたらもう死んでもいいから」と泣きながら叫ぶだけだった。会いに行った人間は何も言えず「もうちょっと体がよくなったら」「暖かくなったら」と誤魔化すことしかできなかった。
だんだん会いに行く間隔が長くなった。「会いに行くと感情的にさせてしまうからよくないかもしれない」なんて自分に嘘をついて。これは今では一番の後悔だ。
http://anond.hatelabo.jp/20080213211710 の続きです。
うざいでしょうけどスルーしてやってください。
祖母は認知症が進み、骨折の影響もあって一人で起き上がれなくなった。介護が必要だ。嫁とノリスケはアナゴやサザエ達全員を呼び出した。タラオも参加した。
嫁達が言うには、うちだけではやっていけない、近くにいるサザエにも協力してもらわないといけないし、金銭的にも援助してもらいたいと。アナゴは反論した。ノリスケはお金に困ってないし、家も土地も受け継いだ。でも自分は義母の介護と葬儀で死ぬまで返せない借金を背負ってしまった。金銭的な協力はできないと。元々嫁とアナゴ・サザエ・サブロウの仲はよくなかったのだ。嫁が祖母を粗略に扱っていることを知っていたから。話し合いはまったく進まなかった。
それを見ていたタラオは、大した金額は出せないけど祖母のためなら出す。アナゴ達が出せないのはそれはしょうがないことだけど、俺は出すと言った。結局アナゴ達も可能な範囲内で援助することになった。ここで終わったらよかったのに。
それからしばらくして、アナゴ達に裁判所から通達が来た。嫁&ノリスケが調停を申し立てていると。寝耳に水だった。その内容は、祖母の所持品、さらには仏壇まで全て引き払えとのことだった。離婚した長男が祖母の実の息子ではなく、さらには離婚したため介護する義務は嫁達にはないとのことだった。しかし、長男が置いていった土地と家はすでに名義を変えられていたため、嫁とノリスケのものとなっていた。アナゴ達は反論したようだが、裁判所で嫁側の主張は正しいものとされたらしい。ここで、嫁達との関係は途絶えた。
そのころ祖母は、入院生活を終え、特別養護老人ホームに移った。本人は家に帰りたいと何度も言ったが、その時にはもう帰る家が無かったんだ。祖母の所持品のうち、必要の無いものは処分し、残りは仏壇と一緒にサザエの家に置く事になった。実はサザエの家の居間から嫁とノリスケの家の居間は丸見えだ。仏壇は、家の方向のせいもあって、嫁の家に向かって置かれた。でも、嫁の家の居間はあれ以来ずっとカーテンが閉じられたままだった。