はてなキーワード: アセクシャルとは
最近流行りのノンセクとかいうクソワード、アロマンティックっていう理解され難いであろう存在を無かったことにしているので滅んでくれ。
ノンセクシャルって『恋愛感情がある(ロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱く(アセクシャル)人』のことじゃん。
この世には『恋愛感情がない(アロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱く(アセクシャル)人』もいるし、一番理解され難いであろう『恋愛感情がない(アロマンティック)かつ性的接触に嫌悪感を抱かない(セクシャル)人』も存在するんですよね。
Aロマ/セクの私としては、認知されてるロマ/Aセク(ノンセク)も、理解されやすいAロマ/Aセクも、もちろんロマ/セクとかいうマジョリティもどれもこれも羨ましいわ。
あと(ア)ロマンティックと(ア)セクシャルを間違えて覚えてる人めちゃくちゃ多い。
それとLGBにTを並べるのは烏滸がましいと思うし(パンとか並べろ)、そもそもLGBTなんたらかんたらじゃなくて、セクシャルマイノリティって言葉使って欲しい。
日本語ならセクマイって四文字で済むし、LGBTなんとやらだとAロマみたいなのがいつまで経っても可視化されない。
ま、自分もほんの少し調べただけなんで詳しく知らないんですけどね。
生まれ持った障害、途中で障害者になった、義足車椅子などの目に見えてわかりやすい障害、目に見えない発達障害、精神障害、内部障害、ギリギリ健常者扱いされてしまうグレー…などなど多様性枠の中の障害者にはちゃんと多様性があって、雇用や生活に関する苦しみも表現しやすいし浸透してきてる。
ハーフ(MIXと言ったほうがいい?)、クォーター、ゲイ、レズビアン、バイ、トランスジェンダー(一部)、アセクシャル宇多田ヒカルetc…こちらも生まれ持ったもの(一部の自称トランスを除き)、変えることが基本できない国籍、人種、性に対する苦しみもそこまで想像するのが大変じゃない。
その中にただ「デブス」を放り込むのはあまりにも残酷じゃないですか?
「デブス」なだけで生活や雇用で何か困ることがあるんでしょうか?
障害者扱いされたい、されたくない、色々あると思いますが「デブス」をLGBTや障害者と同じ多様性枠に入れてしまうのはあまりにも危険だと思います。
このままでは「デブス」というだけで名誉障害者になってしまいます。
「デブス(障害)なのにおしゃれ!」みたいな褒め言葉を本当にデブスの方々は求めているんですか?
さまざま感じていますが、なかなか受け入れるのには時間がかかります。
ですが生まれ持ったものであるし、実際生活には不便しているのでその扱いを受け入れられます。
でもただ「デブス」なだけの人がこの扱いをされたら…?と思うと心の底からゾッとしてしまうんです。
先ほど言ったような
デブス以外の障害者にとっては嬉しいものですよね?(よっぽどルッキズム反対でない限り)
ではデブスの人は、どうやって容姿に対する褒め言葉を受け取ればいいんでしょうか。
「デブス(という障害者の中ではそれなりに)可愛い♡」にしかどう頑張っても聞こえませんよね?
「デブス」を多様性枠に放り込むと、「デブス」と「デブス以外」を明確に分け、グラデーションには決してしないことにより完全に違う土俵に立たされてしまうのです。
「多様性枠の中のデブス」認定されている人に対して「障害」であるデブスの部分を褒めると『直球の嫌味、差別』に変化してしまいます。
それを避けるため、容姿褒めの後のフォローとして内面やセンスなどを褒める人が多いです。
「デブス」は「デブス」な自分を肯定したいのに、「デブス」部分が褒められなくなり、アイデンティティが崩壊します。
「デブス」ならばせめて、内面やセンスが良くなければいけないという新しい価値観も生まれてしまいます。
「デブス枠」と「非デブス枠」は建前上は対等に扱われなければいけないため、同じステージに上がることも多いでしょうがさまざまな部分から明確な差を「デブス枠」は感じることになります。
「デブス」を障害者にするのは一刻も早く辞めたほうがいいです。
あからさまにデブスを入れてしまうと差別的なので、どうしても入れたければ「微ブス」「微デブ」「ちょいデブ」「デブ」「ブスだけどスタイルはいい」と細分化しましょう。
イケメンや美女美少女に全く興味がないというか世間様が何でそれらを魅力的に感じてるのか理解できないという人はいるのか。
特別嫌悪するとかじゃなく、人間の顔立ちにおける造形の美しさを理解するような認識の枠組み自体がないような人といえばいいか。
中国の言葉でいえば沈魚落雁とかいうやつ。そういう美を感受する部分だけ魚や雁と同等の人間はいるのだろうか。
特別嫌悪するとかしないとかいうのは、たとえば俺はscatで抜ける奴が理解できないかつscatに生理的嫌悪感を覚える。
一方ぜんまいこおろぎで抜く奴は理解できないけど自分自身がそれを見ることで苦痛を感じるというものでもない。ただどうすればあの作品で興奮できるのかが分からないだけで。
同じようにどうして造形の整った人にメロメロになるものなのか、そもそもメロメロになるとはどういうことなのか、実感としてどうしても理解できないという人間はいるのだろうか。
アセクシャルというものがあるがこういう人たちにしても性的に魅力を感じることがないだけで、世間的にこれはカッコいいと言われるべき人間なんだと理解することはできる。もし人間における顔立ちの魅力そのものが理解できないような人がいるとすればアセクシャル以上に奇妙な存在ということになる。
よく二次元のキャラに恋してるとかいう人間にまつわるネタ「三次元に興味はない」というのがあるが、あれはほとんどが強がりだろう。もしも本気でそう言ってる事例も混じってるなら上記の条件を満たす存在ということになるが、はたして。
某所で取り留めなく書いた物です。折角なので今日の日記にしてみたいと思います。
過激なフェミニスト兼ミサンドリストの言い分というか最終的な目標って男性を奴隷にする事なのかな?
「女は殴って男の言う事を聞かせるべきだ」みたいな事を言う過激な女性差別主義の対極の存在というか
辞任に追い込まれたあの人のような発言を男性にしている女性が特に炎上もせず、むしろよく言った!と称賛されるのに性差を感じるね
仮説だけど過激なフェミニスト・ミサンドリストは嫌いだけど穏健なフェミニスト・うっすら男性嫌いの人には共感する女性は多いんだろうか
結局のところ過激な人が煙たがられるのは口汚かったり攻撃的だったり自分の事は棚上げしたり主義思想に関係ない所も大いに関係あるだろうし
少年漫画の無意味なお色気描写、巨乳キャラの煽るようなポスター、ミニスカートキャラのPRポスターなんかは女性が積極的に好む物でもないし
そこら辺を攻撃すると女性向けにも跳ね返ってくるからやめようよ…と言う人は居ても私もそういうの大好きだからやめてよ…って人は少なかったよね
過激なフェミニストとミサンドリストって女性を攻撃したり女性の不利益になる事するのが嫌われる一番の理由じゃないかな
もし純粋に女性の権利拡大を目指すだけだったり男性を嫌うだけなら男性から嫌われても女性からは消極的に応援されていたと思う
例えば女性蔑視的な表現がこの世から無くなるならそれは良い事だけどその過程で多くの女性が楽しんでる作品まで無くなったら本末転倒だし
ああいう過激な人達は「自分が楽しんでいる物だけは別」って基準があるから結局自分の気に食わない物を弾圧しているだけとしか思えないのが困る
フェミニズム=女性のための活動なら自分の得になる事は全てフェミニズムって理屈でどうとでもなるんじゃないかな?
今フェミニストを名乗っている人って大体今の自分の人生に満ち足りていない人だから成功している女性の事は憎いと思う
実際過激なフェミニストやミサンドリストが自分の周辺に害を成さないなら気にせず黙認している人は多いんじゃないかなって気がしている
女性を性的な目で見る男性や少年漫画のお色気描写が不愉快でそれが無くなる分には喜ばしいという女性は少なからず居そうだし
「男性」という属性その物を憎んでいてそこに属する人全てが攻撃対象だから女性にも過激なフェミニスト・ミサンドリスト嫌いな人が増えてきたんだろうね
海外の男性は素敵な人が多い、海外のジェンダー観は進んでいる。それに比べて日本の男は…みたいに会った事も無い遠くの人を神格化して身近な人を貶す人も困る
ヒロインを嫌う人自体は腐女子以外にも夢女子だったり別CPのファンだったりもするんだろうけど
腐女子は「腐女子はヒロインを叩かない、それはドリ厨やノマ厨の仕業」って堂々と腐女子無罪を主張するんだよね
人気作品の最終回後男男CPがくっつかなかった事を異性愛規範がジェンダー観がどうの叩いてる所よく見るのに
「腐女子は初めから捏造CPだと自覚してるからわざわざヒロインを叩かないよ?」なんてバレバレの嘘を吐くんだろう
モブおじさんを自称したり「壁や天井や観葉植物になって推しCPを観察したいだけだから…」みたいな事言ってるの見ると
腐女子は男オタクや夢女子や男女CP好きと違ってBLに腐女子の欲望は一切介在していない自分は何も悪い事をしてないって思考がデフォルトなのかな
自分の妄想が自分由来じゃなくて「原作を読み込んだら自然と出て来た」みたいな事もよく言ってるし、本当に自分の欲望を認めたくないんだなって感じる
アセクシャルアロマンティック自称する腐女子が多いのも自分には性欲や恋愛願望はない=BLは自分の性欲や恋愛願望から出た物ではないって言い訳なんだろうか
受けが作中のイケメン達からモテモテ=幸せって考え方がもう受け=女性=自己投影の証明だよねって誰かが言ってた
昔からBLや腐女子が批判されると「日本には昔から衆道という伝統ある同性愛文化があったのに~」とBLと現実の同性愛を結び付けたり
最近だとBLはゲイ当事者からも愛されている、BLはポリコレ的に正しい、腐女子はLGBTに対する理解と感心が優れているみたいな社会正義側みたいな事言ってるのが凄い
BLはゲイ差別表現をこう乗り越えた……当事者たちが考える「ポリコレの先」
https://bunshun.jp/articles/-/36926
BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
腐女子本人がここまでBLと腐女子の事を自画自賛出来るんだから本当もう冗談抜きで凄いと思う
栗本薫が昔自分のやおいレイプ小説はホモ当事者のための物であるって後書きに書いてゲイ当事者の怒りを買った事があるそうだけど
例えばインテリな学者さんでも一時代を築いた作家さんでも腐女子ってだけで自分はゲイの味方であり社会正義であるみたいな事言っちゃうんだ…みたいな虚しさを感じる
何でBLは男女恋愛の女性を男性に置き換えた疑似異性愛です受けに自分を重ねていますって認められずに逃げちゃうんだろう…
自称モブおじさん、壁や天井になりたいだけ、腐女子はヒロインを叩かないみたいな言動も合わせて腐女子は絶対に自分が正義側である事以外を認められないんだろうか…?
同性愛者のコミュニティにゲイの振りをして潜り込もうとするからゲイから嫌われていたのがもう10年以上前だっけ…?
そういう所でリアルゲイから得た知識をホモビアの泉とか言って披露し合う滅茶苦茶悪趣味な事やってなかったかな
完全にリアル同性愛者を玩具側にしている側なのに自分を少数派の理解者とか味方とか平気で言える所が本気で理解出来ない、怖い…
「BLはファンタジーだから…」と「BLはリアル同性愛者への理解が深い」
みたいな言葉が一人の腐女子が口から出てくるんだから腐女子は二枚舌が基本なんだろうか…?
腐女子って自分が女性であるって個性から逃げてるからあんなに他責的で自分の欲望を見つめられないんだろうか
何なんだろうとにかく面倒臭いよ腐女子…男男CP好きな事自体は別に悪くないけど男女CP好きを攻撃せず正義面もしないでくれ…
Lを自称→自分は女性にしか興味が無いのでBLは男性目当てに読んでる訳ではないという言い訳?
Gを自称→自分は腐男子でゲイなのでBLを読むのもゲイとして当たり前の事であるという言い訳?
Bを自称→自分は男も女も行けるけどBLは純粋に読み物として面白いので読んでいるという言い訳?
Tを自称→自分はFTMゲイなのでBLを読むのもゲイとして当たり前の事であるという言い訳?
アセクシャルやアロマンティックを自称するのは自分は性欲が無く恋愛にも興味が無いけどBLは純粋に面白いから読んでるって言い訳かな?