はてなキーワード: ジョージとは
近年、原作者自殺という最悪な結末を迎えた「セクシー田中さん」や、つい先日にも「スナックバス江」がアニメ放送中にあてつけるように原作者による自主制作アニメが公開されるなど、原作者と制作サイドの関係性の問題が取り沙汰されています。
これらの問題により「原作を改変してはならない」「原作者の意にそぐわない映像化はしてはならない」という声も大きくなっています。
以下は、はるか昔にあった漫画原作によるアニメ制作時に起こった実話です。
もう何十年も前、当時のある人気漫画がOVAとして制作されました。
その漫画は今でも根強いカルト的人気を誇るSFコメディー漫画でした。
その漫画原作をアニメ化するスタジオは、長い下積みを重ねてこれが初の元請け作品になりました。
原作者はSFマインドに造詣が深く、絵も非常に達者で女の子の絵柄も可愛く、今もなお高い評価を獲得している有り体に言えば「天才」漫画家でした。
酔った勢いで気に入らない関係者に殴りかかったという話もある武闘派な人でした。
新旧のアニメーションにも造詣が深く、アニメ雑誌にもコラム連載を持っていました。
そんな原作者の作品をアニメするにあたって、やはり原作者はアニメ制作にも介入してきました。
監督は◯◯◯◯(巨匠クラス)にしろ、アニメ化のテイストはこういうふうにしろ、ああしろ、こうしろ・・・・
かなりの我儘とも言える多大な注文をスタジオに強いてきたのです。
スタジオもせっかくの初元請けなので強く出ることもできず、原作者の我儘な数多いの要望を聞き入れながら、なんとかアニメは完成させました。
上映中、原作者はまだ途中にも関わらず退席し、そのまま帰ってしまいました。
後日、アニメ誌の連載の中で自作のアニメ化を徹底的にこき下ろしました。
そんな作品が売れるはずもなく、失敗作の烙印を押されてスタジオも大打撃を受けました。
誤解の無いように言いますと、そのアニメは決して出来が悪いわけでもなく、単体として見ればとても丁寧に作られた良作でした。
しかし原作ファンからしてみれば「?」と疑問符がでるようなものであったのも確かです。
原作の魅力であったシニカルで毒のあるユーモアは鳴りを潜め、低年齢層が見るような童話的テイストに仕上がっていました。
しかしこれは原作者の要求通りに作った結果であって、アニメ制作側には原作者に恨まれる筋合いはまったくありません。
にも関わらず原作者は何が気に食わなかったのか公の場でアニメ化を糾弾したのです。
スタジオは原作レイプの汚名を着せられ、次に元請け制作のチャンスが巡ってくるまで実に20年もの時間を要しました。
ここで重要なのは「原作者の要望」はアニメ制作サイドは全て叶えてきたにも関わらず、その原作者が被害者ムーブをかました事です。
「原作者は絶対」なら、こういう横暴にも制作側は耐えなければならないのでしょうか。
「原作者は絶対」にも、限度というものがあるのではないでしょうか。
今後、原作者の権限はますます強まる風潮になってなるでしょうが、こういう無限定な我儘までをも許してよいとはとても思えません。
今一度、原作者と制作サイドの関係性を考えて、このような原作者が制作サイドを奴隷や玩具のように扱うような事が今後起こらないことを祈ります。
後日談として、
そのアニメを作ったスタジオは今ではクオリティに定評のある中堅スタジオに成長し、アニメファンからの支持も厚いスタジオになりました。
数えることを学ぶときに無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます。
それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限の重要な性質です。
無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。
正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。
実数の場合、その写像が存在しないので、より大きな無限となります。
さて、無限に演算を定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります。自然数のある数を無限大で割るとゼロになります。
つまり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。
これらの関係を方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます。
無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合はさらに意味不明になります。
実際には数学者は無限に対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。
たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。
無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます。
たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗、イプシロンの対数などの用語がある場合があります。
しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます。
物理学では通常、これを行う目的は計算の最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。
したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています。
数学的な意味で存在します。つまりその特性を分析してそれについて話すことができるという意味です。
科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。
そして無限を測定することができないので、観察するものを記述するために実際には無限を必要としません。
無限大は測定できないという問題は、ゼロの問題と密接に関係しています。
たとえば、点の数学的抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズはゼロです。
しかし、実際にサイズがゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります。
したがって、測定精度が許容するものよりも小さいことしか示せません。
宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間の数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。
無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続体であると仮定します。
数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。
それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限を有用な数学的ツールとして使用しているだけです。
おそらく物理学で無限とゼロを使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定が科学的に正当化されていないためです。
そしてこれは、宇宙や量子力学の理解に役割を果たす可能性があります。
ジョージ エリス、ティム パーマー、ニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限を使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。
一応ちゃんと聞いてみる俺。
「大きな古時計」(英: My Grandfather's Clock)は、1876年にヘンリー・クレイ・ワークによって作詞・作曲されたアメリカの歌です。この歌は、作者がイギリスのヨークシャーにあるジョージ・ホテルで見た大きな床置き時計に触発されて作られたと言われています。歌の内容は、祖父の時計とその所有者との長い関係を描いており、祖父が亡くなった時に時計も止まったというストーリーが語られます。
この歌の歌詞やテーマには、明確なキリスト教の影響を指摘する要素は含まれていないようです。むしろ、人生の経過、愛、喪失といった普遍的なテーマを扱っています。ただし、19世紀においては、日常生活の多くの側面がキリスト教の教えや価値観に影響を受けていたため、広い意味で文化的背景としての宗教的影響は否定できないかもしれません。
しかし、この歌が作られた背景や歌詞の内容から直接的にキリスト教の教えや象徴を反映しているわけではなく、むしろ個人の人生と時間の流れ、そして人と物の関係に焦点を当てた作品と考えられます。
去年の春にギターを始めた。エレキ。デジマートでBCリッチのワーロックを買った。7万くらいの。
エフェクターのこととかよくわかんなかったけど、とりあえず安いズーム?のマルチ?を買った。
ギュンギュン歪む音にして、LAガンズとかモトリーとかポイズンとかをコピーしてる。LAメタル最高。
1年半くらい毎日練習してけっこう弾けるようになった気がしたので、「弾いてみた」動画をYouTubeにアップしたくなった。
スマホで音まできれいに撮るにはけっこう大きい音を出さなきゃいけないのね。
音量に腰が引けちゃってうまく弾けないので、まずこの音量に慣れようと思って練習してたらアパートの管理会社から「苦情が来てます」って連絡が来た。うるせえなあ。
あと、カメラが回ってると練習でできてたことが全然できないこともわかった。急にできなくなる。
1本の動画にするためには1曲をノーミスで最後まで走りきらなければいけないんだけど、曲の終わりが近づくにしたがってノーミスのプレッシャーが大きくなっていく。このへんはゲームに似てるな。ラスト近くでミスして「だらああああああああ!!!!!」って叫ぶのを延々と繰り返してたら警察が来た。うるせえなあ。
しばらくするとお隣さんは引っ越しちゃったのでもう管理会社も警察も来なくなった。引っ越すつもりだったなら警察なんか呼ぶなよ。
で、
3ヶ月かけて3曲撮り終えた。ジョージベンソンのブリージンと、アールクルーのダンスウィズミー、あとルーム335。フュージョンいいよね。やっぱフュージョンだよ。
いつも自分が見る側だったプラットフォームに自分の姿が映っているのは興奮する。よーく見ると警官から脱がせた制服とか奪った拳銃とかが背景に少し映りこんじゃってるけど、今さら修正できないし誰も気づかないだろう。
そんなことはどうでもいい。
問題はその後だ。
アップ後2~3日すると、部屋に変な虫が出るようになった。
アリみたいな姿かたちなんだけど羽根が生えていて、電灯のまわりを飛び回る。
最初のうちは見つけるたびに手で叩いたりフマキラーとかで退治してたんだけど、数がハンパなくなってきた。
息を吸うだけで口は鼻から入ってくるし、部屋がぼんやり薄暗くなるくらいだ。
がまんできなくなって窓を開けたら、外のほうが虫は濃かった。道理で昼なのに夜みたいに暗い。
あわてて窓を閉めて今に至るんだけど、どうすればいいの。
・モビルアーマー「バウンド・ドック」は、バウンド・ドッグだったはず
・イスラエル国旗、青が濃くなった(水色だったはず)
・米津 玄師(よねづ けんし)、「げんし」だったはず
・虹の配色は、内側から赤→紫だったはず
・昭和ヒット曲「ルビーの指環」は、「ルビーの指輪」だったはず
・高松市に(40年前から)『ジョージア・ガイド・ストーン』がある
・ワシントンD.C.の、米議会議事堂の上に(1863年から)女神像
・憲法19条が『思想・良心の自由』(『思想・信条の自由』だったはず)
・「スリラー」のアルバムジャケット、マイケルの黒シャツにジッパー
・9.11で崩壊したWTC跡に「ワンワールド トレードセンター」が(2014年に)開業している
・ドムドムハンバーガーは、ドムドムバーガーだったはず