はてなキーワード: ウェブとは
コロナ自粛で3カ月も外食ばかりか、飲み屋にも行かず、テレワークも含めてただ働いている。スーパーで食材を買うだけの生活である。テレビも観ていないし、新聞も雑誌も読んでいない。パソコンとiPhoneが有れば事足りる。飲み会もウェブなので気楽だ。酒を強要される事もない。ということでいつもの年ならボーナスがない契約社員なのでぶち切れていたが、コロナのお陰で心穏やかである。金があっても使うところがない。飛行機なんて怖くて乗れないし、そのうち旅行もバーチャル化するだろう。恋愛やセックスさえAIでも使ってバーチャル化すればデートもなくなり、家族団欒さえ、バーチャル空間で好きなように作れるようになるだろう。となれば家族を養う、金もいらない。子供はAIで人工的に作って貰えば十分だ。そう言えばほとんど酒も飲んでいない。まあこのまま質素に暮らして行くなら金なんか、そんなに要らない。契約社員でやる事だけやる方が気楽だ。切られたら次の仕事をやるだけだ。まあ知識の切り売りをしているだけだが、日本企業のITリテラシーは低すぎるし、さらにそれを英語で語る事も出来ない。という事で自分にも当分仕事があるのだ。データサイエンスがわからなければ正社員の皆さん、そのうち仕事がなくなるだろう。ボーナス時期にして初めて清々しい心持ちだ。使うところがなければ金は要らなかったのだ。
コロナ自粛で3カ月も外食ばかりか、飲み屋にも行かず、テレワークも含めてただ働いている。スーパーで食材を買うだけの生活である。テレビも観ていないし、新聞も雑誌も読んでいない。パソコンとiPhoneが有れば事足りる。飲み会もウェブなので気楽だ。酒を強要される事もない。ということでいつもの年ならボーナスがない契約社員なのでぶち切れていたが、コロナのお陰で心穏やかである。金があっても使うところがない。飛行機なんて怖くて乗れないし、そのうち旅行もバーチャル化するだろう。恋愛やセックスさえAIでも使ってバーチャル化すればデートもなくなり、家族団欒さえ、バーチャル空間で好きなように作れるようになるだろう。となれば家族を養う、金もいらない。子供はAIで人工的に作って貰えば十分だ。いやいやしを
私の中にペットに対する釈然としない気持ちがある。ここで言うペットとは通常「ペット」という言葉で想像されるだろう、人間に飼われている人間でない動物(例えば犬、猫)を想定している。私のもつその気持ちがどういうものか、それを上手く表現できないからこそ「釈然としない」と書いたのだが、ともかく他人からペットにまつわるエピソードを聞き、他人のペットとの関わりを目にするとき、私の胸にしばしば芽生えるネガティブな感情がある。それらの感情を抱く理由は――無論断定できる類のものではないが――恐らく私のペットに対する考えが由来となっている。
しかしそれらの考えは非常に表層的で熟慮されたものではない。反論を自ら思いつくものさえある。これまで折に触れてそれらを検討し自分にとっての結論を出そうと試みてきたのだが、考えるのが下手なせいか、その表層を撫でまわすばかりで一向に考えは深まらなかった。
そこで一旦曖昧なりにも考えを文章にまとめ、ウェブに公開することで有益なアドバイスをもらうことを期待して、この文章を書くことにした。本来であれば理路整然と自論を展開してそれを問うのが読み手に親切だとは思うものの、上に記したように、そう出来る程まとまっていないのであくまで「愚痴」として、ぼんやりとした不快感を少しでも形にして提示することにする。
私のもつ不快感、それは前置きで記したように複数の要素が不明瞭に混合したものだ。それらは互いに相関をもつのかもしれないが一旦切り分け、今回は一つに絞る。今回問題にしたいのはペットの命名についてだ。
論の立て方の拙さで言いたいことが曇るといけないので、先に不満点を端的に述べる。不満点はペットの名前に可愛らしい印象のものが多いことだ。そして不満な理由も粗略に述べておくと、そのような名前を付けることによってペットが人間の満足のために愛玩されるものだという信念を強めると考えるからだ。
そう複雑なことを述べているわけでもないので上に短く記した不満点とその理由で、私の意図するところを概ね把握することが可能だろう。ただ私が動物を愛玩のために扱うのを嫌悪する理由の説明は必要だと思うのでそれを少しする。
私が嫌悪する背景にはペット動物に対する人間の原罪のような意識がある。まず前提としてある種の動物の生き方の選択肢は狭い。例えば日本で犬が生きていくにはペットとして飼われる以外の選択肢は殆どない。野犬は狂犬病対策のために保健所に捕らえられるからだ。猫の場合はもう少し緩やかで放し飼いも許されてはいるし、野良猫もある程度は許容されている。ただし避妊・去勢され生物としての機能は制限される。犬、猫に限らず公衆衛生や人間の安全のために生き方を制限されている動物は色々といるだろう。
私はこのことを考えると申し訳ない気持ちになる。無論動物と細かな意思疎通ができる訳でもないし、動物にとっては他の生き方という考え自体も恐らく無いだろうから、この申し訳なさは一種の自己憐憫に過ぎないのかもしれない。しかし人間による地上の征服の結果、人間へ従属するか人間社会の隙間で生きるしかない動物のことを考えると申し訳なくなるのだ。この申し訳なさから派生して、どうにかそれらの動物に報いることはできないかと考えるとき、改めて意思疎通がとれず、相手の願望を把握することができないことに気づき、行き詰まる。それで結局のところそれらの動物が狭められた生き方の中で幸福に過ごせるよう、ある種独善的に判断して行動するほかないということになり、そしてそうする責任があると感じるのだ。
話を戻してそれが何故可愛らしい命名をすべきでないという点と繋がるのかというと、可愛らしい名前でペットを呼ぶと、その瞬間それが幸福を祈るべき対象であることを忘れ、一つの愛玩すべき物体になってしまう気がするからだ。例えば自分が好ましいと感じる外見の人間に対し、それを「格好いい」、「綺麗」、「可愛い」といった感嘆と共に見つめるとき、その人間は内面や背景を失った一つの物体となってはいないだろうか。可愛らしい名前を付けてペットの名を呼ぶことは「可愛い」と言いながらペットを呼ぶのと類似で、それはやはりペットを単なる恍惚の対象にしてしまわないだろうか。そして名前を呼ぶ行為は常習的に行われるため、徐々に意識の奥底に愛玩するものだという意識が蓄積し、いつしかそれが自明のことなってしまうのではないか。こういう懸念から可愛らしい名を付けることに不快感を感じている。
ではどのような名前がいいかいくつか具体例を考えてみた。ひとまず「ゲレゲレ」、「ボロンゴ」、「$$(ドルドル)」あたりを挙げたい。これらの名前は愛らしさがなく、異質さを強く感じさせ、結局のところ人間と動物が相容れない存在であることを認識させてくれる。
要するにこれは文書の価値を「計算能力の投入量(=計算能力を発生させるために消費した電気代)」によって図ろうというシステムだ。
まずこれは1人1票の民主政ではなく、1ドル1票の民主政であるため
数百人の個人が文書Aに高い評価を下しても、1企業が文書Bに高い評価を下しただけで
記事Aよりも記事Bの方が高く評価されてしまうという問題が考えられる。
(ただしこれは仕様通りの動作であり、純粋に問題がある特徴だとは言い切れない)
またビットコインのせいで桁違いのハッシュパワーを持つプレイヤーが存在する情勢では、
彼らがその気になればどのような記事でも削除される可能があるという心配もある。
文書を得るための手段としてPermalinkまたは完全なタイトルが必要であることから、
このシステムは文書とそれに対する評価値を管理するものでしかなく、検索エンジンの代替えにはなりえない。
俺の考えが甘いんだってことはわかってるけど。
自分だけで稼ぐのは難しいから制作会社の業務委託とかでもやってる。
そのうちの一箇所は俺が独立した頃からの付き合いで、すごく良くしてもらっている。
と思ってた。
ただ、ページ制作といってもLPみたいなでっかいページでも費用は一緒。
それから、客とのやりとりも俺なんだけど、これがすっげー大変。
毎日電話かかってくるしメールも頻繁にくるし、打ち合わせに呼ばれることもしばしば。
そのせいで他の仕事が進まなくなって来たりして、焦ってた。
月額固定でやってるんだけど、とても採算が合わなくなって、向こうの社長に直訴。
そうしたら
「そういった部分も能力。見積もり金額から溢れないように自分の裁量でやるべき」
と、暗に俺の能力を責められる形に。
打ち合わせに呼ばれても行かなくていいのか?
で、同業の知り合いに言ったら「いいように使われてるんだよ」って言われた。
「お前は人がよくて、気が弱くて、言われたらハイハイってなるから
安くこき使える外注先なんだよ」ってね。
俺はすっげー信頼してたから、今回のことでものすごい不信感が生まれてしまった。
これ以上払いたくないからこういう言い方をしたということがわかったから。
せめて感謝の言葉と、「自分のところは利益が薄くてこれ以上あまり出せない」
とか言ってくれれば気持ちも違ったのに。
何だかな。
潮時、フェイドアウトするべきなのかな。