生まれ持った障害、途中で障害者になった、義足車椅子などの目に見えてわかりやすい障害、目に見えない発達障害、精神障害、内部障害、ギリギリ健常者扱いされてしまうグレー…などなど多様性枠の中の障害者にはちゃんと多様性があって、雇用や生活に関する苦しみも表現しやすいし浸透してきてる。
ハーフ(MIXと言ったほうがいい?)、クォーター、ゲイ、レズビアン、バイ、トランスジェンダー(一部)、アセクシャル宇多田ヒカルetc…こちらも生まれ持ったもの(一部の自称トランスを除き)、変えることが基本できない国籍、人種、性に対する苦しみもそこまで想像するのが大変じゃない。
その中にただ「デブス」を放り込むのはあまりにも残酷じゃないですか?
「デブス」なだけで生活や雇用で何か困ることがあるんでしょうか?
障害者扱いされたい、されたくない、色々あると思いますが「デブス」をLGBTや障害者と同じ多様性枠に入れてしまうのはあまりにも危険だと思います。
このままでは「デブス」というだけで名誉障害者になってしまいます。
「デブス(障害)なのにおしゃれ!」みたいな褒め言葉を本当にデブスの方々は求めているんですか?
さまざま感じていますが、なかなか受け入れるのには時間がかかります。
ですが生まれ持ったものであるし、実際生活には不便しているのでその扱いを受け入れられます。
でもただ「デブス」なだけの人がこの扱いをされたら…?と思うと心の底からゾッとしてしまうんです。
先ほど言ったような
デブス以外の障害者にとっては嬉しいものですよね?(よっぽどルッキズム反対でない限り)
ではデブスの人は、どうやって容姿に対する褒め言葉を受け取ればいいんでしょうか。
「デブス(という障害者の中ではそれなりに)可愛い♡」にしかどう頑張っても聞こえませんよね?
「デブス」を多様性枠に放り込むと、「デブス」と「デブス以外」を明確に分け、グラデーションには決してしないことにより完全に違う土俵に立たされてしまうのです。
「多様性枠の中のデブス」認定されている人に対して「障害」であるデブスの部分を褒めると『直球の嫌味、差別』に変化してしまいます。
それを避けるため、容姿褒めの後のフォローとして内面やセンスなどを褒める人が多いです。
「デブス」は「デブス」な自分を肯定したいのに、「デブス」部分が褒められなくなり、アイデンティティが崩壊します。
「デブス」ならばせめて、内面やセンスが良くなければいけないという新しい価値観も生まれてしまいます。
「デブス枠」と「非デブス枠」は建前上は対等に扱われなければいけないため、同じステージに上がることも多いでしょうがさまざまな部分から明確な差を「デブス枠」は感じることになります。
「デブス」を障害者にするのは一刻も早く辞めたほうがいいです。
あからさまにデブスを入れてしまうと差別的なので、どうしても入れたければ「微ブス」「微デブ」「ちょいデブ」「デブ」「ブスだけどスタイルはいい」と細分化しましょう。
スーパーサイズアグリモデルを目指すという道も。 同じ個性を持つ子たちをエンパワーメントできる。